Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

第19回(2008年)西日本インド学仏教学会学術大会の予定

第19回(2008年)西日本インド学仏教学会学術大会の日程と場所(仮) 日程:2008年8月2日(土)13:00~ 会場:九州大学箱崎キャンパス国際ホール 懇親会は,送迎バスにてホテル会場へ移動の予定. 最寄りの交通機関  JR博多駅→地下鉄中洲川端乗換(貝塚行)→箱崎九大前又は貝塚下車  福岡空港→地下鉄中洲川端乗換(貝塚行)→箱崎九大前又は貝塚下車  西鉄バス--天神14番のりば 1,59,61,161の「九大前」行き、「月見町」行き→九大前下車  西鉄バス--博多駅Eのりば 9「九大前」行き→九大前下車  西鉄バス--天神郵便局前のりば 21,22,23,24,25,26,27番→九大北門下車  西鉄バス--博多駅1のりば 29番→九大北門下車  タクシーご利用の場合,空港・駅いずれからも1500~2000円程度 キャンパスマップ http://www.kyushu-u.ac.jp/access/map/hakozaki/hakozaki.html (地図の72番が国際ホール.中門そばの55番,韓国研究センターの隣です.) 分かりやすいマップ(他の学会・研究室作成のものですが) http://www.nams.kyushu-u.ac.jp/common/production/sympo_map.pdf http://wwwsoc.nii.ac.jp/jahs2/pdf-files/kyuushuu-univ.pdf
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  1. 2008/01/31(木) 19:22:15|
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東洋文化研究所紀要 第152冊

今年は,予想より早めに,2007年12月に出版されました. インド・チベット関連の論文は以下.(肩書きは雑誌末尾の執筆者紹介より) 西沢史仁(日本学術振興会特別研究員): サキャパンディタの認識手段論 鈴木隆泰(山口県立大学国際文化学部国際文化学科教授): 如来の出現と衆生利益を巡る思想史 八尾 史(日本学術振興会特別研究員): 根本説一切有部律に引用されるMahaadevasuutra 田中公明((財)東方研究会研究員): 『金剛場荘厳タントラ』の成立とインド密教史上における位置 佐藤斉華(帝京大学文学部社会学科講師): 「私は行かないといった」──ネパール・ヨルモ女性の結婚をめぐる語りにみる主体性── Kei Kataoka(九州大学大学院准教授): A Critical Edition of Sabarabhasya ad 1.1.6-23: Sabdanityatvadhikarana Kensaku Okawa(東京大学東洋文化研究所助教)
  1. 2008/01/31(木) 18:40:58|
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Madhyamakahrdayakarika 9.32

中観派の清弁(Bhaaviveka, Bhavya, Bhaavaviveka: 後490-570頃)は,バラモン教学の理論的支柱を為す聖典解釈学(ミーマーンサー)の学説を批判する中で次のように述べています. MHK 9.32 (Kawawsaki 1992:416.6-7; Lindtner 2001a:95.15-16) viSopayuktivad dhiMsA yadi mantraparigrahAt/ nAbhISTAniSTaphaladA ZAstrokter vApi dAnavat// 川崎[1992:380]訳:「もしも「[ヴェーダ聖典において説かれている]殺生は,望ましくない結果を与えるものであるとは主張されるべきではない.マントラによって咒縛されているが故に.毒を食しても[病気の治療に役立つが]ごとし.あるいはまた,論典にのべられているが故に[望ましい結果を与えるものである.]たとえば[六波羅蜜の中の]布施のごとし.」といわれるならば……」 Lindtner [2001b:17]: ``Perhaps you maintain that violence (hiMsA) does not give an undesirable result, either because one is protected by a mantra, as in the case of consuming poison, or it is prescribed in the holy texts, just as generosity is?'' viSopayuktiは,毒の効用・有益な使用でしょうから,毒を飲むと毒になるどころか,逆に,役だつという場合を想定しているようです.マントラという呪文をかけることで毒が薬になる場合でしょう. 犠牲獣祭のような供犠内殺生も,一見毒のように望ましくない結果をもたらすように思いますが,マントラという呪文をかけることで,むしろ,良い結果をもたらすという論法です. 毒: 呪文をかける→不利益をもたらさない 犠牲獣祭:呪文をかける→不利益をもたらさない 「マントラによって完全に掴む」mantraparigrahaというのは,この場合,「マントラを掴む」mantrasya parigrahaH(→マントラを用いている)ではなくして,「マントラによって掴む」mantreNa parigrahaHで,結果的には「マントラによって(対象を)コントロールする」などという意味でしょう.「マントラによって『完全に掴まれた』毒を食べても苦しまないように」(viSam iva mantraparigīhītaM bhuñjāno na saMkliśyate)というのがBhaavanaakramaにあります. 毒を無毒化し,むしろ,薬に変えるというように,マントラによって毒を「完全に掴む」「征圧する」「支配する」という感じではないでしょうか. 川崎[1992]の「咒縛」という訳が,そのようなニュアンスなのかどうか? 日本語でラフに訳すと「呪文をかける」という意味でしょう.mantraparigRhIta=abhimantritaと考えると分かりやすいかもしれません. Lindtnerのis protected by mantraは,原語の「完全に掴む」というニュアンスからは遠いですが,意訳の一種でしょう.しかし,この場合,行為対象である毒等ではなく,行為主体である毒の服用者のほうが「完全に掴まれている」「守られている」ことになります.これは,Bhaavanaakramaなどの用例からすると,ずれてしまいます.「完全に掴まれている」のは対象のほうです.また,論理的にも,「マントラによって完全に掴まれている」という属性は,喩例である毒や,主題である殺生の上になければなりません.ここに登場しない行為主体kartRを想定するのは少し無理があるようです. また,ここでの「布施」dAnaは,ミーマーンサー側の主張であり,しかも,「聖典に説かれている」という理由を満たしたものでなければなりません.すなわち, 布施:聖典に説かれている→不利益をもたらさない 供犠内殺生:聖典に説かれている→不利益をもたらさない という関係にあります.川崎[1992]の「六波羅蜜」という限定は,明らかにあてはまりません.バラモンへの施しとしてヴェーダに規定される布施を念頭に置いたものでしょう. またLindtner[2001b]は,``na...aniSTaphaladA'' abhISTAというような感じで訳していますが,``aniSTaphaladA'' na abhISTAと素直に訳せばいいのではないでしょうか.また川崎[1992]の「主張されるべきではない」の「べき」というのは原語のabhISTAにはないですから,不要か,あるいは,括弧に入れた補足とすべきでしょう. 【ミーマーンサー】 【主張】[供犠内]殺生は,望ましくない結果を与えるものとは認められない. 【理由】マントラによってコントロールされているから. 【喩例】[マントラの呪文をかけられた]毒が役だつように. あるいまた, 【理由】聖典に説かれているから. 【喩例】[ヴェーダ聖典に説かれる]布施のように. というならば....
  1. 2008/01/30(水) 18:48:00|
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Tantravarttika articles by Prof. Kunio Harikai

Important article editions and Japanese translations (Harikai 2002, 2003, 2004) of Kumarila's Tantravarttika by Prof. Kunio Harikai were published in the journal series called ``Nishinihon Shukyogaku Zasshi'', which are not easily available. I upload the articles in PDF format for convenience together with a revised version of Harikai 2002. Harikai 2002: ``Baramon Kyogaku no Konkyo toshiteno Sei to Zoku---Tantravarttika Seidensho Wayaku Kenkyu (2)---'' Nishinihon Shukyogaku Zasshi 24, 2002. http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~kkataoka/Harikai/Harikai2002.pdf Harikai 2003: ``Tenkei Kitei Yusen Gensoku (1)---Tantravarttika Seidensho Wayaku Kenkyu (3)---'' Nishinihon Shukyogaku Zasshi 25, 2003. http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~kkataoka/Harikai/Harikai2003.pdf Harikai 2004: ``Tenkei Kitei Yusen Gensoku (2)---Tantravarttika Seidensho Wayaku Kenkyu (4)---'' Nishinihon Shukyogaku Zasshi 26, 2004. http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~kkataoka/Harikai/Harikai2004.pdf The following is a revised version of Harikai 1974, originally published in Tetsugaku Nenpo (Faculty of Letters, Kyushu University) No. 33, 1974. ``Tantravarttika Seidensho Wayaku Kenkyu. Rondai 1: Seiden to Kanshuho Ippan no Shokensei (1).'' http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~kkataoka/Harikai/Harikai1974rev.pdf The following is a revised version of Harikai 2002 cited above. http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~kkataoka/Harikai/Harikai2002rev.pdf *I upload these items with the author's permission.
  1. 2008/01/28(月) 19:06:06|
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福岡市警固のネパール料理屋マイティガルにて九大印哲同窓会開催

マイティガル 078.jpg
2008年1月12日(土),警固のネパール料理屋マイティガルにて,九大印哲同窓会・新年会が開かれました. 助教(=旧「助手」)の原田氏の司会進行のもと,エベレストビールにて乾杯. 乾杯の音頭は,昭和26年卒業の大先輩,大野先生.
「来世の地獄を語らなくなった現代では,むしろ,現世が地獄になってしまった」と.
さらに干潟先生の思い出から,(今回は都合がつかずご欠席の)戸崎先生の暴露(?)話まで,普段は聞けない話を賜りました.(九大印哲主任教授は,干潟龍祥→松濤誠廉→伊原照蓮→戸崎宏正→赤松明彦→岡野潔と,現在6代目です.) 同じく大先輩の高原先生からは,ビタミンKに始まりマイティガルのクマールさんの注ぐ「旨い一番搾りの生の賞賛」まで,軽妙な挨拶をいただきました. 料理はビールのつまみのパパド(ぱりぱり煎餅)から,スパイシーエッグ,モモ,セクワ(チキンティッカ),干し肉,サラダ,カレー5種,それに,マンゴーの漬物,デザート,チャイと,満腹中枢とスパイス交感神経を刺激しまくりの満足コースでした. 続いて1月10日(木)に卒論を無事提出した今年度卒業予定者2名の卒論報告. 両名とも,無事に就職も内定. 4月からは銀行員,公務員となる予定です. アコースティックギターの生演奏もはさみ,6時から気が付けば10時過ぎまで. 「病気と宗教」という勝義レベルの話題の隣で,「時給いくら?」といった世俗諦まで飛び交う賑やかな会となりました. 二次会はマイティガルから通り一つ向こうのワイン&焼き鳥のイルフェソアフにて. 隠れた通りにあるにもかかわらず,いつもながら(10時も回ったというのに)店は大繁盛. 贅沢にも12本(12種)オープンのグラスワイン各種を(相当)堪能.
  1. 2008/01/13(日) 08:03:23|
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ネパール,カトマンドゥ,パタン

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