Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

チェアマン

仏教部会のあさいちのチェアマン.

当然というべきか,不在.

というわけで,仕方なく,チェアマン不在で発表が(5分遅れほどで)始まっていました.

途中,10分ほど経った頃に,チェアマン登場.

現地側の人の様子です.

遅刻をまったく気にする様子もなく,席に座っていました.

タイの方はおおらかです.

哲学部会は,アクルジュカル先生が仕切りになって,あれこれと指示しているので,チェアマン不在ということはないのですが,「みんなわざわざ海外から来ているのだから」ということで,質疑応答の時間は結構ちゃんと取るので,時間が押し押しになってます.

休憩時間の15分を全部食ってやっているのに,それで続けて次のセッションにはいるのかと思いきや,休憩はちゃんと取るので,結局,次のセッションも調整なしで,遅れて始まってしまいます.そうすると,その日の一番最後の石村君みたいに,6時おわりになるわけです.時間きっちりなのは,ドイツ・日本くらいでしょう.同時並行の別番組に移動する時に,時間がずれていると非常に不便です.
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  1. 2015/06/30(火) 08:25:11|
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トレンド

印象としては,やはり,ガンダーリー写本関係者は,勢いがあります.

やっていることが実質的ですから発表も面白い.




哲学部会は,バルトリハリについての発表が続きました.

やはり,バルトリハリは人気があります.

アイヤーのおかげだと思います.やはり,英語での紹介本があるのとないのとでは大違いです.

しかし,アイヤーとラグナータシャルマの校訂・ノートがあるとはいえ,肝心の校訂がやはりまだまだですから,どうも,足腰がしっかりしないという危険があります.




今回は,珍しくも,マンダナについての発表が二人.

ウーゴのは文意としてのpratibhaについてなので,小川先生が以前にどこかで発表されていたのと興味関心は同じものです.

バルトリハリ→マンダナ

というラインは,斉藤さんの発表からも明らかでしたが,やはり,重要です.

マンダナの場合,「この著作は文法学,この著作はミーマーンサー,この著作はヴェーダーンタ」というように分けるのではなく,全てを総合的にやる必要があります.別に,「後から別の学派に転向した」というわけではないはずです.斉藤さんのように,マンダナの著作全部,というような方向で研究を進める必要があるでしょう.

幸い,テクストに関しては,ブラフマシッディは校訂が完璧,それに,註釈類も既に綺麗に校訂されて揃っていますし,さらに,最新の研究であるディワーカルのものもあります.というわけで,ブラフマシッディに関しては,珍しくよい状況です.

Vidhivivekaに関しては,スターンの前主張部の,これまた凄い校訂があります.後半部がまだなので,そこに関しては,悪い校訂に頼らざるを得ないので,困りますが.(大昔に『パンディット』に掲載されたものと,それに基づくゴースワーミーの出版です.)

スポータシッディも,校訂がよく,しかも,懇切丁寧なケーララの註釈がありますから,こちらも問題なし.

しかも,スポータシッディの場合は,すでにアイヤーの英訳もありで,取っかかりとしては非常にやりやすくなっています.

マンダナの代表的なこの三つの著作を読めば,いろいろと面白いことが分かるはずです.

文法学,ミーマーンサー,ヴェーダーンタにまたがってやるわけですから,やる側の力量が問われますが.

ブラフマシッディとスポータシッディの校訂がよいのは,クップスワーミシャーストリーを始めとするマドラス学派が,あれこれと基本的な作業をやってくれているからです.彼らの仕事の意識の高さには驚かされます.

それに比すると,ベナレスからの校訂のレベルの低さにはあきれます.もちろん無いよりましですが...

しかし,いったん出版されると,インドの場合,「ならそれでいいや」ということになって,やり直すということがほとんどなくなってしまいます.結局,スターンの校訂のように,誰かがやり直さなければいけないことになるわけです.

やはり,研究の最初にちゃんとした校訂があるかないかは,その後を大きく左右してしまいます.




バルトリハリといえばアクルジュカル先生.

バルトリハリに関しては,さすが,どこに何があるか頭に入っているので,コメントも,「それに関しては,あそこを参照したらいいよ」というものが続きました.




にしても,ミーマーンサー研究者も,昔に比べるとかなり増えました.

むかしは,外国人研究者でテクストをちゃんと読んでいるまともな研究者というのは,テイバー教授くらいという状況が続いていましたが,いまは,地道に読んでいる人がヨーロッパにもアメリカにも日本にもいます.
  1. 2015/06/30(火) 08:10:35|
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16th World Sanskrit Conference, Bangkok, Thailand, June 28-July 2, 2015

Renaissance Bangkok Ratchaprasong Hotel

二日目は朝の8時から.

June 29th (Monday), 2015

第二ラウンドに仏教部会で発表予定.

移動するとトラブルが多いので,最初から仏教部会にいることに.

Constanze Pabst Von Ohainさんは,asrayaparavrttiについて.

CristinaPecchiaさんは,ダルマキールティ研究の方法論について.emicとeticの対比.

GiacomoBenedettiさんは,マハーバストゥにおける苦行,林棲の観念について.

Hiroko Matsuokaさんは,いつものように,TSのBASK関連.今回は,sahopalambhaniyama.

続いて,Hiroshi Nemotoさん.ジャムヤンシェーパ関連で法身.

いずれも,ひとりは25分の持ち時間.

休憩を挟んで,つぎは,

Huanhuan HeさんのCakradamaruについて.内容は昨年のダルマキールティ学会と基本同じです.

Jason Neelisさんは,ガンダーリー写本関係.

Jowita Kramerさんは,MSAにおけるmanaskaaraについて.

続いて,自分.

Kei Kataoka
Sucaritamisra on Apoha

パトリックが無相有相について質問.

時間切れで質問は一人のみ.

午後は哲学部会へ.

アクルジュカル先生の隣に着席.

VP関連の発表が続きます.

午前の最後の人が間に合わなかったので,その分,一人多く入れ込んで始まりました.

Uttara Nerurkarさんには,アクルジュカル先生が質問.

antarabhaavaatはおかしいやろ,と指摘していましたが,さすが,その通り.

テクストを調べるとantarbhaavaatの間違いでした.

Evgeniya Desnitskaya

Marco Ferranteは,シシュタと一切知.

こちらもアクルジュカル先生が質問.相対から絶対への論理的な流れについての指摘.

Tzohar Royにつづいて

David Hugo
Cognition without an object? Mandana Misra on the epistemological valuse of ``intuition'' (pratibhaa/praatibha)

シュローカヴァールッティカのアポーハも引用していました.

後から,異読を指摘しておきました.

休憩を挟んで,かなり遅れて開始した最後のラウンド.

Akane Saito
Perception of the word in the Brahmasiddhi of Mandanamisra

そのあとは,

Monika Nowakowska
Laukiki hi lak.sa.naa... revisiting the theory of figurative meaning in Mimamsa

Suguru Ishimura
On the Bhaatta School's Concept of `Cognizedness' (jnaatataa)

石村君のは,かなり気合いの入ったすばらしいペーパーでした.

人が少なかったのが残念です.

会場からの質問は,マーナサプラティアクシャとか,パールタは他の議論でもどこかで導入したりしているのか,ということでした.

晩の印度大使館主催のカルナバーラ観劇ツアーバスが5:30からということで,徐々に退場する人がいたため,最後は,僅かになっていました.

押して部会が6時に終了.

朝から晩までで,さすがに疲れました

観劇はパスして,そのまま哲学部会にいた周辺の皆で夕ご飯へ.

ショッピングモールのCentral Worldの6階,レストラン街へ.

タイ料理.

張本さん,ウーゴ他と.

張本さんからは,最近でた著書のコピーを戴きました.

ドイツポストから九大あてに昔に送ったそうですが,どうやら,届いてなかったようです.

さすがドイツポスト.

しばらくすると,大所帯のイタリア組がはいってきました.

エリーザの姿も.




きょうは,朝から晩まで長丁場過ぎて,睡眠不足もあり,さすがに疲れました.

帰りに向かいのセブンイレブンによると,観劇を終えて来たと思われるインド人の先生方がうろうろ.

「バナナがどうのこうの」とか言っています.

ベジタリアンでしょうから,きっと明日の朝飯の調達でしょう.




日本人の中にはさっそくに体を壊す人も有り,波乱の二日目でした.
  1. 2015/06/30(火) 00:44:52|
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WSC1

王女様の挨拶があるため,8:30までに会場入り.

セキュリティーの関係で,それ以降は入れないとの警告有りでした.

Mersに備えて,全員,体温まで測っての入場.

インド人参加者が多いため,英語,ヒンディー語ちゃんぽんでの注意連絡.

挨拶は,まずタイの文部大臣,

その後,国際サンスクリット学会会長のクトゥンバシャーストリーの挨拶,

続いて,王女様,

続いて,インドの外務大臣スシュマー・スワーラージさんの挨拶.

クトゥンバシャーストリーはもちろんサンスクリット語で,最後の外務大臣も,えらく流ちょうなサンスクリットでした.

10:30の「ティーブレイク」の休憩は,外にティーがあるとのこと.

行ってみると,ジュース.ティーがなくてかなりがっかりです.

えらくでっかい箱にサモサとスウィーツが入っていました.

ジュースは甘過ぎのパックジュース.

案の定,配給窓口に人々が殺到して,大変な混雑ぶりでした.インド映画館のチケット売り場のようでした.

キーノートは,ブロッキントン.

あれこれと,東南アジアの碑文.

および,ラーマーヤナの受容などなど.

その後,ランチ.ポーランド組とフランス組に囲まれてのランチでした.

久々にパスカルに再会.

午後は,インド人向けの講演パネルなので,飛ばして,皆でコーヒー.

最後に会場入りして聞いていると,ようするに,外側のレンズではなく,内側からのレンズで文献学をやる必要があるとのインド人パネリストのマルホートラさんの主張でした.(つまるところアメリカ東洋学はけしからんとのことでした.)

彼の発表前に,インド人の一団が会場を出て行っていたので,あれこれとインド人の中での対立もある様子でした.

15:00から,ようやく,学会発表開始.

同時並行で10部会あるので,選択に迷います.

しかも,上下階の移動がエレベーターしかない上に,そのエレベーターがなかなか来ないので,かなり不便です.

選びに選んで,最初は,ロシュパット教授.

しかし,しょっぱなということで,まだ,みな,会場の位置もわからないのか,始まった当初は20人ほどしかいませんでした.

徐々に人が集まり始めてきました.

どうやら,エレベーターのせいで,みな,時間に間に合わなかった様子です.

ネパールの文学について.

アヴァダーナ関係の導入に続いて,本題のスヴァーヤンブプラーナ,そして,寺院の絵を写真を見ながら解説.

その後,部屋を移動.

佐々木君のVadanyayaについて.

ダルマキールティとシャーンタラクシタの微妙な解釈の違いについて.

その後,ヨーガ部会に移動するも,マランソンはキャンセルとのこと.

どうやら,結構前にキャンセルした人も,プログラムには反映されていないようで,あちこちキャンセルが実はあるようすです.

ともあれ,チェアマン不在の部屋もあったりで,時間管理が適当,喋りたいだけ喋る人がいて,結構こまりものです.

止める人がいません.

Y君は,チェアマンがいたにもかかわらず,チェアマンが時間を間違ったのか故意なのか,10分早めに切られていました.

部屋は大小あれこれと規模が違って,スクリーンの大きさも色々.

小さい部屋は,かなり小さい部屋です.

ともあれ,いまひとつ仕切りの悪い初日でした.

夕食後は,久々の室屋さんを含めて四人でお茶.

レモングラスティーを頼んだつもりが,レモンティーが出てきました.(もちろんチェンジ)




外は暑いですが,中は冷房で,会場によっては寒すぎます.
  1. 2015/06/29(月) 00:38:44|
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WSC

バンコクにて国際サンスクリット学会.

学会のよいところは,何と言っても,研究分野の近い人達が同じ時間同じ場所に集まることです.

サンスクリット研究者の場合,同じ場所・同じ時間に存在することが日常では希有ですから,このような機会は貴重です.

今回の会場は,ルネッサンスホテル.

街中も街中,ど真ん中です.

チトローム駅の真ん前.




福岡11:30発のタイ航空.福岡組は5人.

3:00頃に無事,バンコク黄金地(スヴァルナブーミ)空港に着陸.そこで,羽田組と合流.

荷物受け取りの6番前で網を張っていると,関空組がぞろぞろと登場.

えらく遅れてY教授.

そこから鉄道組とタクシー組と分かれます.

自分は鉄道.空港から終点のパヤータイまで行って,そこから乗り換え.

乗換駅でチケットを買ってホームで待っていると,K先生に遭遇.25年ぶりでした.




降りた駅の地図でホテルの場所を確認していると,T君も偶然に同じホテル.

適当に探したホテルですが,ほかにもひとり,印哲が投宿予定とのこと.印哲3人とは濃いホテルです.

チェックインも早々に,腹が減ったので,周囲をうろうろ.

街中過ぎて,ショッピングモールの中のレストランくらいしか簡単には見つかりません.

ホテル受付嬢に聞いたショッピングモール「Central World」に直行.

レストラン街にあるチャイナ・レストラン「白と黒」で,とりあえず,空腹と渇きをいやします.

その後,会場のルネッサンスホテルの場所を確認.

えらく豪華なホテルのロビーにいると,ビルギットを発見.

昨年のダルマキールティ学会以来ですから,10ヶ月ぶり.

さらに,そこで,広大四人衆に遭遇.そのまま一緒に二次会へ.

レストランへの途上,歩道の向こうから手を振る人が.

モニカでした.カンボジア以来ですから3年ぶりくらいでしょうか.

bangkok1.jpg

写真はCentral World内のタイ料理.ソムタムツナ.辛.涙でました.

ちなみに,同宿のT君は,まだ学会のペーパーが終わってないとのことで,鋭意執筆中.




外国人は,大概,配付資料なしでパワポか,あるいは,パワポも何も全く何もなしが基本です.

日本人は,発音が聞き取りにくいこともあるので,大概みな,配付資料,あるいは,完全原稿を用意して配っています.

パワポの場合,(特に我々の分野だと)文字化けの危険があったり,接続に手間取ったりと,出鼻をくじかれる場合があるので,アナログの配付資料が最も安全です.
  1. 2015/06/27(土) 23:08:44|
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清弁と月称の縁起解釈

『明句論』冒頭,月称は,『中論』の冒頭偈に註釈する中で,清弁の縁起解釈を批判します.

縁起とは,月称にとっては,諸存在が因・縁に依拠して生じることです.

いっぽう清弁にとって,最終的に「縁起」という言葉は,語源分析不可能な語,すなわち,慣用語として理解されます.

すなわち,pratītya+samutpādaと切って理解されるべきものではなく,全体でまとめて,此縁性idaṃpratyayatāと同じと見なされています.

すなわち,縁起とは,清弁によれば,「AがあるとBが生じる」「Aが生起することでBが生起する」ということと同じなのであって,「~毎に到達してから生起する」「~毎に滅すべきものが生起する」というような語源分析によって理解されるべきものではないのです.

月称は,語源分析可能な語として「縁起」を理解し,清弁の理解を批判します.

しかし,世親や陳那の冷めた因果観を経た目で見れば,清弁の言いたいこともよく分かります.

月称にしても,結局の所,pratītya=apekṣyaとすることで問題解決を図っています.

清弁がなぜ「縁起」を語源分析不可能とし,ひとっ飛びに「此縁性」とイコールと言ったのか,その背景にある因果観の変化に注意することは重要でしょう.

そして,同じ問題意識は,月称のpratītya=apekṣyaという解決法にも見られると私は考えています.

月称の批判にばかり気が取られて,彼の言うことばかりを素直に聞いていると,批判された清弁の意図を見逃すことになりかねません.

月称よりも遙かに偉大な論師として有名人だった清弁,彼の発言の一つ一つには,もっと注意を向ける必要があるでしょう.

月称は清弁の記述を捉えて「清弁は前主張の紹介の仕方が下手っぴー」(清弁による前主張の内容理解には誤解がある)と言っています.

原文に即して言うと「先生さんには,再言における下手さがある」(anuvāda-akauśalam ācāryasya),つまり,紹介の仕方が不味い,と言うのです.

わざわざ悪口を言うのに「阿闍梨」という語を付け足しているのも,なんだか皮肉に聞こえてきます.




むかし,江島先生はよく「チャンドラキールティは悪文家だ」というようなことを仰っていました.(本郷三丁目の「庄屋」における談話)

しかし,アンが校訂してくれたこの立派な校訂本を読む限り,そのような印象を私は全く受けません.

普通のサンスクリットです.ダルマキールティのPVSVの青臭い先走った文章に比べると,全然いいです.

悪文との印象は,単に,校訂が悪くて,どうしても読めない箇所があったからでしょう.

極めて慎重かつ精確に作られた校訂本を手にすることができる我々はラッキーということです.

アンに感謝.




長年の作業の途中でローマナイズ原稿からデーヴァナーガリー原稿にコンバートしたせいでしょうか,全ての単語がローマナイズ風に切り離されて,それがデーヴァナーガリーで書かれると,かなり気色悪いです.例えば,

तत्प्राप्तिदर्शनाद् इत्य् एतद् अपि न युक्तम्

のような切り離し方です.

तत्प्राप्तिदर्शनादित्येतदपि न युक्तम्

というのが,普通のエディションによくある繋げ方です.

もちろん,校訂の異読apparatusの都合上,切り離した方が異読を出しやすいというのは分かります.

しかし,普段見慣れた形からの逸脱が違和感を残すのは否定できません.

ドゥ・ラ・ヴァレ・プサンの校訂本は,その点ではやはり「美しい」と思います.

校訂本作成においては,やはり,見た目の美しさというのも重要な要素だと私は考えます.

もちろん,十人十色,単に趣味・好みの問題です.
  1. 2015/06/19(金) 07:55:36|
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MacDonald 2015, Vol. I, p. 131, l. 7

yujyate ity > yujyata ity (according to her convention)

  1. 2015/06/19(金) 07:05:20|
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訃報

非常勤でお世話になっていた阿理生先生が亡くなられたとのこと.(ご往生:平成27年6月7日(日))

通夜 6月9日(火) 19:00-
本葬 7月7日(火) 14:00-

いずれも、久留米のご自坊の誓行寺にて.
  1. 2015/06/09(火) 08:48:55|
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MacDonald 2015, Vol. II, p. 523

Kitigawa > Kitagawa
  1. 2015/06/08(月) 08:00:13|
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Bhāṭṭatantrarahasyam

Bhāṭṭatantrarahasyam. The Bhāṭṭatantrarahasya of Khaṇḍadeva with the Sāraprakāśikā commentary by N. S. Ramanuja Tatacharya.

N. S. Ramanuja Tatacharya; associate editor S. Lakshminarasimham, Regards sur l'Asie du Sud / South Asian Perspectives n˚ 4, Institut Français de Pondichéry, xxi, 664 p., 2015.

Language: Sanskrit. 1200 Rs (52 €). ISBN : 978-81-8470-204-0.

The Bhāṭṭatantrarahasya of Khaṇḍadeva (17th c.) belongs to the Bhāṭṭa school of Mīmāṃsā. It deals mainly with the meaning of roots and suffixes, and their role in conveying the meaning of the sentence. Though this is a topic of grammar, it is widely discussed in Nyāya and Mīmāṃsā works as well. The Bhāṭṭatantrarahasya is divided into two parts. The first part begins with the definition of dharma, the main concept of Mīmāṃsā, and then deals at length with the meaning of injunctional suffix (liṅ), refuting the views of logicians and establishing bhāvanā (creative energy) as the main meaning of the sentence. In the second part, the author discusses the meaning of nominal suffixes (sup), quoting relevant rules from Pāṇinian grammar. Though Khaṇḍadeva's interpretation of Pāṇinian rules deviates from the grammatical tradition in some cases, he tries to prove that there is no violation of grammar by the Mīmāṃsakas.



Given the complexity of the Bhāṭṭatantrarahasya, Prof. Ramanuja Tatacharya presents it here with his own commentary, the Sāraprakāśikā. Also included are an index of the Pāṇinian rules, an index of the kārikās (citations) and a bibliography.

Keywords: Mīmāṃsā, Bhāṭṭa school, commentary

About the commentator
Professor N.S. Ramanuja Tatacharya is one of the senior authorities in the fields of Nyāya, Vyākaraṇa, Pūrvamīmāṃsā and Uttaramīmāṃsā. Since retiring as Vice-Chancellor of the Rashtriya Sanskrit Vidyapeetha of Tirupati, he has been associated with the French Institute of Pondicherry as Honorary Professor. His profound scholarship has earned him many awards, including the Certificate of Honour for Proficiency in Sanskrit conferred by the President of India and the Chevalier de la Légion d’Honneur awarded by the French government. He has been awarded the titles of Tarkavācaspati and Śāstraratnākara by the Head of the Sri Raghavendra Swamy Matha and the Sri Vedanta Desika Sampradaya Sabha, respectively. He is also the recipient of the Ramakrishna Dalmia Srivani Alankara Award of the Ramakrishna Dalmia Srivani Nyas, and the Vachaspati Puraskar Award of the K. K. Birla Foundation.



To order, contact:

Institut Français de Pondichéry

P. B. 33, 11, St. Louis Street,
Pondicherry-605001, INDIA
Ph: +91-413-2231660 / 661. Fax: +91 413-2231605
E-mail: library@ifpindia.org
  1. 2015/06/03(水) 18:48:07|
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日本南アジア学会九州支部6月定例研究会



 「日本南アジア学会九州支部 6月定例研究会」

日時:6月6日(土)13:30-17:00(懇親会は17:15-19:15)

会場:九州大学教育学部会議室(教育学部棟1階)
  
    〒812-8581 福岡市東区箱崎6-19-1
  
    地図、交通案内はhttp://www.education.kyushu-u.ac.jp/accessesをご参照ください。
     
発表者:
日下部達哉氏(広島大学)
「 現代南アジアにおけるムスリムネスの創造とその普及プロセス」

古田弘子氏(熊本大学)
「スリランカの障害、教育とジェンダーー高等教育を受けた障害者に焦点をあててー」
  1. 2015/06/03(水) 18:38:48|
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