Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

サー

マランソン卿がマハントになったそうです.

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-india-21571146

jimmallison2.jpg

http://www.khecari.com/index.html

詳細についてはこちら.

http://www.ft.com/cms/s/2/d1e949a0-86bd-11e2-b907-00144feabdc0.html



マランソン卿は既に二本の番組用フィルム(パラグライダーで女神寺院の上を飛ぶ物,セレブのインド・ヨーガ修行物)を制作・公開しています.

今回のものも,いずれ公開されるようです.

日本では普通には見られないでしょうが,友達づてでDVDを借りれば見られるでしょう.(ややこしいことにPal方式だったりしますが.)

楽しみです.

http://www.mountainsgreenpictures.com/dominicwestdocumentary/
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  1. 2013/02/28(木) 08:00:24|
  2. 未分類

日本南アジア学会九州支部 ワークショップ

IchicaBachica21


 「日本南アジア学会九州支部 ワークショップ「南アジアの映画に観る教育・子ども・若者」」

日時:2月17日(日)11:00-18:00

会場:九州大学教育学部会議室(教育学部棟1階)
   
    〒812-8581 福岡市東区箱崎6-19-1
    TEL:092-642-4445   
    地図、交通案内はhttp://www.education.kyushu-u.ac.jp/accessesをご参照ください。 



ワークショップ「南アジアの映画に観る教育・子ども・若者の表象」

主旨:
本研究グループは過去3年間に渡って、現代南アジアにおける教育発展とその影響を、制度と実態から捉えてきた。「教育」は確実に人びとの意識のなかに浸透し、人びとの多様な期待がその制度と実態の両面をさまざまに変化させている。さらに、教育を受ける主体である「子ども」「若者」という枠組みやイメージ、さらにはその当事者たちにとっての「子ども期」「若者期」の在り方も、劇的に変化している。
今回のワークショップでは、南アジアの映画に「学校」「若者」「子ども」のイメージを探ることを試みる。教育がこれだけの発展と変化を見せる一方で、インド映画をはじめとする南アジアの映画もまた大きく様変わりしている。その間には決して偶然ではない呼応がある。映画に示される「子ども」や「若者」は、現実を反映すると同時に、現実の彼らに少なからず影響を与える。地域研究の視点から映画を観てみることで、映画に示される表象と現在を読みとってみたい。

プログラム:(敬称略)
11:00 趣旨説明 押川文子・針塚瑞樹
11:20 発表① 桑原知子 熊本学園大学非常勤講師
「English Medium School 時代の母語のゆくえ─映画が描くタミル語と学校─(仮)」

12:20 ***********昼 食 休 憩*************

13:00 インド映画部分鑑賞 ≪Vicky Donor(2012)≫
14:00 発表② 押川文子 京都大学地域研究統合情報センター教授
「映画から読むインド社会イメージ―女性と若者―」
15:00 ***************休 憩*****************
15:10 バングラデシュ映画部分鑑賞 ≪Durotto「ぼくはひとりぼっち」(2004)≫
≪Ghetuputra Kamola(2012)≫
16:00 発表③ 南出和余 桃山学院大学国際教養学部講師
「バングラデシュ映画に示される「子ども」の諸相」
17:00 総合討論
18:00 終了
  1. 2013/02/17(日) 09:42:43|
  2. 未分類

インドの詭弁術

Jinendrabuddhi-PST-at-Ryukoku1


久々に桂研に参加.

ディグナーガのPSとジネーンドラのPSTも第六章の冒頭から.

第六章は,マニアックな「ジャーティ」(誤った論難)についてです.

プラマーナといえば,だいたい,認識論を扱いますが,ヴァーダの伝統は,中身は討論術.

その中でも,実際の論争テクニックをとりあげるのが,チャラ,ジャーティ,ニグラハスターナといった主題です.

正しい論証を用いているのに,それの揚げ足をとって引き分けに持ち込もうとする詭弁論者.

ジャーティに通じてないと,竜樹のような詭弁を用いる人に,うまいこと,まるめこまれてしまいます.

ちゃんと,誤った揚げ足取りであることを頭に入れて,鋭く指摘しないといけません.

「音声は無常だ.意志的努力の直後に生じるから.壺のように」

という正しい論証にたいして,

「所証←能証で,能証が所証を成り立たせると言うけれども,能証は,所証に到達してから成り立たせるのか,あるいは到達せずに成り立たせるのか.

いずれにしてもおかしいことになる.

だから,まともな理由は存在していないのだ.

この論証には正しい理由が欠けている.

この論証は,理由を欠いた論証という,誤った論証だ.」

というように,やり込められる可能性があります.

さて,この詭弁論者の何が間違っているのでしょうか.

ディグナーガは,続く個所で,丁寧に,詭弁論者の誤りを指摘していきます.

にしても,詭弁論者も,よくこのような揚げ足取りを考え付くものです.

ちなみに,漢文では,prāptyaprāptisamaは至非至相似です.

日本の伝統的な因明学者は,「能立」「所立」「不成」「成」「至」「不至」などと漢訳を使って,あれこれ考えていたことでしょう.

漢訳だけから内容を取るのは大変です.

サンスクリット語だと,この議論の持って行き方は,自然な感じがします.
  1. 2013/02/10(日) 00:28:03|
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片岡啓・清水和裕・飯嶋秀治[編]:「生と死の探求」(九州大学出版会)

生と死の探求:表紙

スキャナーが壊れて閉口していましたが,復活.

表紙の上から二番目と,最下段の写真は,筆者提供のインド写真.

デザイナーがうまく切り取って加工・調整してくれたので綺麗に見えます.

寺院の写真を撮るときは,暑くて暑くて日射病ぎりぎりの状態であれこれ撮るので,とても一つ一つのディテールをじっくりと鑑賞する気にはなれませんが,こうやって,涼しい所で見返すといいものです.

また,インドの雑踏は,これまた雑音から雑臭から何でもありの混沌で,撮ってるときは綺麗も何もないのですが,こうやって静かな所で見返すと,なかなか面白いディテールに満ちています.

いつ見ても,南インドのゴープラム(塔門)は,カラフルど派手です.

生と死の探求:目次1
生と死の探求:目次2

しかし,生と死,という問題一つとっても,切り口は本当に様々です.

13人13様.

この教科書を使った授業「人文学II」は,後期の10月から箱崎で開講です.(水曜日2限,10:30-12:00)

主に2・3・4年生向けの授業です.

なお,聴講生の制度については,こちらを参照
http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/undergraduate/auditor.php
  1. 2013/02/07(木) 22:17:56|
  2. 未分類

International Journal of South Asian Studies

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International Journal of South Asian Studies

Japan Association for South Asian Studies

CALL FOR PAPERS
The International Journal of South Asian Studies is an annual English-language journal launched by the Japanese Association for South Asian Studies (JASAS) in 2008 to promote the academic dialogue between Japanese and non-Japanese specialists on South Asia.
The Japanese Association for South Asian Studies invites non-Japanese scholars as well as Japanese scholars specialized in South Asian studies to contribute their scholarly works to the International Journal of South Asian Studies, and, in particular, participate in its ‘Debates’ intended to stimulate lively discussions on various topics relating to South Asia.

SUBMISSION
1. The International Journal of South Asian Studies welcomes submission of scholarly articles from international colleagues in the field of humanities, social sciences and related disciplines on topics regarding South Asia. One hard copy of a manuscript should be submitted to the Editorial Board, the Japanese Association for South Asian Studies, c/o Prof. OTA Nobuhiro, Research Institute for Languages and Cultures of Asia and Africa, Tokyo University of Foreign Studies, 3-11-1, Asahi-cho, Fuchu-shi, Tokyo, Japan 183-8534. Authors are also requested to send their manuscripts electronically both in MS-Word files and PDF files to the Editorial Board (jasas_journal@tufs.ac.jp).
2. The manuscript should be unpublished and should neither have been accepted nor is it under review for publication elsewhere.
3. All articles will be referred and the final decision of acceptance will be taken by the Editorial Board.
4. Contributors are requested to follow the Style Guidelines given below.
5. Copyright of the articles published in the Journal rests with the Japanese Association for South Asian Studies.

STYLE GUIDELINES
1. The length of an article should not exceed 10,000 words including notes and references.
2. The text should be typed double-spaced in 11 point type, and on one side of A4 sheets for a hard copy.
3. Another sheet showing the author’s institutional affiliation, field of research and the titles of two major publications should be attached to the text.
4. Separate serial numbers should be put on Tables, Figures, Plates and Photographs respectively. Places of their insertion should be clearly indicated in the text. Tables, Figures, Plates and Photographs should be submitted either in EXCEL or JPEG file.
5. All files should be saved using the name of the first author, followed by an indication of file content (Text, Tables, Figures etc) and the serial number assigned to them, if any.
6. If diacritical marks are applied in the manuscript, those installed in Windows IME or Gandhari Unicode (available from the following website: http://andrewglass.org/fonts.php) should be used. .
7. Sources of references or quotations should be indicated within the text as follows: (Dumont 1966: 146).
8. Notes should be numbered consecutively and placed at the end of the text. DO NOT use footnote function in MS-Word. Instead, they must be manually entered.
9. Reference List in alphabetical order should be attached at the end of the text following notes.

EXAMPLES
Jha, D.N., 1989, ‘Early Indian Feudal Formation’, Journal of the Japanese Association for South Asian Studies, No. 1, pp. 1-21.
Sen, A., 1998, ‘On Interpreting India’s Past’, in S.Bose and A.Jalal (eds.), Nationalism, Democracy and Development: State and Politics in India, New Delhi: Oxford University Press, pp. 10-35.
Wiser, W.H., 1936, The Hindu Jajmani System: A Socio-economic System Interrelating Members of a Hindu Village Community in Services, Lucknow: Lucknow Publishing House.
  1. 2013/02/07(木) 18:58:30|
  2. 未分類

図像の間違い

南面と北面とが逆でした.

正面の東の顔の右側(南面)――向かって左側――にあるべきバイラヴァ的な顔が,逆の左側である北面――向かって右側――についています.

作る人が間違ったんでしょうか.

Sadasiva

蛇(nāga)
数珠(akṣasūtra)
ダマル太鼓(ḍamaru)
睡蓮(utpala)
シトロンの実(bījapūra)

髑髏杖(kaṭvāṅga)
[三叉]戟(śūla)
与願(vara)
槍(śakti)
施無畏(abhaya)
  1. 2013/02/03(日) 12:19:46|
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意識的な誤りと無意識の誤り

橋本訳『校勘学講義』166頁

古籍の文字の誤りは,意識的な誤りと,無意識の誤りの二種類に分かれます.編纂者が臆断で勝手に改字したり,無知のためにいい加減に改字したりしたものは,意識的な誤りです.伝抄の際の粗忽や,字形の省略,及び原書の字がかすれるあるいは版木が傷んで字画が欠けた,等というのはみな無意識の誤りです.しかし,……校勘学が研究するのは,誤りが生じた知識面での原因です.……また例えば,無知のためのいい加減な改字について言えば,なぜ無知なのかは研究の必要のないことで,研究しなければならないのは,何をどう変えているのかです.……つまり,文字・音韻・訓詁と版本及び関連する専門知識を根拠とすべきであり,思想・意識・態度等はあまり問題にしません.



1. error due to the intentional change of a letter
2. error due to the unintentional change of a letter

写本を書写した人の思想や態度を問題にしても仕方ありません.

これは,古典の著者の人となりに迫るのとは違います.

問題にすべきは,なぜそのような間違いを犯したかという原因を,(筆記者の人格は措いておいて)客観的な根拠に基づいて探ることです.

その客観的な根拠は,或る程度,普遍化が可能なはずです.

つまり,誤りのパターンというものがあるはずです.

誤りが発生する現場に特徴的なパターンを取り出すことが,校訂に必要な普遍則(校勘通例)の把握となります.

馬鹿な写本というのは,実際には,下手に手を加えないので,誤りの多さに辟易することはあっても,実際の作業としては,取り組みやすいものです.

過程が透けて見えるからです.

逆に,賢い写本というのは,時に,騙されることがあるので,要注意です.

意味を通そうとして,優れた学者である筆記者が,それらしく変更している場合があるからです.

『ニヤーヤマンジャリー』で言うと,K写本は,もちろんもっとも信頼に値する写本ですが,時々,「これはひょっとして変えているのでは」と思う場合があります.

明らかに賢いだけに,綺麗に上から塗装しているかもしれないので,それを見破るのは一苦労です.

そういう時は,判断に困るものです.

パラレルパッセージをあれこれ探るなど,こちらも傍証で証拠を固める必要があります.
  1. 2013/02/03(日) 11:51:40|
  2. 未分類

疑誤:suspected error

『校勘学講義』164頁は,誤りを二種に分かちます.

誤り
1.目に見えるもの.写本に異読が見られる場合.どちらかは誤り.
2.目に見えないもの.写本の読みは全同で表面上は誤りがあるようには見えないが,実際には誤りがある場合.

Error is divided into two types:
1. visible: when a variant reading is found, either of them must be an error.
2. invisible: the possibility of error is suspected although no variant is found

saṃśodhanakāryakaraṇe idaṃ manasi nidhāya kartavyam.
doṣo dvividhaḥ: dṛśyaḥ (=aparokṣaḥ) adṛśyaś (=parokṣaś) ca.
pāṭhāntare dṛṣṭe sati ekatamaḥ pāṭhaḥ duṣṭaḥ pāṭhaḥ iti spaṣṭam avagamyate.
pāṭhāntare 'dṛṣṭe 'pi kadācid ayaṃ pāṭhaḥ duṣṭaḥ syād iti śāṅkā vartate. atra doṣaḥ parokṣaḥ.
  1. 2013/02/03(日) 10:14:20|
  2. 未分類

訛誤の発生過程とLectio difficilior

「より難しい読みの方を採用する」という原則があります.

「レクチオ・ディフィチリオ」として参照される原則です.

西洋の古典文献学で確立されたものです.

xとyという二つの読みがある場合,xの方が分かりにくく,yの方が分かりやすい,という場合があります.

例えば,それは,単純に,同義語で,xは見慣れない語で,yの方が見慣れた語彙という場合です.

通常の人の心性としては,yの方が分かりやすいから,yの方を採用してしまいがちです.

これに対して「いやいや,オリジナルのテクストはxの方ですよ」と教えてくれるのが,この原則というわけです.

しかし,この原則を適用するに当たっては,この原則の背後にある「間違い(変化)の過程」に常に思いを巡らす必要があります.

つまり,何も考えずに適用してはいけない,ということです.

なぜ,xの方がyよりも優れた読み,つまり,オリジナルの読みだと想定されるのでしょうか.

具体的な状況に思いを馳せてみましょう.

写本を書写する人(scribe)が,xをyと書き改めたか,yをxを書き改めたか,どちらのほうが,より有り得るでしょうか.

オリジナルにxと書いてあったものを,「これは分かりにくい」「分からない」といって,同じ意味で分かりやすいyに考えることは十分に考えられます.

ひょっとしたら,或る写本では,xと書いてある頁の欄外の余白に分かりやすいyが覚書として書き加えてあったかもしれず,それを更に別の人が写す時に,「これはxじゃなくてyの方が正しいのではないか」と思って,xを改めてyを入れたかもしれません.

このように,x→yという状況は,いろいろに想定可能です.

いっぽう,オリジナルの分かりやすい読みのyから,分かりにくい読みのxへと変わった可能性は,普通には考えにくいものです.

わざわざ分かりにくいほうに変えるという状況は滅多にないでしょう.

というわけで,x→yという方向の方が,変化の過程としては考えやすく,y→xというのは考えにくいということになります.

したがって,レクチオ・ディフィチリオの原則が帰納されるわけです.

しかし,例外は色々あるものです.

よくよく想定される具体的状況に立ち戻って考える必要があります.

校訂作業は単なる機械的作業ではありません.

その場その場で,ケースバイケース,頭を使った判断が求められる作業です.

その意味・精神を考えずに機械的に原則を振り回すことは間違いを生む元となります.

私も以前は「あー,これはこっちの方がオリジナルね」と機械的にやっていたことがありましたが,そんな時には,ハルにたしなめられたものです.

機械的な適用に批判的な考え方は,サンダーソン教授も好きなA.E.ハウスマンから来ています.

同じことは,漢文の世界でも言われていました.

そして,校勘の正誤の基準を正しく維持運用して行くための手段としては,文字の訛誤発生の原因に対して具体的な分析を行うことが非常に重要です.訛誤発生の原因について十分説得力のある説明ができるならば,主観的な憶測による判断や勝手な改字の可能性は少なくなります.(橋本訳『校勘学講義』163頁)


全く仰るとおりです.

It is important to analyze the concrete cause of error in order to maintain and apply the rules of text critique.

kaṣṭataraḥ pāṭho maulikaḥ pāṭhaḥ iti prasiddho nyāyo na sārvatrikaḥ.
katham idaṃ doṣa utpanna iti jijñāsor eva tattvaṃ rājate.
  1. 2013/02/03(日) 10:08:06|
  2. 未分類

古典の読書の意義

橋本さんは『校勘学講義』の日本語版前書きにおいて,現代の新聞や小説を読むことと,古典を読むことの違いを分かりやすく説明してくれています.


現代の新聞や小説が,殆ど無意識のうちに理解されるのは,それが我々の日常生活の中に充満している言葉の世界の一部分を指示するものに過ぎないからである.従って,そのような読書によって私たちは知識を増やし,その知識の刺激の下に思考を進めることは出来ても,読書の行為そのものを通して自らの精神世界の基本構造が変革されていくことは期待出来ない.古籍の理解が困難であるのは,そこに書かれた言葉が我々から遠く離れたものだからである.この遠く離れた言葉を理解しようという願望が,私たちの精神構造そのものを変革していく.(橋本(訳)『校勘学講義』1頁)



現代の新聞をいくら読んでも,自分自身が変わることは期待できないということです.

同時代人である以上,相手が前提としている枠組みは自分のものと同じなので,単に,情報が新たに加えられるだけで,自分の精神世界の枠組みの変更を迫るような深刻な事態にはいたりません.

そんなわけで,気楽に流し読みできたりするわけです.

しかし,古典となると,そうはいきません.

相手は大昔の人です.

一行を読んで理解し,納得するのにも,結構な時間がかかったりします.

時に,その表現や発想は,現代のわれわれからすると,理解しがたいところがあったりします.

古典の偉大なところは,遠く離れた昔の難しい,われわれ現代人には理解しがたいものを無理やりに読むことで,自分自身を変えていくことに在ります.

橋本さんは,続けて,それをパソコンのシステム更新に喩えています.


パソコンに譬えを取れば,新聞・雑誌を読むことはデータを取り込んで保存することに過ぎないが,古籍を読むことはシステムを更新していくことである.(同上 1頁)



目先の分かりやすい情報を追うことがアップデートではなくて,古典から学び,咀嚼を通して自身の理解の枠組みや精神構造そのものを変革していくことが,真のアップデートと言えることになります.

たったの一行を読むのに1時間も2時間もかかって,しかも,なんとか形は訳したけど,結局,その意味するところが分からないという,学部3年生のころの図書館でのランマンの予習を思い出しました.(先生は,ランマン指導30年の原先生.しかも,ちょうど退官される最後の年でした.)

それに比べると,1年生の時に受けた田中先生のヒンディー語は,「空港での会話」「駅での会話」「ホテルでの会話」などが例文で,すいすいと分かるので楽しかったのを覚えています.

現代物ですから分かりやすいはずです.

なぜサンスクリットがあんなに難しいのか,現代語なら1年で読めるようになるところを,なぜ3年も唸らねば一人で読めるようにならないのか.

その理由は,単に,語彙や文法や構文のややこしさだけではない,ということです.

7つも格があって,しかも,男性女性中性があって,というような,文法の煩雑さだけではない,ということです.

古典の読解に必要な隠れたる前提知識が余りにも多いということ,そして,それが,まさに自分の精神世界の枠組み・システムそのものの変更を迫るようなものであったからでした.

学ぶのは楽じゃない,のでした.(もっとも,孔子は「よろこばしからずや」と言ってますが.)
  1. 2013/02/02(土) 20:32:50|
  2. 未分類

causes of error

王念孫は,各種の訛誤の原因を分析して,各種の通例を帰納しています.

「あるある」と頷かされるものばかりです.

漢文特有の事情は別として,サンスクリットにも使えそうな興味深い通例を抜き出すと,以下のようになります.

橋本(訳)『校勘学講義』76-78頁(英訳は片岡がつけたもの)


1.見慣れない字に由来する誤り
An error due to an unfamiliar letter

7.二字を一字にしてしまったもの
Two letters made into one

8.誤字と正しい字が併存しているもの
Juxtapose an incorrect letter with a correct one

9.校正者の書き込みが本文に紛れ込んだもの
An editor's note which crept into the original text

10.数文字の衍文
Redundant letters

11.脱字が数文字から十数字に及ぶもの
Skipped letters

12.誤字と脱字と両方あるもの
Juxtaposition of an incorrect letter and a skipped letter

14.注文が誤って本文に紛れ込んだもの
A sentence of a commentary which crept into the mula-text

15.錯簡
Disorder of folios

17.意味が理解できないために勝手に改めたもの
An arbitrary correction due to non-understanding of the meaning

18.見慣れない字であるために勝手に改めたもの
An arbitrary correction of an unfamiliar letter

20.意味が理解できないために勝手に文字を加えたもの
An arbitrary addition of letters due to non-understanding of the meaning

24.意味が理解できないために勝手に文字を削ったもの
An arbitrary omission of letters because of non-understanding of the meaning

29.誤字がさらに誤られたもの
A further mistake of a mistaken letter

30.誤字に加えて勝手に文字を加えたもの
Arbitrarily adding a letter on top of a mistaken letter

31.誤字に加えて勝手に文字を削ったもの
Arbitrarily omitting a letter on top of a mistaken letter

32.脱字に加えて勝手に文字を加えたもの
Arbitrarily adding a letter on top of a skipped letter

33.脱字に加えて勝手に文字を削ったもの
Arbitrarily omitting a letter on top of a skipped letter

36.誤字に従って注の文字を改めたもの
Correcting a letter of a commentary following a mistaken letter

45.誤字のために韻が合わなくなったもの
Metrical/rhyme violation because of a mistaken letter

46.脱字のために韻が合わなくなったもの
Metrical/rhyme violation because of a skipped letter

47.文字が顛倒して韻が合わなくなったもの
Metrical/rhyme violation because of switched letters

52.韻を合わせようと改字したが実は韻でないもの
Correction of a letter for the sake of meter/rhyme which in fact does not accords with the meter/rhyme

  1. 2013/02/02(土) 19:44:04|
  2. 未分類

以賈還賈:restore the commentator's presupposed reading of the mula-text

或るテクストXの本来の語xと,そのXの注釈Yが前提とするXの読みyが異なっていることがあります.

その場合,Yの議論は,当然,xの別の読みであるyを前提としているのですから,xとは別にyを考慮に入れる必要があります.

つまり,同じXというテクストを扱っていても,その註釈Yの議論を理解するには,yという異読を念頭に入れて,その是非を判断する必要があります.

Yの議論を扱う際には,yを勝手に本のxと訂正してしまっては,議論が通じないことになります.

つまり,まずは,注釈Yが本来前提としていた形yを確定する必要があります.

ムーラテクストを校訂していると,たまに,注釈の出版本に信頼を置けないことがあります.

というのも,注釈の校訂者が,ムーラテクストの校訂版を参照して勝手に直している場合があるからです.

同じことは漢文でもあるようです.

次のように述べられています.

橋本(訳) 2003:100:

清代の学者段玉裁は,このことを痛感し,次のような鋭い論を述べました.

書物を校勘する本当の難しさは,底本の通りに字を改めて誤りや漏れが無いようにすることに在るのではなく,是非の判断の難しさに在る.この是非には,底本の是非と,立説の是非の二つがある.まず底本の是非を見定めたうえで初めて,その立説の是非を判断することができる.……底本とは何か? 著者の稿本である.立説とは何か? 著者の述べる義理である.……故に経書を校勘するには,必ず賈の物を賈に返し,孔の物を孔に返し,陸の物を陸に返し,杜の物を杜に返し,鄭の物を鄭に返し,それぞれの基づいた底本をはっきりさせなければならない.……


……段玉裁は,経書の校勘の難しい点は,注疏をつけた人たちが注疏の対象とした経典の本文そのものがどんな文字や語句であったのか,そしてそれについてどのような義理を述べているのか,を分析弁別することに在る,と考えており,そのため,まず最初に「以賈還賈」,つまり賈公彦なら賈公彦の注疏を本来の姿に復元して初めて,その是非を判断することができると説いています.



First ascertain the reading of the mula-text that the commentator presupposes (which might be different from the original reading of the mula-text, and which one may not easily notice due to hypercorrection by a later editor of the commentary).

Only then one can judge the value of the commentator's discussion of the contents of the mula-text.

Return the commentator's reading to himself.
  1. 2013/02/02(土) 18:52:30|
  2. 未分類

陳垣の四種の校勘方法

『校勘学講義』117-121頁は,陳垣の『校勘学釈例』の四つの校勘の方法を紹介しています.(以下は内容の要約)


1.対校法:同じ書物の,祖本あるいは別本をつきあわせて読み,違う部分があれば,傍に注記していく.異同の比較.

2.本校法:その書の内部で前後の内容を対照して,異同を見つけ出し,訛誤を知る.分析と考証.その本そのものの中に比較の根拠となる資料がある.

3.他校法:他の書物を利用して校勘する方法.考証.その本が他書の文辞を引用している場合と,他書がその本の文辞を引用している場合と.原文そのままの引用と,原文の意味を転用したものと.

4.理校法:頼るべき古本が無い,あるいは数種の版本がそれぞれに異なってどれに従うべきか分からない場合,是非を判断する.分析と考証.本校法と同様に論理的類推に属すが,その証拠が,関係する専門の知識の検討によって得られる.



さらに,122頁では,著者(倪氏)は,それを内と外に分けて整理し直します.

1.内証あるいは本証:本の中での考証によって得られるもの.対校法・本校法で得られるもの.主で決定的な意味を持つ.
2.外証あるいは傍証:本の外から得られるもの.他校法・理校法で得られるもの.副次的で内証に従属する.



校勘学講義:中国古典文献の読み方
中国古典文献学・基礎篇 (1)
倪 其心 (著)
橋本 秀美 (翻訳), 鈴木 かおり (翻訳)
発行:アルヒーフ
発売:すずさわ書店
2003年11月30日 初版第一刷


1. Correction by comparison: Note variants of the text in question by checking its editions and manuscripts.

2. Correction inside the text: Correct mistakes by finding out sameness and difference inside the text by comparing with its previous and following contents.

3. Correction on the basis of other texts

4. Correction by reasoning



1 and 2 offer internal evidence (which therefore is primary), whereas 3 and 4 offer external evidence (which therefore is subsidiary to the primary evidence).
  1. 2013/02/02(土) 18:20:00|
  2. 未分類

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