Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

Nagesvarasvami Temple, Kumbhakonam

Nagesvaram5
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  1. 2010/05/30(日) 18:21:10|
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仏教「学」に必要な視点



日本の仏教学の厚みには驚くべきものがあります.

しかし,仏教学者はもちろん多くが仏教徒,そして,僧侶です.

サンスクリット原典へのアクセスが可能となった明治以降も,研究の焦点は仏教論書にありました.

仏教徒のメンタリティーからは,外道の論書を読むことは,心理的に最初からシャットアウトされています.

読誦に功徳がないのだから当然です.

(そういえば明治時代も,仏教徒が敵対説の耶蘇教を学ぶべきかどうか議論がありました.)

仏教を批判するニヤーヤ論書が研究されるようになったのは最近のことです.

まして,ミーマーンサー学者のクマーリラの研究や,クマーリラに範を取るジャヤンタの研究となると,まだまだよちよち歩きです.

したがって,巷にあふれる仏教概説も,知らず知らず,仏教側から描かれることになります.

客観的な学問を標榜しているとはいえ,知らず知らずに,仏教擁護の側からのみ理論を描き出すことになるのは当然です.

しかし,理論をシャープに描き出すのは,身内の視線よりも他人の視線.

ファッションチェックと同じです.

身内の視点は甘くなるどころか,むしろ,最初から擁護にかかっています.

現代の研究者も,後代の註釈書などにべったりという態度では,うまく騙されること必定です.

歴史上存在する註釈書というのは,擁護精神の塊だからです.

ある説を正当に,そして,3Dよろしく立体的に描き出すには,異なる二つの眼が必要です.

仏教を批判する側からの視座が重要となるのです.

よくありがちな誤解は,「外道は,批判しやすいように,仏教説をゆがめて再説しているのではないか」というものです.

これは当たりません.

討論のルールにおいて,まず,相手の説を忠実に再現することが求められています.

ジャヤンタの戯曲『宗教の空騒ぎ』でも,主人公のサンカルシャナは,仏教僧ダルモッタラに,自分の仏教理解が正しいかどうか,ちゃんと確認しながら議論を進めています.

正当に再現したうえで,自由に批判するのです.

再現の部分は正しいのです.

これにたいして弟子筋の註釈者は,「自分の師匠が仰っているのは,実は,そうではないのだ」というように,伝統を自分に都合よく変えていきます.

つまり,昔の説をゆがめるのは,敵ではなく味方の弟子筋のほうなのです.

敵側の再説という鏡に映し出された自説を学ぶことの重要点は,ここにあります.

仏教認識論を理解する上で,クマーリラやジャヤンタといった澄んだ鏡が必要となるわけです.

仏教学が仏教「学」であるために必要なことについて,いま一度,考え直す必要があるでしょう.
  1. 2010/05/30(日) 11:42:26|
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唯識批判と解脱

ジャヤンタの唯識批判については,Kataoka 2003fの校訂本,および,片岡2006aの和訳があります.(ダウンロードはこちら

唯識批判といっても,ここでの焦点は,いわゆる形象論にあります.

つまり,目の前にはっきりと見えている形象(青い色や牛の姿)が,いったい,外界対象に属しているのか,あるいは,内なる認識に属しているのか,という問題です.

バラモン正統派のニヤーヤやミーマーンサーは外界実在論に立ちます.

外界対象が形象をもちます.

そして,認識は,そのまま対象を把握します.

認識自体が質的に変化するわけではありません.

対象の姿をそのまま映し出すだけです.

認識が対象の形象を持つのではなく,あくまでも,外界所属の形象を「見る」だけです.

これにたいして,仏教(経量部や唯識)では,我々が見ているのは,認識それ自体のうちにある形象だといいます.

我々は決して外界を直接に見ることはないのです.

我々が見ている牛の姿は,実は,認識のうちに焼きついたイメージ,形象にすぎないのです.

経量部は,外界の形象と内的形象が「似ている」と考えて,外界対象の実在性を疑いません.

しかし,直接に認識できない外界を認める必要はありません.

それどころか,原子論などに明らかなように,外界対象というのは,あきらかに不合理です.

このように主張して唯識は,経量部説から一歩進めて,外界対象を否定し,全てを認識の中だけで終わる話とします.

認識内の劇場で全てが完結します.

刹那滅で静的な認識は,客体の側面も,主体の側面も,同時に取るのです.

結局,認識は,自分で自分を認識する「自己認識」に終わるということになります.

外に向かって働くことがないのです.

「対象の姿を捉える」などというのは,比喩的な表現にすぎません.

「捉える」という動態は,実は,認識にはないのです.

そこにあるのは,内的形象を抱えた認識が輝くだけの,自己認識の世界です.

さて,ニヤーヤ学派のジャヤンタが展開する唯識批判.

ジャヤンタの著作は,もちろん,ニヤーヤスートラへの註釈です.

というわけで,唯識批判といえども,註釈のいずこかに属することになります.

ジャヤンタは,NS 1.1.22の解脱スートラで唯識批判を展開しています.

しかし,解脱と唯識批判と,何の関係があるのでしょうか?

解脱については,様々な意見がありますが,大雑把には「苦しみが滅した状態」のことを指します.

苦しみをなくす方法としては,行為(儀式・苦行)もありますが,ウパニシャッドに明らかなように,知識,知恵というのが,インド哲学の主流な考え方です.

知識によって救われるというのです.

しかし,何の知識でしょうか?

何を知れば苦しみがなくなるのでしょうか?

これについても,もちろん,諸説紛々.

ニヤーヤ学派のジャヤンタは,アートマンについてよく知ることだ,と考えます.

ここでいうアートマンとは,我々一人一人がもっている個我のこと.

つまり,霊魂であり永遠不滅である個我・アートマンについて正しく知れば,苦しみがなくなるというのです.

「己をよく知れ」ということです.

この「己」は,多元論に立つニヤーヤ学派では,もちろん,一つではなく多数です.

生き物の数だけアートマンがあります.

しかし,ウパニシャッドよろしく,インドには,一元論の考え方もたくさんあります.

「不二論」(アドヴァイタ)が,その代表です.

有・知・喜を本質とする梵・ブラフマン(=アートマン)という一元に全ては還元されます.

一元であるブラフマンを知れば救われる,究極的に幸せになれる,というのがアドヴァイタ神学の考え方です.

「ブラフマン一元論」です.

実におめでたいことです.

一を知って十を知るどころか,全てを知ることができるのです.

ウパニシャッドの時代に見るように,人間だれでも楽したがりです.

「お手軽に解脱」のファストフード店かコンビニです.

いっぽう,文法学者・言語哲学者のバルトリハリは,一元を「言葉ブラフマン」だと考えます.

「言葉一元論」です.

言葉を本質とするブラフマンが世界として展現していると考えるのです.

実は,唯識も,一元論という点では同じ見方を取るといえます.

つまり,我々が見ているこの世界は,認識,心が作りだしたものに他なりません.

したがって,唯識の考え方は「認識一元論」といえます.

ジャヤンタが,一元論批判の文脈で唯識批判・形象論を展開するのには,こういう背景があるのです.

彼の締めくくりの言葉はいかしています.

sa eṣa buddhiśūnyānāṃ śūnyavādaparigrahaḥ/
pratāraṇaparāṇāṃ vā na tu tattvārthadarśinām//
tasmāt parīkṣyamāṇo 'yaṃ śabdādyadvaitapakṣavat/
vijñānādvaitapakṣo 'pi gandharvanagarāyate//

(意訳)「(仏教徒ときたら)こんなふうに「空」の理論に執着しているが,そんなことをするのは,脳みそが「空」か,人を担ごうとしているかだからだろう.真理を見ているわけではない.だから,よくよく検討すると,言葉一元論などと同じく認識一元論も,蜃気楼の街みたいな[錯誤]だ.」

ちなみに,バラモン教学の側から「空の理論」といっているのは,ナーガールジュナの中観派の「自性空」の「空」ではなくして,「認識は対象を欠いている」という意味での「空」,つまり,ヨーガーチャーラの唯識にいう「空」のことです.

「認識が対象を欠いているという空の理論(唯識説)みたいな馬鹿な説を唱えるのは,頭(認識)が空っぽの人だ」

「認識が(対象について)空っぽといってるけど,空っぽなのはお前の頭(認識)のほうだ」

というわけです.

あるいは,頭が空っぽでなければ,金儲けのためだろう,というのがジャヤンタの批判です.

頭がいいのは認めるとしても,ゴージャスな僧院に住みながら「熟した果汁」(酒)と「浄肉」をエンジョイするエロ坊主という当時のインドのステロタイプな仏教徒像からすると,ジャヤンタの本音は後者でしょう.
  1. 2010/05/30(日) 10:54:57|
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Ito Festival, Ito Campus, Kyushu University

ItoFes1
Ito Festival, May 2010, at Ito Campus (also called Moto-oka Campus), Kyushu University, which stands on the ancient mounded tombs
ItoFes2
Sunny, but not hot, because it is very windy as is always the case of this hilly campus
ItoFes3
The festival is a collaboration between university students and local groups (such as a local brewery, agricultural cooperative, shops, restaurants and cafes)
ItoFes4
The university farm sells strawberry juice and vegetable doughnuts that are very tasty; JA Itoshima sells varieties of vegetables
ItoFes6
Strange combination of different styled buildings and a stone garden
ItoFes5
Local beer of Suginoya brewery; the brewery also produces Rice wine called Kyushu Dai Ginjo (Kyushu University Quality Sake)
ItoFes7
Local Indian (Nepali) restaurant Sapuna offers tandoori chicken, samosas and curry.
ItoFes8
An acoustic guitar circle "Unplugged" collects approximately 4,800 rupees for charity; donated to Miyazaki prefecture currently troubled by foot-and-mouth disease
  1. 2010/05/29(土) 21:57:41|
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Charley's Charity Concert: Solo Acoustic Guitar

Foot-and-mouth Disease Charity Solo Concerty by Charley in Fukuoka

Date: 2010 Jul 8 (Thu)

Place: Voodoo Lounge (Oyafuko Street)

Open: 19:30

Start: 20:00

Fare: 2500yen (2 drinks included)

http://blog.livedoor.jp/takeshi_sakasegawa/archives/1181387.html
  1. 2010/05/27(木) 22:50:13|
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ラーマの肌の色

インドの二大叙事詩といえば,『マハーバーラタ』(大いなるバラタ族)と『ラーマーヤナ』(ラーマ王子の行程)

策士のクリシュナ(Krishna: 青い・黒い)は,もちろん,名前が「クリシュナ」ですから青黒く描かれます

『マハーバーラタ』に組み込まれた説教「バガヴァッドギーター」を描いた絵も,当然,御者のクリシュナは青黒い方です

パワーポイントで絵を見せながら講義していると,『ラーマーヤナ』のラーマも青く描かれています

「ラーマはなぜ青いのですか」というのが,よくある質問です

たしかに,肝臓でも悪いのか,と日本人なら思ってしまいます

クリシュナが黒いのは文字通りだから分かるとして,ラーマは何か文献に根拠があるのでしょうか

と思って検索したら,すぐにありました

Ramayana II 2.33a: raamam indiivara"syaama.m(睡蓮の[ように]黒きラーマを)

睡蓮のインディーヴァラとは,Nymphaea stellataのことです

「睡蓮のように黒い」といいますが,日本人なら,睡蓮は,紫や青紫に見えます
  1. 2010/05/27(木) 18:26:14|
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雲のメッセンジャー?

『雲の使い』は,詩聖カーリダーサの傑作詩です.

カシュ・チット・カーン・ター・ヴィ・ラ・ハ・グ・ル・ナー(長長長長短短短短短長)で始まる「緩い歩み」の韻律で,雲がゆったりと流れゆく様まで思い浮かぶようです.

仕事の失敗で飛ばされたヤクシャは,地元に残した妻にメッセージを送ります.

しかし,メッセージを託す相手が雲,というわけです.

メッセージを託せる人は,ちゃんとした人でなければなりません.

雲といえば,物質から構成されるもので,そもそも生き物でありません.

「両者のなんたる違いか!」とカーリダーサ自身が突っ込みを入れています.

しかし,別離に心乱れた者は,頼むのに必死で相手が生き物か生き物でないか区別しません.

このように,カーリダーサは自分で突っ込んでおいて自分で答えを返しています.

「このようにして,間接的に詩人は,自らの過失を排除しているのである」とヴァッラバデーヴァは註釈しています.

「雲が使いなわけないだろう.この詩は間違いだ」という批判にたいしてカーリダーサ自身が,そのような批判が当たらないことを指摘し,過失のないことをもって答えているというわけです.

宮廷詩人も,ライバル詩人の批判をかわさねばならなかったのでしょう,大変です.
  1. 2010/05/23(日) 09:00:20|
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有と接触すると

「感覚器官が有と接触すると...」というのがミーマーンサーの知覚定義です.

仏教徒のディグナーガは,ニヤーヤ,ヴァイシェーシカ,サーンキヤと,なんでも批判していきますが,ミーマーンサーも当然の流れで批判.

彼の批判の焦点は,定義文中の不要な語を指摘することです.

定義文は,必要十分にして,最小限の言葉である必要があります.

そうでなければ無駄な語を述べたことになるので負け.

この場合は,知覚定義文中の「有」という語が不要です.

というわけで,ミーマーンサーの負け,となります.

議論の応酬は果てがありません.

揚げ足取りの応酬がどんどん続きます.

ディグナーガの批判にたいして,口の減らないミーマーンサー学者は,

「ディグナーガよ,お前の批判の文章にも不要な語があるのではないか」

とやり返します.(ジネーンドラブッディの註釈を参照)

ここまでくると滑稽ですらあります.
  1. 2010/05/23(日) 08:43:15|
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九大 文学部 新任教員 就任講義

平成22年度「文学部就任講義」

・日時:2010年5月19日(水)午後3時より
・場所:箱崎文系地区講義棟102番教室

       川平敏文准教授(国語学・国文学)
       「和学史上の林羅山—『野槌』論—」

       高野和良准教授(社会学・地域福祉社会学)
       「過疎高齢社会の地域福祉社会学」
  1. 2010/05/19(水) 22:57:01|
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Welcome Party

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  1. 2010/05/19(水) 22:08:52|
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日本南アジア学会九州支部 5月度定例研究会

「日本南アジア学会九州支部 5月度定例研究会」

日時:5月15日(土)13:30-17:00  

会場:九州産業大学 経済学部 会議室 (1号館9階 中会議室)
    福岡市東区松香台2-3-1    

発表:

片岡 啓 氏(九州大学 准教授)
 
    :「インド古典に見るアヒンサー思想の展開」

赤井 ひさ子 氏(東海大学福岡短期大学 准教授)

    :「初等教員養成事例研究の試み:インド・マハーラーシュトラ州オスマナバード県からの報告」




「南アジア学会九州支部」と銘打っていますが,実際には,この研究会の発足の方が南アジア学会より古いとのこと.

創始メンバーの弘中先生も久々に参加.

いつも通り,活発な質疑応答となりました.

まったく専門分野の異なるメンバーの集まりですから,思わぬ質問が来て非常に楽しめます.

インド古典の話に,インド経済の専門家が質問したりするのですから,視点が全く異なるのは当然.

貴重な機会です.

気兼ねなしに色々と違う専門分野に首を突っ込んで質問ができるというのは,小規模な研究会ならではです.

赤井さんの発表では,インドの小学校教員の給与が意外にちゃんとした額であるのには驚きました.

4月1日発効のThe Right of children to Free and Compulsory Education Actで盛り上がるインドの教育事情ですが,教育にかけるインドの現状について,その具体的な側面を知ることができました.

長崎の谷川先生も初参加.

そのうち,盛り上がる(or混迷する?)ネパール憲法について発表していただくことになりました.
  1. 2010/05/16(日) 00:59:16|
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received:

Kazuo Kano
Two Short Glosses on Yogacara Texts by Vairocanaraksita:
Vimsikatikavivrti and Dharmadharmatavibhagavivrti:
In: Francesco Sferra (ed.), Manuscripta Buddhica, Vol. I: Sanskrit Texts from Giuseppe Tucci's Collection, Part I.
Serie Orientale Roma.
Roma: IsIAO, 2008, p. 343-380.

A Preliminary Report on Newly Identified Text Fragments in Sarada Script from Zhwa lu Monastery in the Tucci Collection.
In: Francesco Sferra (ed.), Manuscripta Buddhica, Vol. I: Sanskrit Texts from Giuseppe Tucci's Collection, Part I.
Roma: IsIAO, 2008. pp. 381-400.

加納和雄
「ゲンドゥンチュンペー著『世界知識行・黄金の平原』第一章和訳――1930年代のチベットにおける梵文写本調査記録――(1)」,『密教文化研究所紀要』23,2010,63-103

「『理趣経』梵本の刊行によせて」,『高野山寺報』22.4.11.
  1. 2010/05/14(金) 19:01:51|
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received: 近代日本の仏教者

小川原正道編
近代日本の仏教者:アジア体験と思想の変容
慶應義塾大学出版会
3600円

著者の一人,国史の山口さんよりいただきました.
ありがとうございます.

いろいろと聞き知った人物が取り上げられています.

島地黙雷
小栗栖香頂(陳継東)
南条文雄
釈宗演(山口輝臣)
井上円了
河口慧海
高楠順次郎
などなど

陳さんも相変わらずの活躍ぶりです.

この手の本は,自分で書くとなると資料収集だけでも大変なので,こうして,各人物ごとに一定の視点からまとめてもらえると,非常に助かります.

読み手は楽です.


p. 319, l. 11
芸術化>芸術家

p. 382, l. 3
荒れたてた>荒れはてた

p. 384,l. 11
アジュラム>アシュラム
(p. 405, n. 16の「アジュラム」も同様)

  1. 2010/05/07(金) 18:58:34|
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Parade without meaning: Dontaku in Fukuoka

dontaku 096

Hakata Dontaku is a parade festival of Fukuoka city held during the holiday "Golden Week", 3rd-4th May.

Various goups just walk through the main street without meaning. (But some groups, e.g. army band, police band, fire station band, etc., are well organized.)

A perfect ritual.

I saw Yamaguchi san walking with his friends (as a member of the Indian party in the bigger group "International Dontaku party".)

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A pseudo Rikshaw-wala is Mitsui-san, a professional cameraman who travels with this rikshaw all through Japan. http://www.tabisora.com/

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In Fukuoka he stays at Yamaguchi san's.

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Kara-wan is a mascot character of the Karatsu castle, apparently modeled/plagiarized after the famous "Hiko-nyan" of the Hikone castle.

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In Kego park "Dontaku charity festival" is going on.

Sunny hot day.
  1. 2010/05/04(火) 13:47:56|
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invited by Yamaguchi-san

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  1. 2010/05/03(月) 09:00:16|
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nanja monja

nanjamonja3

in front of the canteen which is famous for a specialty called "Jiro style spaghetti".

The plant in full bloom is Nanja Monja.

To the left there is a food cart of Egyptian foods that offers Doner Kebab and Chicken Curry. (all halal)
  1. 2010/05/02(日) 23:45:48|
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Sapuna: the nearest Indian restaurant from Ito campus

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sapuna5

Hakozaki campus, where the faculty of letters is located, does not have any Indian restaurant nearby, whereas Ropponmatsu, now closed down, has a good one just next door.

Ito campus, the new campus for BA 1st year located 20km away from the center of Fukuoka city, has one. (But in fact it stands 4 km away from the campus.)

Sapuna, run by Nepalis, is very popular among local housewives who enjoy chatting with friends over lunch and chai for hours.
  1. 2010/05/02(日) 23:24:17|
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