Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

Jinbun Hall, Shinshu University

松本 697
松本 703

工事現場かと思うようなプレハブ棟が林立するQ大文系キャンパスからは考えられないほど綺麗なホール

もちろん飛行機が真上を通る騒音もなく静寂です

松本 704

人文学生のたむろする場所だそうです

松本 709

写真は研究集会用に配置換えしたもの

会場設営にあたられたのは開催校の護山先生

ご苦労様でした
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  1. 2011/08/27(土) 11:40:31|
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Soba noodle restaurant "Rakuza" in Matsumoto-city

松本 714

信州大学の人文棟から早足で歩くこと7分

そば打ち楽座

故谷沢先生いきつけの店です

松本 715

せいろ二枚1000円

研究会前なので日本酒はぐっと我慢

隣の常連客が「ビール→日本酒」と順調に移行されているのを横目にそばを啜ります

食後は机上の「楽座通信」を熟読

後から聞きましたが,入れ替わりに志田さん一行がタクシーで乗り付けたとのこと

むかしの谷沢さんからのメールに「最近は専ら蕎麦に日本酒です」という内容がありましたが,納得です
  1. 2011/08/27(土) 11:14:35|
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ダルシャナ集会

松本 723


ダルシャナ関係者の研究集会「ダルシャナ科研合宿」が,(斉藤記念フェスティバルで盛り上がる)信州松本で開催

東北大学,筑波大学,東京大学,信州大学,名古屋大学,京都大学,広島大学,九州大学など,全国各地の(数少ない)ダルシャナ研究者が集まりました

純粋に「インド哲学」に特化したもので,これだけの規模の研究集会は史上初でしょう

東西の交流がほとんどなかったに等しい一世代前のインド哲学業界からは考えられないことです

後見人の桂先生の人徳でしょう


24 日

挨拶、趣旨説明(丸井浩⽒)
桂紹隆⽒基調講演
丸井浩⽒「ハルプファスの研究成果から、<存在>をめぐる
議論の諸相をさぐる ― ニヤーヤの「śakti 論」への言及をかねて ―」
藤永伸⽒「ジャイナ教存在論概観」
加藤隆宏氏「バースカラの無明論批判と別異非別異論」
全体討論

25日
李宰炯氏「バルトリハリの時間論
— 二次的存在性(upacārasattā)と過去・未来表現の成立」
江崎公児氏「ウダヤナの滅無因説批判について」
鈴⽊孝典氏「ヴァイシェーシカ学における存在論の意義」
全体討論

研究発表も,アビダルマ・仏教論理学の存在論からヴァイシェーシカの自然哲学,さらには,ジャイナ教の存在論やヴェーダーンタ神学における存在の捉え方まで,多岐にわたるインド哲学の諸相を網羅したものでした

文法学者バルトリハリの存在論は,いつ聞いても「哲学」しています

鈴木さんのレベルの高い発表は,すでに第一回研究集会にして,ニヤーヤ・ヴァイシェーシカの存在論の意義づけについて,ほぼこれが結論か,という予感を与えるものでした

全体討議も大いに盛り上がり,会場はヒートアップ

今後の方向性などを話し合って,二日間の締め

博士課程・ポスドクの若手研究者も多数参加

遠くドイツはハレから加藤さん,ハンブルクからは張本さん,また,オーストリアのウィーンからも江崎さんが参加

刺激的な研究集会でした

松本 788
  1. 2011/08/27(土) 10:56:25|
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SIISSR

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  1. 2011/08/21(日) 22:37:52|
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Imoken Ice

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  1. 2011/08/05(金) 23:18:43|
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Taj Namaste

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  1. 2011/08/05(金) 23:06:54|
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Gautama

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  1. 2011/08/05(金) 23:03:41|
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Odissi Dance in Fukuoka: 福岡でオリッシー

OdissyDance1.jpg

前売り券は,西新の南インド料理屋「あんまー」まで.

問い合わせ:092-210-0108(サキーナ彩子)
  1. 2011/08/05(金) 22:42:19|
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クマーリラ著『シュローカヴァールッティカ』「ヴェーダ教令章」の内容

ミーマーンサー・スートラ1.1.2はダルマ(善・宗教的義務)を定義する.

すなわち「ヴェーダ教令を認識手段とする望ましい対象がダルマ」である.

ここでの含意は次のようなものである.

ヴェーダ教令は常に正しい認識手段である.(正しくないことはない.)

ヴェーダ教令だけがダルマの認識手段である.(知覚等はそうではない.)

ヴェーダ教令から知られるものは望ましい対象である.(望ましくない対象ではない.)



ヴェーダの説く内容は常に正しい.

間違っていることはない.

クマーリラはこれを「正しい認識の手段とは何か」「認識が正しいとはどういうことか」という一般的な視点から論じ直す.

認識の真と偽を一般的に論じ,そうして確立した真理論をヴェーダ聖典に適用する.

次に「ヴェーダだけがダルマに関しては正しい」ということを主張するために,ダルマに関する他の認識手段,特に,聖者の知覚を排斥する.

すなわち,宗教的事象に人知は関わりえず,ヴェーダ聖典だけがダルマ領域にアクセスできるというのがクマーリラの主張である.

最後に彼は,ヴェーダ教令から知られる供犠内殺生(パシュヒンサー,家畜供犠)について論じる.

供犠内殺生は殺生でありながらヴェーダが命じるものであり,「不殺生」を重要な徳目とする仏教など他学派からの攻撃対象となったものである.

クマーリラは善悪の基準から一般的に説き起こし,ヴェーダの説く供犠内殺生を理論的に擁護する.
  1. 2011/08/02(火) 22:50:19|
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