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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

後代のテクストにおける引用の扱い方

さて,Aというテクストにある読みについて,迷いがある場合,当然,註釈Bのpratiikaを見たり,あるいは,後代の別のテクストCにおける引用を見たりします.

しかし,そのBやCの引用が問題.

なぜなら,それら後代のテクストも,当然,校訂という作業がはいってますし,その際に,BやCの校訂者が,Aテクストの校訂本を見て勝手に直してる可能性があるからです.

こういう時に,異読をちゃんと記した校訂が後代のテクストBやCにもあれば理想的なのでしょうが,なかなかそんな事例はありません.

大概,なんの異読表もない,不親切な校訂本があるだけ.

結果として,後代のそのテクストBやCの読みを半信半疑で証拠として挙げざるをえないことになります.

しかし,どうしても怪しいと思う時は,そのBやCについても,写本をひっくり返して確認することになります.

そうすると,どうでしょう,やはり,異読がでてきたりします.

特に,微妙な異読に関しては,なかなか判断がつきにくいところがありますから,BやCの校訂者がすでに手元にあったA本の読みに引きずられてしまうことがあるのは致し方ない部分もあります.

こういうときに,やはり,diplomatic editionまであると,非常に助かるのですが,そんな例は極めて稀.

シャーリカナータのミーマーンサー・バーシャ・パリシシュタは例外.

上に校訂本,下に写本のトランスクリプトをあげてくれています.

これだと,いったい,どこまでが校訂者の直しで,どこまでが写本の読みなのかはっきりするので,参照するときに非常に助かります.

読みというのは,それぞれ,確度が違いますから,絶対大丈夫というのもあれば,ちょっと怪しいというのもあれば,かなり怪しいというのもあります.

写本情報やトランスクリプトが与えられていれば,その確度を自分で確認できますから,次の判断へと進めますが,何も与えられていない場合は,かなり困ります.

ともあれ,「相互依存」――「A本の読みはこうだ,なぜならBにこうあるから」・「Bの読みはこうだ,Aにこうあるから」――の過に陥らぬよう,慎重に事を進める必要があります.

NMに引用があるあると思って飛びついたところ,いやいや,と思ってバンダルカル写本を確認すると,案の定,違う読みがありました.

出版本といえども,まずは疑ってみる必要があります.

人の手を介するほど間違いの可能性が増えていくというのは,写本をやっていると嫌なほど身に染みてきます.

ミーマーンサーで言う「人為」が,「偽」のニュアンスを持つのを体感できます.
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  1. 2019/09/22(日) 22:01:04|
  2. 未分類

Le Cafe in Pondy (court branch)

PB258570.jpg

ポンディの研究所ちかくにあった海岸沿いの裁判所内のカフェ.

いまは裁判所そのものがなくなったため,このカフェもありません.

読書会おわりに,ここに寄ったものです.

研究所ちかくには,まともなカフェがなく,ここもいまいちといえばいまいちなんですが,ほかにどこにもいくところがないので,みなさん,ここに集って立ち話していました.

いまは,研究所内にコーヒーを作る場所があるので,そこでみなさん集っています.

エリーザのやっているコーヒーブレイクカンファレンスと同様,ティーやカフェを片手に立ち話をすることは,学術上でも,実は,非常に重要な営みのひとつです.

ざっくばらんな話から,さまざまなものが生まれてきます.

九大も,伊都になってようやく学内にカフェがはいり,いい感じになってきました.

伊都文系カフェ,通称「L-Cafe」は,結構繁盛しています.

立ち話のできる公共空間は重要です.

しかし,伊都のビル,階下のスペースはやたら広いのに,上の教員室前の廊下がやたら狭いので,立ち話をすると通行の邪魔になります.

いったいどういうことなのでしょう.

邪魔なので部屋にじっと籠っておれと言わんばかりです.

そして,誰も知らない.
  1. 2019/09/19(木) 07:19:43|
  2. 未分類

マラヤーラム写本

賢い写本――わたしの場合はマラヤーラム写本のことですが――の扱いのむずかしさは,時に,賢く直しているかもしれないという可能性があることです.

ケーララの場合,明らかに他と系統が離れているので,オリジナルの読みを残している可能性が高いのはもちろんです.

実際,カシミールのNM写本が,いつかは分かりませんがケーララに将来され,そこで写しつがれてきたであろう写本の読みが,NM註釈のNMGBhとぴったり一致したり,ということがあります.

古い読みを残していることが実証される場合があるのです.

このように傍証があればいいのですが,しかし,そうでない場合が,もちろん,たくさんあります.

その場合,この読みがはたしてオリジナルなのか,あるいは,ケーララの優れたパンディットが直したものなのか,悩むことがあります.

もちろん,傍証がないので,ここは最終解決はありません.(その時点では.)

いずれの読みを採用するかは,まあ,五分五分,気持ちとしては両論併記という感じです.

つまり,後代に託す,ということです.

重要なのは,後の人が考える(反証する・検証する・検討する)材料を残すということですから,いずれを選ぶにしても大過はありません.

記録を残さないことが大過であり,退化です.

シンプルには,どうしてこの読みが出てきたのか,そして,他の諸異読の展開(変化)がどうすれば最も簡単に説明できるのか,という展開過程を再構成することが重要です.

自分の好き嫌いで判断するわけではありません.

変化の過程を追い直す.

このことはよく忘れられている気がします.

二つの異読で悩んだときは,どちらがオリジナルでどちらが派生形なのかを考量する必要があります.

その説明がシンプルなほうが正しい過程です.

どちらの異読を採用したかを見ると,そのエディターの校訂熟練度がたちどころに分かります.

「このひとのレベルでこの高度な選択ができたのか」と驚かされることがありますが,そんなときは,大概,事前にハルが既にチェックしていたりします.

校訂からハルのチェックが読み込めたりすることがあるわけです.

校訂は実力の差がもろに出てしまいます.

いいエディションを作るというのは,そんなに簡単なことではありません.

写本の読みを記録するだけだから誰が作っても同じでしょ,と言ってるうちは鼻たれもいいところです.

職人の熟練の技の部分があるので,まずはやってみないことには,実感としては,分からないでしょうけど.

やってみて,直されて,それで自分の癖(謬見・思い込み・無意識の前提)を修正しながら,あるべき型に近づいていくという技術あるいは芸です.

こればっかりは,ひとに習わないと,難しい所があります.

ハンブルクのひとは,みなさん,日頃写本で鍛えられているので,写本への抵抗感が少ないのがいいところです.

プローチダでもデイジーが,「ここは写本では~です」と軽く指摘していました.

写本が日常的にある姿.

これが本来あるべき姿なのでしょうけど.

さらにそこから一歩進んで,いずれを選ぶか,あるいは,いずれも正解でない場合は,どのようにemendationするか,という技術が求められることになります.

今回のプローチダでも,ハルが,見事なemendation芸をさく裂させていました.

寸鉄人を刺す.

ぐっさり,ばっさり.

正解を知ってしまえばなんということはない訂正ですが,しかし,なにもない状況からこれを思いつくのには大変な芸歴が必要になります.
  1. 2019/09/18(水) 19:23:11|
  2. 未分類

デーヴァナーガリー写本

分野によるのでしょうが,ミーマーンサーをやっていると,ケーララ写本の優秀さが際立っています.

逆に,多くのデーヴァナーガリー写本の凡庸さ,というか,愚鈍さには,徒労感しか湧いてきません.

どれだけ不注意なのか,どれだけ間抜けなのか,まったくあきれるばかりです.

いまもむかしも,地域差はあまりかわらなかったのかもしれません.

それをいちいち記録する身にもなってほしいものです.

沢山記録しても,愚かな写本の愚かさの系譜が分かるくらいが関の山で,まったく真実(つまりオリジナルの読み)に迫るヒントをくれることがありません.

もちろん,愚かな写本同士の系統や近さを探るには,間違いが重要なヒントにはなるのですが.(しかし,テキストのオリジナルの姿に迫るには,末端に位置するおバカな写本の系統をいくらほじくりかえしても,まったく役に立ちません.)

記録されるのは,ただただ,ミスの山か,どうでもいい読みばかり.

そういえば,NM写本でも,アラハバード写本の愚鈍さ加減は際立っていました.

築かれていくのは,ただただ,単なる間違いのみ.

まったくテクスト復元に資するところがなかったです.

徒労.

とはいえ,ただただ記録するそんな単純作業からも,なにか分かることはあるかもしれませんから,じっと我慢です.

デーヴァナーガリーの場合,もちろんこちらは慣れてますし,マラヤーラムより大きくて読み易いというのが,まだ救いです.

パソコンがなかった時代,この愚かな異読をすべて拾い出すなどという作業は,とてもする気にはならなかったことでしょう.

アレッサンドロなどは,有意な異読が埋もれてしまうので,どうでもいい異読は,別表に回してます.
  1. 2019/09/17(火) 18:52:23|
  2. 未分類

ユスフザイ







マリアンがお休みで、ボスが直々に店番。

てんこ盛りに、さらにおかわりサービスで、お腹いっぱいに。
  1. 2019/09/15(日) 22:34:05|
  2. 未分類

インド学チベット学研究 22

2017年のトロントIABS.

結構な数の日本人が参加.

確か,福岡から経由の成田か羽田か,東京の空港は,雷で少し遅れたのを思い出します.

翌日出発のタントラ組が,便が半日遅れて早朝に到着,トロント大の会場でぐったりとなっていたのが印象的でした.

桂科研の5人でパネル.

わたしは外道担当.

PPUは綱要書よろしく,諸学派を要領よく扱ってますが,そのなかに,ミーマーンサー他の学派が扱われます.

そこを担当.

1000年頃の思想状況が分かるので貴重な資料のひとつです.

外道関連はさておき,PPUを読むと,論敵のJnanasriの読み込みも深くなるので桂研参加は良い機会でした.


Prof. Katsura organized a panel on Ratnakarasanti's PPU in the occasion of IABS held in Toronto in Aug 25th, 2017.
Five English articles are finally published from Ryukoku's journal called Journal of Indian and Tibetan Studies.


http://www.jits-ryukoku.net

『インド学チベット学研究』第 22号(2018)*
Journal of Indian and Tibetan Studies, 22 (2018)

(*実際の刊行年月は2019年8月です. Actually this was published in Aug 2019.)

『順正理論』における三世実有論の研究⑵
········································那須円照 ··· 1

梵文和訳『阿毘達磨集論』⑶
········································阿毘達磨集論研究会 ··· 27

Prajñāpradīpaṭīkā第 XXIV章テキストと和訳⑶
— uttarapakṣa 2 —
········································赤羽律・早島慧・西山亮 ··· 58

『中辺分別論』及び『中辺分別論釈疏』〈論の体〉校訂テキスト及び翻訳研究
···············································北山祐誓 ··· 80

Nairātmaparipṛcchā—梵蔵漢合璧本及び訳注 —
···········································無我義経研究会 ··· 111

世親作『釈軌論』第 5章翻訳研究⑶
·································上野牧生 •堀内俊郎 ··· 153

Bhāsarvajñaの知覚 (pratyakṣa)の考察 —NBhūṣ p. 94, 08–p. 104, 04の和訳 —(承前)
······························山上證道 ··· 179

Four Yoga Stages in Ratnākaraśānti's Prajñāpāramitopadeśa —with a new synopsis—
··························· Shoryu Katsura ··· 210-223

Ratnākaraśānti on Prakāśa
·············································· Kei Kataoka ··· 224-239

Common scriptural sources cited by Ratnākaraśānti and Kamalaśīla
···································· Kiyokuni Shiga ··· 240-257

The Influence on Prajñāpāramitopadeśa by the Literatures of the Early Yogācāra: Focusing on the Theory of
Three Natures (Trisvabhāva)
··································· Satoshi Hayashima ··· 258-279

Mādhyamikas in the Prajñāpāramitopadeśa
····························· Ryo Nishiyama··· 280-290


PDFs are available from here:
http://www.jits-ryukoku.net/ick22-contents.pdf
  1. 2019/09/14(土) 11:31:55|
  2. 未分類

シェルパゲンならぬ揚ピザ



昔のエベレストキッチンではシェルパゲンと称して揚げたのを出してましたし、ナングロでも、ジャレプリのプリを、言えば揚ナンに変えてくれます。一度は説明に手間取りましたけど。

アルバカーキのメキシカンでも小ぶりの似たのに蜂蜜かけて食べたことがあります。

で、ナポリの揚ピザ。

張本さんが注文。

小麦粉に油は最強です。

しかも、中にチーズ。

高カロリーのパランパラー、食べ続ければ、いずれ何かが発症することでしょう。

この前にかき揚げの野菜天ぷらを食べてたので、流石に腹いっぱい。

スイーツメニューまで見る気も起こりませんでした。
  1. 2019/09/12(木) 02:07:47|
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古典とのコミュニケーション

意志疎通のむずかしさ.

まして,音響の悪い所だとなおさらです.

音の一部が抜けるだけで,もはや,意思疎通をあきらめてしまいます.

わいわいとした居酒屋で英語で談話するときなど,隣なら聞こえますが,少し離れると聞こえなくなるのと同じです.

話題がなじみのあるものなら聞こえなかった穴を埋めて話についていけるでしょうが,まったく新規の話題の場合には,まずもって無理でしょう.




ディグナーガの論題は,多くの人にとっては耳新しいものだったでしょう.

しかも,微妙な違いを意識しないと,彼独自の論理と問題意識を理解できません.

ジョンは哲学者らしく,問題を英語で置き換えて自分なりに消化しようとしていましたが,どうしても理解・納得できなかったようです.

それは,ディグナーガが後代にテクニカルタームとして用いる単語を通常とは少し異なる意味で用いているから,ということもあります.

英語で普通に置き換えても絶対に理解できないでしょう.

また後代に普通に見られる意味でそのまま理解しようとしても無理です.

なぜなら,ディグナーガの場合,それ以前の用法なので,いまだ,テクニカルタームと思われるものも,後代のようにはっきりと定義された特定文脈にあるわけではないからです.

語がまだ流動的で生きています.

語源に即して,彼の用法に即して,あらたに(というか古く)理解し直してやる必要があります.

固まる以前の液体をそちら側に沿って流してやる必要があります.

インド哲学はもちろん多くの文献がありますが,プラマーナ論でいえば,扱われるネタは毎度おなじみのものばかりで,一冊通してどれかの本を読めば,かなり応用がききます.

SVなり,NMなり,大きい古典を一冊よめば,かなりの融通が利くようになります.

あるいは,そのような大きなものは無理にしても,一冊綱要書を読めば,なんとなく全体が分かりますから,何を読んでも,おおきく踏み外すことはないでしょう.

パズルのピースは固形です.

しかし,それは話題が固まる後代の話.

それ以前の流動的な世界,古典的な哲学が固まる以前となると話は違います.(ナヴィヤのひとが,プラーチーナを読むと歯が立たないことがあるのと相同です.)

いまはされないような話題については,その本それ自体から理解する必要があります.

パズルのピースをひとつひとつ自分の頭に作り直す必要があります.

後代と同じピースを無理にもってくるとミスレッドされます.

ディグナーガのむずかしさというのは,そこにあります.

ディグナーガから理解しなければなりません.

それは,パズルのピースを作るむずかしさということです.

幸い,日本の場合,宇井・北川・服部・桂ほかの先達のおかげで,相当量の知識が日本語で既に与えられていますから,大きく踏み外すことはありません.

これが英語世界となるとまったく話は別.

ゼロから理解しなければなりません.

ダルマキールティ入門・中級は,かつては,ドイツ語と日本語ばかりでしたが,昨今は,普通に英語で読めるようになってきました.

ティレマンスの英文イントロが普通にネットで読める時代です.

ヴァンサンも書いてます.

ジョンも,次に出る叢書でダルマキールティの項目を担当しています.

一般向けの項目での紹介.

ダルマキールティだと,そのレベルで普及していける時代に英語がようやくなってきたということです.

ディグナーガはまだまだこれからでしょう.
  1. 2019/09/11(水) 19:36:37|
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台北経由



台北経由のチャイナエアライン.

単に一番安いからこれにしただけでしたが,結果的には,正解でした.

接続よし.

ただ,あまりにも接続がよすぎて,行きは福岡から台北着が30分おくれて,すこし,ひやひやしました.

帰りも同じく接続は1時間強.

一直線に歩いて,ターミナル間を移動し,少し土産屋を覗き,搭乗ゲートでほとんど待つことなく搭乗開始というスケジュール具合.

レストランで台湾飯でも食べたかったのですが暇なし.

案の定というべきか,福岡で呼び出し.丁寧な説明.

荷物の積み替えが間に合わなかったそうです.

1.5時間後の次の便ですぐに持ってきてくれるとのこと.

行きなら困りますが,帰りなら何も困りません.よきにはからえ.

むしろ,家にはてぶらで帰れて楽ちん.

家で待つこと2時間ほど,すぐに送りとどけてくれました.

日本人スタッフ相手なので楽です.

ご丁寧に,受け取った後に電話で,「今回は申し訳ありませんでした」とのこと.

どこまで丁寧なのでしょう.
  1. 2019/09/11(水) 00:57:08|
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イタリア











イタリア.

スリにも置き引きにも強盗にも遭うことなく無事帰国.

インド学関係者だけでも,あれこれ話を聞きますから,まあ,多いのでしょう.

夜にやばそうな通りを張本さんと私で並んで歩いていても,どうみても,こっちのほうが金もってなさそうですから狙われないのも当然かもしれません.(というか,張本さんを日本人と認識できるのか,というアーシュラヤ・アシッダ的な根本問題がそもそもからしてあります.)

早朝は4:30に起きて,ホテルから駅へ.

窓を開けてバルコニーから外を見ると,なんと,土砂降り.今回初雨.(傘なし)

ホテルの部屋を出て,すぐ前の(夕方6時から朝の8時までは)無人の受付に鍵を置き,ホテル受付前のドアを出ます.

ここは3階.

あいにくエレベーターは故障中.

そこから荷物をかかえて階下へ.

そこからビル全体のドアを抜けて前の通りへ.

石畳をスーツケースを無理に引きずりながら駅へと.

途中,24時間のカフェでしょうか,スリランカ人が4人ほどたむろしてます.

かれらもビルの庇伝いに雨をよけながら,ところどころで休憩しながら,先を行きます.

500mほど濡れながら,石畳からスーツケースを半分浮かせながら,なんとか駅に到着.

右腕はパンパン.

ワインなど買ってなくてよかったです.

ローマまでの特急,出発は時刻通り.

行きも定時でした.

しかし,到着は定時より10分ほどはやく到着.(なぜゆっくり走らないのか,あるいは,早く行き過ぎてダイヤ上の問題はないのか,ぎゃくに不思議です.)

ローマ駅の2階でクロワッサンとカプチーノ.

ひとしきりしてから一階で空港への電車チケットを購入.

こちらも定刻.

どこかとちがって電車が(意外に)信頼できるので便利です.

あと,駅のホームの形も,阪急梅田駅と同じ形式で至極便利です.
  1. 2019/09/10(火) 23:40:01|
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チョコ



2012年だったと思いますが,ウィーン・日本共催のインド哲学仏教学関係の学会が松本でありました.

ウィーンのアカデミーも総出.

パトリックも来ていました.

たしかそのとき彼は新婚旅行気分だったはず.

で,今回.

Pの陽気な奥様からイタリアチョコ土産.

うますぎます.

つぼ.

歯には相当わるそうですが,もうどうなってもいいと思わせてくれます.
  1. 2019/09/10(火) 22:25:02|
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テラムラタの坂

  1. 2019/09/10(火) 21:45:14|
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Procidaのtaxi




毎日同じタクシードライバーですが,たまに,気分を変えて,別の道を通ってくれます.

ここは,いちばん眺めのいいスポット.

歩くときは,海岸沿いのこちら側を歩いていきます.

ドライバーのジョルジオは,つねに携帯いじりながらの運転で,こちらがひやひやします.

しかも,超アグレッシブな運転.

細い路地をすごい勢いでとばしていきます.

ここのドライバーはみなそうなのかと思いきや,別のタクシードライバーはそうでもありませんでしたから,ジョルジオが特別のようです.

あと,セミナーハウスに行くのに朝の9時の予約をしていたのですが,日に日に遅くなっていき,最後は9:15分にようやく来て,そこから飛ばす,という感じでした.
  1. 2019/09/10(火) 21:21:13|
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プローチダのハーバー

  1. 2019/09/10(火) 21:14:15|
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プローチダの朝食





最後は記念に甘いのも。


Le lingue dolci di Procida

舌の形から名前を取っています

エリオットと毎朝一緒でした。
  1. 2019/09/09(月) 17:18:55|
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アキナス













教会前のピザ屋とスイーツ屋。

サラダを頼んだつもりが野菜天に。

ほとんどかき揚げに近い感じでした。
  1. 2019/09/09(月) 16:36:35|
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ジェラート








高橋君オススメのジェラート屋へ。

激ウマ。
  1. 2019/09/09(月) 16:35:28|
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ナポリ

















高橋君の案内で大学周辺を散策。

あちこちスリランカ人が写りこんでいます。
  1. 2019/09/09(月) 16:34:38|
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プローチダ







最後の会食。

ポストマンで有名なレストラン。

あぐらかいた感が若干あります。
  1. 2019/09/09(月) 16:33:55|
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アキナスの教会前のピザ屋へ。
  1. 2019/09/09(月) 16:33:15|
  2. 未分類

博物館





考古学博物館へ。

アッシリア

それに、大ギリシャ

そして常設。

モザイク部屋にアレクサンダー。
  1. 2019/09/09(月) 16:32:42|
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ランチ









張本さん、高橋君と合流してランチ。

私的にはクレッシェンツォのピザが一番、ここのが2番でした。
  1. 2019/09/09(月) 16:31:56|
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スリランカ








ナポリ、スリランカ人の姿がかなり目立ちます。

高橋君の案内で、スリランカ人エリアの人気ピザ屋へ。

次回はスリランカ料理も実食したいところです。
  1. 2019/09/09(月) 16:31:15|
  2. 未分類

プローチダからナポリへ





プローチダからナポリへ。

飛行機の都合でナポリに一泊。

翌早朝にローマまで電車。

渡船はハル、パリマルと。
  1. 2019/09/09(月) 16:30:20|
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週末



土曜日.

研究会も最終日.

9:30から5:00まで.

本土から大挙してレジャーボートがこちらに押し寄せてくるのが見えます.

ここの断崖絶壁の下の海にもボートが横付け.
  1. 2019/09/08(日) 01:53:05|
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ランチ



ケータリングのランチも最後.

毎日,非常に美味でした.

ベジで全然いけます.

それほど食べたわけでもないのですが,腹回りが一回り大きくなった気がします.
  1. 2019/09/08(日) 01:51:58|
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珈琲



ホテルの朝.

いつものようにカプチーノを頼むと,

「きょうはマシーンがこわれているからだせないの」

とのこと.

「アメリカーノのうすいのでいいか?」

といって出てきたのは,相当に濃いコーヒーでした.
  1. 2019/09/08(日) 01:49:22|
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我と我所

ahamやmamaの意識というのは,まさに,仏教の嫌うところですが,島にいると,mama意識がクリスタルクリアに見えて笑ってしまうほどです.

浅ましきかな.

まあ,欲望まみれとはこのことでしょう.

狭い島のなかを,隣家との境界をめぐって,一所懸命.

かべ,かべ,かべ

ところせましと家が立ち並んでいます.

それだけならまだしも,景色までも独り占めせんと,断崖絶壁のぎりぎり端っこにみなさん,一所懸命へばりついた家をたてて,そして,外の人から見えないよう高い壁で囲っています.

俺の景色.

島だとそれがよく見えるだけで,どこでもいつでも,人間そんなものなのでしょう.(イェルサレムとかまさにそんな感じですし.)

おしあいへしあいのとりあいっこ.

土地しかり資源しかり.

いつの時代もかわらぬママカーラ.

フレディーマーキュリーのママーというのも我所をうたったものに聞こえてきます.

問題解決型とかなんとかいってますが,まあ,根本からいえば,このママカーラこそが問題なのであって,真の根本的な問題解決をめざすならば,我所の意識をなんとかしないことには,問題の先送りになるのは見えています.

つまりは,しょうよくちそく,ということでしょうけど.

まあ,人間が生きている限り,問題が解決することはないでしょうけど.

そんななかでも,庭が手入れされたモデストで品のいい平屋をみるとほっとします.

結局,適度や中庸の「いいあんばい」ということでしょうか.

ママカーラの中辺分別論。
  1. 2019/09/07(土) 14:51:31|
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レストラン



労働しなくてよい金持ち

という観点で見ると,平安時代の日本なら,光源氏のように,色白ぽっちゃりになるでしょう.

現代では,色白ぽっちゃりは,金持ちということにはなりませんから,「きゃー,かっこいい」とはならないでしょうけど.

この島だと,むしろ,焼けてれば焼けてるほど「労働しなくてよい金持ち」というわけで,勝ち組ということになります.

レストランでは,年配の夫婦の姿が目につきます.
  1. 2019/09/07(土) 14:21:36|
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寺村田



やはり湿度の低さでしょうか.

ヴァンクーヴァーも,夏の気候は最高でしたが,ここも湿度が低いせいか,日差しが強くても汗がたまることもなく快適です.

きっと肌にはよくないのでしょうけど.

洗った衣服もまあまあのスピードで乾いてくれます.

天気が崩れるという予報が,島に来る時からずっと出ていたのですが,いまのところ,雷雨にはお目にかかっていません.
  1. 2019/09/07(土) 14:14:16|
  2. 未分類
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