Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

羊肉湯




米糕の後は,同じ建物に入る羊肉湯に.

おばちゃんが,手際よく入れてくれます.

待っている間,行列のできている隣のかき氷屋を観察.

持ち帰り用のかき氷は,ぐいぐいっと,入れ物の中に押し込んでました.

あれだと,せっかくのふわふわ感が薄れるんじゃないかと思いますが.
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  1. 2016/05/31(火) 23:12:26|
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蔡家米糕




何軒か店が入るコンプレックス.

夜になるとここの中と通りは,客でいっぱい.

隣に長蛇の列が出来ていますが,そちらは,かき氷店.

横目に見ながら,米糕を注文.
  1. 2016/05/30(月) 21:04:21|
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木瓜牛乳




せっかくなので,パパイアミルクジュース.

にしても,レトロな店構えです.
  1. 2016/05/30(月) 07:02:29|
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土産物購入ついでに東巧鴨肉羹で鴨肉汁飯




鴨肉が美味しかったので,鴨肉汁飯にもトライ.
  1. 2016/05/29(日) 23:36:10|
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義豊冬瓜




長蛇の列の冬瓜ジュース屋.

並んでいる人が余りいないときに挑戦.
  1. 2016/05/29(日) 22:45:29|
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無自性の意味論:ナーガールジュナとディグナーガ

サンスクリット語の発音には,有気音と無気音の対立があります.

例えば,taとthaは,それぞれ,タとタと発音されます.

前者が口の前に置いた紙が揺れないのに対して,後者では口の前に置いた紙が揺れます.

同じtaが,今度は,daに対しては,無声音として,有声音との対立のもとに置かれます.

つまり,ta(タ)とda(ダ)の対立は,無声か有声か,という観点の下に眺められます.

このように,taは,対立する音韻によって,「無気音」と呼ばれたり,「無声音」と呼ばれたりします.

サンスクリット学者であり言語学者であるソシュールにとって,taそれ自身が独立してあるのではなく,対立する音韻のもとで初めて存在意義をもつようになる,ということは自明のことだったでしょう.

差異こそ意味,構造こそ意味ということです.

タミル語であれば,taもthaもdaもdhaも区別しませんから,文字にすると一緒にされてしまいます.

そこに区別はありません.全部同じ音素です.対立するものがなければ,同じものとなるのです.




「白い牛が行く」という文章は,白という共通する性質に限定された,牛性に限定された個物が,進行という共通する行為に限定されている,という事態を表わすと理解されます.すなわち,或る実体の上に,白という性質,牛性という普遍,進行という性質が載っかっていると理解されます.

あるいは,行為を中心に考えれば,白という性質に限定された牛という実体が,進行行為という主要素を実現すると理解されます.

いずれにせよ,それぞれの語は,それぞれの独立した意味を表わすと前提されています.

つまり,「牛」が牛性という普遍を,「白い」が白という性質を,「行く」が進行という運動を,というようにです.

それぞれの語には対応する意味対象があり,それぞれの語と意味とには一対一の対応があります.

当然,意味というからには,普遍的であり不変のものでなければなりません.

その場限りでしか通用しないような意味は,コミュニケーションには用いることができないからです.

昨日の牛と今日の牛,あるいは,百年前の牛にも百年後の牛にも共通するような牛性を「牛」という語は表わすはずです.

このように,語には,しっかりとした独立した意味対象がある,と考えることができます.




我々は,このような思考に深く根ざしながら生きていますから,そのことをあらためて意識することはありません.

ナーガールジュナは,このような我々の言語観,さらに,その基になっている概念化作用を厳しく批判します.

彼によれば「行く人が行き先に[今]行く」という言語表現は,このような実体化思考のもとでは必ず破綻を起こすものと捉え直されます.

「行く人が行く」という場合,行為主体である行く人,行くという行為,行き先という行為対象の三つが登場します.

実体化思考のもとでは,いずれにも,他と独立した意味対象があるはずです.

すなわち,行く人として,進行行為として,行き先として,いずれも,普遍的で不変のものが表示されているはずです.

実体化思考のもとでは,それら意味対象は,相互に依存することなく,それ自体で成り立っているものとして前提されています.

しかし,行くことのない行く人が考えられるでしょうか.

行為と行為主体は,それぞれ独立した自存物でしょうか.

もし行く人と進行行為が独立しているならば,行くことのない行く人が存在しなければなりません.

独立したXとYに関しては,XなしでYがあってもよく,YなしでXがあっても良いはずだからです.

あるいは,行くことのない行き先が考えられるでしょうか.

行為と行為対象とは,それぞれ独立した自存物でしょうか.

もし進行行為と行き先とが独立しているならば,行くという行為を欠いても行き先が存在するはずです.

あるいは,逆に,「行く1人が行く2」には,「行く1人」が持つ行く1と,「行く2」の行く2という二つの行くがあることになってしまいます.

同様に,「行き先に行く」でも,二つの行くがあることになってしまいます.

もちろん,行くという行為は行く人なしには成立しませんから,だとすると,「行く1人が行く2」という場合には,行為主体は,実は,二人いるということになってしまいます.

「私が行く」という単純なことを言うはずが,私が二人になってしまうのです.「私が天神(という行き先)に行く」なら三人になってしまいます.

このように,帰謬論法をもちいながら,いわば「乗り突っ込み」によって,相手の論法に則って話を進めていくと,最後に話が破綻してしまうという帰結を示してやるのがナーガールジュナのやり方(やられる相手から見れば「手口」)です.

ナーガールジュナによれば,「行く人が行き先に行く」という表現は,実体化思考のもとでは必ずや破綻してしまう性質のものなのです.

それぞれの要素は,独立自存の要素ではなく,相互依存の上に成り立っているものとして理解しなければならないのです.

それが彼にとっての無自性ということでした.




では,結局,「牛」は何を表示しているのでしょうか.

言葉は独立自存の意味を持たない,つまり,有自性な存在を表わすものではない,ということは分かりました.

では,何を表わすというのでしょうか.

無自性ということを,どのように,意味論において実現すればよいのでしょうか.

ディグナーガのアポーハ論は,そのような文脈の下に捉え直すことができます.

「牛」という語は,牛でないものでないもの,すなわち,非牛以外のものを表わす,というのがディグナーガの解決方法です.

この解決方法は,インドの意味理論においては,別に,ディグナーガの創造物というユニークなものではありません.

ディグナーガ以前にバルトリハリにおいても,排除が意味であるという発想は既にありますし,それ以前の文法学者にも既に(重なりではなく)排除が文意であるという発想は十分に練り上げられています.

「青い蓮」という時,青という集合円と蓮という集合円の重なりを考えることができます.

重なりを意味とする立場では,青蓮という意味が積極的に指されると考えます.

ポジティブな意味論です.

逆に,排除を意味と考えることもできます.ネガティブな意味論です.

「青い蓮」と言うとき,「青」によって非青が排除されます.

また「蓮」によって非蓮が排除されます.

結局の所,「青い蓮」において文意となっているのは,非青の排除と非蓮の排除だ,ということになります.

非青の排除,非蓮の排除,その二つの排除が直接的な意味であり,その排除の後に残ったものが,我々が「青い蓮」という二語から理解するものだと言うことができます.

ディグナーガの語意論は,この文意論の発想に根ざすものです.

「牛」という語は,牛に他ならない,牛以外ではない,という排除を表わします.

そうして非牛を排除したあとに残ったものが,「牛」という語から理解されるものなのです.

彼にとって,「牛」の意味とは,牛性のような独立自存のものではありませんでした.

それは,同一レベルにある非牛(例えば馬・象・ライオン…)の排除を第一義的に表わします.

他との対立の上に意味というものは成り立っているのです.

意味というのは,他との対立を考慮せずに単独で成り立っているようなものではないのです.




このように見てくると,理論的でとっつきにくいかに見えるディグナーガの意味論(語意論)も,ナーガールジュナの「無自性の言語観」に深く根ざしていると言うことができるでしょう.

無自性というものを,意味理論の場で具体的に示したのがディグナーガだったと言って良いでしょう.
  1. 2016/05/29(日) 10:35:19|
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猪血湯




肉燥飯に引かれて入りましたが,店名を見ても分かるように,ここの名物は固めのゼリーのような猪血.

というわけで,肉燥飯と一緒にスープとして猪血湯を注文.

かなりごろごろと猪血が入っています.

正直,味があるのかないのか微妙な固いゼリーに飽きました.

スープはあっさりでうまいです.
  1. 2016/05/28(土) 23:30:07|
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蔡三毛豬血攤の肉燥飯




鴨肉の並びにある人気店.

いつも客でいっぱいです.

通りがかりに鍋の中を見ると,いかにもうまそうです.

まよわず肉燥飯を注文.
  1. 2016/05/28(土) 22:39:27|
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赤崁擔仔麺




台南の担仔麺の定番ということで訪問.

変な時間だったのか,店内はそれほど混んでおらず,すぐに座れました.

ご飯・麺が続いて,野菜を食べてなかったので,大陸A菜も注文.

あとから伝票を見ると,「◆不可香菜」の文字が.

現物にはちょこっと載せてますが.

日本人にはデフォルトで出さないということなのか,あるいは,中国語で聞かれたときに,ひょっとして「香菜のせるかどうか」と聞かれていたのでしょうか.

適当に答えていたせいかもしれません.

メニューを見てると冬瓜ジュースもあったので,注文.

入り口のレジ付近に,総菜コーナーもありますが,見た感じ,それほど興味を引かれるものでもありませんでした.
  1. 2016/05/27(金) 22:30:15|
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秀治珈琲




早い時間のせいか,コーヒー屋はまだどこも開いていません.

目に飛び込んできたのが「秀治」の文字.(文学部の同僚の名前と同じ.)

しかし,こちらも開店準備中.

中の様子を窺っていると,気の効くおばちゃんが出てきて,「あ,もうちょっと待って,大丈夫大丈夫」「何にします」「あ,そっちのテーブルでどうぞ」「メニューえらんでください」ということで,着席.

まだコーヒー機械も動かしてない状態.

ともあれ,親切なおばちゃんの好意に押されるがまま,待つこと暫時.

機械が動き始めたばかりということもあったのか,温度は少々足りませんでしたが,美味.

焦糖拿鐵珈琲.70元.

通りに面した歩道だけでなく,市場に入った路地のほうにもスペースがあります.

嫌みなく商売上手なおばちゃんです.
  1. 2016/05/26(木) 22:34:35|
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永楽牛肉湯




新鮮な生肉スライスが,うまいだし汁の中に投入された牛肉湯.

スープとはいえ,少々値段は高め.

あさから牛肉?と思っていましたが,これが行けます.

生姜を朝から(好き放題)取って,スープとともに体を温めるのはいいですね.

これはハマります.
  1. 2016/05/25(水) 22:28:44|
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富盛號碗粿




土日となると長蛇の列で,アネックスのほうの店内も一杯,そして,持ち帰りの人の列がすごいのですが,時間を外したからか,幸い空いてました.

前の客が食べてるのを見ると二品あったので,「これとこれ」と注文.

店内のメニューをよく見ると,この二品だけですね.

専門店だけあって,どちらもうまい.

この店の裏手の路地のようなところにある作業所が仕込み場.

すごい量つくってますね.さすが人気店.

で,碗粿.

独特すぎて,なんとも他の料理と比較しようがないです.
  1. 2016/05/24(火) 22:10:56|
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黒豆花綜合



食べてる間もスクーターでやってきた持ち帰りの人がひっきりなしに来ます.

店内よりも持ち帰りの方が基本という感じでした.

どれにしようか迷いましたが,全部載せのミックス(綜合).

店内で食べると右の豆スナックがついてきます.
  1. 2016/05/24(火) 19:56:59|
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裕成水果




人がたかっている人気店.

隣も,家族がミックスフルーツをつついて楽しげでした.

さすがにミックスは量が多そうなので,パパイヤに.

マンゴーには季節がまだ早すぎました.
  1. 2016/05/23(月) 07:00:23|
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担仔麺




台南とくればお約束ということで,担仔麺.

ちゃんとした店に入るのも面倒だったので,近くの路上屋台のおじさんの店に.

プラスチック椅子を何段にも重ねて自分の作業しやすい高さに設定しているところがすごいです.

そして,ものすごい手際の良さ.

あっというまにできあがります.

卵もうまそうなので付けて貰いました.
  1. 2016/05/22(日) 07:54:51|
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鴨肉焿




鴨肉も,粥にするか,焿にするか,湯にするか,はたまた麺にするか迷いましたが,やはり,ここは珍しいものということで焿.

体に染み渡ります.

鴨肉(=家鴨)もうまい.

さすが専門店.

リピートしたい店ナンバーワンです.

で,リピート.

注文を終えると,店のおばちゃんに「リーペンレン?」と確認されました.

この店で食べてると,隣の大行列が気になります.

そこは冬瓜ジュースの名店.並んで買いましたが,あの良さは私には未だよく分かりません.

もうちょっと体を慣らすと,きっと,体を冷やす飲み物が美味しく感じられるのでしょう.
  1. 2016/05/22(日) 07:37:59|
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牛肉麺




ホテルに歩いて行こうとすると何やら店内が客で一杯の店が.

お腹は張っていましたが,迷わず入店.

メニューもあれこれありましたが,ここは,まだ食べてない牛肉麺に.

腹具合からすると麺にする必要はなかったかと,少しく後悔.

湯で十分でした.
  1. 2016/05/21(土) 22:35:38|
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香香肉圓




市場の端に位置どるおばちゃんの肉圓屋さん.

お腹もいっぱいなので,一個だけ注文.

その後も,持ち帰りの人が続々と.

ちょうど蒸し器一個がおわったところ.

おじさんが,近くから新しいのを持ってきました.

ほんとに,飛ぶように売れていきます.

もちもちふわふわ.

肉圓,時間限定・売り切れごめんなので,やはり,見つけたときに入らないと食べる機会を逸失します.
  1. 2016/05/21(土) 06:36:52|
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小暫渡




とても清潔な店内.

どっからどう見てもうまそうです.

迷わず入店.

カウンターには,これまた,うまそうな一品の数々.

ルーローファンと迷いましたが,こちらに.

うまい.

もっとあれこれ食べたかったのですが,残念.
  1. 2016/05/20(金) 22:00:43|
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虱目魚粥




六合夜市の端.

朝開いている店の中でも,人気店.

ひとがひっきりなしに出入りしています.

店先では,兄ちゃんが,仕込みの作業もしています.

店先の上に張り出してるメニューを指さして,「あれくれ」と言ったところ,店主は「む?これか?」と,持ってるお玉で頭上のメニューを指さし確認.

指月の喩を思い出しました.
  1. 2016/05/20(金) 21:10:38|
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田記豆漿




5時に目が覚めてしまったので,近くをうろうろと.

ちょっと早すぎました.

6時前頃にようやく,店が準備を開始というところでしょうか.

この後も,品が色々と追加されていました.

朝のホットな豆漿はいいですね.

ガラスの保温機の中の(既製品と思われる)肉饅は余計でした。
  1. 2016/05/19(木) 22:25:44|
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शिवा or शिव, that is the question.


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店名の文字表記(デーヴァナーガリー,タミルマラヤーラム,アルファベット)に若干のずれを発見.

まず,ローマナイズ表記のwaraはwalaとすべきか.

あるいは,研究者風に正確に書くとvālāです.

r/lの交替は,日本人にはよくあります.

あるいは,カタカナをローマ字表記に戻しただけ,という主張であれば,raのほうが正しい,という主張も成り立ちます.

しかし,その場合は,ShivaやCurryという英語表記の説明がつきません.

やはり,最小限の訂正としては,walaとすべきでしょう.

あと,デーヴァナーガリー文字のशिवा(śivā)は,शिव(śiva)が正確です.

ただし,ヒンディー語発音すると最後のaが脱落してシヴァ(或いはシヴァー)ではなく,シヴと発音されてしまうので,それを聞いた(確認インフォーマントの)インド人の知り合いが故意に伸ばして書いたのかもしれません.

しかし,伸ばしてしまうと,サンスクリットの響き的には形容詞になってしまうので,「シヴァ神のカリー」というような意味ではなく,「優しい・柔和なカリー」という意味になってしまいます.

信者に恩寵を与えるマイルドなカリーということが意図されている,という読みが成り立つならば一層興味深いところですが,その場合は,左にあるシヴァ神の絵との整合性に問題が生じます.

また,शिवा करीवालाのスペースを考慮するならば,ひょっとすると,शिवाは,करीではなくवालाのほうに係っているという見方も成り立つかもしれませんが,おそらくこのような見方は想定過多でしょう.

ともあれ,タミルマラヤーラム文字では短くśivaと表記してあるので,デーヴァナーガリー文字表記とタミルマラヤーラム文字表記との間で不一致があることは確かです.

最小限の訂正としては,やはりशिवに直すべきでしょう.

結論:
1. wara > wala
2. शिवा > शिव [शिवा or शिव, that is the question.]の続きを読む
  1. 2016/05/17(火) 22:18:02|
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平成28年度第1回インド論理学研究会


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名称:平成28年度第1回インド論理学研究会

場所:駒澤大学246会館 3階 3-2会議室

日時:平成28年5月14日(土)
   
  松本史朗:Considerations on upādāna and ālambana

  福田洋一:初期チベット論理学成立史解明のための基礎研究(現状報告)

  金沢篤:Bhagavadgītā IX-26について

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松田先生の還暦をお祝いする会も兼ねての研究会.

インド写本研究界の先達をお祝いするべく私も参加させて戴きました.

主催者である先輩の金沢先生は,あいかわらずお元気そうで何よりです.

チベット語の恩師である福田先生にも久々にお目にかかれました.

そして松本先生の刺激的な発表.

先生の目指す「高度な学術的交流」に参与できて幸せです.

まさに「学びは最高の遊び」となりました.

アポーハ論に関する私見も,少しばかり話させて戴きました.
  1. 2016/05/17(火) 18:52:11|
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MMK 9:5d in MS & SK 2013

Siderits and Katsura 2013:101

kiṃ cit kiṃ cid vinā kutaḥ// MMK 9.5d

kiṃ cid > kaṃ cid

細かい間違いですが、重要な違いです。

「何らの物もなしに」ではなく「何らの者もなしに」とならないといけません。

こういう細かいところで無用に間違われると、サンスクリットを読む者としては、いらいらさせられます。

英訳は正しく、how can something be manifested without someoneとなっています。
  1. 2016/05/10(火) 00:00:36|
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सोलमारी in Fukuoka, Ohashi

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斉藤さんの歓送会という名目で大橋ソルマリ。

井上君もゲスト参加。
  1. 2016/05/09(月) 06:42:01|
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