Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

大御所参戦

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今回は,時間の合う午前と午後一に,ナティエとブロンクホルストの両大御所教授も参加.

スマイリーなJB教授,楽しげに輪読で翻訳されていました.
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  1. 2016/02/28(日) 19:14:45|
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福岡のも綺麗ですが

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ここには負けました.
  1. 2016/02/28(日) 11:08:55|
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ワッフルにコーンは

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やめてほしい.
  1. 2016/02/27(土) 01:04:13|
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インド留学について

博士課程ともなると,サンスクリットの実力を更に伸ばすために,インド留学も考えるというもの.

しかし,一概にインド留学といっても,分野によって,メリットがあったり,なかったりです.

文法学やナヴィヤニヤーヤ,あるいは,カーヴィヤやアランカーラとかならば,インドに留学する意味はあるでしょう.

先生が沢山いるし,一般的なレベルも高いからです.

そして,注意すべきは,彼等が習ったことのあるテクストを習うほうがいい,ということです.

インドでは,基本的に,新しいテクストを自分の力で読む,という作業は余りしません.

先生から習ったものをそのまま繰り返す,若干のアレンジを加えて,というのが基本です.

自分の力で未知のテクストを応用力で読めるのは,本当に有名なパンディットと言われる人くらいです.

そうでない多くの場合,自分が習った基本テクスト,いわば,高校教科書のような固定した教科書テクストだけに,その人の知識は限定されています.

ただし,暗記するくらいにまでじっくり習っていますが.

また,深めるときも,そのような教科書テクストの註釈を読み込んだりしています.

したがって,ニヤーヤでも,ムクターヴァリーとかなら誰でも教えることができますが,これが,ニヤーヤバーシャとなると,実際には,誰も伝統的に習ったことがなかったりします.

応用力でちょろちょろは読めるでしょうが,わざわざインド留学してまで習うような代物ではなかったりします.

つまり,インド留学するなら,彼等の得意なものを学ぶ方が良い,ということです.

自分の好きなテクストを持っていって「これ読んでください」といっても,外れる場合が多いということです.

そういうことが可能なのは,本当に一部の優れたパンディットだけです.

ミーマーンサーの場合は,もともと母数が少ないので,先生を見つけるのは,至難の業です.

とくに,ミーマーンサーの場合は,英語で学ぶことは,100%ありえません.

サンスクリット会話・聞き取りができないと,習うのは無理でしょう.

英語で習えたとしても,せいぜい,アルタサングラハなどの入門書レベルです.

また,インドで実際に教えられているミーマーンサーは,バーッタディーピカーなどの後代の書です.

古いものは,誰も読みませんし,読めません.

タントラヴァールッティカを教えられる人というのは,滅多にいないでしょう.

ともあれ,インド留学の場合,生活基盤を確立するのが大変です.

ポンディシェリやプーナのように,外国人慣れした場所ならいいですが,私の行ったティルパティなど,外国人が全くいないようなところでは,日本人・欧米人は,勉強以前の段階で多くの苦労を強いられることになります.

わたしも,ミーマーンサーの専門の先生に出逢うまでに10ヶ月かかりました.

また,A先輩は,デリーに交換留学していましたが,「いやー,インド,一年くらいしてから,ようやく勉強できるような環境になるんだよねー」と言っていました.ちなみに,彼の場合,交換留学は一年間なので,帰国間際になって,ようやく勉強できる環境が整ったということになります.つまり,勉強できたのは,ほんの一瞬.

インド留学は,一年では短すぎる,ということです.何も勉強せずに帰ってくることになります.

仏教研究を志す場合,特に,サンスクリット文献を読める先生を探すのはほぼ不可能でしょう.(サルナートやチベタンキャンプのチベット仏教は今は除きます.)

インドの場合,仏教をサンスクリットで読む先生というのは,ほとんどいません.

PVを読んで貰おうと思っても,誰も読める人がいないのです.

その場合,インド留学は的外れ,ということになります.

sikatāsu tailam「砂漠にごま油を」求める,というようなことになります.

そういえば,仏教の後輩も一人,留学したはいいけど,生活の困難さと勉学の不毛さに,さっさと切り上げて帰ってきたのを思い出しました.切り上げて正解だと思います.

以前,九大インド哲学史の歴史をまとめ直しましたが,戸崎先生をはじめとする九大インド留学組も,やはり,インド留学では,えらく苦労していたようです.勉強以前のレベルで,ひどく苦労をされている様子がうかがえました.

戸崎先生も,最初は先生の英語を理解するのに,えらく苦労したそうです.

コミュニケーションの段階で問題を抱えていたそうですが,最後のほうは,非常に勉強になったそうです.

最終的にうまくいった例外的パターンでしょう.

インド留学の場合,やはり,英語で習うのではなく,サンスクリットで習わないと,効率がかなり落ちます.

情報の伝達という点で,サンスクリット→1→非英語話者インド人の英語→2→非英語話者日本人の英語聞き取り→3→日本語,という過程で,脱落するものは,あまりにも多くあります.まず,1の段階で多くのニュアンスが失われます.インド人も,ヒンディー語なり,タミル語なりで説明するならば,多くのニュアンスを込めて説明できますが,英語の場合は,どうしても,大意を取る,ということにならざるをえません.

また,インド人の英語から日本人の英語聞き取り,という第2の段階も,結構あやういものです.

そして,その英語を日本語にもってくる3の段階も,やはり,あやういものです.

我々が努力することで,インド人のサンスクリット→1→日本語,というダイレクトなコミュニケーションが可能になります.

というわけで,まず,数ヶ月を費やしてでも,サンスクリット会話をマスターするのがいいでしょう.

3ヶ月も頑張れば,サンスクリット語で夢を見るようになります.

漢字文化圏の我々は,配布された紙で読むという作業に慣れきっていて,耳から学ぶ,まさにśrutaな耳学問の世界になれていません.

しかし,インドの場合,テクストに目を落とすほうが,むしろ,まれです.

先生が読みあげ,コメントする文章をそのまま理解するのが普通です.

耳から理解します.

サンスクリットでいうśabda(言葉)は何よりも実際の音声のことです.

書かれた文字ではありません.

言語というのは,なによりも音です.

それは,インド人の先生から学ぶという体験を通すと身に沁みて分かります.

その上,暑いと,いちいち本に目を落として,さらに,ノートを取ってという作業が面倒になります.

耳から入ってくるだけで記憶する方が遙かに効率がいいのです.

インド留学の場合,少なくとも勉強に関しては,労多くして実り少なし,という事例が多くあるように思います.9割そうでしょう.

優れたミーマーンサーのパンディットに出会えて親しく習えたわたしはラッキーでした.(しかも彼は気むずかしく,気に入った人にしか教えませんでした.また,パンディットならそうでしょうけど,外国人は,基本,余り好きではない様子でした.面倒くさいからでしょう.)

欧米人の場合,習っているのに先生に噛み付いて反論したりしますが,それは,インドのパンディットに習う場合は,まず止めておいたほうがいいでしょう.

ブロンクホルスト教授も,彼がシヴァラーマシャーストリーに習っていたプーナでの昔話を今回,お茶のみ話で,してくださいました.

ちょっと反論したら,1時間授業のうち,40分もお説教されたそうです.

そこらへんは,日本人なら問題なく黙っていられるでしょうけど,やはり,教育環境が違う欧米人は,先生が間違ったことを言った場合に黙っていられないのでしょう.同様の問題は,私の習ったパンディットからも聞いたことがあります.

「インド人は議論好き」とはいっても,師匠と弟子となると,話は別です.

そこは,東アジア世界と全く同様,尊敬・上下が厳然とあります.

師匠が少々間違ったことを言ったからといって,鬼の首を取ったかのように重箱の隅をつついてはいけません.

そういうもんだからです.

インド世界で学ぼうとするならば,まずは,回路を切り換える必要があります.

郷に入っては郷に従え.

インドに行ったらカレーを食え,ということです.

インドの朝食でうまいのは,やはり,プーリーポテトやイドゥリーサンバルであって,ジャムトーストではありません.
  1. 2016/02/26(金) 19:24:35|
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テクスト

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今回読んだテクストは,

中観
シャイヴァ
仏教タントラ
アビサマヤ
ニヤーヤ
カーヴィヤ

でした.やはり,三つくらいに絞るべきでした.

持ち寄りが多すぎました.少し散漫になった感があります.

ともあれ,カーヴィヤ,シャーストラ,タントラという三分野をカヴァーできたのは成功です.

今回も感じたのは,やはり,カーヴィヤを読まないと基礎的な語学力が身につきにくいということです.

カーヴィヤを読む学生は,シャーストラでも,哲学的な理解は無理でも,語学としては十分に理解できていました.

シャーストラは読めるけどカーヴィヤは読めないという(日本人によくあるタイプの)人は,もう一歩の実力伸張のために,カーヴィヤを読むと良いでしょう.
  1. 2016/02/26(金) 18:49:04|
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がいやん,がいとん,とんやん


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40バーツ.
  1. 2016/02/26(金) 08:28:59|
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Egg Roti

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プレインのシンプルなローティーが好きなのですが,オヤジが「エッグ,エッグ?」と押してくるので,「イエース」.

人気店らしく,ひっきりなしにバイク客が乗り付けて注文していました.

Roti Egg,一枚20バーツ.
  1. 2016/02/25(木) 21:33:45|
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読書会の進め方

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今回,気がついた点.

やはり,『ラグヴァンシャ』のパンジカーのように,カーヴィヤを読む場合は,註釈で読書会をしたほうが,取っつきやすいような気がします.

カーヴィヤだけを読むと,知らない人にはハードルが高すぎるので.

理解し終わっていると,味わいが楽しいのですが,理解する以前にはよく分からないので,やはり,はしごをかけてやるという意味で,注釈文献を通して徐々に登らせていく方が,今回のように予習時間が余り取れない場合の進め方としては,よいような気がします.

あるいは,自分の翻訳を鍛えたいならば,ラフな英訳くらいは事前に用意して,その上に立って,皆で検討したほうがいいかもしれません.

掛詞(シュレーシャ)の場合,いろいろと議論が分かれる可能性があるし,それが詩の醍醐味でもあるので,最初(基本的理解)のほうで時間を潰すよりは,基本的な意味の向こうにある問題に行き着くためには,最初の所のハードルを低くしてやる必要があると思います.

もう一点.

やはり,刊本を読むのではなく,自分のエディションを用意するというのが重要だと思います.

その場の音は空に消えていくので,やはり,どこかに前進した証拠を残す必要があります.その作業は,まずエディションに関して為されるべきです.

さらにもう一点.

自分のエディションを用意する場合,ずらずらとヴァースを並べるのではなく,やはり,文脈に沿った分節化という作業は必要だと思います.

つまり,段落分けです.

項目が5つ挙がっているならば,やはり,(1)(2)(3)(4)(5)というように,見出しを付けて,容易に分かるようにすべきだと思います.作者が明らかに意図していたものをテクスト上に表わすのに躊躇する必要はありません.(もちろん,エディターが付加したものである,ということは断る必要はありますが.)
  1. 2016/02/25(木) 20:18:13|
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サンスクリット合宿

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写本からテクストを作る作業というのは,かなり孤独な作業です.

鬱になりかねません.

一週間続けて朝から晩までシャーラダー文字,そして,次の週はマラヤーラム文字の写本異独情報を記録する,などという生活をしていると不健康極まりありません.

しかし,そのような地道で孤独な作業なしにエディションを作ることは不可能です.

心のバランスを取るために,やはり,作業を終えた後には,あるいは,途中途中には,人と一緒に読むという作業が重要です.

単にそれは読みを直すというだけでなく,精神的にも重要だということです.

エディションを作る→人と読む→エディションを直す→人と読む……

という作業です.

今回のマヒドン合宿では,現在取り組んでいるニヤマンの校訂本を読み会材料に持っていきました.

皆それぞれが,自分が現在やっている材料を持ち寄って,皆でチェックする.

それが会の重要な趣旨です.

これまで,私が公刊したニヤマンの校訂本も,幾つかは,合宿で読み合わせたものを含んでいます.

人と読むと,やはり,自分が気がつかない点についてコメントが出てくるものです.

そして,校訂本のドラフトに手を加えたり,あるいは,不明点を解決するためにノートを付加したり,という作業をすることになります.

あるいは,英語で教えたりする中で,自分でも「あー,こういう可能性もあるかな」という気付きも出てきます.

そして,何よりも,皆で一緒に同じテクストで頭を悩ますというのは,純粋に楽しい経験となります.

共同というのが楽しいと思えるように人間はできているのでしょう.

協働から,これまで自分が知らなかった分野に興味が湧いてくることもあるでしょう.

若い人の興味・知識を広げ,技量を引き上げるためにも,皆で一緒に読むという作業は,とても重要です.

一番はじめにオックスフォード仲間を中心にサンスクリット合宿をやったとき,中心メンバーは,30歳前後でした.

今回も,若手の中心は同じような年代.

文献学では,サンスクリットの実力も追いついてきて,さらに,自分の興味範囲を広げたり,あるいは,技量を上げるには,ちょうどいい年頃です.

今回は,昔一緒にやったメンバー,そして,今は立派な教授となった友人達の,現在の学生ばかりに囲まれていました.

つまり,これから博論を終えようかという元気いっぱいの院生・ポスドク.

今回の合宿では,ニヤマンは意外に受けが良かったようです.

普段は,カーヴィヤは得意だけど,シャーストラは苦手な人が多く,敬遠されることが多いのですが,今回は,メンバーの背景が少し違っていたこともあるでしょう,ややこしい議論にも,よく付いてきてくれていた気がします.

....というわけで,またまた,孤独な校訂作業に戻らねばなりません.
  1. 2016/02/25(木) 20:03:43|
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after reading the Nyayamanjari

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太陽の日差しが別に恋しくとも何ともない日本人としては,おとなしく静かに室内でテクスト読む方が心地良いのですが,欧米人はそうはいきません.

天気が良いとなると「外で読もう」ということになります.

サンスクリット合宿でも,チャンスがあれば,外で読む.

今回は近場の展望所.

マティアによれば,「簡単にのぼれるよ」とのこと.

サンスクリット合宿で,「ちょっとそこまで」は,大概信用できません.

むかし,ハンガリー合宿では,「ちょっとそこまで散歩」とかいって,往復4時間歩かされました.

行けども行けども目標の教会が見えないのに気が遠くなったものです.

また,ポーランドの夏合宿では,「ちょっと山にハイキング」といって,石だらけの歩きにくい山道を延々と登ること数時間,ようやく見えた先には,夏だというのに雪が見えました.

ピーターは,ちょっとした山だと思って,革靴で数千メートルの「登山」をさせられていました.

頂上付近の湖のほとりで,蚊に襲われながらテクストを読んだのが懐かしいような...

というわけで,「ちょっとそこまで」という言葉は最初から余り信用していません.

近くのオープンカフェでニヤマンを読み終えた後,バス移動で着いた先は,案の定,とんでもない急峻な岩山でした.

下から見上げて,「マティアに騙された」と慨嘆するもの多数.

アープタとしてのマティアの地位は地に墜ちました.(ちなみに,マティアは,大学関係の用事のため参加せず.)

しかし,ここまで来たからには登って当然.

覚悟は決めました.

しかし,イタリア人の一名は,最初から降参.下に残って待つことに.

steepな岩場を両手を使って登ること30分.

ようやく頂上に.

たしかに,360度ひらけて,爽快です.

膝が痛くならないよう,ゆっくり下山するため,早々にわたしは下山開始.

木を掴もうとして,掴んだ先がサボテンだったのには焦りました.

すぐに握り替えましたが.

無事,下山.

汗びっしょり.

ごつごつの岩場なので,転んだら怪我は必至.

幸い,誰もころばずに上り下り終了.

にしても,みなさん,山登り,好きですねー.

STさん,実は,山登りが得意なことが判明.

全然平気だったようです.

HMさんからも,山登りの体力を高く評価されていました.
  1. 2016/02/22(月) 20:24:49|
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レジスタンス

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イサーンのソーセージ.

えらくファーメンティドで,とても美味しかったのですが,1時間後に私はお腹を壊しました.(それでおしまい.)

10切れほど食べて美味しかったので,2切れは,SD君に,1切れはHMさんに.

HMさん,さすが,抵抗力が高いので,何も無かったそうです.

いっぽうSD君,そのあとのアイスでお腹の力も弱ったのでしょうか.翌日はダウン.

プーナに行っていたSTさんによれば,同じもの食べたのに,インド人はちょっと頭痛・腹痛くらいで済んで,ネパール人は,病院に担ぎ込まれたそうです.

日頃の抵抗力の鍛え方の違いでしょうか.

ネパールは,写本が長持ちすることからも分かるように,温度も湿度も低いので,雑菌の数も少ないのでしょう.

「インドは庭だから,俺のことは心配するな」と,男らしく,前日から体調を崩したSTさんを気遣っていたネパール人ですが,翌日は,死にそうになっていたそうです.

ネパール人とインド人では,えらくテンションも違いますが,あれは,体内の抵抗力・生命力の強さの違いに起因しているのでしょうか.

やはり日頃の鍛錬は重要です.

我々と一緒のレストランで,勇ましくも,生牡蠣を食べた韓国人Hは,翌日,半死を皆に期待されていましたが,ぴんぴんしていました.

この暑さで生牡蠣にトライするとは,すごいの一言です.

やはり,研究は腹力から.

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  1. 2016/02/21(日) 10:25:32|
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3日目

朝は,ノエミ制作のアル・ビールニーについての映画.

ランチの後,ニヤーヤマンジャリー.

その後,ジャーナキーハラナ.

最後にシヴァダルモッタラ.

いつもながら,20人になると,お互いの声が聞き取りにくいのが問題です.
  1. 2016/02/20(土) 19:33:32|
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2日目

朝は同じくPrP。

縁起解釈。

カゴフショクのお坊様がいらっしゃるので、早めのランチ設定。

午後は、ぶっ通しでクラウディオのKCヴァジラパーニ注。

Sadangayogaについて。

特にディヤーナの中の五つ。

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やはり、4コマは、南国では少し多すぎます。

  1. 2016/02/19(金) 20:11:38|
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冬期サンスクリット集中合宿

朝9時から夕方5時まで.

今回は,結構詰め込んでいます.

9:00-11:15で,まずは,マティアの主導で,Prasannapadaの第一章.

アンのエディションがあるので,細かく検討しながら.マティアが読み進めていく形.

そこから昼休み.

1時に再開.

1:00-2:20で,わたしのNyayamanjari.

今回は錯誤論.

こちらは,講義形式ではなく,輪読.

といっても,実際に訳しているのは,20人のうち,ごくわずか.

張本,マティア,斉藤,アンドレイ,須藤のみ.

それに,大物ゲストのブロンクホルスト教授.

たまたま近くに滞在中で,急遽,参加.

冒頭の内容は,akhyativadaと自律的真について.

休憩なしで,続いて,14:20-15:40,アンドレイとヴィクターのJanakiharana.

それなりにややこしいカーヴィヤです.

最初は,アヨーディヤーの描写から.

こちらも輪読形式.難しいので,輪読者は一部.

続けて,15:40-17:00,フロリンダのSivadharmottara.

こちらは,やさしいので,全員輪読強制参加.

Sivayoginへの供養の功徳,そして,karmayogaとjnanayogaについて.
  1. 2016/02/18(木) 19:27:22|
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社会人文学科

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  1. 2016/02/16(火) 23:35:25|
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マヒドンの学食

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  1. 2016/02/16(火) 23:30:18|
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タイスキ

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斉藤さんのサラヤ到着を待つ間,九大組3人で,夕食.

近くの屋台でタイスキ.

デング熱もタイの一部では流行ってるようなので,少しばかり蚊には用心して,足下は靴にしておきました.

9時頃には斉藤さんも空港からタクシーで到着.

「もうカレーはいい」とのこと.

わたしも,インド初旅行の時,10日くらいで,カレーが無理になったのを思い出しました.

飛行機に何かトラブルがあったらしく,起きたら機内がパニックになっていたそうです.

何が起こったのかは,不明.

まあ,エ〇・イ〇〇アですから.

何があっても驚きません.

斉藤さん,須藤君に頼んでいたインスタントのお粥で整腸.
  1. 2016/02/16(火) 08:32:35|
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右側の唐揚げ屋

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  1. 2016/02/16(火) 08:21:05|
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コンドミニアム出て左側の唐揚げ屋

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張本さんご推薦の唐揚げ屋.一個10バーツ.
  1. 2016/02/14(日) 23:48:04|
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Lunch at Salaya Market

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  1. 2016/02/14(日) 23:20:00|
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After reading a Tibetan text with friends

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宿の近くの食堂で朝食.

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  1. 2016/02/14(日) 17:29:42|
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学振PD

http://www.jsps.go.jp/j-pd/pd_sin.html

九大の学内締め切りは未定.

私の所から出したい方は早めに連絡ください.

誰の紹介も必要ありません.

ダイレクトにメールしていただければ相談に乗ります.

分野はサンスクリットの論書文献です.

そうそう簡単に一発で受かるものではありません.

続けて出していく内に書類も洗練されていくでしょう.

まずはトライ!
  1. 2016/02/11(木) 08:57:12|
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NMカリカット写本

いい写本と出逢うことは,そうそうないものです.

多くが,凡庸なデーヴァナーガリー文字写本で,その間違いを記すという作業に終始することになります.

例えばベナレスには多くのデーヴァナーガリー文字写本が残っていますが,実際のところ「使える」ものは少数だったりします.

マラヤーラム文字写本であるカリカットのNM写本は,その点,まったく違った印象を与えてくれます.

刊本の読みがどんどん直っていくのが分かります.

やはり写本を見てよかった,と思わせてくれる写本です.

カシミールのシャーラダー写本,そして,ケーララのマラヤーラム写本は,サンスクリット校訂作業において,やはり,欠かせません.

亜大陸の周縁に高度な文化伝統が続いていたことに感謝です.

にしても,カシミールのテクストの良写本が,ケーララに残っているというのも,ある種,驚きです.

ケーララの誰かがカシミールまで行って書写してきたということでしょう.

どうやって,シャーラダー文字をマラヤーラム文字に直したんでしょうか.

口頭(つまりカシミール人に発音させてケーララ人が書き写したの)でしょうか.あるいは,ケーララ人自らシャーラダー文字を学んだのでしょうか.

類似した音の間違いの印象はカリカット写本には無かったような....

だとすると,みずから文字を学んで書き写した,ということになります.

テクストを求めて北へ南へ.

今も昔もサンスクリット学者は文献を求めて旅するものなのだな~と思います.
  1. 2016/02/11(木) 08:35:37|
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Boooost, et al

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  1. 2016/02/09(火) 21:11:37|
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The Last Lecture by Prof. Akira Saito at Tokyo Uni

斎藤明教授最終講義 001

根津はいつのまにやらバッタ派に.(グル派も探さねばなりません.)

斎藤明教授最終講義 004

安田講堂下,地下要塞みたいな生協食堂.

斎藤明教授最終講義 005

南蛮定食の持続を確認.

斎藤明教授最終講義 007

全く変わらない法文二号館前.

向こうから歩いてこられたのは福田先生でした.

斎藤明教授最終講義 013斎藤明教授最終講義 024斎藤明教授最終講義 021

最終的に200人はいたでしょうか.

教室が満員.

遅れてきた人の座る席が周辺部には既にない状態です.

見せしめのように,教室の真ん中まで行かねばなりません,

会場係の学生スタッフが誘導.

端にいる人にいちいち詰めてもらっていました.

最終講義まで遅刻してくる「学生」(の大人)は,いったい,どういう常識をしているのでしょうか.

先生の最終の講義授業に「遅刻する」という行為の意味を分かっているのでしょうか.

昔の厳しかった原先生よろしく,時間になったら教室の鍵を内から閉めてもいいと思います.(会場にはその原先生の姿もありました.)

来場者の構成は,東大印哲の現役生・卒業生,学会関係で付き合いのある他大の先生,東大・他大の学生,仏教に関心のある部外者(例えば東方学院・仏青関係の一般),お坊様――といった風でした.

坊主頭の方が,飛び石のように,1割ほどいらっしゃいました.

ところで,ここの教室の出入り口の上にある二つの時計,ずっと(たぶん数十年単位で)調整中です.

「調整中」と書いた紙が,キョンシーの顔のお札みたいに,時計の前面に貼り付けられています.

東大事務,調整する気がないのか,あるいは,100年後くらいに調整完了するつもりでしょうか.

備え付けの埋め込みシステムなので,きっと,修理が不可能か,あるいは,巨額の修理費がかかるのでしょう.




司会は蓑輪先生.

講義の前に丸井先生の挨拶と紹介.

斎藤先生の博論の提出先であるANUを誤って「オーストリア」と発音されていましたが,正しくは「オーストラリア」です.

オーストリアをオーストラリアと間違うのが世間では一般的ですが,インド学関係者にとっては,むしろ,オーストラリアをオーストリアと間違うことの方がよくあることなのかもしれません.

講義は90分ほど.

その後,下田先生の挨拶.




講義内容は,斎藤先生の修論以来のテーマである,中論の二諦説について.

詳しい資料も配付されていました.

雑感エッセイと講演録も添付されていました.

斎藤先生の経歴は,東大倫理→東大印哲→ANU博士→東大印哲助手→三重大→東大.

インド仏教学の系譜的には,平川→高崎→斎藤,となるでしょうか.

前任者である江島先生(同じく中観)は,斎藤先生にとっては,先輩といった位置づけでしょう.
  1. 2016/02/01(月) 07:55:50|
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