Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

Reflections on the role of stemmatics in critical editing, with special reference to the edition of Sanskrit texts

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■日時:2015年10月23日(金)13:30〜17:30
■講演者:Harunaga Isaacson 教授(ハンブルク大学/筑波大学)
■演題:"Reflections on the role of stemmatics in critical editing, with special reference to the edition of Sanskrit texts"
■会場:筑波大学東京キャンパス118
    ※丸ノ内線 茗荷谷駅下車「出口1」徒歩5分程度
アクセス: http://www.tsukuba.ac.jp/access/bunkyo_access.html

■主催/共催
東京大学人文社会系研究科インド文学・インド哲学・仏教学研究室、
筑波大学人文社会国際比較研究機構、
筑波大学人文社会系海外教育研究ユニット招致プログラム

Tokyo 017039843

写本の系統図であるステマ、つまり、樹形図についての批判的考察。

ステマがないのはアンクリティカル、あればクリティカルといった見解は安易に過ぎます。

そもそも理論的にステマが可能なのかどうかという反省が必要。

実際のところ、二親などのコンタミネーションを考慮すると、一義的に自動的に客観的にステマが導出されるというのは楽天的過ぎます。

一つの親から2股か、あるいは、3股かというだけでも、実は一義的には決まりません。

しかし、現実には多くの校訂本が2股です。

これは異常です。

すでに何らかの先入観が働いているといわざるをえません。

また、ステマが実際の校訂作業において万能の魔法の杖になるかのような幻想は捨てるべきです。

2股において、いずれを採用すべきかについて、ステマは自動的に答えを与えてくれるわけではありません。

異読データから一義的に導かれた客観的なステマが何か客観的な指針を機械的に与えてくれるというのは幻想です。

また、異読データから自動的に一義的に同じステマが導かれるかどうかも怪しいものです。

データをどのようにとるのか、一音節ずつか、単語か、句かで、また、いずれの読みを正しい読みとして採用し、いずれを誤った読みと看做すのかによっても、処理結果は大きく異なってくるはずです。

ある人が提示するあるステマも沢山ある可能性の中のほんのひとつの仮説にすぎません。

結局のところ、一個一個の場面で我々は、あらゆる可能性を考慮しながら最善の結論を出すという決断を迫られます。

その判断において、ステマが本質的に重要な、必要不可欠な役割を果たすということは、つまり、われわれが頭を使わずともステマが自動的に答えを与えてくれるということはありません。

ステマがなければ主観的、ステマがあれば客観的という図式的理解は当てはまりません。

ステマの理論的限界、効用の限界を我々は知っておくべきです。

校訂という作業が写本から異読を客観的に記録するだけの機械的作業だと思っている人は、校訂の何たるかを未だ知らない人でしょう。

校訂において我々は不断に判断を迫られます。

色々な確度の証拠のあれこれを勘案しながら、我々は答えを導かねばなりません。

批判的校訂の「批判的」は、ステマの有無によって決まるのではなく、一個一個の場面での判断の妥当性によって決まります。

その判断において必須となるべきはステマではありません。

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  1. 2015/10/16(金) 18:43:32|
  2. 未分類

1st International Workshop on Comparative Philosophy of Perception

1st International Workshop on Comparative Philosophy of Perception

at Shinshu University

14 (Sat) -15 (Sun), November, 2015

 Workshop venue: The workshop will be held in the Conference Room on the 6th floor of Faculty of Arts & Economics Building of Shinshu University.

 Program: 14. November (Sat) Workshop 1st Day
13:00-13:50 Keynote speech:
Eli Franco (Leipzig University, Germany)
“Another way of doing comparative philosophy”

14:30-17:30 Section 1
Karin Preisendanz (University of Vienna, Austria)
“Impediments to Perception in the Early History of Indian Philosophy”

Kei Kataoka (Kyushu University, Japan)
“A Brief Sketch of Indian Theories of Error (vibhrama)”

Phyllis Granoff (Yale University, USA)
“The Language of Perception: Śrī Harṣa’s Khaṇḍanakhaṇḍa-khādya”

Yoichi Iwasaki (University of Tokyo, Japan)
“Are Logicians Enjoying Music? Nyāya’s Structured World and Destructuring Cognition”

18:00- Dinner

15. November (Sun) Workshop 2nd Day
9:30-12:00 Section 2
Koji Tanaka (Australian National University, Australia)
“A Role of Perception in Inference - A Study of Candrakīrti and Dharmakīrti”

Patrick McAllister (University of Heidelberg, Germany)
“Prajñākaragupta on perception and inference”

Shinya Moriyama (Shinshu University, Japan)
“To what extent is perception nonconceptual? An analysis of pseudo-perception (pratyakṣābhāsa) in the Buddhist epistemology”

12:00-13:20 Lunch

13:20-15:20
Naozumi Mitani (Shinshu University, Japan)
“On the Philosophical Grammar of Perception: A Sellarsian approach”

Naoya Fujikawa (Tokyo Metropolitan University, Japan) “Hallucination as Seeing Nonexistent Objects”

Seishu Nishimura (Shiga University, Japan)
“Temporal Discontinuity of Perceptual Experience

15:40-16:30 Chair:
Chizuko Yoshimizu, Tsukuba University, Japan
Open discussion

16:30-16:50
Shoryu Katsura (Ryukoku University, Japan)
Concluding Remarks Organized by the JSPS Project “Comparative philosophy as a method of the transdisciplinary study”
  1. 2015/10/16(金) 18:42:18|
  2. 未分類

湿った薪との結合:所証の能遍である場合に,能証の非能遍であるもの

先週の授業の終わりのこと.

「先生ちょっといいですか」との質問で斉藤さんに尋ねられたのが,新論理学的な定義.

そう,ダルシャナをやる人なら一度はどこかで目にすることになるであろうウパーディの定義でした.

ウダヤナに見られる定義です.

問題はこうです.

煙から火の場合,この能証→所証の関係に問題はありません.

しかし,逆の場合,すなわち,火から煙の場合,この能証→所証の関係には問題があります.

この場合,遍充関係,もう少し詳しく言うと,能証が持つべき「所証によって遍充されていること」という性格に不十分な点があります.

なぜなら,火のあるところは煙のあるところを遍充していますが,逆はそうではないからです.

たとえば,鉄球や完全燃焼している薪のように,火を出しているが煙のないものがあるからです.

つまり,火があっても煙がない事例があるということです.

したがって,「火→煙」は言えません.

ここで登場してくる概念がウパーディです.

脇に置かれたもの.

本当のところ,煙を導く能力のあるものは何なのかといえば,それがウパーディにあたります.

具体的には,湿った薪との結合です.

「湿った薪との結合→煙」であれば,100%正しいのです.

この場合,等遍充となります.

したがって,「所証の等能遍である場合に」と記述される場合もありますが,方向性を大事にするなら,「等」は無視して構いませんが,実質的には等となります.

所証と等遍充なのですから,当然,A→Bが言えるわけです.

結果的にウパーディは,我々の実際の感覚では,所証を導く(論理的に引き起こす)隠れている本当の理由,とでもいうべきものになります.




教室で尋ねられたのは,上の定義を説明する次のナヴィヤ的な説明文です.

sādhyasamānādhikaraṇātyantābhāvāpratiyogitvaṃ sādhyavyāpakatvam/
sādhanavanniṣṭhātyantābhāvapratiyogitvaṃ sādhanāvyāpakatvam/

直訳するとギャグみたいですが,次のようになります.

所証と同じ基体を有する<Xの絶対無>のXでないことが,所証の能遍であること.
能証を持つものにある<Xの絶対無>のXであることが,能証の非能遍であること.

実際の所,たいしたことは言っていません.

つまり,煙があるところに必ずあるもので,かつ,火があるところに必ずしもあるわけではないものがウパーディということです.

たんに,「火(能証)→煙(所証)」という論証式の場合に,湿った薪との結合が,どのような位置を取るのかをナヴィヤ的に文章化しただけです.

二つの円が少しずれた図を示すと,ウパーディの位置づけが実感できます.

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この文章にはじめて出会ったのは,学部四年の時でした.

ちょうど前年度の三月に前田先生と原先生という印哲・印文の両巨頭が退官.

純粋にサンスクリットを教える人がいないという困った状況になっていました.

つまり,これからサンスクリットの中級で文献を読もうという時期に,先生の交替期という空白期に当たってしまったわけです.

前田先生の代わりにダルシャナの授業を担当されたのが中観の専門家として有名な江島先生.

4月には先生もやる気満々の様子でした.

学部のダルシャナ授業に相応しいテクストとして先生が選ばれたのが,先生が大昔に中村先生の授業で読んだという『サルヴァ・ダルシャナ・サングラハ』(全哲学綱要)の冒頭,すなわち,チャールヴァーカ(唯物論者)の章です.

しかし,この唯物論者の章.

『綱要』の冒頭だから,簡単に読めるだろうと,なめてはいけません.

なんと,そこには,いきなり上のウパーディの議論が登場してくるのです.

ダルシャナの専門家でもない江島先生には不運なことでした.

何十年前の中村先生の時の授業ノートは全く役に立たないことが判明.

黒板に,能遍・所遍,能証・所証の図を書いたり,あるいは,「いや,ベン図は嫌いだ」などと言いながら,完全に授業は混乱していました.

授業に出ていたのは,学部四年の私,それに修士一年の久間さん,それに,京大から移ってこられた同じくM1の西脇さん.

先生が分からないとなると,逆に,分かるまで徹底的にこだわりたくなるのが学生というもの.

あれこれ分かるまで調べ尽くして,ようやく自分で納得した覚えがあります.

宇野先生の解説だけでなく,JIPのナヴィヤ関連論文をあれこれひっくり返したりしていました.

その時あつめた論文が今もファイルに残っています.(いまやJIPは全てPDFで読めるので論文コピーは不要です.)

学生同士で議論して盛り上がっていました.先生は,むしろ置いてけぼりでした.




「湿った薪との結合」という単語を聞くと,あの頃を思い出します.

ガンゲーシャの『タットヴァ・チンターマニ』という書名で谷沢助手(当時35歳前後)と盛り上がっていました.

「またまた片岡が難しい質問もってきたぞ」などと笑いながら,谷沢さんも真剣に取り組んでくれ,あれこれと読み込んでから要諦を教えてくれたものです.

ウパーディとは何かなど,日本語で読んでもまず分からないでしょう.

なにしろその頃あった訳語が「添性」ですから.

この訳語から何かを読み取れというほうが土台無理というものです.

ダルシャナを研究しようとすると,日本語で読めるものが少ないので,学部の頃は,このような問題にすぐぶつかることになります.

しかし,自分であれこれと調べなければならないという意味では,最初から答えを教えられるよりも,よっぽど根性を鍛えられたかもしれません.独覚メソッドです.

ダルシャナをやると,何のトレーニングもできてない状態でいきなり,「はい,じゃあつぎは3000m,自力で登ってね」と言われるようことになるわけです.

そういうのが好きな人には合っているでしょう.ジャスト・トライ!

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  1. 2015/10/11(日) 19:23:22|
  2. 未分類

Biriyani at 106 South Indian, Fukuoka

106 003

日曜日.

印哲OBと106サウスインディアン福岡店.

特別メニューのビリヤニ.

2138円.

ビリヤニに後付けのナンの蓋.

いまの流行だそうです.

月曜日はマトンビリヤニを試すとのこと.

さすが106.最高級シェフの味です.

これは誰もかなわないでしょう.

インド場末の味でも「インド五つ星ホテル」とかいう謳い文句が日本全国はびこってますが,大概,五つ星の皿洗いかと思わせます.

が,ここは違います.本物.

このレヴェルの高さ,福岡では,「あんまー」の最初のコックさん以来です.

水曜日から始めるというミールスが楽しみです.

伝説のシェフ,スワーミーさん(現在はインドに帰国)もまだ特別滞在中.

ビリヤニのベースは彼が作ったそうです.香りが高い.

そして,シェフのラジェーシュさんは,忙しい中でも,さすがの気配り.

福岡の客の反応を見て,フィードバック学習,いろいろと変化中.

さすが北九州店を成功させただけあります.

すごい本物がミールスだすことになったものです.

数多のナンチャッテを赤面させるレヴェルの高さとなることでしょう.




通常メニューで印象に残ったのはアルー・ゴービーの炒め.シンプルですが真似できないバランス.

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それにバトゥーラー.いわゆるジャンボなバトゥーラーではなくて,小ぶりで厚手です.

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そして,ラムのハンバーグ.文字通り,鉄板のうまさです.名称は「ラム・マサラ」となっています.もっと違うのを想像していましたが,予想を超えるうまさ.

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  1. 2015/10/11(日) 15:46:05|
  2. 未分類

In the campus of Koyasan University

KoyasanUni423098
  1. 2015/10/03(土) 16:04:24|
  2. 未分類

NIN

NayaIndiaNoor20392
  1. 2015/10/03(土) 15:54:00|
  2. 未分類

OHR

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OsakaHalalRestaurant 025

アバスィさん,福岡のマスジドにも来たことがあるそうです.

マリクさんとも知り合いでした.

そして,マルハバのこともよくご存じでした.

さすがパーキスターン人コミュニティー.

あちこち,つながってます.

OsakaHalalRestaurant 026
  1. 2015/10/03(土) 15:43:55|
  2. 未分類

負のスパイラルあるいは円環ループのcakraka

1. 独立行政法人(国立大学法人)化
2. →数年に一回の膨大な書類作成(認証評価・法人評価・自己評価・外部評価)
3. →仕事熱心な働き盛りの教授陣は研究する時間を削って書類作成に忙殺される
4. →論文数の低減
5. →世界ランキング低下:「大学は何やってんだ(怒)!」
6. →制度改革(=改悪)
7. →言い訳のため,さらに複雑・膨大なお役所的書類作成
8. →3に戻る [負のスパイラルあるいは円環ループのcakraka]の続きを読む
  1. 2015/10/02(金) 19:41:55|
  2. 未分類

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