Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

紹介:青木克仁著『イメージから考える人生論』

aoki.jpg イメージから考える人生論 著者は広島の安田女子大学の教授. 実に優しい語り口で,「人生の捉え方」について丁寧に教えてくださいます. トルストイやカミュといった定番の人生論のみならず,スタートレックや韓流ドラマ,さらに松本大洋の漫画など,豊富な事例を用いて「人生の意味」について,我々の思考法を整理してくれています. 世にありがちな「人生訓」では全くありません. タイトルのように「イメージから考える人生論」です. 背景には,認知意味論のメタファー分析があります. 一見やさしい口調ながら,その観察の粘り強さ,そして,切り口の鋭さは圧巻です. プリーのジャガンナートに,道徳的価値(Moral Value)の話題で出くわすとは予想していませんでした. 第5章「エネルゲイア」に,インド研究者なら,『バガヴァッドギーター』も付け加えたくなるかもしれません. 以下,気がついた誤植だけ指摘しておきます.(左が原文,右が提案) p. 132, l. 10 どの瞬間おいても >どの瞬間においても(?) p. 226, l. 17 どんな社会は > どんな社会も(?) p. 237, l. 24 場祖 > 馬祖 なお,著者のホームページに論考が掲載されています. http://www2.cc22.ne.jp/~k-aoki/katsuhito.html
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  1. 2006/12/27(水) 15:41:02|
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記事紹介:フランス極東学院ポンディシェリ校における『ニシュヴァーサ・タットヴァ・サンヒター』研究会

シヴァ教タントリズムの専門家であるグッドオール所長の下,シャイヴァ・シッダーンタのタントラ重要文献である『ニシュヴァーサ・タットヴァ・サンヒター』のワークショップが開かれるとのこと. 場所は,ポンディシェリのエコール. フランス極東学院ポンディシェリ校です. グッドオール所長は,シヴァ教研究のため,2007年度中に数週間ほど,九州大学インド哲学史研究室に招聘する予定です.氏の研究書は, 『キラナ・タントラのラーマカンタ注』 『ラグヴァンシャのヴァッラバデーヴァ注』 『パラーキヤ・タントラ』 『パンチャーヴァラナスタヴァ』 が有名です.またウィーンから継続出版されている『タントラ名事典』の編集にも関与され,多くの事典項目を担当されています.一般には『ヒンドゥー聖典(アンソロジー)』の編集者として知られているかもしれません. 以下は,現地の新聞The Hinduより引用. http://www.hindu.com/2006/12/27/stories/2006122703470200.htm %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%% Workshop to discuss the earliest Agama of Saivism Staff Reporter The event to be held from January 2 to 13 will focus on Nisvasatattvasamhita PUDUCHERRY : The Ecole Francaise de Extreme - Orient (EFEO), French School of Asian Studies in Puducherry, will be organising an international workshop on "Early Saivism: The testimony of the Nisvasatattvasamhita" from January 2 to 13. According to Dominic Goodall, head of the centre in Puducherry, the workshop will mainly focus on the Nisvasatattvasamhita, one of the earliest Agamas of Saivism that has survived. ......(以下省略)
  1. 2006/12/27(水) 13:46:41|
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四国遍路日記の紹介:青野貴芳著『四国巡礼葛藤記:駆け出し僧侶が歩いた四国八十八ヵ所』

四国巡礼葛藤記―駆け出し僧侶が歩いた四国八十八カ所 aono1.jpg 青野貴芳 『四国巡礼葛藤記:駆け出し僧侶が歩いた四国八十八ヵ所』(すずき出版)1700円. 著者の青野さんは,東大印哲で博士課程まで進まれたインド哲学の専門家です. なかでも神への熱烈な帰依・信愛を説くバクティ思想を研究してこられました. 書斎に籠る青白きインテリかと思いきや,大学時代は柔道部に所属. かなりの武闘派(?)です. 同時に,現役の僧侶(禅僧)でいらっしゃいます. 本書は,永平寺,そして,古刹である宝慶寺での厳しい修行(安居あんご)を終えられた青野さんが,「今しかない」と思い立たれて四国八十八ヵ所を歩かれた日記です. もとは東京大学仏教青年会『仏教文化』に連載された寄稿文に加筆したものです. 2001年4月から5月にかけて歩かれたので,著者は当時31歳. しかも全行程,基本的に托鉢されて歩いたとのことです. 一番札所霊山寺(りょうぜんじ)から順に時計回りで回る「順打ち」に付き合うことで,読者も一緒に遍路を体験できる仕掛けになっています. 遍路での様々な約束事や,遍路界の(表・裏)様々な情報が,読み進めるうちに自然に頭に入ってきます. 著者の観察とユーモアは,八十八ヵ所に付き合う読者を疲れさせません. この文才は羨ましい限りです. %%%%%%%%%%%%%%%%184-185頁より引用%%%%%%%%%%% 「あの,お車いかがですか」 車から若い男性が降りてきてそう言った. 「いやあ,申し訳ありませんが,歩きなんで・・・・・・」 「そうですか.じゃあ,ちょっと待ってください」 男性は,車の中に上半身を突っ込んで,何やら探しているようであった. 「これ,持っていってください」 男性は,菓子パンをいくつかくださった.感謝.その方は,にこにこして物腰が柔らかく,見ただけで,「いい人だなあ」と思わせるような方だった.自身を振り返ってみるに,やれ修行だ坐禅だと言っているわりに,この方のように,他人に幸福感を与えられるような人柄ができていない.宗教者は,奇跡を起こしたり霊が見えたりするような特別な能力ではなく,まずもって人格の練磨が必要であろう.大学の近くに「リヴ・イン・ラブ」というスナックがあったが,その屋号の精神が大切だ. %%%%%%%%%%%%%%%%%%%引用終わり%%%%%%%%%%%%%%% 仏教用語・禅語の解説から,八十八ヵ所で通る街や山川の描写まで,超俗と世俗を軽やかに往復します. 連載当時,仏教青年会理事だった上村勝彦先生(東京大学教授)も絶賛しておられたとのこと. 各章の末尾に付された注には,突っ込んだ情報も盛り込まれています. 遍路だけでなく仏教の基礎知識や常識を押さえておくにも便利です.
  1. 2006/12/27(水) 08:13:15|
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Appayya Dikshita II


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こちらは,アッパヤ・ディークシタIIのドゥルーハシクシャー. 聖典解釈学ミーマーンサーにおける命令論,特に,伝統的な命令の三分類に関するものです. サブタイトルの通り,アッパヤ・ディークシタIのヴィディラサーヤナ(Vidhirasayana)の擁護. 主に,ヴィディラサーヤナを批判するナーラーヤナ・シャーストリー(Kollur Narayana Shastri)のヴィディダルパナ(Vidhidarpana)を批判しています. 校訂者は,高名なミーマーンサー学者であるBHUのスブラフマニヤ・シャーストリー(A. Subrahmanya Shastri)です. 1969.2.17,ワーラーナシー(Varanasi)より刊行. スブラフマニヤ・シャーストリー個人による出版のようです. 師匠である偉大なミーマーンサー学者,チンナスワーミ・シャーストリー(A. Chinnaswami Shastri)に捧げられています. Webcatを見る限り,残念ながら日本の大学にはないようです. マドラスのクップスワーミ・シャーストリー研究所でコピーしました.
  1. 2006/12/24(日) 23:14:28|
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雑誌『ミーマーンサーの光』The Mimansa Prakash (The Anglo-Sanskrit monthly journal of the M.G.P. Samiti, Poona 2)


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『ミーマーンサーの光』(The Mimansa Prakash)と題された,聖典解釈学ミーマーンサー専門の学術雑誌です. 副題には,「英語・サンスクリット語の月刊誌」とあります.(The Anglo-Sanskrit monthly journal of the M.G.P. Samiti, Poona 2) 編集者は,ワーマン・シャーストリー・キンジャワデーカル.(Editor: Waman Shastri Kinjawadekar, Mimansaka Shiromani) 編集助手の名前も載っています.(Assistant Editors: Govind Balwant Makoday B.A. and Ramchandra Shastri Kinjawadekar, Dixit) 写真は第一巻第一号(Vol. I No. I),1936.10.25発刊です. 筆者の知る限り,1938.6.1発刊の3-6(Vol. III, No. 6)まで継続したようです. 日本の大学図書館にはないようです. わたしもアディヤール・ライブラリーでコピーしました. 雑誌の宣伝文句は以下の通り. The Mimansa Prakash (Anglo-Sanskrit Monthly Journal) The Magazine sheds its lustre on the ancient Aryan culture by reviving the Mimansa Shastra. It is devoted to topics of everyday necessity. It seeks to lay down a beneficial course of action which promotes human prosperity and endeavours to enlighten the Path-of-Duty. All the questions are dealt with from the view point of and illuminated by the principles of the Mimansa Shastra which authoritatively solves the difficulties of a Layman, a Scholar, a Lawyer, a Doctor and a Professor. Annual Subscription (inclusive of postage)--- Rs. 5/ - in India and Rs. 7/- abroad. Please apply to--- The General Secretary, M.G.P Samiti, ... ... (*no more existent) すごい意気込みです. Prakaranapancikaの校訂も連載されるなど,学術的にも無視できない貴重なものが含まれています. 本校訂は残念ながら未完です.
  1. 2006/12/24(日) 18:15:46|
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K.E. Devanathan『聖典解釈学ミーマーンサーにおける「主たる被限定要素」の考察と「命令の意味」の確定』


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K.E. Devanathan: mīmāmsakamate mukhyaviśesyavicārah vidhyarthanirūpanam ca. Tirupati, 1993. 著者のK.E. デーヴァナータン博士は,ティルパティのラーシュトリーヤ・サンスクリット・ヴィディヤーピータ(Rashtriya Sanskrit Vidyapeetha)の講師. ニヤーヤやヴェーダーンタのみならず,ミーマーンサーにも精通する数少ない若手パンディットの一人です. 留学中には懇意にしていただき,氏の「新論理学」(ナヴィヤ・ニヤーヤ)などの講読にも出させていただきました. 本書も,氏より直接に頂戴しました. 内容は,ミーマーンサーの言語哲学,文意論,命令論です. サンスクリット語で書かれた全111頁の論文です. Tirumala Tirupathi Devasthanamの出版助成によるもの. 出版社名は特に記されていません. ティルパティ以外では余り流通していないことでしょう. 高名なパンディットN.S. Ramanuja Tatacharya教授の序言(aamukha)も含め,全文サンスクリット語で書かれています.
  1. 2006/12/24(日) 17:46:32|
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『哲学と思索』:パンディット・スクラールジーのヒンディー語論文集


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原題は『ダルシャン オール チンタン』(Darshan aur Cintan). 訳すと『哲学と思索』(あるいは『見と思』)となります. 稀代のジャイナ教学者,パンディット・スクラールジー・サンガヴィー(Pandit Sukhlalji Sanghavi: 1880.12.8-1955.12.8). そのヒンディー語論文の集成版です. 1959年,Pandit Sukhlalji Sanman Samiti,すなわち,「パンディット・スクラールジー顕彰委員会」の出版. Webcatで見る限り,日本の大学図書館にはないようです. わたしもマドラスでコピーしました. 二巻本の大部のものですが,1959年の値段は7ルピーです. 巻頭に「パンディット・スクラールジーの簡単な紹介」(Pandit Sukhlalji Samksipt paricay)を付しています. 収録されたヒンディー語論文は,インド哲学,ジャイナ教学に関するもの. 第一巻に38本,第二巻に33本. 前者がインド哲学一般,後者がジャイナ教学に関するもの. いずれも至宝の玉稿ばかりです. インド哲学をやるのに,サンスクリットだけでなくヒンディー語も学んでおくと非常に役立つという例証です.
  1. 2006/12/24(日) 16:52:08|
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ラーフル・サーンクリティヤーヤン『放浪の教え』


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グマッカル・シャーストル. 直訳すると『放浪者の教示書』です. 放浪哲学というわけです. 著者のラーフル・サーンクリティヤーヤン(Rahul Sankrityayan: 1893.4.9-1963.4.14)は,本名,ケーダルナート・パーンデー. 仏教徒になってラーフルと呼称. サーンクリティヤーヤンは,ゴートラ名「サーンクリティヤ」から. 本書はathAto ghumakkaRa-jijJAsAと,サンスクリット流に著作を開始. 稀代の放浪者サーンクリティヤーヤン自ら,放浪をすすめる「教え」です. 以下は,第一版へのサーンクリティヤーヤン自身の前書きの出だし(原文はヒンディー語). 「『放浪者の教え』を書く必要を,わたしは長い間,身をもって感じていました.私は理解していますし,まして,同志の皆さんは,その必要性を感じていることでしょう.放浪の芽を生み出すことは,本書の望むところではありません.むしろ,生来の芽を育て,大きくし,そして,道を示してやること,それが,本書の目標なのです.」 初版は1948年. 本書は,1992年の出版. 出版社はKitab Mahal.
  1. 2006/12/24(日) 16:02:09|
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九州大学文学部・インド哲学史研究室『南アジア古典学』第二号:原稿の募集

国内・海外をあわせ,何件か問い合わせがありましたので,あらためて告知しておきます. 『南アジア古典学』では,九大印哲関係者に限るという「狭量部」(きょうりょうぶ)の立場に立つことなく,広く学徒に門戸を開き,すぐれた原稿を募集しています. 投稿規程の詳細については以下の記事を参照してください. http://blogs.dion.ne.jp/sanskrit/archives/3747253.html 前号と同様,3月末締め切りとなっています.(期限厳守でお願いいたします.) 昨年度の目次は以下を参照. http://blogs.dion.ne.jp/sanskrit/archives/3508661.html (インド,パーリ,チベット)仏教学,インド学,インド哲学,インド文学が,主たる対象となります. なお,バックナンバー(残部僅かですが)をご希望の方は,九州大学文学部インド哲学史研究室,あるいは,岡野宛(ホームページ:http://homepage3.nifty.com/indology/)にご連絡ください. 知のフロンティアを切り開く「未知対象を照らし出す」(ajJAtArthaprakAZaka),まさに,「次代の規準」(プラマーナ)たる論文を求めています. 雑誌発刊にあたっては,OBの方々を始め,理解ある資金援助をいただいています.記して感謝いたします.雑誌継続のために,今後もよろしくお願いいたします.
  1. 2006/12/24(日) 12:21:59|
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Correction of Jinendrabuddhi's Pramanasamuccayatika

校訂テクストは次のように訂正すべきでしょう. p. 23, l. 6 teSAm apy astitve tad anena > teSAm apy asti tat tv anena 現行のastitveは明らかに不自然です. このままでは意味を成しません. なお,この読みは,校訂テクストの脚注3にあるように,校訂者のemendationです.写本自体の読みは, teSAm apy asti tatve nena です.(校訂者の一人であるクラッサー博士に確認していただきました.記して感謝します.) 意味を通じさせるためには,上のような訂正が必要です.三つを比べると以下のようになります. 現行:teSAm apy astitve tad anena 写本:teSAm apy asti tatve nena 訂正:teSAm apy asti tat tv anena 写本の読みから見ても,訂正は,それほど問題ないでしょう.逆に,現行のemendationは,写本からは少しずれすぎています.
  1. 2006/12/24(日) 10:51:55|
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Correction of Jinendrabuddhi's Pramanasamuccayatika

校訂テクストは次のように訂正すべきです. p. 22, l. 7 sata eva > parata eva ジネーンドラブッディの前後の記述からすると,彼の立場は以下のようになります. プラマーナがそこにあることはそれ自体で,他を必要とせずに分かる.その意味では,「自ら成立する」ということが言える.しかし,そのプラマーナが正しいかどうかまでは,それ自体「自ら」によっては分からない.したがって,「他から」論証・確定される必要がある. ジネーンドラブッディは, svataH pramANasya svasaMvedanAt svarUpasiddhimAtraM bhavati 「[他によらずに]自らによるならば,プラマーナには,自己認識によって,それ自体の成立のみが生じる」 と述べています.これは,プラマーナ「自ら」(svataH)によって分かる範囲の特定です.そこでは,「自体成立のみ」(svarUpasiddhimAtra)があるのであって,その正しさまでは分からないのです. では,或る認識が生じたとき,その認識が正しいかどうかはどのようにして分かるのでしょうか.その答が問題のparata evaの箇所です. ここで,tasya (=prAmANyasya) sata eva ... niZcayo bhavatiと読んだ場合,sata evaは意味を成しません. 「それ(正しさ)は,存在する場合にのみ(?),・・・確定される」 訂正のようにtasya (=prAmANyasya) parata eva ... niZcayo bhavatiと読むならば,次のようになります. 「それ(正しさ)は,他に基づいてのみ,・・・確定される」 そして,「他から」(parata eva)の内容説明が,長いコンパウンドで説明されているのです.すなわち,parata eva pramANaparidRSTavastusAdhyArthakriyAviSaya-pramANAntaravRttyAとあります. 詳しい説明は省略しますが,要するに,pramANAntaravRttyAというのが「他に基づいて」という意味です.「他のプラマーナの働きによって」というわけです.「或るプラマーナの正しさは,他のプラマーナの働きによって」すなわち「他からのみ」確定されるのです. 単純化して説明するなら次のようになります.水を見て「或る認識」が生じても,その水を飲んでみて,本当に喉の渇きがいやされることを確かめるまで,すなわち,効果的作用を確認する「別の認識」が生じるまで,或る認識の正しさは分からないというわけです. クマーリラの自律的真理論から見れば,慎重に過ぎる,まどろっこしい話ですが,これが他律的真理論の立場です.(実際には,ジネーンドラブッディの説は,もう少し複雑です.) 校訂テクストの脚注2に記されているように,sataは,校訂者達によるemendationです.写本の読みは,はっきりはしないようですが,校訂者達は,{sa}<ya>ta Msと記しています.これも,parataがオリジナルであることを,むしろ示唆するでしょう.
  1. 2006/12/24(日) 10:08:13|
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仏教論理学者ダルマキールティの恋愛詩(サンスクリットのカーヴィヤ)

「インディアン・ローズウッド(紫檀の一種)は木の一種だ」 「煙があるから火があるはずだ」 と,同一性(tadatmya)や因果関係(karyakaranabhava)という「本質的な結びつき」(svabhavapratibandha)に基づく推論(anumana)に忙しい仏教論理学・認識論. その大成者として有名なお坊様がダルマキールティ. 漢訳では法称. 後7世紀前半頃の活躍です. インドに残る詞華集には,ダルマキールティ(Dharmakirti)の名で,幾つかの詩が残っています. チベット仏教で「ツェマ」(Skt. プラマーナ)と言えば論理学のこと. その最終的に行き着くところはダルマキールティの論理学です. まさか,こんな詩を残しているとは,両手を撃って論争練習に明け暮れるツェマの学僧も思いもよらないことでしょう. しかし,恋愛詩にしても,ちゃんと論証式っぽくなっているところは流石です. 理由の一つ一つも仏教臭くて笑えます. (サンスクリット原文の書式はTeX方式です.) alam aticapalatv\=at svapnam\=ayopamatv\=at pari\d{n}ativirasatv\=at sa\d{m}gamena priy\=ay\=a\d{h}/ iti yadi \'satak\d{r}tvas tattvam \=alokay\=amas tad api na hari\d{n}\=ak\d{s}\={\i}\d{m} vismaraty antar\=atm\=a// もうたくさんだ うつろいやすいがゆえに 夢・幻の如きであるがゆえに 転じて味を失い[苦くなる]がゆえに  愛しい女[と]の交わりは と たとえ 何百回と 真実をかえりみても それでも 鹿の目をした女を 私の心は 忘れない
  1. 2006/12/23(土) 11:15:28|
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仏教学の将来のために

九州インド哲学より ■ 仏教学の将来のために  自然科学の世界では,よく「基礎と応用」という二分を聞きます.このようなアピールは,もちろん,基礎科学の側からのものでしょう.建築物のイメージを使いながら,「土台がしっかりしていないと上が崩れてしまうから,しっかりと基礎を固めましょう」というわけです.つまるところ,直接には金にならない土台にも注意を向けましょうということです.まともにもっともな見解です.  このような見方は,人文科学にも使えるでしょう.土台にお金をかけなければ,大きな構造物を建てる事など不可能です.公共の研究機関としての大学院,特に国立大学法人の役割は,より強く,この側面に求められるでしょう.実際,応用的な人文知の下には,地道な作業がつきものです.写本や古文書の調査・研究,原典テクストの批判校訂などは,その最たるものでしょう.屋上の派手な宣伝も,礎石がしっかりしていればのことです.  建築物のイメージは,上下のメタファーを使ったものです.同じ上下のメタファーでも,企業における調達・製造・販売・サービスでは,川上と川下というメタファーが用いられます.仏教学をこのメタファーで考えて見ましょう.  川下に位置するのは,町の本屋にあふれる仏教書です.僧侶をはじめ,職業作家や講演家による分かりやすい仏教解説・講話などなど,枚挙に暇がありません.あるいは,葬式やお彼岸などで偶に耳にする近所のお坊さんの法話も含まれるかもしれません.最近では,インターネット上の情報も含まれるでしょう.これは,われわれ庶民が直接に耳にする教えで,もっとも身近に位置するものです.近所のコンビニ,スーパー,さらに,ショールームと同じく,末端に位置しながら,我々の理解に直接に影響を及ぼします.  川の中流に位置するのは,仏教学の専門家が一般向けに書いたものでしょう.職業作家ほど文章はこなれてはいないでしょうが,何よりも,専門知識を生かした正確な理解を提供してくれます.信頼できるソースです.少し大きな本屋にいけば,「空」(くう)の教えや「唯識」など,専門家が分かりやすく説いた仏教書が多く並んでいるのを目にします.一般の理解を向上させるのに,このような啓蒙書の役割は非常に大きなものがあります.有能・多才な職業作家といえども,サンスクリット語で直接に仏典を読むことは少ないでしょう.その多くは,専門家による仏教解説に基づいているはずです.理解のもとを辿れば,専門家の仏教理解に基づいているはずなのです.  そのむかし,仏教学の大家である村上専精が「大乗非仏説」を唱えたとき,既存の宗派はそれを非とし,結果として村上は,一時,僧籍を離脱することになりました.事実を重んじる科学が,既存の宗教と対立したわけです.しかし今ではどうでしょう.大乗が非仏説であること,つまり,日本に数多ある仏教各派の所依の聖典,大乗経典が「仏陀の(直接の)教えではない」ことは,もはや科学的な「事実」として受け入れています.それを既存仏教への攻撃・非難と見て,反論する僧侶は見当たりません.たとえ仏陀が直接に説いたものでなかろうと,その精神が生きていれば一向に構わないというのが大方の意見でしょう.  さらに,最新の仏教研究は,仏教学の大家,平川彰の「仏塔信仰起源説」のイメージを乗り越えようとしています.「在家者の仏塔信仰を起源とする大乗仏教」という,一昔前の仏教学の教科書の知識が塗り替えられようとしているのです.われわれの大乗仏教のイメージも,いずれ変化せざるをえなくなるでしょう.  このように,川下の理解は,上流での変化に大きく左右されます.では,その上流は,どのような姿をしているのでしょうか.  まず専門家が専門家に向けて書いた専門書があります.「等流」や「随眠」などなど,一般の人にはちんぷんかんぷんであろう漢訳語のジャルゴンが,そのまま出てきます.ここでは,周知のことを分かりやすく説くのではなく,未知なる領域を切り開き,新たな光を当てることに価値が置かれます.まさに知のフロンティアです.学会は,学者同士,各自の発見が正しいのかどうか,それを精査し吟味する場です.このような場所を確保することは,直接に下流に関係ないように見えて,ゆくゆくは大きな影響を及ぼすのです.河口の先にある大陸棚の豊かな海を守るためには,上流の森林を保護しなければなりません.  川の上流にいくと,川筋は多くの支流に分かれ,一つ一つは小さな流れにすぎません.源泉を求めて上流に行けば行くほど,専門化の度合いは増し,同じ専門家同士でも,意思疎通が難しくなります.まさに,ジャングルの上流に分け入れば,ただ我一人の状態となるのです.多くの川の水が出会う河口や海において「たこつぼ」に入れば,それは非難されるべきでしょう.しかし,上流のジャングルにおいて,一人きりで探索を続けることは,或る意味,必然なのです.上流でただ一人発見したものを持ち帰れば,それは皆の大きな共有財産となります.ときどき人里に降り立ちながらも,知のフロンティアを求める探険家は,一人,ジャングルの奥深くに分け入るべきなのです.  そのような孤独な活動を支える重要な場所として大学があります.逆に言えば,大学という公共の場なくして,そのような活動を独力で行なうことは困難でしょう.その成果を教育・研究発表を通じて,広く,一般へと影響を及ぼす責務のあることは言うまでもありません.しかし,目先の利益に捉われて,上流で森を守る人のことを忘れたとき,豊かだった漁場はどうなるのでしょうか.一見,地道な研究こそが,下流での知識の豊かさを保障してくれていることを忘れてはなりません.  東京大学,京都大学,東北大学,九州大学など,旧帝大には所謂「印哲」の講座が設けられています.仏教学,インド学,インド哲学,インド文学,梵文などなど,名称は様々です.しかし,その目指すところは,科学的手法による批判的な仏教学の基礎付けにあります.漢訳仏典だけではなく,パーリやサンスクリット,そして,チベット資料を駆使しながら,仏教の歴史・思想史を立体的に組み立てることが目標です.そのために原典批判は欠かせません.宇井伯壽を始めとして,地道な作業が連綿と続けられ現在に至っています.  はじめて宇井伯壽の著作を紐解く人は,その難解さに驚くでしょう.現代の口語からすると「ほとんど意味不明!」な日本語です.見方を変えれば,宇井は最も上流で研究した人といえます.実際,現在でも多くの仏教学者が宇井の研究を高く評価し,そして,そこから再スタートします.現代の仏教学の枠組みを作った人物の一人なのです.写真の相貌に相応しく,重戦車で文献に体当たりしていく宇井の研究スタイルは,圧倒的な力を持ち,そして,未だにその生命を保っています.  一宗一派に偏ることなく批判的に仏教学を基礎付けること,そして,最上流で森を守ること.九州大学においても,その伝統は守られてきました.干潟龍祥,松濤誠廉,伊原照蓮,戸崎宏正ほか,印哲の歴代スタッフが,発足以来,仏教学に必要な図書資料を整備し,同時に,多くの研究者を育ててきました.文学部の書庫に入り,印哲のラベルがついた蔵書の数々を見れば,このような宝が一朝一夕に蒐集できないことを実感できるでしょう.多くの先人の努力のもと,現在まで守られてきたのです.昨日今日で出来上がるものではありません.  しかし現在,研究室の年間予算は縮小傾向にあります.さいわいゼロではありませんが,ゼロが沢山あるわけでもありません.数字を聞いて驚かれるでしょう.中洲の飲み屋の一日の売り上げより少ないかもしれません(笑).←笑い事ではありませんが,笑うしかない有様なのです.  結果として,基本的な図書資料の購入すら難しい状態に陥っています.最近では,いくつかの高価な洋雑誌の定期購入を諦めざるを得なくなりました.もちろん図書が最優先ですから,研究室に備えるべき机や本棚といった設備は後回しです.まして,「冷えない割りにうるさい」冷房や,数十年前のガス暖房,また,「音のうるさい」照明など,数十年前の非効率的なものがそのままです.電気代を考えると,思い切って新しくしたほうがいいのですが,無い金は叩けません.わたしも夏は,壊れてピクリともしない巨大エアコンの上で,静かに扇風機(←これまた偉く古そうですが)を回しています.もちろん,インドの40度に比べれば,九州の30度くらいはたいしたことないのですが.  今現在の影響は微々たるものです.しかし将来への影響は計り知れません.印哲の書庫を覗くと,「こんなものまで」と思う貴重な図書によく出くわします.先人の目利きには脱帽します.図書検索で調べればすぐに分かるように,九大印哲の蔵書には,日本に唯一九州にしかない蔵書も数多く含まれています.海外の高名なインド学者の旧蔵書をまとめ買いしたようなものも見受けられます.戦前の日本です.大金をもって苦労して買い付けたに違いありません.その努力に感謝せずにはいられません.  九大印哲は,九州随一の仏教学研究センターであり,同時に,教育機関として機能してきました.連綿と受け継がれてきたこの火を絶やすわけにはいきません.仏教学の上流の泉を守り,森を守るため,我々に何ができるのでしょうか.目先の利益に飛びつき下流で鮭を乱獲し,流れを堰き止めたつけは,いずれ回ってくるものです.われわれの共有財産を守るために今行動しなければなりません. ■ 寄付制度について  国立大学法人九州大学では,企業などの団体だけでなく,学問に理解ある個人からの御寄付も受け付けています.九州大学の寄付金制度は以下のように定められています.(http://www.kyushu-u.ac.jp/society/kihukin/index.html) 1)受入れの対象となる寄附金は、次に掲げる経費のいずれかに充てることを目的とする現金及び有価証券です。  (1) 学術研究に要する経費  (2) 教育研究の奨励を目的とする経費  (3) その他本学の業務運営に要する経費 2)寄附金の使途の特定は、寄附者が行います。ただし、寄附者が寄附金の使途を特定していない場合は、総長がこれを特定します。 九州大学文学部インド哲学史講座における「仏教学・インド学の基礎的研究」のために使うことも可能です.大学全体での受入手続きは次のように定められています. 1)寄附の申込希望がある場合は、寄附金申込書(様式任意)を関連する部局に御提出下さい。 2)寄附の申込を受けた部局長は、次のいずれにも該当すると判断される場合に、総長に受入れを申請します。  (1) 寄附の内容が本学の教育研究上有意義であること。  (2) 寄附の内容が適当であること。 インド哲学史講座の場合,所属する部局は文学部(人文科学研究院・人文科学府)となります.  もちろん,(「特定の経典の研究」など)著しく使途を限定したものは受け入れられません.「仏教学関係資料購入」など,一般的な使途の限定は可能ということになります.実際,現在の研究室予算ではとても買えない高価な全集(大型資料)など,本来そろえるべき資料は多くあります.また将来の仏教学を支える学徒が自由に使える共用パソコン(情報関連機器)も,研究室に二台(2006年12月現在)では寂しい限りです.  研究室で発刊している雑誌『南アジア古典学』は,執筆者各自の持ち寄った僅かな資金と印哲OBの寄付(雑誌発刊費用)で細々と続けています.資金は僅かですが,その心意気は高貴です.九大関係者に限らず,他大学の若き学徒にも投稿機会の広く開かれた実に珍しい「研究室」雑誌なのです.編集責任者の一人として,少しでも長くこの雑誌を続けていきたいと考えています.  なお,寄付における税法上の優遇措置は寄附金5000円以上よりとなっています. 3.税制上の優遇措置 本学への寄附金は、所得税法上の寄付金控除の対象となる特定寄付金又は法人税上の全額損金算入を認められる指定寄付金として財務大臣から指定されているものです。寄附金の入金確認後、確定申告時に必要となる「領収書」を寄附者に送付いたします。 九州大学における寄付金に関する問い合わせは,     財務部経理課外部資金管理係  zakgaibu@jimu.kyushu-u.ac.jp     TEL 092-642-2173     FAX 092-642-4302 またはインド哲学史研究室に直接お問い合わせください.     九州大学(箱崎地区)     〒812-8581 福岡市東区箱崎6-10-1     電話:092-642-2111(箱崎地区代表番号) 寄附に関する公式の規定は九州大学における寄附金の取り扱いについてへ)
  1. 2006/12/21(木) 23:27:26|
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ジャヤンタ作『ニヤーヤマンジャリー』の校訂テクスト:Forthcoming in the Memoirs of the Institute of Oriental Culture, 150

Critical Edition of the Śāstrārambha Section of Bhatta Jayanta's Nyāyamañjarī (forthcoming): Summary The present article consists of a short introduction together with bibliographical information and a critical edition, typed in Devanāgarī font, of the opening section of the Nyāyamañjarī, the magnum opus of the ninth-century Kashmirian scholar, Bhatta Jayanta. The text of the entire Nyāyamañjarī has been edited several times, but there is still room for improvement. In the present edition I consulted two published editions and six manuscripts: one is written in Devanāgarī; one in Kashmirian Devanāgarī; three in Śāradā; and one in Malayalam script. I recorded in the apparatus variant readings found in the previous editions and the manuscripts, as well as parallel or relevant passages found in the works of the same author, and antecedent or subsequent works of other authors. I also segmented, with appropriate captions in Sanskrit, the text into sections, subsections and so on, so that readers can easily see the structure of the text and the author's intention behind it.
  1. 2006/12/19(火) 12:23:01|
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リンガの生起:プッラマンガイのブラフマプリーシュヴァラ寺院


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タミルナードゥ州タンジョール県(Tanjore),プッラマンガイ(Pullamangai)のブラフマプリーシュヴァラ寺院(Brahmapurisvara). 紀元後10世紀,チョーラ朝下の創建. 写真は寺院の東南西北のうちの西面. 数あるシヴァ神の図像の中でも「リンガの生起」(Lingodbhava)の像(murti)です. 地にもぐってリンガの根っこを探ろうとするのは,野生の猪(ヴァラーハ)の姿をとったヴィシュヌ神. 上方には,ハンサ鵞鳥の姿をとって,リンガの果てを見んとする四面のブラフマー神.

Tanjore2 186.jpg
暑い暑い午後に行ったのですが,鍵を管理するお坊さんは昼休み(?)で不在. 自宅まで呼びに行って,わざわざ開けて貰いました. 写真は,Suzukiのバイクで颯爽と登場したお坊さん.

Tanjore2 057.jpg
  1. 2006/12/16(土) 13:55:54|
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