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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

alīkaṃ vā

竹中 1979:22.1: vikalpākāramātraṃ sāmānyam alīkaṃ vā

竹中 1979:3: 普遍は概念の形相(vikalpākāra)にすぎないか,あるいは,虚偽なるもの(alīka,仮構された実在しないもの)である。

竹中 1979:18-20: 以上の理由により,仏教論者は,普遍を思惟によって仮構された虚偽なる存在(alīka),すなわち,真実在に対して世俗的存在(saṃvṛtisat)と考え,それの実在性を否認する。



和訳において竹中は「あるいは」と正しくvāを訳しています.

にもかかわらず,解説においては,二つの選択肢が,同じ共通性にかかる二つの形容詞,あるいは,単なる言い換えと解釈したようです.

つまり,普遍という概念形象は虚偽なるものだ,というように解釈していることになります.

しかし,筆者の一連のアポーハ論研究で示したように,ここで念頭に置かれているのは,アポーハに関する認識内形象論者と虚構論者の二派の対立です.

したがって,二つを一つにすることはできません.

二つは訳語の通り「あるいは」で結ばれるべき選択肢であるべきです.
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  1. 2014/10/24(金) 10:29:40|
  2. 未分類

竹中 1979

p. 2, l. 5
本性をもつ個物の>本性をもつ個物

p. 2, l. 14
根拠(paramāṇa)もない>根拠(pramāṇa)もありえない

p. 3, l. 4
概念の形相(vikalpākāra)>概念の形象
(ākṛtiを形相と訳しているので,何か他の訳語を使うべきでしょう)

p. 4, l. 2
多様性を立証するために>多様性の成立のために
(ここは,認識論的な論証という意味でなく,物理的な成立という意味でのsiddhiでしょう.l. 16では,「概念知の多様性は成り立つからである」とあります.)

p. 6, n. 58
yajjñāne bhāty > yaj jñāne bhāty
(TS 1005のこのフレーズは,合成語ではないので,間にスペースを入れるべきです.TSPも,この解釈を支持します.)

p. 7, n. 59
vyutpadyate > vyutpādyate

p. 9, l. 3
によってのみあらわれるものであって>によってのみあらわれるものとして説明がついているので
(upapannoの訳語が抜けています)

p. 12, l. 8
Kamarila > Kamalaśīla

p. 12, 13-14
apiの訳語が抜けています

p. 12, n. 70
sattāsāmanya > sattāsāmānya

sattāsaṃānyāṃ > sattāsāmānyaṃ

p. 14, l. 10
二つの形相(dvyākāra)>二つの形象
(竹中 1979:14は,脚注72を付して「実在物に属する二つの性格としての,<普遍>と<特殊>」と注記しています.訳語を区別しなかったことから,「形相=普遍」となってしまうので,本人も,混乱を感じたのでしょう.なお,p. 15の解説においては,「二面性」という語を用いていますから,「側面」と訳すことも可能です.)

p. 17, l. 1
これは>これ

p. 19, l. 12
類であれ,付随的性質であれ,あらゆる場合(すなわち,推論,言語認識等のすべての認識手段の場合)に,>類であれ,付随的性質であれ,いずれにせよ
(単に,先行する二つの選択肢のいずれであれ,という意味です.)

p. 21, l. 22
janayanti > janayati

p. 22, ll. 20-21
vyaktayo vilakṣaṇasāmānyātmakatvaṃ > vyaktayo 'vilakṣaṇasāmānyātmakatvaṃ
(訳は否定辞を入れた解釈をしていますから,ニルナヤサーガル本で抜けているとはいえ,表記の統一上,親切に’を補うべきでしょう.)

p. 22, l. 22
kaś cid eva vyaktayaḥ > kāś cid eva vyaktayaḥ
  1. 2014/10/24(金) 10:19:47|
  2. 未分類

Vṛttikāragrantha

竹中 1978:35
(附記――この論文において,ŚBhのこの一節をŚabaraの見解として紹介したが,これは筆者の誤解に基づくものである。ここに改めてVṛttikāraの見解であることを明記し,訂正したい)



ここで竹中は,『シャバラ註』内のvanavādaの見解を,シャバラではなくVṛttikāraに帰すべきだった,と訂正を加えています.

もちろん,客観的には,Vṛttikāraのものであることに,私も賛成します.

しかし,さらなる問題として,クマーリラやパールタサーラティが,どのように受用していたのか,という彼等の視点の問題があります.

つまり,彼等も,この箇所を含む1.1.3-5の所謂Vṛttikāragranthaを,シャバラ作ではなくVṛttikāra作だと見なしていたのか,ということです.

拙著『ミーマーンサー序説』のpp. 62-71で議論したように,事は簡単ではありません.(寺石 1997などの議論を参照する必要があります.)

結論からいえば,クマーリラは,vanaの議論は,シャバラ自身の記述になると見なしていたようです.

すると,当然,パールタサーラティも,そのように考えていたはずです.

そう思ってŚDを読むと,確かに,パールタもそのように考えている様子です.

p. 48, ll. 1-2:
vṛttikāras tv anyathedaṃ varṇayāṃ cakāretyevamādinopavarṣamatena tasya nimittaparīṣṭir ityevamādisūtratrayam anyathā kṛtvā vyācaṣṭe bhāṣyakāraḥ.
「いっぽう註作者は別様にこれを説明した」以下により,ウパヴァルシャの見解によって,バーシャ作者は,「それの原因考察」に始まる三つのスートラ(1.1.3-5)を,別の仕方で,説いた.



ここから分かるように,註作者=ウパヴァルシャの見解に則りながら,シャバラ自身が説明した,とパールタは書いています.

ということから,クマーリラと同じように,vanaを含む箇所についての著述主体は,シャバラだと,パールタも見なしていた,ということになります.

さらなる証拠として,Nyāyaratnākara ad ŚV nirālambana冒頭のパールタの次の言明があります.

"nanu sarva eva nirālambanaḥ svapnavat pratyayaḥ" ityādinā bāhyārthasadbhāvaṃ pratipādayati bhāṣyakāraḥ.
「残らず全ての認識は,夢のように,所縁を欠いているのではないか」以下により,外界実在が存在することをバーシャ作者は説いている.



ここからも,nirālambana以下について,バーシャ作者であるシャバラが主体だとパールタが考えていたのは確かです.

すると,Śāstradīpikā 97.8: pratipādayatiの主体も,竹中 1978:38の解説のようにVṛttikāraとすべきではなく,パールタの視点に則るならば,シャバラにすべきということになります.

もちろん,シャバラの記述は,Vṛttikāraに則っているので,実質的には,いずれであっても大した問題ではないのですが,あくまでも,形式上では,シャバラだということになります.
  1. 2014/10/24(金) 00:50:39|
  2. 未分類

竹中 1978

p. 40, n. 16
sambandho’ pi > sambandho 'pi

p. 46
その〔xの発生した場所に存在していなかった > その〔xの発生した場所に存在していなかった

p. 46, n, 34
yeṣyāṃ > yeṣāṃ

p. 51
可能であろうか。>考えられようか。(ここは,saṃbhāvyetaの訳である.)

p. 55, l. 17
śabdasyâpaurṣeyaḥ > śabdasyâpauruṣeyaḥ

p. 56, l. 10
vyaktav > vyaktāv

p. 56, l. 17
dviguṇôpalabheta > dviguṇôpalabhyeta

  1. 2014/10/24(金) 00:18:56|
  2. 未分類

形相論題

ākṛtyadhikaraṇe vakṣyate.

竹中 1978:38:
形相を論題とするところ(ākṛtyadhikaraṇa)で説かれるであろう。



片岡:
形相論題で述べられることになる.

ākṛtyadhikaraṇaは,バフヴリーヒと取る必要はないでしょう.
  1. 2014/10/24(金) 00:08:08|
  2. 未分類

upalakṣaṇa

Śāstradīpikā 97.9-10:
na hy asatyām ākṛtau vyaktibhiḥ śabdasyāpauruṣeyaḥ saṃbandhaḥ sidhyati, tāsām anityatvāt, upalakṣaṇasyāpi nityasyābhāvād ākṛtyabhāve.

竹中 1978:38:
なぜなら,(i)形相が実在しなければ,語と諸個物とでは非人為的(apaurṣeya)な関係が成立しないからである。〔というのは〕それら(諸個物)は無常であるからである。〔また〕(ii)形相が実在しなければ,〔関係の恒常性を間接的に示すような〕恒常な徴標(upalakṣaṇa)はないからである。



片岡:
なぜなら,形相が存在しないなら,言葉が持つ,諸個物との間の非人為の関係は成立しないからである.というのも,それら(諸個物)は無常だからである.[諸個物を]指し示してくれる[単一の]ものも,常住なものは,形相が存在しないならば,無いからである.

ここで問題となるのは,upalakṣaṇaが何か,ということです.

ここで問題となっているのは,「牛」という言葉と関係を持ち得る単数・常住の何かです.

諸個物は無常であるが故に候補者たりえません.

そして,形相の実在を認めない場合には,他に何も候補者はない,ということを言いたいはずです.

すなわち,ここでのupalakṣaṇaは,「牛」という言葉がそのupalakṣaṇaを介して,全ての個物としての牛達を指し示す際の目印となるものであるはずです.(カラスがデーヴァダッタの家を指し示してくれる目印となるように.)

「牛」→upalakṣaṇa
        ↓
      諸個物

「常住なupalakṣaṇa」と言っていますから,常住・単一な普遍のような役割を果たしてくれる何か,を求めているわけです.

関係の恒常性を間接的に示すような徴標ではないでしょう.

関係の恒常性(saṃbandhanityatā)に対して,恒常な徴標(nityopalakṣaṇa),あるいは,徴標の恒常性(upalakṣaṇanityatā)が,間接的であれ,正しい理由となることはありません.

むしろ,それは,原因(kāraṇa)となるべきものです.

また,徴標=理由,というように理解する場合,「恒常な」という形容詞の役割が不明となります.

例えば火の徴標である煙は,恒常ではありませんが,立派に火を指し示す理由となります.

また,既に述べたように,upalakṣaṇaといえば,まず第一に,デーヴァダッタの家を指し示してくれるような目印としてのカラスを思い浮かべるのが当然なので,構造的に,恒常性を指し示す理由というのは,少し平行構造が違ってきます.

個物の上にある普遍のような常住な何かは,家の上を飛ぶカラスと同じ構造です.

いっぽう,恒常性の上に常住な徴標がある,という構造にはなっていません.

なお,竹中は,ここでも,また,論考末尾に付したテキストにおいても,apaurṣeyaとuを抜かしています.

正しくは,apauruṣeyaです.




『シャーストラディーピカー』和訳シリーズの次の論文,竹中 1979にupalakṣaṇaが再登場します.

竹中 1979:19-20:
〔語等が〕仮構された付随的性質にもとづくものであっても,根拠となる単一の〔第一義的〕性質(upalakṣaṇa)がなければ,〔それらは〕それ自身の本性(すなわち,対象表示機能)をもつことはできないからである。



原文は,aupādikānām api mūlopalakṣaṇam ekam antareṇātmalābhāvāvāt.

ここには,「単一の」という形容詞がついています.

つまり,何か,共通性となるもの,ということです.

その直前の文章(jātir vā bhavatūpādhir vā sarvathā tāvat sāmānyarūpam apekṣitavyam)からも明らかなように,それが,実在する普遍であれ,あるいは,何らかの付随的性質ウパーディであれ,いずれにせよ,何らかの一者たる共通性が必要となる,ということです.

その一者たる共通性のことをウパラクシャナと呼んでいるわけです.

なお,ここで,ātmalābhaに竹中 1979:20は脚注82を付して,この理解がJ. Sinhaに基づくことを説明しています.

しかし,ātmalābhaの第一義は,自体獲得であり,ようするに,存在するようになる,この世に生を受ける,生起する,ということです.

「自体を獲得することがないから」つまり「語は語として存在することすらなくなってしまうから」となります.

ここの文脈では,「語が語たりえない」ということですから,J. Sinhaの理解は,文脈に基づいた第二義としては正しいと言えます.
  1. 2014/10/24(金) 00:03:58|
  2. 未分類

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