Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

因明正理門論科図

タイトル : 因明正理門論科図 タイトルよみ : インミョウ ショウリモン ロンカズ 責任表示 : 雲英晃耀著,永井昇道図 出版事項 : 京都:細川千巌,明12.11 形態 : 1冊;19cm 装丁 : 和装 一般注記 : 折りたたみ NDC分類 : 180 著者標目 : 雲英,晃耀(1831-1910);永井,昇道 著者標目よみ : キラ,コウヨウ(1831-1910) ナガイ,ショウドウ 全国書誌番号 : 40043683 請求記号 : YDM14750 西暦年 : 1879
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  1. 2007/02/23(金) 20:20:47|
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九州大学大学院でインド哲学・仏教学・サンスクリット語を学ぶには

http://www.k4.dion.ne.jp/~sanskrit/daigakuin.html ■ 大学院へ入学するためには (正確な公式情報は九大大学院人文科学府のホームページへ) 「もっと専門的にインド哲学・仏教学を研究したい!」という方のために、九州大学インド哲学史講座では修士課程(通常2年間)・博士課程(通常3年間)を設けています。他大学を卒業されてから来られた先輩もいます。また大学を卒業してかなりの年月を経て「やっぱり大学院でしっかりと仏教を学びたい」という先輩もいます。大学院入試では、英語など外国語1つ、インド哲学史やサンスクリット語などの専門の試験、口頭試問を課しています。 ■ 「いきなりはちょっと」という方のために 「いきなり専門に入るのは難しいのでは?」という方のために「研究生」や「聴講生」という制度もあります。この制度を使って幾つかの授業に出ながら様子を見て、じっくりと準備をして大学院に進むという道もあります。サンスクリット文法も習えます。インド哲学史研究室の教員(岡野・片岡)、あるいは、九州大学文学部の学生掛(092-642-2355)まで気軽に相談してください。 ■ 研究生・聴講生制度について 文学部の「研究生」は、学士の学位がある方に出願資格があります。一年間、指導教員の承認の上で九州大学文学部において研究に専念できます。サンスクリット語を習得しながら、仏教学・インド哲学・インド学の基礎講義を受けるのに最適の制度です。岡野・片岡の専任教員のほか、熱意ある非常勤講師や研究室所属学生の面々が面倒見ます。詳しい条件については学生掛(092-642-2355)まで。 なお修士の学位を有する方は、九州大学大学院人文科学府の「研究生」に出願できます。 「聴講生」は授業単位で講義(演習は不可)を聴講するためのものです。8単位以内に限り聴講できます。大学において2年以上の課程を修了した方(またはこれと同等以上の学力があると認められる方)に資格があります。検定料・入学料・聴講料、また、聴講許可の条件ほか、詳しいことは学生掛(092-642-2355)まで。
  1. 2007/02/19(月) 12:46:10|
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九州大学文学部インド哲学史研究室の紹介

http://www.k4.dion.ne.jp/~sanskrit/kenkyushitsu.html ■ 九州大学文学部インド哲学史研究室の紹介 (公式版は九大文学部のインド哲学史研究室へ) 通称「九大印哲」――インドの宗教・文化・哲学,仏教学,サンスクリット語・パーリ語・チベット語に好奇心を持つ人の集まり――です。
Graduation1.jpg 和訳や漢訳、英訳や独訳などではなく、インド人が書いたままの原語でインド仏教やインド哲学・文学の典籍を読むこと。 遠い昔の天竺の「竜樹」や「世親」ではなく、ナーガールジュナやヴァスバンドゥのライブリーな声を聞くこと。 そのために必要な道具を提供しています。 インド文化にアクセスする「近道」です。 3000年の厚みを持つサンスクリット語の習得。 それは単に語学学習にとどまりません。 サンスクリット語の文化伝統に生きる人々の思考法を学ぶことでもあります。 バラモン教やヒンドゥー教、仏教やジャイナ教、抒情詩に諧謔文学、はたまたカーマスートラや左道タントラ文献に至るまで、残された文献は多岐・多様。 広大な森を突き進み、無限の文献の大海を渡っていくための技術を学ぶ場。岡野潔(教授)、片岡啓(助教授)がお手伝いします。
Study1.jpg 仏教学を岡野教授が、インド哲学・インド文学を片岡が担当。 インドの古典語であるサンスクリット語を基礎から習得できるようカリキュラムを組んでいます。 また講義では、仏教史・仏教文化論やインド思想史・文化史を体系的に理解することを目指しています。 スリランカやタイの上座部仏教を研究するための聖典語パーリ、インド仏教典籍の多くの翻訳を残すチベット語も習得できるよう配慮しています。 仏陀の生涯や前世を記す仏伝文学は、岡野教授が最も得意とするところです。 片岡は、聖典解釈学や論理学・認識論を中心に、シヴァ教神学や戯曲に関心をもっています。 サンスクリット文献には、いまだに写本のままで眠っている文献が山とあります。 ヒンドゥー教の歴史も、まだまだ未開の分野です。サンスクリットのみでなく、さらに欲張れば叙情豊かなタミル文学、はたまたインドを飛び出てカンボジアに残る碑文まで、インド文化の幅には驚かされます。 1000年前のカシミールの大学者アビナヴァグプタのように、サンスクリット文献のフレッシュな花々を飛び回り、インド文化の極上の蜜を味わうこと。そんな時間と場を提供するのがインド哲学史研究室です。
様々な古典を見ることで、智慧は弁別を手に入れる。 自分の思弁を追い求め、引き出し得るのは如何ほどか? 古の伝承テクストなしに、あれやこれやと想像する者達、 年長者に仕えたことのない彼ら、その学知が澄み渡ることはない。(バルトリハリ)
「役に立つ」とか「立たない」とか,「金になる」とか「ならない」とか,そんなケチな勘定はさておき,文献を読み込む楽しさを味わってみませんか. 何百年も読みつがれてきた古典には,人間の智慧,深い洞察,鍛え上げられた思想がこめられています. 不鮮明な音のつながりが,稲妻のように一つの意味を結び,文の全体が露わになる瞬間の快感は,他では得られない経験です.
  1. 2007/02/19(月) 12:35:24|
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記事紹介:Oxford scholar searching Pakistan for Sanskrit, beer

ちょっと古い記事ですが. http://www.dailytimes.com.pk/default.asp?page=story_28-2-2004_pg7_27 %%%%%%%%%%%%%以下はWebの自動翻訳によるもの.訂正は加えていません%%%%%%%%%%%%%% Oxford scholar searching Pakistan for Sanskrit, beer サンスクリット語(ビール)を求めてパキスタンを捜しているオックスフォード学者 By Zainab Khar Zainab Kharによって LAHORE: Isabelle Onianf misses her freedom. And beer. “I can’t have beer with my meals,” she laments. “The tourism of this country will definitely improve if restrictions on alcohol were lifted and the law wasn’t so forbidding.” ラホール:イザベルOnianfは、彼女の自由をはずします。そして、ビール。「私は、私の食事でビールを飲むことができません」と、彼女が嘆きます。「アルコールに対する規制が解除される、そして、法律がそれほど禁じないことであるならば、この国の観光旅行は確かによくなります。」 Isabelle Onianf is visiting Pakistan for the first time, in search of roots of a language she teaches at Oxford. Having studied Greek and Latin at London University, she says she was motivated to pursue Sanskrit. “It’s a language spoken only by a very select group of people, and is as diverse and vast as any other. 彼女がオックスフォードで教授する言語の起源を捜して、イザベルOnianfは、初めてパキスタンを訪問しています。ギリシア語とラテン語をロンドン大学で研究して、彼女は彼女がサンスクリット語を追求することを希望したと言います。「それは非常に選ばれたグループの人々だけによって話される言語であって、他のものと同じくらい多様で、巨大です。 “Having studied it for twenty years, I still find myself coming across words I haven’t seen before.” 「20年の間それを勉強して、私はまだ私自身が私がわからなかった語に出くわしているのに気づきます。」 While she finds students of Lahore’s Government College University well versed in Persian, English and Urdu literature, she is upset Sanskrit isn’t given the same importance. “While a few Indian universities offer Sanskrit studies, it is taught nowhere in Pakistan,” she criticises. “A sad fact,” she says, “since most of Urdu is derived from Sanskrit.” 彼女がラホールの政府カレッジ大学の学生がペルシャ語、英語とウルドゥー語文献を熟知しているとわかる間、彼女はサンスクリット語が同じ重要性を与えられないので動揺しています。「2、3のインドの大学がサンスクリット語の研究を提供する間、それはパキスタンでどこにも教えられません」、彼女は批評します。「悲しむべき事実」、と、彼女が言います。「サンスクリット語は、大部分のウルドゥー語から、由来されます。」 Ms Onianf went on to explain the roots of “acha”, one of the most frequently uttered words in Urdu. Onianfさんは、「acha」(ウルドゥー語で最もしばしば述べられた語のうちの1つ)のルーツを説明し続けました。 “Its origins lie in Sanskrit, where it’s used to describe the purity of water, and literally means pure and clear. In the evolved language, it is used completely out of context.” 「その起源がサンスクリット語であります、そこで、それは水のきれいさを記述するのに用いられて、文字通り純粋で明白であるということを意味します。発展する言葉遣いでは、それが前後関係から完全に使われます。」 She has been in Pakistan for two months now, and says her decision to visit the country unsettled family and friends. “I was told it’s a dangerous country and that matters had worsened after the Iraq War,” she said. “I wanted to see for myself,” she adds. 彼女が今は2ヵ月の間パキスタンにいて、国を訪問するという彼女の決定が家族と友人を不安にしたと言います。「私は、それが危険な国である、そして、問題がイラク戦争の後、悪化したと話されました」と、彼女が言いました。「私は、私自身でわかりたかったです」と、彼女が付け加えます。 Having stayed here for two months she finds it hard to understand the Pakistani culture. “It’s all an enigma to me,” she says. 2ヵ月の間ここにとどまって、彼女はそれがパキスタンの文化を理解するのは難しいとわかります。「それは、私への全ての謎です」と、彼女が言います。 Ms Onianf constantly falls back to comparing India and Pakistan. “We Europeans know more about India as a country than Pakistan, since India has been around for much longer.” She forgets perhaps, that India and Pakistan shared a common history until 1947. Onianf さんは、インドとパキスタンを比較することに、絶えずたじろぎます。「我々、ヨーロッパ人は国としてパキスタンよりインドについて知っています、以後、インドはずっと長く方々を見ています。」と、Sheがおそらく忘れます、そのインドとパキスタンは1947年まで一般の歴史について話しました。 She claims people here are not only unnecessarily pessimistic, but also extremely diplomatic. “In an effort to welcome you and make you comfortable, people are kind enough to say things you want to hear, but sometimes that stuff can be far from the truth.” 彼女は、ここの人々が必要以上に悲観的なだけでなくて、とても外交的でもあると主張します。「あなたを歓迎して、あなたを快適にする努力において、人々はあなたが聞きたいということを言うのに十分親切です、しかし、時々、そのものは真実からほど遠くありえます。」 Ms Onianf is of the opinion that Pakistan is totally dominated by men, and women are kept barefooted and chained to the kitchen, proverbially speaking. “Truly a pity,” she says. Onianfさんはパキスタンが男性によって全く支配されるという意見です、そして、女性は裸足にしておかれて、台所に鎖でつながれます。そして、ことわざ通りに話します。「本当に残念」と、彼女が言います。 Highlighting issues faced by Pakistanis, she says, “Christians living here are hard pressed to find jobs, roads are bad, health facilities for the masses are poor, and education is better in India.” She has visited India several times and feels “there is more music on Indian streets than here in Pakistan”. 問題をハイライトすることは、パキスタン人によって直視しました、彼女は言います、「ここで生きているキリスト教徒は仕事を見つけるのが一苦労です、道は悪いです、多数のための医療施設は粗末です、そして、教育はインドでよりよいです。」、Sheは何度かインドを訪問して、感じます、「ここパキスタンで多くの音楽が、インドの通りにあります」。 Ms Onianf still wants to tour “Pakistan’s northern areas — Gilgit, Swat and Peshawar”. She claims a British manuscript emerged from Gilgit and has served as an incentive for her to visit the place. And she will be here for another month before returning home to freedom and beer. Onianf さんは、まだ「パキスタンの北地域を旅行したいです — Gilgit、一撃とペシャワル」。彼女は英国の原稿がGilgitから出てきたと主張して、彼女が場所を訪問する誘因として用いられました。そして、彼女が自由とビールに帰る前に、もう一月の間ここにいます。
  1. 2007/02/18(日) 14:47:03|
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ダルマキールティ自身の考えは我々には分からないのか?

ダルマキールティは,「プラマーナ(正しい認識の手段)とは欺かない(=効果的作用の定まっている)認識である....あるいは(vaa),未知対象[を照らす]光である」とPV IIで述べています. これについて多くの議論があります.要するに, 1.これはプラマーナの一般定義なのか? 2.二つを結ぶvaaは「あるいは」という選言を意味するのか? ということです.問題は,注釈家達が(チベットの伝統まで含めて)
プラマーナとは,欺かず,かつ,未知対象を照らし出すものである
として,プラマーナが運ぶ情報の〈信頼性〉と〈新しさ〉とを二つとも必要(でありそしてそれで十分)と考えたことです. これについて,ダン博士の興味深いコメントがあります*. ダン博士の議論をまとめると,大体,以下の流れが確認できるでしょう. 1.フランコによれば,ダルマキールティは,プラマーナを定義することがない. 2.この解釈はPV2.5の接辞vaaを選言とのみ解すべきことに基づく. 3.フランコの解釈は議論を巻き起こした. 4.ともあれ,この「vaa論争」の結果分かったことは,注釈伝統に拠らなければ,我々が手にしているダルマキールティの簡潔な言明のために,我々の結論は必ず未決定に陥るということである. 5.このことは,注釈伝統を離れてダルマキールティ自身を歴史の中に位置づけようとする際には避けられない. 6.しかし,ダルマキールティに続く注釈伝統の中でダルマキールティを位置づけようとするならば,我々の仕事は,上の試みより難しくはない. 7.実際,ダルマキールティがプラマーナの一般定義をしていること,および,信頼性かつ新規性が定義の構成要素であることについて,注釈伝統は一致している. 8.有難いことに,私が関わっているのは,後者の勤勉でないほうの任務である. 9.したがって「vaa論争」には立ち入らない. ********************** 以上がダン博士のコメントです. しかし,「かつ」を意味して「あるいは」を使う人などいるのでしょうか? ここの「あるいは」は,実は「あるいは」ではなく「かつ」である──と注釈する後代の注釈家達を,そのままに信頼していいのでしょうか. このような注釈家達は,ダルマキールティの真意を伝えているのでしょうか? あるいは,ダルマキールティが「かつ」を意図しているのか「あるいは」を意図しているのかは,永遠の闇に閉ざされているのでしょうか?(目の前に現に「あるいは」を用いているにもかかわらず!) しかし,たとえ困難であっても,ダルマキールティ自身の考えを明らかにしようとするならば,我々は,「あるいは」と記すテクストそのものから出発しなければなりません. テクストが何を語っているのか,素直に耳を傾けること,それを抜きにして,注釈をいくらひっくり返しても,結局,どこにも到達しないでしょう. それは,ダルマキールティ研究ではなく,ダルマキールティ注釈研究と呼ぶべきものです. 注釈を通してのみ,ダルマキールティを眺めるならば,歴史のないのっぺりとした思想しか見えてこないでしょう. そして,それは,注釈家達の思想についても,結局,その真意や位置づけを曇らせてしまいます. 不可能に見えるから,困難だから,それについては端から諦める,というのは極端な戦略です.(Cf. ロバート・フォグリン著『理性はどうしたって綱渡りです』春秋社) また,このような戦略の抱える理論上の問題については,既に明らかにしました. http://blogs.dion.ne.jp/sanskrit/archives/3927227.html できるところまで,登れる所まで,頑張ればいいではないのでしょうか. はじめから完璧を目指す必要はないのです.
*Dunne [2004:309-310, n.168]: Franco (1991 and 1997) has argued that Dharmakirti does not give a general definition of an instrument of knowledge (pramana) anywhere in his works. This interpretation is largely based upon the argument that the particle vaa in PV2.5 can only properly be construed as a disjunction. Franco's work, which seeks a historical reading that at points must resist the commentaries, has elicited considerable comment (see for example, the exchange between Franco and Oetke in Katsura 1999). Beyond Franco's insightful suggestions concerning the relation of Dharmakirti's work to the wider philosophical context of his time, one salient outcome of this ``vaa controversy'' may be the finding that, if we do not resort to commentarial interpretations, our conclusions on the matter are necessarily underdetermined by the available evidence, namely, Dharmakirti's laconic statements. This is not a problem in itself, but it is one that must be tolerated when we assay the difficult exploration of Dharmakirti's immediate historical context in isolation from the commentarial tradition. When, however, we seek to situate Dharmakirti within the commentarial tradition that follows him, our task is less difficult. Indeed, we find unanimity on the notion that Dharmakirti does provide a general definition of pramana and also that both trustworthiness and novelty are components of that definition (the only question being the issue of whether both must be explicitly stated). Since I am thankfully concerned with this latter, less assiduous task, I have forgone any extensive discussion of the ``vaa controversy.'' John D. Dunne. Foundations of Dharmakirti's Philosophy. Boston: Wisdom Publications, 2004. (Kataoka: by the way, on p. 255, n. 49: ``For more on the dispute concerning this bipartite definition, see n.170'', should ``n.170'' be corrected as ``n.168''? あるいはこの場合も,作者の真意を探ることは不可能なのでしょうか?)
  1. 2007/02/17(土) 09:14:19|
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ハレービド(Halebid)の寺院

九州インド哲学のPHOTOギャラリーに,ハレービドの寺院写真をアップ.
http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~kkataoka/Halebid/slides/Halebid%20038.jpg
  1. 2007/02/15(木) 19:46:12|
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ベルール(Belur)の寺院

九州インド哲学のPHOTOギャラリーに,ベルールの寺院写真をアップ.
http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~kkataoka/Belur/slides/Belur%20032.jpg
  1. 2007/02/15(木) 19:41:54|
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論文リポジトリ検索

九州大学文学部の紀要論文も,ぼちぼちと,リポジトリに収められているようです. 学芸大学の紀要も(こちらもぼちぼちと,のようです). 検索は,各大学のリポジトリに行かずとも,一段上からできるので便利.(しかし東洋文化研究所の紀要は,引っかかりませんが.) 大学からの情報発信支援 大学Webサイト資源検索 JuNii 大学情報メタデータ・ポータル試験提供版 http://ju.nii.ac.jp/ 東洋文化研究所紀要は,東京大学のリポジトリに収まっています. http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/
  1. 2007/02/14(水) 20:07:35|
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九大印哲出身の女流映像作家


映画日和090.jpg http://blogs.yahoo.co.jp/nekojarashi_pictures グループ展「映画日和」 在福岡・佐賀の映像作家による短編映画・ビデオアートの上映会です。 ドラマ、ビデオアートなど様々なジャンルの映画・映像を居心地の良い空間で上映します。 色とりどりの作品を見て、泣けて笑えて呑んで食べていってください。 上映後、懇親パーティー有り。 ******************************** 日時 3月17日(土) 18:00~20:00  3月18日(日) 14:00~16:00            18:00~20:00   料金 500円(ワンドリンク含) 会場 IAF SHOP* 福岡県福岡市中央区薬院3-7-19 2階(1F 焼肉三馬力)    席数に限りがございますので、日時指定のうえ予約されることをおすすめいたします。 参加予定作家 1早坂桜  九州大学映画研究部4年 2大部剛  九州大学映画研究部4年 3中国正一   4小倉ユミ (無倣舎・空間再正事業劇団giga) 5五味信之 (無倣舎・空間再正事業劇団giga) 6本村健   7井山桂子 
  1. 2007/02/10(土) 23:24:00|
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アルチャタのダルマキールティ称讃

後8世紀カシミールの仏教論理学者アルチャタ(Arcata=Dharmakaradatta: 710--770 AD, dated according to Funayama 1995)は,ダルマキールティの『因一滴』への注釈冒頭において,ダルマキールティの著作を称讃しています. 『因一滴注』Hetubindutika 1.10--11 varaM hi dhArmmakIrttiSu carvviteSv api carvvaNam/ niSpIDitApi mRdvIkA nanu svAduM jahAti kim// ましだからだ!(varaM hi)  ダルマキールティのものについては (dhArmmakIrttiSu)  たとえ(くちゃくちゃ噛んで)味わわれた後でも (carvviteSv api)  (くちゃくちゃ噛んで)味わうのは (carvvaNam) 圧搾されたからといって (niSpIDitA^api) (赤)葡萄が (mRdvIkA) いったい (nanu) 甘さを (svAduM)  捨てる (jahAti)  というのか (kim) 気持ちは分かりますが,語源を考えると,あまり綺麗なイメージではありません.(ただしアランカーラでは,情感を「味わう」というのにcarvaNaを用います.なおcarvitacarvaNaは「噛んだものを噛む」chewing the chewedというわけで,無駄な繰り返しのことです.) 先行するダルマキールティの注釈家達が,葡萄の房であるダルマキールティの著作群をくちゃくちゃ噛んだあとで,さらに,アルチャタがくちゃくちゃ噛みなおして,甘い汁を抽出して注釈するのですから. 『因一滴注』を読む我々はどうなるのでしょうか? 「くちゃくちゃ噛まれた葡萄を更にくちゃくちゃ噛んだ後に,さらにくちゃくちゃ噛む者」となる復注釈者ドゥルヴェーカミシュラ(Durveka Misra)によると「モノに喩える修辞法」prativastUpamAlaGkAraだそうです. なお『アマラの辞典』によれば,mRdvIkAはgostanIとも言うそうです. ちなみに,ヴァスバンドゥ(世親)によれば,「悪い田地」においても良い種子からは良い結果が生まれる(真諦:惡田有好菓。菓種不倒故;玄奘:惡田有愛果種果無倒故),つまり,盗人に布施をしても結果はいい,という文脈で,葡萄が登場します. Abhidharmakosabhasya ad 4.121cd: kukSetre 'pi phalasya bIjAd aviparyayo dRSTo mRdvIkAbIjAn mRdvIkAphalam evotpadyate madhuraM 「悪い田地でも,果実は種子と逆ではないのが見られる.葡萄の種子からは,葡萄の果実のみが,生じる,甘いのが.」 真諦:於惡田見果。從種子無倒。謂從蒲桃種子。唯蒲桃子生。其味甘美。 玄奘:現見田中種果無倒。從末度迦種末度迦果生。其味極美。 真諦はmRdvIkAに蒲桃子をあてていますが,玄奘は末度迦としています.玄奘も蒲桃という訳語を用いていますが,それはdrAkSAphalaの訳語に当てています(AKBh ad 1.44ab).真諦はdRkSAにも蒲桃子を当てています. 『アマラの辞典』ではmRdvIkAの同義語にdrAkSAも挙がっています. 玄奘は,葡萄の種別にもこだわりがあったのかもしれません.(西域旅行中には,接待も含め,相当量食べたでしょうし.) *Funayama, Toru 1995:8世紀ナーランダー出身注釈家覚え書き.『日本仏教学会年報』60.
  1. 2007/02/10(土) 10:37:50|
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『南アジア古典学』原稿の規格その他

(規格)  執筆者が各自パソコンで完全原稿を作成して自分で印字したものをそのまま雑誌にしますので,以下の規格に準拠して下さいますようお願い致します。ファイルの作成にあたってWindowsの方はWordを,Macintoshの方はWordまたはNisus Writerを使うことをお勧めします。 ・体裁は,A4,横組みとする。 ・マージンは,天地が40ミリ,左右が37ミリ。 ・本文はフォントがMS明朝・標準で,10ポイント。行間を広げ,行数が1頁に33行(か34行)になるように設定する。1行は40字~45字。 ・英文の場合,本文のフォントはTimes New Roman体を勧めるが,梵語の特殊フォントの都合があるので自由。 ・論文タイトルはMS明朝・太字,12ポイント。行の中央に置く。 ・氏名はMS明朝・太字,11ポイント。姓と名の間は全角スペース1字分空ける。氏名は行の中央ではなく,右端に近い位置に置く。氏名の前に所属大学名を簡潔に記すことも出来る。大学名はMS明朝・標準,10ポイントにし,字間を十分に空ける。 ・頁数の打ちだしはなし。代わりに原稿の下隅か裏側に鉛筆でうすく頁を記す。 ・注は,脚注でも末注でもどちらでも可。10か9ポイント。 ・論文の最末尾に,下例のごとく,<キーワード>を数語記す。その次行に,現在の所属・身分をカッコでくくって記し,行の右端の位置に置く。MS明弓軋10ポイント。    例: <キーワード> ○○,△△,□□                  (○○大学大学院修了,文博) (寄付金)  団体あるいは個人で,本誌の財政的支援のため寄付を申し出られる場合は,ありがたくお受け致します。その寄付金は執筆者全員の負担金の軽減と出版費用の累積赤字の解消に使わせていただきます。また寄付多額の場合は,感謝を込めて毎年本誌を寄贈させていただきます。 (定期購読の登録)  本誌を定期購読したい場合には,九州大学インド哲学史教員(岡野潔)のメール・アドレス宛に,雑誌郵送先の住所をお教えください。  雑誌は毎年決まった時期に一斉に発送いたします。その時期にバックナンバーの発送もいたします。発行者の雑務の負担を減らすため,その時期以外の発送は行いません。購読料(雑誌の価格と送料)は雑誌が届いてから郵便振替でお支払いください。雑誌の価格は2千円を予定していますが,年により大きく変動することがあります。 郵便振替:口座番号 01740-6-21652 加入者名:九州大学文学部インド哲学史研究室
  1. 2007/02/07(水) 12:00:33|
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東文研セミナーのご案内(3月12日):インド学研究と写本

東文研セミナーのご案内(3月12日) インド学研究と写本 日時 2007年3月12日(月)午後2時から午後5時 場所 東洋文化研究所会議室(東大本郷構内 工学部8号館7階) 発表者と題目   矢野道雄(京都産業大学教授)     「インディラ・ガンジー国立芸術センターについて」   片岡啓(九州大学助教授)     「サンスクリット写本研究の概観」 発表要旨 矢野道雄「インディラ・ガンジー国立芸術センターについて」 私は1996年と1997年に学術顧問としてインディラ・ガンジー国立芸術センターで仕事を する機会を与えられた。その後も機会あるたびに同センターを訪問し、発展・変化していく様子を見てきた。初期は各地の図書館のサンスクリット写本をマイクロフィルム化し、そのデータベースを作成することが中心であったが、その後写本のデジタル化を進め、2003年からは、付設されたプロジェクトNationalMission forManuscriptsと共同作業を行っている。今後はさらに活動領域を広げようとしているので、日本の研究者との連携の可能性について考えてみたい。 片岡啓「サンスクリット写本研究の概観」 1、インド内外のサンスクリット写本所蔵機関概観:重要なコレクションを所蔵する研究機関についての概況報告。インド全国に散らばる大学図書館など、および、イギリスの サンスクリット写本コレク ションについて、可能な限りスライドを交えながら紹介します。 2、NGMPP (Nepal-German Manuscript Preservation Project)およびNGMCP (Nepalese-German Manuscript Cataloguing Project)についてネパールとドイツとの30年以上に渡る、サンスクリット写本のマイクロ化の大規模なプロジェクトについての概況報告です。 3、サンスクリット写本に関わる最近の研究動向、プロジェクトなど現在、世界各地で行われているサンスクリット写本プロジェクトについて、特に最近の動向、これから重要となるであろうような可能性をもつものについて報告します。サンスクリット写本に深く関わる邦人研究者についても含める予定です。 4、その他、サンスクリット写本のカタログ出版状況など:マドラス大学から継続出版された『カタログのカタログ』(Catalogus Catalogorum)をはじめ、インド各地で出版されたサンスクリット写本のカタログについて、その出版状況や現状、問題点など。 連絡先:東京大学東洋文化研究所      永ノ尾信悟
  1. 2007/02/06(火) 21:45:30|
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『伊原照蓮博士古稀記念論文集』の注文先

問い合わせがありましたので再度確認しておきます. 『伊原照蓮博士古稀記念論文集』 発行年月日:1991-08-31 編著者:戸崎宏正 発行者:伊原照蓮博士古稀記念会 頒価:20,000円(書店別途割引) 連絡先:九州大学文学部インド哲学史研究室 (九州大学代表電話番号:092-642-2111) または岡野片岡までメールでご連絡ください.

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目次 伊原照蓮博士近影 序… … 戸崎宏正 伊原照蓮博士略歴 伊原照蓮博士主要著作目録 アマラーヴアティーの仏教部派… 塚本啓祥 ジャナカ王と比丘尼スラバーの対話ーマハーバーラタ第十二篇三百二○章 … 中村了昭 月兎説再考… … 石上善應 ミーマーンサー経にみられる言語論ー能詮と所詮の関係をめぐってー… … 北篠賢三 ヴァイシェーシカ派とニヤーヤ派における無分別の直接知覚… … 村上真完 パキス夕ンの密教遺跡・遺品の調査報告… … 松長有慶 平安仏教成立史序説ー最澄の軌跡と大安寺勤操ー… … 高木■元 神供作法についてー訓下『神供作法伝授要意』 元瑜… … 布施浄慧 『理趣経』 と五秘密… 福田亮成 顕密対弁の諸相……遠藤祐純 インド現存の財宝尊系男女尊像……頼富本宏 護摩の火の占察……中山照玲 対面と空-大乗仏教の基本的構造をめぐる比較思想論的一考察-……河波昌 編集後記 (横組論文) 梵文『聖般若波羅蜜多宝徳蔵偈』(7~10章)の研究…真野龍海 八母天供養儀軌の一資料(Astamatrikapujavidhi)…………宮坂宥勝 不浄とみなされた釈尊-『ヴァサラ・スッタ(Vasala-Sutta-)』をめぐって-松濤誠達 Ratnakarasanti, 『Suddhamati』第II章(1)磯田照文 Prajnaparamita-hrdaya-sadhanaとPrajnaparamita-sadhana………越智淳仁 Tarkarahasya研究(Ⅲ)……矢板秀臣 ツォンカバの『入中論』註釈における二諦をめぐる議論II.勝義諦をめぐる議論……吉水千鶴子 法華経『陀羅尼品』の梵本について………戸田宏文 廻施と呪願(Daksina)……外薗幸一 瑜伽行派の仏道大系の基軸をめぐつて(2)……阿理生 Vinayasutravrtti of Gunaprabha--- Parajikam (2) ……Masanori Nakagawa ダルマキールティの聖典観-『プラマーナ・ヴァールティカ』第一章および自註の和訳(6)-…大前太 ラーマーヌジャ派における最高神の概念-Yatindramatadipika第9章解読-松本照敬 インドとギリシャーその思想的接点-………高原信一 JS1.1.4の意趣と各語の意味-クマーリラ著『シュローカヴァールティカ』第4章(知覚スートラ)の和訳(1)……戸崎宏正 クマーリラの語意(Sabdartha)論-Lokaveda Adhikarana読解-…………針貝邦生 ウッディヨータカラの思想-NV研究(2)apurvaをめぐつて-…………赤松明彦 VP.I.1-4:言葉とその淵源………清水新一 インド古典修辞学における兼用法(Dipaka)の歩み……波多江輝子 ジャイナ教知覚論における到達作用説-アカランカ作TAV ad TAS 1, 18-19………山口英一 ヴィヴァラナ作者とマンダナミシュラ― Isvara をめぐる議論 (Patanjalayogasastravivarana ad YS 1.23-27とVidhiviveka I. kk. 19-24)… … 張本研吾
  1. 2007/02/05(月) 18:13:44|
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