Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

PST 40,13-14

次の一文は,テクスト問題もあって,相当に困難です.

PST 40,13-14:
vyavahāratā ca loke tadvyavasthātra vidheyā, tasya pratyāyanatvād iti manyate.



吉田 2011:147:
また「世間における日常的営為性がそれ(=特有なものによる命名)によって確立されると規定されるべきである。それ(=特有なものによる命名)が理解せしめるものであるから」と〔ディグナーガは〕考えるのである。




「日常的営為性」vyavahāratāは明らかに不自然です.テクストを直す必要があります.実際,校訂テクストの異読表を見ると,問題のある個所であることが明らかです.このままの読みではいけないことが,すぐに分かります.


Kataoka (see my discussion here or here)
vyavaharatā ca loke tadvyavasthātra vidheyā, tasya pratyāyyatvād iti manyate.




片岡:
また,世間で言語表現を為す者は,それ(当の対象)の区分設定をここ(命名)で行うべきである.というのも,それ(当の対象)が理解させられるものだからである.このように〔ディグナーガは〕考えている.



あるいは,「それ」tadが指すのは,非共通の特有のものasādhāraṇa,と考えた方が,文脈の流れから,自然かもしれません.

片岡:
また,世間で言語表現を為す者は,それ(非共通のもの)の区分設定をここ(命名)で行うべきである.というのも,それ(非共通のもの)が〔言葉により〕理解させられるものだからである.このように〔ディグナーガは〕考えている.



Biminan 014
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  1. 2012/02/22(水) 18:48:48|
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PST 40,10

PST 40,10: nanu ca icchādhīnavṛttayaḥ śabdāḥ sarvārthapratyāyanayogyā ity uktam.



吉田 2011:146:
【反論】しかし、〔発話〕意欲によって生起する諸々の語はあらゆる対象を理解させる能力を持つ、と〔君は〕述べたではないか。



片岡:
しかし,言葉というのは,〔取り決めの〕欲求に依拠して働くものであるから(=意味に対して恣意的に働くものであるから),あらゆる対象を理解させうると,〔君は〕述べたではないか.



Biminan 013
  1. 2012/02/22(水) 18:16:27|
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api in PST 39,9

ICP-409we


pratyakṣaが「プラティ・アクシャ」「対・眼」(感官に依拠したもの)と名付けられるのは何故なのでしょうか.

その語源分析を論じる文脈で,感覚器官(アクシャ)が知覚原因であるのはよいとしても,対象は知覚原因であるのかないのかが問題となります.

対象も知覚原因であるならば,「プラティ・アクシャ」ではなくして「プラティ・ヴィシャヤ」などと命名してもよかったはずです.

さらに対象以外の光(アーローカ)はどうでしょうか.なぜ,「プラティ・アーローカ」と知覚を呼んではいけないのでしょうか.

PST 39,8-9:
ālokas tu na sarvendriyajñānanimittam, cakṣurvijñānasyāpi keṣāṃcin na bhavatīti nopanyastaḥ.



すぐに分かるように,光は視覚原因ではありますが,聴覚原因ではありません.

したがって,光を知覚一般の原因としてあげるわけにはいきません.

ここでの問題はapiのニュアンスです.

吉田 2011:145:
ところで、光はすべての感官知の原因なのではない。〔光は〕或る〔生き物〕の眼識(cakṣurvijñāna)〔原因では〕ない。だから、〔光は原因として〕提示されないのである。



視覚認識であっても,光を原因としないものがある,というニュアンスで捉える必要があります.

たとえば,フクロウの視覚認識の場合,光は原因ではありません.

片岡:
いっぽう光は,〔例えば視覚以外の聴覚などで見られるように〕全ての感官知の原因というわけではない.視覚知であっても,一部〔の生き物,例えばフクロウ〕の場合には,〔光は原因では〕ない.それゆえ〔光は感官知の原因として〕提示されなかったのである.


  1. 2012/02/22(水) 00:38:22|
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क्योतोमहाविद्यालये हिमशैत्यानुभूतिः

KyotoUni3209841

शीतानुभवलक्षणो भोगो भोक्तुरेव संभवति/

न तु दृशिमात्रस्वभावस्याभोक्तृरूपस्य पुंसः/
  1. 2012/02/20(月) 00:52:50|
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Napoli style Pizza in Kashi, Fukuoka: Pizzeria Little Napoli

LittleNapoli4320

Already established as one of the best pizzerias in Fukuoka, Pizzeria Little Napoli, located not in the city center but in the east part, Higashi-ku, which faces the Kashi-Sando street.

The atmosphere of this small pizzeria with 8 tables (16 seats) is nice because of the hospitality of the cook (who got trained in the Gaetano, Napoli) and his wife, and also because of the huge shady Japanese cinnamons (Kusunoki) planted along the street.

Lunch time on Saturdays and Sundays is the busiest time.

The photo shows my favorite Biancaneve (1600 yen).

They started value lunch, too (1000 yen---).

They newly start an Italian lesson.

2012/2/17 (Fri)
11:00-12:00 Italian lesson for begginers (two Italian teachers from Centro Italiano di Fukuoka)
12:00- Lunch: pizza with a drink
Cost: only 1500 yen (including lesson fee and lunch)

Little Napoli: 092-662-4872
Monday holiday
  1. 2012/02/12(日) 10:13:40|
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at St. Martin, Sakurazaka, Fukuoka

MKWedding
  1. 2012/02/11(土) 23:59:59|
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Dr. Vasudeva visits Fukuoka

SomdevInFukuoka 192

A reading session at the Uni
  1. 2012/02/09(木) 21:36:45|
  2. 未分類

Problems of MHK 9.70

MHK 9.70は問題が多そうです.

Kawasaki [1992:431]
adharmaś1 cendriyo nāsya kathaṃ tatsṛṣṭikārite/
adṛṣṭadoṣair ajñatvāt tatsṛṣṭir atha vā kṛtā// 70
1 Ms. athadharmaś cendriyonāsya, changed by RS. No Tibetan equivalent for Skt. cendriyo.

chos min ḥdod pa ma yin na/ de byed par ni ji ltar ḥgyur/
yaṅ na lkog tu gyur paḥi skyon/ mi śes phyir na byas pa yin/

Kawasaki [1992:387]
また,彼の器官が非法でないならば,それから創出されて作られるものがどうして〔非法であることが〕あろうか。あるいは,不可見の〔=未来における〕罪を知らないものであるが故に,これ〔=彼の器官〕から創出されて〔非法なる〕ものが作られてしまったのである。



川崎氏の注によれば,写本の読みをサーンクリティヤーヤンが直したとのこと.

しかし,構文上,athaは欠かせません.

これがないと,katham以下への条件文となりません.

チベットにあるように「~ならば」(na)の構文とするためには,athaあるいはcetが必要です.

写本にathaが見えるので,ひとまず,ここはathaを採用すべきです.

写本のathadharmaは,athādharmaというように,adharmaを含む必要があるのは,チベットから明らかです.

次に,この文脈で,indriyaは無用です.

川崎氏の読みを採用した場合,adharmaś cendriyo nāsyaは,直訳すると「また彼のアダルマはインドラ的ではない」となります.

川崎氏の解釈は,「また,彼の器官が非法でないならば,」というものです.

しかし,「ならば」が,川崎氏の想定サンスクリット文には対応が見いだせません.

また,器官は,名詞として用いる場合は中性なので,indriyamとなるはずです.

また,たとえindriyoが男性でありながらも感覚器官を意味するとしても,「彼の感覚器官がアダルマではない」というのは,何を意味するのでしょうか?

次に,川崎氏は,kathaṃ tatsṛṣṭikāriteを「それから創出されて作られるものがどうして〔非法であることが〕あろうか」と訳します.

それから(tat),創出されて(sṛṣṭi),作られるもの(kārite)というように分析できます.

しかし,kāriteが「作られるもの」だとして,この第七格は,どのような働きをしているのでしょうか.

川崎氏の訳から想像すると,adharmatāを補って解釈したように読めます.

しかし,先行文にあるのはadharmaであって,adharmatāではありません.

したがって,このままでは解釈できません.

次に,cdについて,adṛṣṭadoṣair ajñatvātを川崎氏は「不可見の〔=未来における〕罪を知らないものであるが故に」と訳しています.

しかし,どうすれば,第三格のadṛṣṭadoṣairが,「不可見の罪を」というように,「知らない」の対象になるのでしょうか.

第六格あるいは第七格でなければ,このような解釈は不可能です.

残るtatsṛṣṭir ... kṛtāを川崎氏は「これ〔=彼の器官〕から創出されて〔非法なる〕ものが作られてしまったのである」と訳します.

tatを先行するindriyaと取り,indriya-sṛṣṭirとして「器官から創出されて」と解釈したわけです.

このままだと,ヴィシュヌの感覚器官からアダルマの創出があるということになってしまいます.

また,ここでkṛtāの女性形はsṛṣṭirに呼応しているにもかかわらず,あたかも,非法(adharma)が呼応しているかのような訳です.

あるいは,感覚器官からの創造物(sṛṣṭi)として非法(adharma)が作られた(kṛtā),という解釈なのでしょうか.

次に,リントナー氏のテクストと訳を見てみましょう.

Lindtner [2001:28]
adharmaś cendriyo nāsya kathaṃ tatsṛṣṭikāritā/
adṛṣṭadoṣair ajñatvāt tatsṛṣṭir atha vā kṛtā// 70
But if adharma is not his domain, why is he responsible for its creation? Or has it [adharma] been created by [gods] who failed to recognizes their own faults because they were ignorant?



読みは,川崎氏と同じですが,一部,tatsṛṣṭikāriteがtatsṛṣṭikāritāとなっています.

リントナー氏の読みのほうがいいでしょう.

この場合「それの(tat)創造を(sṛṣṭi)為す者(kārin)であること(tā)」と分析されます.

全く問題がありません.

リントナー氏の英訳も,そのような分析を前提にしていることは明らかです.

tatsṛṣṭirも,リントナー氏は「アダルマの創造」と,自然に解釈しています.

そして,adṛṣṭadoṣairを,過失を見なかった神々と,自然にバフヴリーヒに理解します.

「過失」が,どのような意味での過失なのかは措くとしても,構文理解としては全く問題がありません.

残る70aですが,筆者としては,次のような訂正が可能ではないかと考えます.

Kataoka:
athādharma icchā nāsya kathaṃ tatsṛṣṭikāritā/
adṛṣṭadoṣair ajñatvāt tatsṛṣṭir atha vā kṛtā// 70



チベットのḥdod pa ma yinを生かすには,icchāが最適です.

adharmeという第七格が,欲求の対象を表します.(サンディによりathādharme icchā が,athādharma icchāとなります.)

写本の伝承過程では,ダブルサンディで,athādharma icchā > athādharmecchāとなり,そこから更なる問題が,韻律を埋めるために発生したと推測されます.

筆者の訳は次の通り.


彼(ヴィシュヌ)がアダルマを望まなかったというならば,[彼が]どうして,それ(アダルマ)の創造主であろうか.あるいは[逆にアダルマを望んだとすると,未来にもたらされる]過失を見なかった[神々]によって,無知であるが故に,それ(アダルマ)の創造が為されたということになる.



川崎氏の注(p. 387)を参照すると,「過失」は,非法の果のことのようです.

もし神がアダルマをも作ったならば,そのアダルマにより何がもたらされるのか,その結果を予見できなかった,ということになります.

すなわち,無知だったということになるわけです.

あるいは,第七格ではなく第六格も可能かもしれません.

Kataoka:
athādharmasyecchā nāsya kathaṃ tatsṛṣṭikāritā/
adṛṣṭadoṣair ajñatvāt tatsṛṣṭir atha vā kṛtā// 70



これだと,写本のścendriyoがsyecchāとなるので,より写本に即した形になります.

ただし,この場合の若干の問題点は,adharmasyaとasyaが,同じ格にもかかわらず,別の物を指すvyadhikaraṇaとなることです.

しかし,語順が理解順序に即しているので,誤解を招くほどではありません.

文脈を追ってきた人ならば,容易に理解可能なレベルです.

全体としてみると,やはり,写本に即した第六格のほうが有利でしょう.
  1. 2012/02/05(日) 14:30:11|
  2. 未分類

機械仕掛けの糸姫@九大箱崎キャンパス

マイティガルでも九大公演チケット扱っているとのこと.

Itohime0217
  1. 2012/02/04(土) 15:16:04|
  2. 未分類

Studies in Honour of Professor Ashok Aklujkar

Sanskrit Sadhuta Goodness of Sanskrit
Studies in Honour of Professor Ashok Aklujkar
Editor : Chikafumi Watanabe,
Co-Editor : Michele Desmarais, Yoshichika Honda,
Binding : Hardbound
10 Digit ISBN : 8124606315
13 Digit ISBN : 9788124606315
Edition : 1st edition
Year : 2012
Pages : xxiv, 591p.
Bibliographic Details : 3 coloured photographs; Index
Size : 25 cm
Price : $ 72


PREFACE
A BRIEF BIOGRAPHY OF PROFESSOR ASHOK NARHAR AKLUJKAR
PUBLICATIONS OF PROFESSOR ASHOK AKLUJKAR

ACHARYA, DIWAKAR
The Patravidhi: A Lakuliœa Paœupata Manual on Purification and Use of the Initiate’s Vessel

ARJUNWADKAR, KRISHNA S.
God’s Place in the Six Orthodox Systems

BAHULKAR, SHRIKANT S. AND DEOKAR,MAHESH A.
Ideology and Language Identity: a Buddhist Perspective

BRONKHORST, JOHANNES
Bhattoji Dikshita and the Revival of the Philosophy of Grammar

CANDOTTI, MARIA PIERA
The Role and Import of the Metalinguistic Chapters in the New Paninian Grammars

CARDONA, GEORGE
A Note on Vakyapadiya 1.45/46: atmabhedas tayoh kecid…

DAS, RAHUL PETER
On “Hindu” Bioethics

DEOKAR, LATA M.
Some Observations on Buddhism and Lexicography

DEOKAR,MAHESH A.
Some Probable Sanskrit Sources of the Pali Grammarians with special reference to Aggavamsa

DESHPANDE,MADHAV M.
Bhattoji Dikshita’s Perceptions of Intellectual History: Narrative of Fall and Recovery of the Grammatical Authority

DESMARAIS, MICHELE M.
Close Relations: Pandits, Pedagogy and Plasticity

FUJII, TAKAMICHI
Sentence Meaning as a Causal Process

GEROW, EDWIN
Bengali Vaishnava Aesthetics

GILLON, BRENDAN S.
Exocentric (bahuvrihi) Compounds in Classical Sanskrit

GRANOFF, PHYLLIS
The Art of the Philosopher: Painting and Sculpture as Metaphor

HAAG, PASCALE
I Wanna Be a Brahmin Too. Grammar, Tradition and Mythology as Means for Social Legitimisation among the Vaidyas in Bengal

HIRANO, KATSUNORI
Historical Significance of the Definition of Universal in the Vyomavati

HOUBEN, JAN E. M.
Grammar & Other Modes of the Mind

KANO, KYO
Blue Smoke: Perceptual Judgment in the Determination of Causal Nexus

KATAOKA, KEI
Is Killing Bad? Dispute on Animal Sacrifices between Buddhism and Mimamsa

KAWAJIRI, YOHEI
A Critical Edition of the Ishvarapratyabhijnavimarshinivyakhya on the mangala verse of the Ishvarapratyabhijnavimarshini

OGAWA, HIDEYO
Abstraction (apoddhara) Theory and a Sentence Meaning: A Study of the Vritti on VP 2.39

OLIVELLE, PATRICK
The Implicit Audience of Legal Texts in Ancient India

POLLOCK, SHELDON
Rasa after Abhinava

SARMA, SREERAMULA RAJESWARA
Avid Mathematician and the Spurned Wife: A Motif from the Dhammillahimdi

SHARMA, ARVIND
A Textual Variant in the Aitareyopanishad and Its Overlooked Significance for the Position of Women in Hinduism

SPARHAM, GARETH
Abhisamayalamkara 2.20: on the Difference Between stobha in the Samaveda and Prajnaparamita

TORELLA, RAFFAELE
Observations on yogipratyaksha

UNEBE, TOSHIYA
Cognition and Language: A Discussion of Vakyapadiya 1.131 with Regard to Criticism from the Buddhists

VERGIANI, VINCENZO
Bhartrhari’s Views on Liminal Perception and Self-Awareness

WADA, TOSHIHIRO
Gangesha on the Meaning of Verbal Suffixes (2)

WATANABE, CHIKAFUMI
Madhyamakahrdayakarika III. 147–158

YOSHIMIZU, KIYOTAKA
Tradition and Reflection in Kumarila’s Last Stand against the Grammarians’ Theories of Verbal Denotation

INDEX


http://www.dkprintworld.com/product-detail.php?pid=1280857119




  1. 2012/02/01(水) 18:55:28|
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