Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

『ニヤーヤ・マンジャリー』途中の帰敬偈?

紀元後9世紀後半頃,西北インドのカシミールで活躍した学匠ジャヤンタ.

その主著が,『論理学経』への註釈である『論理の花房』(ニヤーヤ・マンジャリー)です.

その第五章冒頭に次のような詩節が置かれています.

prapannāya vipannānāṃ duḥkhitānāṃ sukhātmane/
saṃpūrṇāya dṛḍhāśānāṃ namaḥ kāraṇabandhave//



幸い,現代インドの優れたパンディット(伝統的なサンスクリット学者)であり,『論理の花房』の校訂者であるワラダ・アーチャーリヤが註釈してくれていますので,それに沿って解釈すると,次のようになるでしょう.

被災者達にとっての拠り所,苦しんでいる者達にとっての楽を本質とする者,[満たされておらず]強く欲する者にとっての満たされた者,[世界]原因であり親戚である[主宰神]に敬礼.



ワラダ・アーチャーリヤ校訂のマイソール版,その脚注にあるように,prapannāyaにはprasannāyaという異読が見られます.

prapannāya] ED.; prasannāya GHA

むしろ,その方が読みとしては良いでしょう.

すなわち,「災厄にあった者達にとって,落ち着いた・平和である者」という意味になります.

他が対比ですから,この詩節のオリジナルの意図はこちらでしょう.すなわち,

我々   主宰神
災厄   平和
苦    楽
欠    満

という対比になります.

しかし,なぜ第五章の冒頭に,このような帰敬偈を置く必要があるのでしょうか.

そう思ってマライヤラム写本をチェックすると,果たして,この詩節は存在しませんでした.

実際,この場所に帰敬偈を置く必然性は全くありません.

実は,3-6章は,「証言の考察」という一続きの節です.

したがって,第五章は,切れとしてはあまりいいところではありません.

もっと切れの良い第七章冒頭は,帰敬偈も何もなしに「以上のように……」という文句から,いきなり議論が始まっています.

つまり,ジャヤンタの習慣からしても,第五章冒頭に帰敬偈を置いたとは,およそ考えられないのです.

必然性がないだけでなく,異常ですらあるのです.

以上から,この詩節はジャヤンタのオリジナルではない,と判断されます.

書写した人が自分用に書いたものが,後に,本文として紛れ込んだのでしょう.

実際,この詩節を鑑賞してみると,あまりのチープさにあきれるばかりです.

我々と主宰神の単純な対比構造に終始しただけです.

とても,スタイリッシュで教養深く,味わいのある詩節を著わすジャヤンタが綴ったものとは思われません.

この一点だけからも,十分に,本文からは排除すべきです.




興味深いことに,人間は,一度頭に入ってしまった情報を,なかなか振りきることができません.

したがって,一度,出版されてしまうと,それを本当だと思ってしまいます.

つまり,Aという情報が与えられた時に,「Aかもしれないし,非Aかもしれない」というニュートラルな地平に戻って考えるようにはできていません.

「Aである(と私は信じる)」

という信念込みで一旦受け入れてしまうのです.

これは,クマーリラ言うところの自律的真の真理観と同じものです.

出版されたテクストを読むとき,当然,この詩節があることを前提にしてしまいます.

「この詩節はオリジナルかもしれないし,オリジナルでないかもしれない」

という次元から考えることはできなくなっているのです.

しかし,写本をチェックすることは,もう一度我々を,この次元にまで意識的に戻してくれます.

人間が持つ無意識の頭の働き,便利にはできているが必ずしも正しいとは言えない習性,そこに気づかせてくれるのが写本です.

写本をチェックすると,人間が嫌になるほど間違うのが分かります.

しかも,同じようなパターンでもって人間は間違います.

聖典解釈学ミーマーンサーが喝破したように,「人間が作ったものであれば間違いが入り込む」のです.

それは現代人も昔の人も,同じ人間である以上,変わりはありません.

ただ,校訂者は,そのような誤りの習性に自覚的であらねばなりません.




「いや,でも,この詩節はオリジナルなのだ」

と強弁する人がいるかもしれません.

それは,そのような心性が強く働いているからです.

マライヤラム写本を見るとき,この詩節は五分五分の確率となるのです.

そして,他を勘案するとき,オリジナルであった確率はぐっと下がります.

それが正常な判断です.

しかし,人間は,自説にしがみつき,旧来の場所を離れようとしません.

それが人間です.

自分が一度受け入れたものを容易に否定できるようにはできていません.

これが「強弁」です.




一度誤ったことを発表すると,なかなか引っ込みがつかないものです.

それどころか,その間違いを押し通すということが,まま見られます.

100年後には「馬鹿な間違い」として単なるお笑いでしょうが,その当時の当事者たちは真剣そのものです.

拙著『ミーマーンサー研究序説』(九大出版会)において,ミーマーンサーの研究史を追っています.

ガンガーナート・ジャーの強弁には,ひどいものがあります.

今から見れば全くのお笑いですが,しかし,強弁しようと思えば,ここまで強弁できるものなのです.

さらに,ジャーを応援する人たちまで出てきています.

冷静な判断というのは,熱狂の中にかき消されるものです.

ジャーは,政治的にも北インドのサンスクリット界のドンだったでしょうから,間違うわけにはいきません.

偉い人が「間違わない」のは,いつの世も同じです.

しかし,「そうであってほしい」という理想と,「そうである」という現実は違います.

自分の理想を現実に投影し,現実を捻じ曲げてしまうこと,ここに文献学者は自覚的である必要があります.(もちろん,ポストモダンなら,捻じ曲げて逆なでするように読むのでしょうが.)

人間のエゴの強さは,驚くばかりです.

写本を扱う者は,「我の習性」に意識的であらねばなりません.

仏教が見抜いたように,我見は無始爾来の無明に基づきます.
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  1. 2011/02/21(月) 06:37:57|
  2. 未分類

Malayalam number

マライヤラム写本を扱いながら,「さてフォリオを確認」となると,毎回忘れているのが数字です.

下ひとケタで1,2,3…9,10と並べてあります.


131.jpg132.jpg133.jpg114.jpg115.jpg

126.jpg127.jpg128.jpg129.jpg130.jpg


面白いことに,

百  百  百  百  百
卅  卅  卅  十  十
一  二  三  四  五

というような感じで記載されています.したがって,最後に挙げた130は




とあります.(つまり文字が二つだけ)

このシステムだと,十,廿,卅…,百…も,別個に覚える必要があります.

単純に「131」と書いてくれれば,と思うところですが,日本人も人のことは言えません.

また,通常,デーヴァナーガリー写本だと,裏にフォリオの数字を書いてあるのですが,このマライヤラム写本は表でした.

つまり131裏(131v or 131b)ではなく,131表(131r or 131a)となります.

さらにややこしいことに,この写本では,1rからではなく0rから数字が始まっています.

まあ,確かに1から始めるより,(インド自慢の)0があるのですから,0から始めるのもありです.


169.jpg175.jpg185.jpg186.jpg125.jpg

123.jpg122.jpg
  1. 2011/02/15(火) 23:13:13|
  2. 未分類

IABS in Taiwan, 2011, June 20-25

XVIth Congress of the IABS
Dharma Drum Buddhist College, Taiwan, 2011
June 20, 2011 – June 25, 2011

homepage




Thursday Morning, June 23, 2011, Panels and Sections, 9:00-12:30

Study of Dignaga

Dignāga, Kumārila and Dharmakīrti on the potential problem of pramāṇa and phala having different objects
Kei Kataoka

A Newly Discovered Manuscript of Jitaari's Works
Eli Franco

Non-activity (nirvyāpāra) in Dignāga and Sautrāntika
Zhihua Yao

On Dignāga's Theory of Mental Perception Presented in PS(V)
Junjie Chu

Dignāga on Non-Buddhist Theories of Proof
Shoryu Katsura

Actuality and Potentiality in Dignāga’s Understanding of Immediate Perception (nirvikalpaka pratyakṣa) according to his Pramāṇasamuccaya(PS) and Ālambana-parīkṣā(AP)
Victoria Lysenko





Tuesday Morning, June 21, 2011, Panels and Sections, 9:00-12:30
•Logic and Epistemology I

Logic and Epistemology I
Ratnakīrti on Determination (adhyavasāya) and Cognitive forms (ākāra)
patrick mc allister
mKhas grub rje’s Concepts of rjes khyab and dngos khyab
Hiroshi Nemoto
Non-implicative negation (prasajyapratiṣedha, med dgag) in Buddhist logic and early Tibetan Madhyamaka (dbu ma)
Chizuko Yoshimizu
On viruddhadharmādhyāsa
Koji Ezaki
On the Buddha's cognition in the Bahirarthaparīkṣā of the Tattvasaṅgraha
Hiroko Matsuoka
Causation and selflessness in view of liberation
cristina pecchia




Tuesday Afternoon, June 21, 2011, Panels and Sections, 2:00-5:30
•Logic and Epistemology II

Logic and Epistemology II
Bhāviveka’s Refutation of Dignāga’s Twofold-appearance Theory (dvyābhāsatā)
Masaki Tamura
How can the existence of the Sāṅkhya's pradhāna be negated? Dignāga's view of refutation (dūṣaṇa)
Toshikazu Watanabe
Some observations on the Sāṅkhya section of Dignāga's Pramāṇasamuccaya, chapter two (working title)
Horst Lasic
The purpose of discussing vyatireka: Dharmakīrti’s criticism of Īśvarasena
Kyeongjin Choi
bhāva and abhāva in the Buddhist theory of momentariness: The View of Dharmottara and Prajñākaragupta
Masamichi Sakai




Wednesday Morning, June 22, 2011, Panels and Sections, 9:00-12:30
•(McClintock, Kellner) Forms or aspects in Buddhist Philosophy and Soteriology of Consciousness I

Forms or aspects in Buddhist Philosophy and Soteriology of Consciousness I
Forms, aspects and appearances - some conceptual remarks on ākāra in Buddhist soteriological and philosophical analysis
Birgit Kellner
‡ubhagupta on the Cognitive Process: An Account from His
Margherita saccone
On Ratnākaraśānti’s theory of cognition with false mental images (alīkākāravijñānavāda)
Shinya Moriyama
Is a Cultivating Yogin Dependent on Scripture?
Eltschinger Vincent
The Role of Illusion in Buddhist Idealism
Hisayasu Kobayashi




Wednesday Afternoon, June 22, 2011, Panels and Sections, 2:00-5:30
•(McClintock, Kellner) Forms or aspects in Buddhist Philosophy and Soteriology of Consciousness II

Forms or aspects in Buddhist Philosophy and Soteriology of Consciousness II
Dharmakīrti’s position on conceptual cognition and its causes
Miyako Notake
Light as a Metaphor for Cognition in the Vijñānavāda advanced by Dharmakīrti and opposed by Bhaṭṭa Jayanta.
Alex Watson
Logical necessity and aspects of consciousness: a Śaiva perspective on a Buddhist problem
Isabelle Ratie
The sākāra/nirākāra Debate in Buddhist Tantric Literature
Francesco Sferra
Kamalaśīla on the Nature of Forms or Images (ākāra) in Cognition:
Sara McClintock




Thursday Morning, June 23, 2011, Panels and Sections, 9:00-12:30
•(Yao) Study of Dignaga


Friday Morning, June 24, 2011, Panels and Sections, 9:00-12:30
•Tantra


Friday Afternoon, June 24, 2011, Panels and Sections, 2:00-5:30
•(Siderits) Buddhism Naturalized?


Saturday Morning, June 25, 2011, Panels and Sections, 9:00-12:30
•(Kyuma) Reconstructing the History of Late Indian Buddhism -Relationship between Tantric and Non-tantric Doctrines-

Reconstructing the History of Late Indian Buddhism -Relationship between Tantric and Non-tantric Doctrines-
The Concept of the Yoginī in the Abhayapaddhati of Abhayākaragupta
mei isaacson
Bu ston on pāramitānaya and mantranaya
Taiken Kyuma
Bhavyakīrti’s Sub-commentary on the Pradīpoddyotana as a Doxography
Toru Tomabechi
On the Guhyasamaja Literature attributed to Dipamkarasrijnana
Kaie Mochizuki
The Legacies of Vikramaśīla and Nālandā Monastic Seminaries in Tibet
Dorji Wangchuk



•(Gold) Searching for Vasubandhu
•(Westerhoff) Madhyamaka and Yogacara: Rivals or Allies?
•Buddhist Philosophical Studies
•Epistemology and Soteriology


Saturday Afternoon, June 25, 2011, Panels and Sections, 2:00-5:30
•(Westerhoff) Buddhist philosophy of language







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  1. 2011/02/07(月) 18:10:03|
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