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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

Appayya Dikshita II





Duruha.jpg





こちらは,アッパヤ・ディークシタIIのドゥルーハシクシャー.

聖典解釈学ミーマーンサーにおける命令論,特に,伝統的な命令の三分類に関するものです.

サブタイトルの通り,アッパヤ・ディークシタIのヴィディラサーヤナ(Vidhirasayana)の擁護.

主に,ヴィディラサーヤナを批判するナーラーヤナ・シャーストリー(Kollur Narayana Shastri)のヴィディダルパナ(Vidhidarpana)を批判しています.

校訂者は,高名なミーマーンサー学者であるBHUのスブラフマニヤ・シャーストリー(A. Subrahmanya Shastri)です.

1969.2.17,ワーラーナシー(Varanasi)より刊行.

スブラフマニヤ・シャーストリー個人による出版のようです.

師匠である偉大なミーマーンサー学者,チンナスワーミ・シャーストリー(A. Chinnaswami Shastri)に捧げられています.

Webcatを見る限り,残念ながら日本の大学にはないようです.

マドラスのクップスワーミ・シャーストリー研究所でコピーしました.


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  1. 2006/12/24(日) 23:14:28|
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雑誌『ミーマーンサーの光』The Mimansa Prakash (The Anglo-Sanskrit monthly journal of the M.G.P. Samiti, Poona 2)




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『ミーマーンサーの光』(The Mimansa Prakash)と題された,聖典解釈学ミーマーンサー専門の学術雑誌です.

副題には,「英語・サンスクリット語の月刊誌」とあります.(The Anglo-Sanskrit monthly journal of the M.G.P. Samiti, Poona 2)

編集者は,ワーマン・シャーストリー・キンジャワデーカル.(Editor: Waman Shastri Kinjawadekar, Mimansaka Shiromani)

編集助手の名前も載っています.(Assistant Editors: Govind Balwant Makoday B.A. and Ramchandra Shastri Kinjawadekar, Dixit)

写真は第一巻第一号(Vol. I No. I),1936.10.25発刊です.

筆者の知る限り,1938.6.1発刊の3-6(Vol. III, No. 6)まで継続したようです.

日本の大学図書館にはないようです.

わたしもアディヤール・ライブラリーでコピーしました.

雑誌の宣伝文句は以下の通り.

The Mimansa Prakash (Anglo-Sanskrit Monthly Journal)

The Magazine sheds its lustre on the ancient Aryan culture by reviving the Mimansa Shastra. It is devoted to topics of everyday necessity. It seeks to lay down a beneficial course of action which promotes human prosperity and endeavours to enlighten the Path-of-Duty. All the questions are dealt with from the view point of and illuminated by the principles of the Mimansa Shastra which authoritatively solves the difficulties of a Layman, a Scholar, a Lawyer, a Doctor and a Professor.

Annual Subscription (inclusive of postage)--- Rs. 5/ - in India and Rs. 7/- abroad.

Please apply to--- The General Secretary, M.G.P Samiti, ... ... (*no more existent)

すごい意気込みです.

Prakaranapancikaの校訂も連載されるなど,学術的にも無視できない貴重なものが含まれています.

本校訂は残念ながら未完です.



  1. 2006/12/24(日) 18:15:46|
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K.E. Devanathan『聖典解釈学ミーマーンサーにおける「主たる被限定要素」の考察と「命令の意味」の確定』





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K.E. Devanathan: mīmāmsakamate mukhyaviśesyavicārah vidhyarthanirūpanam ca. Tirupati, 1993.

著者のK.E. デーヴァナータン博士は,ティルパティのラーシュトリーヤ・サンスクリット・ヴィディヤーピータ(Rashtriya Sanskrit Vidyapeetha)の講師.

ニヤーヤやヴェーダーンタのみならず,ミーマーンサーにも精通する数少ない若手パンディットの一人です.

留学中には懇意にしていただき,氏の「新論理学」(ナヴィヤ・ニヤーヤ)などの講読にも出させていただきました.

本書も,氏より直接に頂戴しました.

内容は,ミーマーンサーの言語哲学,文意論,命令論です.

サンスクリット語で書かれた全111頁の論文です.

Tirumala Tirupathi Devasthanamの出版助成によるもの.

出版社名は特に記されていません.

ティルパティ以外では余り流通していないことでしょう.

高名なパンディットN.S. Ramanuja Tatacharya教授の序言(aamukha)も含め,全文サンスクリット語で書かれています.


  1. 2006/12/24(日) 17:46:32|
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『哲学と思索』:パンディット・スクラールジーのヒンディー語論文集




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原題は『ダルシャン オール チンタン』(Darshan aur Cintan).

訳すと『哲学と思索』(あるいは『見と思』)となります.

稀代のジャイナ教学者,パンディット・スクラールジー・サンガヴィー(Pandit Sukhlalji Sanghavi: 1880.12.8-1955.12.8).

そのヒンディー語論文の集成版です.

1959年,Pandit Sukhlalji Sanman Samiti,すなわち,「パンディット・スクラールジー顕彰委員会」の出版.

Webcatで見る限り,日本の大学図書館にはないようです.

わたしもマドラスでコピーしました.

二巻本の大部のものですが,1959年の値段は7ルピーです.

巻頭に「パンディット・スクラールジーの簡単な紹介」(Pandit Sukhlalji Samksipt paricay)を付しています.

収録されたヒンディー語論文は,インド哲学,ジャイナ教学に関するもの.

第一巻に38本,第二巻に33本.

前者がインド哲学一般,後者がジャイナ教学に関するもの.

いずれも至宝の玉稿ばかりです.

インド哲学をやるのに,サンスクリットだけでなくヒンディー語も学んでおくと非常に役立つという例証です.


  1. 2006/12/24(日) 16:52:08|
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ラーフル・サーンクリティヤーヤン『放浪の教え』




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グマッカル・シャーストル.

直訳すると『放浪者の教示書』です.

放浪哲学というわけです.

著者のラーフル・サーンクリティヤーヤン(Rahul Sankrityayan: 1893.4.9-1963.4.14)は,本名,ケーダルナート・パーンデー.

仏教徒になってラーフルと呼称.

サーンクリティヤーヤンは,ゴートラ名「サーンクリティヤ」から.

本書はathAto ghumakkaRa-jijJAsAと,サンスクリット流に著作を開始.

稀代の放浪者サーンクリティヤーヤン自ら,放浪をすすめる「教え」です.

以下は,第一版へのサーンクリティヤーヤン自身の前書きの出だし(原文はヒンディー語).

「『放浪者の教え』を書く必要を,わたしは長い間,身をもって感じていました.私は理解していますし,まして,同志の皆さんは,その必要性を感じていることでしょう.放浪の芽を生み出すことは,本書の望むところではありません.むしろ,生来の芽を育て,大きくし,そして,道を示してやること,それが,本書の目標なのです.」

初版は1948年.

本書は,1992年の出版.

出版社はKitab Mahal.



  1. 2006/12/24(日) 16:02:09|
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九州大学文学部・インド哲学史研究室『南アジア古典学』第二号:原稿の募集


国内・海外をあわせ,何件か問い合わせがありましたので,あらためて告知しておきます.

『南アジア古典学』では,九大印哲関係者に限るという「狭量部」(きょうりょうぶ)の立場に立つことなく,広く学徒に門戸を開き,すぐれた原稿を募集しています.

投稿規程の詳細については以下の記事を参照してください.

http://blogs.dion.ne.jp/sanskrit/archives/3747253.html

前号と同様,3月末締め切りとなっています.(期限厳守でお願いいたします.)

昨年度の目次は以下を参照.

http://blogs.dion.ne.jp/sanskrit/archives/3508661.html

(インド,パーリ,チベット)仏教学,インド学,インド哲学,インド文学が,主たる対象となります.

なお,バックナンバー(残部僅かですが)をご希望の方は,九州大学文学部インド哲学史研究室,あるいは,岡野宛(ホームページ:http://homepage3.nifty.com/indology/)にご連絡ください.

知のフロンティアを切り開く「未知対象を照らし出す」(ajJAtArthaprakAZaka),まさに,「次代の規準」(プラマーナ)たる論文を求めています.

雑誌発刊にあたっては,OBの方々を始め,理解ある資金援助をいただいています.記して感謝いたします.雑誌継続のために,今後もよろしくお願いいたします.

  1. 2006/12/24(日) 12:21:59|
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Correction of Jinendrabuddhi's Pramanasamuccayatika


校訂テクストは次のように訂正すべきでしょう.

p. 23, l. 6
teSAm apy astitve tad anena > teSAm apy asti tat tv anena

現行のastitveは明らかに不自然です.

このままでは意味を成しません.

なお,この読みは,校訂テクストの脚注3にあるように,校訂者のemendationです.写本自体の読みは,

teSAm apy asti tatve nena

です.(校訂者の一人であるクラッサー博士に確認していただきました.記して感謝します.)

意味を通じさせるためには,上のような訂正が必要です.三つを比べると以下のようになります.

現行:teSAm apy astitve tad anena
写本:teSAm apy asti tatve nena
訂正:teSAm apy asti tat tv anena

写本の読みから見ても,訂正は,それほど問題ないでしょう.逆に,現行のemendationは,写本からは少しずれすぎています.

  1. 2006/12/24(日) 10:51:55|
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Correction of Jinendrabuddhi's Pramanasamuccayatika


校訂テクストは次のように訂正すべきです.

p. 22, l. 7
sata eva > parata eva

ジネーンドラブッディの前後の記述からすると,彼の立場は以下のようになります.

プラマーナがそこにあることはそれ自体で,他を必要とせずに分かる.その意味では,「自ら成立する」ということが言える.しかし,そのプラマーナが正しいかどうかまでは,それ自体「自ら」によっては分からない.したがって,「他から」論証・確定される必要がある.

ジネーンドラブッディは,

svataH pramANasya svasaMvedanAt svarUpasiddhimAtraM bhavati
「[他によらずに]自らによるならば,プラマーナには,自己認識によって,それ自体の成立のみが生じる」

と述べています.これは,プラマーナ「自ら」(svataH)によって分かる範囲の特定です.そこでは,「自体成立のみ」(svarUpasiddhimAtra)があるのであって,その正しさまでは分からないのです.

では,或る認識が生じたとき,その認識が正しいかどうかはどのようにして分かるのでしょうか.その答が問題のparata evaの箇所です.

ここで,tasya (=prAmANyasya) sata eva ... niZcayo bhavatiと読んだ場合,sata evaは意味を成しません.

「それ(正しさ)は,存在する場合にのみ(?),・・・確定される」

訂正のようにtasya (=prAmANyasya) parata eva ... niZcayo bhavatiと読むならば,次のようになります.

「それ(正しさ)は,他に基づいてのみ,・・・確定される」

そして,「他から」(parata eva)の内容説明が,長いコンパウンドで説明されているのです.すなわち,parata eva pramANaparidRSTavastusAdhyArthakriyAviSaya-pramANAntaravRttyAとあります.

詳しい説明は省略しますが,要するに,pramANAntaravRttyAというのが「他に基づいて」という意味です.「他のプラマーナの働きによって」というわけです.「或るプラマーナの正しさは,他のプラマーナの働きによって」すなわち「他からのみ」確定されるのです.

単純化して説明するなら次のようになります.水を見て「或る認識」が生じても,その水を飲んでみて,本当に喉の渇きがいやされることを確かめるまで,すなわち,効果的作用を確認する「別の認識」が生じるまで,或る認識の正しさは分からないというわけです.

クマーリラの自律的真理論から見れば,慎重に過ぎる,まどろっこしい話ですが,これが他律的真理論の立場です.(実際には,ジネーンドラブッディの説は,もう少し複雑です.)

校訂テクストの脚注2に記されているように,sataは,校訂者達によるemendationです.写本の読みは,はっきりはしないようですが,校訂者達は,{sa}<ya>ta Msと記しています.これも,parataがオリジナルであることを,むしろ示唆するでしょう.

  1. 2006/12/24(日) 10:08:13|
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