Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

evaやらapiやら

大意を取るのに,まず最初はevaやapiは省いて考えます.

しかし,大意を取った後は,細かいニュアンスを考える段階に入ります.

その際,evaやapiが持つニュアンスの違いというのは非常に大事になってきます.

「だけ」によって作者は何を排除しようとしたのだろうか,「も」によって何を取り込もうとしたのだろうか―――このように読み手は悩むことになります.

このような作業に1時間も2時間も費やすのは,好事家の現代の文献学者だけだろう,というのはあたりません.

昔の註釈者達も,註釈先のテクストに書いてあるevaやapiについて,同じように頭を悩ましていました.

そして,その微妙なニュアンスを捉えきるのは,彼等にとっても決して容易なことではありませんでした.

それらの解釈について,知らぬ顔ですっ飛ばす註釈者もいれば,真摯に取り組んで一言コメントする人もいます.

そして,そのコメントの内容は,註釈者間で異なっていたりします.

つまり,伝統的な註釈者達にとっても,ニュアンスをくみ取るのは決して容易ではなかったということです.

些細な問題に頭を悩ませるのは現代の文献学者だけではなく,昔の人も同じように細かいところに気を配っていたのです.

テクストの細部まで読み取ろうとすれば,いつの時代であれ,誰であれ,そのような作業が必要になってきます.

そして,案外,そのような細部へのこだわりから作者の意図がよりよく見えてくるということは往々にしてあることです.

また,そのような細部に注意しているかしていないか,素通りするかしないか,更にはどう解決するかで,註釈者の性格・態度・技量も透けて見えてくることになります.

evaやapiの解釈は,読み手の技量が問われる試金石となるのです.

もちろん,よくよく考えても分からない場合,実は,evamの間違いだったり,次の語の接頭辞のabhi-の間違いだったりということもあったりはしますから,テクスト批判の方面からも注意を怠ってはいけません.
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  1. 2015/12/30(水) 15:26:22|
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非存在の非存在は何か?

非牛の排除において,非牛というのは「牛でない」ということですから,牛の排除というアポーハのはずです.

つまり,非牛の排除は,アポーハのアポーハ,排除の排除,ということになります.

つまり,非存在の非存在ということになります.

さて,非存在の非存在は結局の所,いかなるものになるのでしょうか?

非存在1の非存在2において,もし非存在2が非存在1とは別様のものになるならば,非存在1はもはや非存在ではなく存在になるはずです.

つまり「牛」の意味が肯定的な存在となってしまいます.これはディグナーガの望まないところです.

では逆に,同様のものだというならば,どうなるでしょうか?

その場合,非存在1=非存在2ということになるので,非牛=非牛の排除,つまり,非牛=牛,ということになってしまいます.

これも困ったことです.

「牛」という語の直接の意味として,牛でないものでない,すなわち,非牛の排除を考えたディグナーガですが,それは突き詰めると,非存在の非存在,ということになるので,存在とならざるをえないのです.
  1. 2015/12/30(水) 02:56:25|
  2. 未分類

非存在を取り除くことはできるのか?


非牛の排除が「牛」の意味だとディグナーガは主張します.

しかし,排除されるべき非牛というものの正体は何なのでしょうか?

「Xを排除する」という時,そのXは存在であって非存在ではありえません.

非存在を排除することはできないからです.(空のゴミ箱の中に存在しないゴミを取り除くことはできません.)

したがって,「非牛の排除」とディグナーガが言うときの非牛というのも,アポーハという非存在ではなく,何らかの肯定的な存在でなければなりません.

言葉の意味を扱っている以上,その非牛は,まず個物ではありえません.

また,上で述べたように,アポーハという非存在でもありえません.

すると,結局の所,なんらかの普遍という実在だと認めざるを得なくなります.(もちろん,これは,ディグナーガにとっては困ったことです.)

また,同じ論理で行くと,非牛と言う時の牛も,牛性ということになります.

まず,非牛というのは,牛の排除と置き換えられます.

排除されるべき牛は,上の論理で行くと,個物でもなく非存在でもないので,残る可能性としては牛性だけとなります.

つまり,非の排除における牛も,結局,牛性ということになるのです.

以上をもう少しややこしく述べると,次のようになります.

非牛の排除1という排除1の排除対象である非牛は何らかの実在する普遍となります.

また,非牛,すなわち,牛の排除2という,もう一つの排除2において排除対象となっている牛は,牛性という実在する普遍になるのです.

ディグナーガは,排除という装置を持ち出すことで牛性を回避したつもりでしたが,排除ということを言う限り,肯定的な存在(排除対象)を認めざるを得なくなるのです.

存在しないものを取り除くことはできないという常識にたいして,ディグナーガはどのように答えれば良いのでしょうか?
  1. 2015/12/30(水) 02:40:28|
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インド思想史学会

KyotoIndoShisoshi13123.jpg

時間があったので,丸太町ではなく,今出川から降りてバス.

百万遍.

キャンパスの中を散歩してから楽友会館へ.

発表者が4人だけということで,今年は開始時間も遅いので,到着には余裕でした.

受付では上田君らが準備中.

会場には既に第一発表者の斉藤さんの姿もありました.

発表は1時半より.

司会は文法学の小川先生.

斉藤さんは原稿が英語なので,発表もそのまま英語.

ポイントが低いので文字が小さく年長者(vrddha)には読みにくいですが,読み上げ速度は遅かったので,英語でも十分に理解可能でした.

マンダナの知覚理論,その背景にあるクマーリラの知覚理論,特に,無分別知覚と有分別知覚について

仏教では,無分別知覚→有分別知覚で,独自相→共通相ですが,ヴェーダーンタは,逆.

最初の無分別知覚が対象とするのは,共通性のほうです.特に,「大有性」とも言われる有性です.

「何か有る」という意識です.

この場合,壺だろうが,布だろうが,「何か有る」という感覚は一緒ということです.

つまり,最初に捉えられるのは,有性です.

その後で,排除がでてきますから,違いが捉えられていきます.

いっぽう,クマーリラによれば,最初の無分別知覚の段階で既に独自相・共通相のいずれも,それと意識はされないものの,認識されているのだそうです.

すなわち,独自相だけ,あるいは,共通相だけ,といういずれでもなく,どっちも把握されている,というのです.

肝心のクマーリラの詩節の解釈ですが,実際には,解釈が分かれる点もあり,歴史的に見ると興味深い問題を多く孕んでいます.

斉藤さんによれば,マンダナのSSにも同じ問題意識が一貫して見られるとのこと.

マンダナの無分別知覚の理論がどこまで広がっていくのが,神学において無分別知覚の役割をどのように捉えるべきなのか,非常に興味深いところです.

  1. 2015/12/21(月) 20:27:23|
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脱落

少し怪しげな読みがある場合,写本をチェックすることになります.

写本の場合,目次も何もないので,当該箇所の場所を調べるのが一苦労です.

打ち込んだテクストと対照させながら,当たりをつけて探すことになります.

前後から絞り込んで,ようやく当たりをつけると,次に,テクストと対照させながら細かく見ることになります.

しかし,どうも,分量的に合わないということがあります.

よくよく見ると,調べたいと思ったパッセージの前後が,ごっそり写本では抜けていました.

心身脱落.
  1. 2015/12/13(日) 07:19:18|
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インド思想史学会 第 22 回(2015 年度)学術大会

インド思想史学会 第 22 回(2015 年度)学術大会のご案内

開催日   2015 年 12 月 19 日(土)
会 場  京都大学 楽友会館 2 階 会議・講演室

参加受付  13:00 –  京都大学 楽友会館 2 階 会議・講演室前

参加費:1000円 懇親会費:3000円

研究発表者および発表題目

13:30 – 14:20 斉藤 茜(九州大学・日本学術振興会特別研究員)
“Mandanamisra's Discussion on plurality (bheda) in the Brahmasiddhi”

14:20 – 15:10 片岡 啓(九州大学大学院・准教授)
「tadvat と apohavat
限定関係をめぐるディグナーガとクマーリラの一議論」

—— 休 憩 ——

15:30 – 16:20 山田 智輝(大阪大学大学院・招聘研究員)
「Rgveda における河川を巡って」

16:20 – 17:10 中村 史(小樽商科大学・教授)
「語り物『マハーバーラタ』の構想・技巧・異伝
—「七仙人の名乗り」を例として —」

総会   17:10 – 17:50  (発表終了後、引き続き 2 階 会議・講演室で)
懇親会  18:00 – 20:00  楽友会館 1 階 食堂にて
  1. 2015/12/08(火) 22:30:00|
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日本南アジア学会九州支部 12月定例研究会


 「日本南アジア学会九州支部 12月定例研究会」

日時:12月5日(土)13:30-17:00

会場:九州大学箱崎文系キャンパス
〒812-8581 福岡市東区箱崎6-19-1

発表者:
中里亜夫氏
「インド・パキスタンの都市搾乳業の展開―酪農革命との関連―」

難波美和子氏
「現代南アジアの英語文学における大衆性と英語」
  1. 2015/12/07(月) 07:30:42|
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savitṛvicāraḥ

京都大学の研究者トーク.

「古代インドからのメッセージ」

斉藤さんの放送分.

オックスフォード留学(2014年の1-3月)のジョン万プログラム生,その一種の報告義務ということで,選ばれたようです.

DJさんが「学生さん」といった言い方をしているのがのっけから気になりますが,それはさておき,斉藤さん,なかなか良いことを仰っています.

「研究者としての覚悟」という言葉が出てきます.

やはり,素晴らしい研究者との出会いというのは重要です.

斉藤さんもお世話になったオックスフォードのサンダーソン教授,本当に刺激的な研究者であり先生です.

残念ながら今年の9月で定年退職.

わたし自身もJunior Research Fellowとしてウルフソンカレッジに所属していたとき,一年間,授業に出させてもらいました.

若い学生をやる気にさせて育てるという意味で,サンダーソン教授は最も成功した研究者の一人でしょう.

多くの研究者を育て,その多くが現在,あちこちのポストで活躍しています.

私がオックスフォードにいたころは,ちょうど,教授の指導学生が博士論文を出し始めたころです.

それでさらに優秀な学生が一層集まるという正のスパイラルが回り始めた頃にあたります.

ドミニク,ソームデーヴ,エリザベス,アレックス,ジェームズ,チャバ,そして,日本からは種村さん.

もちろん,教授の求める水準は高いので,それに答える必要のある博士学生は大変です.

あんまり評価が悪いと落とされて,次の学年に進むことができません.

途中で放り出されて泣いている学生も見たことがあります.

また先生は,博士入学に関しても非常に厳しく審査していました.

この学部生は通すだろうと思っていたら,案に相違して,蹴られているのを見たこともあります.

成績評価に関しては非常に厳格でした.

博士学生は一学期に一回ほどの割合で発表をしなければなりません.

その準備となると,皆,大変そうでした.




良い先生,素晴らしい研究者との出会い,というのは,やはり,進路を決めるに当たっては重要なことです.

幸い,私も,多くの素敵な先生に習うことができました.

中でも,非常勤で外からいらしてくださった先生からは,多くのことを学び,また,刺激を受けました.

例えば,ヒンディー語の田中先生,藤井先生(東京外大).本郷で中級がなかったときは,藤井先生にお願いして,外大の講読演習に出させてもらいました.

サンスクリット講読では,ヴェーダーンタの正信先生(当時は東海大所属)です.

正信先生は,「いやいや,シャンカラさん,それちがうんちゃうか」といった具合に,テクスト内の論争を自分に憑依させながらテクストを読み込むのが常でした.授業後の学士会館で飲んだ生ビール,先生は最初の一杯の頭2cmくらいで3時間,あつくシャンカラについて語っていました.本当はバースカラが好きなんだということも分かりました.

本郷から駒場まで出かけて取った授業に,イスラームの五十嵐先生の刺激的な授業もありました.残念ながら学期途中で先生は殺害されてしまいました.当日,いつまで経っても先生が来られないので自然休講になったのを覚えています.ちょうど,『中東半端が日本を滅ぼす』というタイトルの,一種の暴露本を出版されたばかりの頃でした.

昨今の財政規律により,非常勤枠が減っているのは非常に残念なことです.

出会いから何かが生まれるというのは,起業と同じく,研究にも当てはまることです.

人と人とを結びつける機会が減る,それが非常勤削減の意味するところです.

相手のモチベーションを高めるというのは,表面的なレベルでは不可能です.(それをやると自己啓発セミナーになります.)

結局の所,自分の全人格が関わってくる,ということにならざるをえません.

良い研究者が必ずしも良い先生とは限らないでしょうが,良い研究者であって初めて刺激を与えることが可能となるでしょう.

生み出すのは学生自身であって,教師はそれを鼓舞するのが役割のはずです.

スキルは後から付いてくるものです.

プレゼンのスキルや共同作業のスキルも重要でしょうが,それを懇切丁寧に週に何コマも使って教えるのは,小手先・表面的であり,また,誤ったメッセージ(「ネット情報と小手先のスキルで何とかなる」)を学生に伝えることになるでしょう.アクティブラーナーならぬコテサキラーナー(英語能力・プレゼン能力・社会協調性は高いが国語力・創造性・こだわりの低い学生)を生み出すのではないかと危惧します.

各先生が自分の好きなものを教えて良いという原則は,人間を育てるという難事に関する人間の知恵の一つだと思います.

自分の好きなものに真摯に取り組む姿勢,その熱伝導こそが相手に「覚悟」を生み出すのでしょう.
  1. 2015/12/05(土) 08:56:28|
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नीलोत्पलमिति सामानाधिकरण्यं कथमिति चिन्ता

IslandCityriewrw
IslandCitywrerw
IslandCity4902834
IslandCity34092w
  1. 2015/12/02(水) 07:34:24|
  2. 未分類

कस्त्वमसि ? बुभुक्षुरस्मि | भोजनभोगेच्छाप्रयुक्त इत्यर्थः |

KaisenIchiba32094
Torasan0932
marhaba3904
106SouthIndian 069
  1. 2015/12/02(水) 07:22:15|
  2. 未分類

卒業生の研究室訪問


Y山さんとH坂さんの二人が研究室訪問.

「そろそろ研究室がなくなる」

と思って来たそうです.

が,まだ移転まで2年はあると知って,むしろがっかり.

「なーんだ,急いで来なくてもよかった」とのこと.

移転(そして放棄)に備えて文系の建物は基本何も改修されていないので,昔のままだったようで,「匂いまでそのまま」との感想.

研究室から移動して農学部の生協でランチ.

OGhomon.jpg


その後,中門で記念撮影.

中門のどこにも「九州大学」という揮毫がないので,「入構手続きを行ってください」という注意書きの端にあった「九州大学」という文字を指で指しています.

HayasakaYokoyama
  1. 2015/12/01(火) 07:46:25|
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