Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

錯誤における意官の独立性の否定

きらきら光る真珠母貝を銀と思い込んでしまう錯誤は,なぜ起きるのでしょうか.

ひとつの説明として,意官(心)のせいだ,と考えることができます.

この場合,意官は何でも自分の力で作り出せる,と考えることになります.

たとえば夢の場合を考えてみましょう.

夢の場合,あきらかに,真珠母貝に相当するような「場としての対象」が必要ではありません.

完全に外界がゼロの状態で,あたかも目の前に女性がいるかのように,女性の夢を見せることができます.

意官の非他依存性,独立性です.

意官こそが把握対象を作り出す主体となるのです.




しかし,真珠母貝の例からも分かるように,もしも意官が何でも自由に作り出せると考えるならば,目の前の真珠母貝は不要ということになってしまいます.

つまり,きらきら光る真珠母貝が目の前になくても,意官は自在に銀の映像を作り出すことができることになってしまいます.

しかし,現実には,真珠母貝のようにきらきら光るもの(つまり銀に似たもの)がある時に錯誤は起きるのであって,それ以外の場合には起こりません.

したがって,意官は,類似性に刺激を受けて覚醒してくる潜在印象に何らかの仕方で依存していると考えるのが正しいということになります.

夢の場合も,意官は,対象映像を自在に作り出しているわけではなく,過去に経験したものを想起しているだけです.

ここでも潜在印象(過去の記憶)に依存していると考えるのが正しいのです.

つまり,夢の認識において,意官は,過去の直接経験とその潜在印象(記憶)に依存しているのであって,独立自在の,非他依存的なものではありません.
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  1. 2016/08/23(火) 19:51:25|
  2. 未分類

世界を創造した神は存在するのか?

インド古典文献に「創造主の存在論証」というトピックがあります.

世界の創造・存続・帰滅を司る一者としての神の存在論証です.

とくに創造神たる一者の論証が焦点になっています.

二つ,メインとなる推論式があります.

主張:この山などには作った者がいるはずだ.
理由:結果だから.
喩例:壺などと同様に.

結果である壺などには,陶工という作者がいます.つまり,「結果→作者」が推論できます.同じ図式で考えると,山なども結果である以上,作者がいるだろう,という推論です.

すぐに気がつくように,果たして壺と同様の意味で山などは「結果」と呼べるのだろうかという疑問が湧きます.

普通に考えて,人為の結果(人工物)と自然(非人為)の結果(自然生成物)という二つは区別されるべきでしょう.

その他にも次の推論式があります.

主張:この山などには作った者がいるはずだ.
理由:配列があるから.
喩例:壺のように.

壺は部分の組み合わせからできています.

つまり,レゴを組み合わせるように,部分から成っています.

部分を組み合わせる人がいるはずだということになります.

この図式を当てはめて考えると,ある形状・配列を有している山など(例えば美しい形をした富士山)にも,作者がいるはずだ,ということが推論できます.

キリスト教神学でいう「デザイナーとしての神」と同じ発想の推論です.

デザインが現に目の前にあるからには,背後にデザイナーとしての神がいるはずだ,という推論です.

ここでも,問題は,果たして,人為のデザインと,自然にできたデザイン(というか形)とが同じかということです.

つまり「配列」といっても,それは単に,同音異義語ではないか,という疑問がでてきます.

人為の配列
非人為の配列

の二種類に,たまたま,同じ「配列」という語を適用しているだけで,実際には,二つは区別すべきではないか,という疑問です.

前者は作者を予想させますが,後者は予想させないのではないか,という突っ込みが可能なわけです.

インド古典の世界では,

1.主宰神を認める学派:ニヤーヤ学派など
2.主宰神の存在を認めない学派:ミーマーンサー学派,仏教

が中心となって議論を進めてきました.

面白いことに,バラモン教学のミーマーンサーと,仏教とが,ここでは意見を同じくしています.

ダルマキールティも,クマーリラの見解を前提として援用している様子です(H.クラッサーによる見方).

ジャヤンタの主宰神論証──Nyayamanjari「主宰神論証」定説部の和訳── 『哲学年報』(九州大学文学部)69, 17-69.
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/16928/pa017.pdf
神を否定する方法:Nyayamanjari「主宰神論証」前主張部の読解.『哲学年報』(九州大学文学部)68, 27-71.
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/13925/pa027.pdf

"Critical Edition of the Isvarasiddhi Section of Bhatta Jayanta's Nyayamanjari." 『東洋文化研究所紀要』148, 350(79)-297(132).
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/1973
  1. 2016/08/16(火) 18:49:14|
  2. 未分類

OHR



スペシャルメニューのマトンマサラ.

巨大も巨大.

相当の大きさです.

さすがにフォークとナイフでは無理なので,むしゃぶりつくしかありません.(周囲のひとは,ナイフとフォークで上品に食べていましたが.)

ビリヤニも食べたかったのですが,さすがにお腹いっぱいです.

かき氷もメニューにあるのが気になります.
  1. 2016/08/15(月) 00:04:15|
  2. 未分類

OHR




A,B,Cとありましたが,Cのビリヤニのセットに.

あとからローティも追加.

いつきても,ダールがうまい.

ローティも美味.

魚はタイとのこと.
  1. 2016/08/11(木) 15:14:09|
  2. 未分類

Ali's Kitchen



セイロンカリーにもう一度と思いましたが,ちょうどお休み.

そこで歩いて心斎橋へ.

アリーズキッチン.

駅近の立地はやはり便利です.

前回ビリヤニを食べたので,今回は,何があるかを聞いて,マトンニハーリー.

マルハバとはまた違う味わいでした.
  1. 2016/08/11(木) 15:13:01|
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Ceyron Curry



見た目も綺麗なセイロンカリーのアンブラ.

時間が遅かったのであいにくマトンやチキンは売り切れ.

ノンベジの選択肢は,フィッシュ,ビーフ,ポークの三択でした.

ライスは200プラスでバスマティーに変更可能.
  1. 2016/08/11(木) 15:11:13|
  2. 未分類

Textの怪しみ方

どうも読めません.

否定辞のnaがいらないのではないか,と思うのですが.

ということで,写本をチェック.

しかし,写本は,どう見ても,naがある読みを持っています.

シャーラダー写本が駄目なら,つぎは,マラヤーラム写本.

しかし,こちらも明らかにnaがあります.

うーむ.

どうやら,刊本の読みは,現行のもので正しそうだ,という見通しが立ちます.

つぎにすべきは,読みを疑うことではなく,この読みを前提にして,なんとか,意味が通る解釈を行うことです.

あれこれと可能性を考えます.

また,前に溯って,ヒントがないか探します.

こういう場合は,往々にして,句読点,つまり,文章の区切り方を変えることで,解釈の抜け道が見えてきます.

複雑なyat ... tatの可能性を,あれこれと考えて,ようやく理解できました.

どうやら,問答の問と答とが,ぽんぽんと切り替わっている,というのが事情でした.

つまり,Aにたいして,つぎBさん.つぎに,さらにAさんの反論.さらにBさんからの回答,といった具合です.

刊本では,その切り替えが反映された改行を行っていません.

したがって,刊本で読むと,一文に見えてしまうわけです.

区切りや,あるいは,区切りを反映した句読点がいかに解釈にとって重要か,ということです.

校訂者の仕事は,単に異読の記録に終わるわけではありません.

テクストを読みやすいように,あるいは,自分の解釈に沿って,読者が理解しやすいように改行,区切ることも,重要な仕事のひとつです.

そのためには,いわずもがなですが,テクストの内容まで理解していなければなりません.
  1. 2016/08/03(水) 08:21:29|
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第二回錯誤論研究会



昨年度は京都大学のヴァースデーヴァ博士をお招きして,関連文献を読み進めました.

今年は,石村博士を招へい,関連文献を集中的に読み進めています.

広大の中須賀さんも急遽参加決定.

細かく読んでいくと,やはり,あれこれと変なところが出てきます.

そのような箇所は,いったん写本に戻ってチェック.

すると,やはり,読みが違う,というような箇所が既に何カ所か出てきました.

和訳して何かおかしい,という箇所は,サンスクリットがおかしい,ということが,実際にあるわけです.

自分のもつ「おかしい」という感覚を大事にすべきだと再認識しました.

日本語であろうが,サンスクリットであろうが,やはり,おかしいものはおかしいわけで,昔の人であれ今の人であれ,インド人であれ日本人であれ,論理の筋道・記述の仕方というのには共通したものがある,ということです.
  1. 2016/08/01(月) 19:06:43|
  2. 未分類

第27回 西日本インド学仏教学会

晴天というべきか,かんかん照りの中,九大で開催.

参加者は,九大,筑女,広大,山口県立大,京大,筑波など.

田村さんは,あいにくのキャンセル.



12:30-13:00
氏名:佐藤智岳
所属:九州大学大学院
発表題目:Tattvasaṃgrahapañjikāにおける世尊の有分別状態での説法


13:00-13:30
氏名: 斉藤茜
所属: 日本学術振興会
発表題目: 概念化の過程における言葉の四様態と Śaivasiddhānta の三宝について


13:30-14:00
氏名:上田 真啓(うえだ まさひろ)
所属:京都大学文学研究科 非常勤講師
題目:Vyavahārasūtra 注釈文献研究


14:00-14:30
氏名: 志田泰盛
所属: 筑波大学
題目: 音声の永遠性論証における pratyabhijñā[na]―スチャリタミシュラの刹那滅論批判部の校訂ノート―


14:30-15:00
氏名:川村悠人
所属:京都大学(学振研究員)
発表題目:パーニニ文典解釈装置chandovat sūtrāṇi bhavantiの論理


15:00-15:30
氏名:田村昌己
所属:広島大学大学院
題目:中観派の世俗観ーバーヴィヴェーカとチャンドラキールティー



15:30-16:00
氏名:青原彰子
所属:広島大学大学院
発表題目:『静慮無色定大論』における遍満所縁


16:00-16:30
氏名:大前 太
所属:島根県立大学
題目:シュローカ・ヴァールッティカおよびタントラ・ヴァールッティカ関係写本について


16:30-17:00
氏名:鈴木隆泰
所属:山口県立大学(国際文化学部国際文化学科)
題目:『妙法蓮華経』「常不軽菩薩品」偈文中に表れる一節を巡って


17:00-17:30
氏名 : 北野新太郎
所属 : 九州大学 非常勤講師
発表題目 : 初期唯識思想特有の認識の構造についての一考察──「外のアートマン」をめぐって ──




参加申込者が多数のため,数人は断らざるを得ませんでした.

枠もぎりぎりいっぱいで,しかも,12:30から開始という,早めの開始でした.

一切休憩なしでしたが,田村さんが急遽キャンセルとなったため,結果として30分の休憩を挟むことになりました.

内容は,タイトルからも分かるように,多岐にわたります.

本当は、もう少し質疑の時間を延長確保したいのですが,多人数の発表を確保するためには,痛し痒し,仕方ありません.

20分10分ではなく,20分20分くらい欲しい感じでした.

発表がどうしても長くなり,残り5分程度ということになると,どうしても,質問者が一人だけ,というようなことになり,複数の人が満足できるほどの時間確保が不可能となってしまいます.

事前の資料配付により,関心のあるテーマについては各自予習できるので,一層,質疑応答の時間確保が望まれるところですが,ひとまずは,現状でのやりくりを考えるしかないでしょう.

コーヒーブレイク・カンファレンスのように,事前に読んできて,本番では質疑応答だけをやる,という手もありますが,そこまでドラスティックな変更は,まだ,日本の印哲業界では一般的ではないので,ひとまずは見送り.

  1. 2016/07/30(土) 12:19:47|
  2. 未分類

Nabi-san in Ito campus, Kyushu uni.

  1. 2016/07/25(月) 23:10:08|
  2. 未分類

South asian foods in Fukuoka

  1. 2016/07/24(日) 21:43:09|
  2. 未分類

South Asian Classical Studies, 11, 2016

SACS2016English


A Japanese Translation of Mṛgajātaka (Haribhaṭṭajātakamālā 11)
Okano Kiyoshi

A Hermeneutic Approach to the Aṅgulimāla-sutta in the Theravāda Buddhism
Shimizu Toshifumi

Tadvat and Apohavat:
Dignāga and Kumārila on viśeṣaṇaviśeṣyatva
Kataoka Kei

A Study of the Opening Section of Yamāri's Pramāṇavārttikālaṅkāranibandha
(P phe 208a7-210b8; D phe 174b1-176a6)
Matsuoka Hiroko

An Annotated Japanese Translation of Ratnakīrti's Īśvarasādhanadūṣaṇa (III)
Moriyama Shinya

A Study on the Genesis of Madhusūdana Sarasvatī's Theory of Īśvara
Manabe Tomohiro

The Role and Classification of Sound (nāda, dhvani) in the Grammarians'
Theory of Language
Saito Akane

Bhaṭṭi's Knowledge of Kātyāyana's and Patañjali's Arguments
Kawamura Yuto

KYUSHU UNIVERSITY
DEPARTMENT OF INDOLOGY
  1. 2016/07/22(金) 22:44:44|
  2. 未分類

『南アジア古典学』11号,2016年

SACS2016


Haribhaṭṭajātakamālā 第11話『鹿ジャータカ』和訳
岡野 潔
1-16

パーリ上座部におけるアングリマーラ経釈義
―聖典の字義と、阿毘達磨による解釈―
清水 俊史 
17-48

tadvat とapohavat
――限定関係をめぐるディグナーガとクマーリラの一議論――
片岡 啓
49-74

ヤマーリ著『プラマーナ・ヴァールッティカ・アランカーラ・ニバンダ』
冒頭部 (P phe 208a7-210b8; D phe 174b1-176a6) の研究
松岡 寛子
75-125

ラトナキールティ著『主宰神証明の論駁』和訳研究(下)
護山 真也
127-146

マドゥスーダナ・サラスヴァティーの主宰神論形成に関する一考察
眞鍋 智裕
147-168

文法学派言語理論における音(nāda, dhvani)の役割と分類
斉藤 茜
169-195

Bhaṭṭi's Knowledge of Kātyāyana's and Patañjali's Arguments
Yuto Kawamura
197-203
  1. 2016/07/22(金) 22:39:19|
  2. 未分類

アレッサンドロ・グラヘリ『ニヤーヤマンジャリーの歴史・伝承――スポータ章の批判校訂』

インド学の場合,刊本は多くの誤植にまみれています.

我々も,特に期待してないので,「またか」という具合で,いちいち気にもとめず,誤植は勝手に直します.

インドの印刷所のレベルは(日本人の普通の感覚からすると)驚くほど低いので,はなから期待していないのです.

印刷所だけでなく,編集作業もかなりいい加減だったりすることがうかがえます.

読み手の我々も「インドは暑いから仕方ないか」と寛容の精神を発揮せざるをえません.

「新しい版が出ているな」と思ってよく見てみると,エディターの名前と値段だけを変えて,昔の版を丸パクリ,ということが,別に珍しくもないのが,インド刊本の世界です.

そのような環境で育つと,どうしても,テクスト校訂に求めるスタンダードが低くなってしまいます.

勢い,インド学において,「批判校訂」に期待するレベルは低いものとならざるをえません.

身近にお手本がない状況です.

輪をかけて困るのが,インド哲学の場合です.

インド哲学の場合,「文字に拘泥せず,中身を,アイデアを知りたいのだ」という研究者が多くなります.

いちいち写本から校訂する,などというのは,哲学志向の人間の嗜好には合わないのです.

するとどうなるでしょう.

インド哲学研究者の中で,テクスト校訂に手を染める人はますます少数となります.

結局,いつまで経っても,誤植だらけのいい加減なインド刊本を使い続ける,という苦海に沈み続けることになります.

闇から闇への,タマスの世界です.

また,インドのサンスクリット写本を集める苦労というのは,かなりのものです.

まず,日本には,写本カタログがそろっていない,という不備があります.

図書館が貧弱すぎます.

イギリスであれば,大英図書館やオックスフォードのボードレイアン図書館にサンスクリット写本が山ほどありますので,まず,基礎となる幾つかの写本を複写し,それで,手慣らしをすることができます.

写本研究への敷居が低いのです.

イギリスなら,まだ確実に写本が取れるという保証があるからいいものの,インドだとそうはいきません.

わざわざバスを乗り継いで行っても「複写は駄目」とかいうことは普通にあります.

やる気も失せるというものです.

写本蒐集は,時間もエネルギーも,そして,金もかかるのです.

わたしも,校訂にひとまず十分な量の写本を集めるのに,10年ほどかかりました.

校訂はようやくそれからです.

また,先達が少ないので,どの写本が良本か,という情報もありませんから,まったくランダムにあれこれ集めることになります.

ロスが大きいのです.

馬鹿なデーヴァナーガリー写本を沢山あつめても,一向に読みが直らない,ということになりかねません.




で,本題のニヤーヤマンジャリー.

写本情報を網羅的にまとめた研究書が出ました.

アレッサンドロ・グラヘリによるスポータ章の研究.

ウィーンの個人プロジェクトとして行われたものです.

写本の情報がまとめられているので,至極便利です.

今後は,この情報を頼りに,効率的に進めていくことができます.

前半では,刊本相互の関係,写本相互の関係について,詳しく検討が為されています.

プーナのBORIのシャーラダー写本が重要であることは間違いありませんが,さらに,南インド写本が重要であることが分かります.

今後,ニヤーヤマンジャリーを扱う際に常に参照すべきガイドとなるでしょう.

異読に関しては,意味のある異読のみを挙げていて,無意味な間違いについては,ネットで別に掲載されています.

重要な異読が埋もれてしまわないように,という配慮です.

確かに,アラハバード写本などは,馬鹿な間違いが多いので,いちいち全部記録していたら,間違いの記録だらけになってしまうのは確かです.

沢山写本を扱う際の葛藤です.




誤植や間違いのストレスを感じることなく,安心して読めるテクストというのは,インド哲学では稀です.

今後,この方面の研究が続くことを期待します.




肝心の中身についてですが,スポータというのは,いわゆる「全体としての語」のことです.

つまり,音素という部分に分解されない,ひとまとまりの語,意味を開顕するひとまとまりの言葉がスポータ(蕾)です.

文法学のスポータ論にたいして,音素論のニヤーヤ学派が批判する,という構図になっています.
  1. 2016/07/21(木) 08:10:00|
  2. 未分類

Amma back in June 2011

FukuokaJune 033

焼き色がいまいちです.
  1. 2016/07/19(火) 19:08:05|
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Amma back in 2011 Feb

AmmaNewCook03984342

新しいコックさんに変わって,やる気満々.

企画で,ドーサフェスティバル.

2500円.

AmmaNewCook034985234

プレーンドーサばっかりだと,いまいちお腹が張りません.

マサラドーサを追加注文.

その後に,おまけで来たプレーンドーサ.

ドーサ尽くしでした.

企画としての迷走感は否めませんでした.

また,客はわたし一人でした.

いちおう「フェスティバル」と銘打っていましたが.

客一人でフェスティバルを成立させるのは非常な困難が伴います.
  1. 2016/07/19(火) 18:55:24|
  2. 未分類

Amma back in 2011 Jan

Amma09853405934q
Amma0932854
  1. 2016/07/19(火) 18:46:15|
  2. 未分類

Ratnatrayapariksa



年代不詳のシュリーカンタのRTP,三宝考察.

その註釈は,おなじみのアゴーラシヴァ師.

ここでの三宝とは,シヴァ,シャクティ,そして,ビンドゥ.

ビンドゥに関しては,このほか,Nadakarikaとその注にも詳しい記述があります.

担当は斉藤さん.

RTPのムーラの写本は,マイソール写本.

ナンディナーガリーの貴重な写本です.

クオリティーも非常に高いので,参照するとテクストが直ります.

アゴーラシヴァ註の方は,ポンディのもの.

こちらの写本は余りクオリティーは高くない感じです.

肝心のビンドゥまでは行き着かず,その前提となる,シャイヴァシッダーンタの世界観のイントロ的な部分で一日終了.

全体を読むにはまだまだ時間がかかりそうです.




DSC03896.jpg

張本さんのリクエストで近くの「たく味」へ.
  1. 2016/07/19(火) 07:25:41|
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on Yogayajnavalkya



西暦1024年(=samvat 144)の奥書のあるネパール写本に基づいてソームデーヴが校訂中.

かなり手強そうです.

中性・男性も自由に入れ替わっていますので,校訂の際は,判断に迷います.

今回読んだ箇所は,プラナヴァ,つまり,a-u-mについての章.

ひたすら,a-u-mについて.

章立ての骨組みは

1. ārṣa聖仙に関して
2. chandas韻律
3. daivatya神格に関して
4. brāhmaṇa神話など
4.1. nirukta語源
4.2. samutpatti由来
4.3. prayojana目的
4.4. pratiṣṭhāna設置
4.5. stuti,称賛
5. viniyoga使用法

テキストとしては,ヴィシュヴァルーパ以前に溯りそうですから,かなり古そうです.

情報として面白いのは,その当時のヨーガの流派を列挙した箇所.

1. ヒラニヤガルバ
2. カピラ
3. アパーンタラタマ
4. サナトクマーラ
5. ブラフミシュタ
6. パーシュパタ
7. パーンチャラートラ




KyotoYoga 160

10:30からの研究会前に,9時からの巡航を見物.

一瞬で通り過ぎてしまう博多祇園山笠とちがい,ゆるりゆるりのはんなりでした.
  1. 2016/07/17(日) 23:22:12|
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on pasupata yoga

  1. 2016/07/17(日) 23:20:27|
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rathasya gati

  1. 2016/07/15(金) 18:48:35|
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rathayatra



隣の研究室の院生の姿が見えます。



  1. 2016/07/15(金) 08:27:03|
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文系図書館奥丘上に文学部が聳え立つ予定

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書家の柿沼康二さんの揮毫になります.


三階の渡り廊下の上の屋根は,もともとはなかったのですが,雨の日にはさすがに不便だということで,後付け.




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崖にへばりつくような格好の図書館.



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文系棟は,その奥の丘の上に立ちます.

文系棟のてっぺんが,むかしあった丘の頂上の高さにあたるそうです.

古墳の山をきりくずして,そこに代わりに文系棟が立つ,という格好になります。

itocampusw0945835

元岡の古墳が紀元後7世紀初頭(キャンパス近くの元岡G古墳群6号墳から出土した庚寅鉄製銘大刀の製造刻印日が西暦570年1月6日)ということですから,年代的には,玄奘のインド留学ちょっと前,クマーリラやダルマキールティの時代となります.


https://www.google.co.jp/maps/@33.5990907,130.2246289,17z
  1. 2016/07/13(水) 08:04:17|
  2. 未分類

Amma back in Oct 2009

ammapiewptkae
ammaopiuetei
ammaoitewaporigad
ammapiewrpoia

山口さんと一緒に行ったときのもの.

いずれも綺麗な色をしています.
  1. 2016/07/10(日) 10:19:35|
  2. 未分類

Amma back in Oct 2009

Amma2009goidugwa
  1. 2016/07/10(日) 10:15:01|
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Amma back in Oct 2009

amma098352432q
amma094q409ritwea
amma-09w4wqrtwqe
amma098534-5934

オープン当初のあんまーのランチ.

ベジとノンベジがありますが,ベジ680円は,今考えると激安です.

コックさんの腕は超一流でした.

しかし,残念なことに,西新・城西近辺で理解できる人は少なかったと思われます.

そもそも,福岡では,南インド料理自体,まだ知られてない状況でしたから.

「(カレーが)ぬるい」とかいう文句が出ているのを見たことがありますが,手で食べるものだから,かんかんの熱々ではないのは当然です.

期待している「(ナンとこってりカレーの)インド料理」と違ったのでしょう,結構,残されて帰るお客さんも多かったようです.

どんな分野もパイオニアというのは苦労しますね.

多くの人が対象について全く知らない状況だと,その状況を打破するのは非常な困難を伴います.

多くのひとは(期待外れの)未知のものに遭遇すると,怒って帰るか,よくて無視するか,ということでしょう.

未知のものを楽しむ人というのは,ドーパミン分泌が多い,新しもの好きのごくごく一部でしょう.

やはり,方便に巧みな世尊と同様,何かを多くの人に伝えるためには,それなりの方策が必要になる,ということでもあります.

声聞・独覚と仏陀の違いとして,教えるのが下手か上手いかというのがあります.

自分が分かっていても人に教えるには,やはり,それなりの手練手管が必要ということです.
  1. 2016/07/10(日) 10:09:35|
  2. 未分類

Late Prof. Junzo Tanizawa back in Oct 2002

南アジア 023
南アジア 060

Meeting of the Association of South Asian Studies at Tokyo University of Foreign Studies in 2002.
  1. 2016/07/09(土) 15:30:33|
  2. 未分類

Ropponmatsu Campus, Kyushu Uni., back in Nov 2008

六本松 002
六本松 010
六本松 019
六本松 015
  1. 2016/07/09(土) 15:01:26|
  2. 未分類

Welcome Party at Maitighar in May 2007

IMG_4152.jpg
  1. 2016/07/09(土) 14:57:39|
  2. 未分類

Late Prof. Kamimura back in April 2002

KamimuraKatsuhiko2002.jpg

Late Prof. Kamimura, in 2002, when I worked at the institute as assistant professor.
  1. 2016/07/09(土) 14:42:52|
  2. 未分類
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