Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

मियजिसमुद्रतीरे

Miyajidake 116
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  1. 2017/04/30(日) 07:34:05|
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मियजिदकेदेवालयः

Miyajidake 119
Miyajidake 120

रतिकामो यजेत |

Miyajidake 161
Miyajidake 176
Miyajidake 127

神域にアジャ(aja).पशुबन्ध用ではないようです.

Miyajidake 146


Miyajidake 178

25もあると,何が何だか分からなくなりそうですが.....

そして,25というと,Vetālapañcaviṃśatiを想い出します.
  1. 2017/04/30(日) 07:18:54|
  2. 未分類

बीभत्सः रसः

Miyajidake 088
  1. 2017/04/30(日) 06:55:46|
  2. 未分類

विनष्टम्, विनश्यत्, विनङ्क्ष्यति

Miyajidake 019

Miyajidake 023
Miyajidake 026
Miyajidake 032
Miyajidake 031
Miyajidake 030

sabbam aniccamをanicchanしつつも,非情にも全てはvinaśyaty evaです.

naśyadavasthāのあれやこれ.箱崎キャンパス理系地区,

記憶の中のあの建物も,視界に入るは廃墟ばかり.

Miyajidake 029

噴水も,作る時に少しは考えなかったのでしょうか.

いずれ使えなくなると.

千代体育館前にもありますが,きっと随分前から,止まっているのでしょう.

作る時は気分が高揚して噴水とか作りたくなるのでしょうか.

或る時期の流行だったのかも知れません.

いずれ使えなくなるとか考えなかったのでしょう.

後の人のメンテのことまで考えないのは作り手の無知でしょう.

kāraṇadoṣajñānaとbādhakaだと,ミーマーンサーのクマーリラも申しております.

全てを最初から計算し尽くすのは困難でも,後から間違いを発見するのは簡単です.

つまり,全国の諸例を見ればすぐに分かることです.

そのころはまだ失敗事例が顕著でなかったということでしょうか.

人間というものは,同じ間違いを繰り返すものですから,同じような失敗が,これからも,大なり小なり,あることでしょう.

作ったり壊したり,創造・存続・帰滅のスリシュティスティティサンハーラ.

にしても,サイクル短すぎでしょう.

法隆寺あたりを見習って欲しいものです.

手にしてないものを得よう,目新しいことをやろう,

とする前に,

既にあるものを大事にする,伸ばす,改善する

ことを考えた方が長い目では有益です.
  1. 2017/04/30(日) 06:49:08|
  2. 未分類

Raghuvaṃśa 9.6-10

Raghuvaṃśa 9.6-10:

9.6. 公平さにより,財の雨を放つことにより,
また,悪人達を制することにより,人民の主(王)は,真似た.
閻魔を,福徳ある者達(夜叉・羅刹)の主宰神(財宝神クベーラ)を,
水天ヴァルナを.曙アルナー(savarṇāv aruṇā-)を先頭とする者(太陽)を,光輝により.

9.7. 鹿森の楽しみ(狩猟)も,賭博も,
また,月の影を宿す酒も,
また,うら若き(na vā nava-)乙女のとても愛らしい者も(priyatamā),
繁栄のために努める(yatamānam)彼を奪わなかった.

9.8. 圧倒する帝釈天に対しても弱々しい言葉を,
冗談においても嘘の言葉を,
敵共に対しても,荒々しい物言いで(paruṣākṣaram),言葉を,
怒りを離れた(aparuṣā)彼が発することはなかった.

9.9. 上昇(繁栄)と下降(破滅),ラグ族を率いる者(ダシャラタ王)から,
二つを,大地を守護する諸王は得た.
というのも,彼は,命令を踏み越えない(守る)者達にとっては
親友であったから.鉄の心を持つ者であったから(suhṛd ayohṛdayaḥ),反抗する者達にとっては.

9.10. 弓に弦を張った彼は海を縁とする大地を
一台の戦車で勝ち取った.
というのも,象を有し(gajavatī),速さ鋭き(javatīvra-)馬を有する彼の軍は,
勝ちどきの声を上げるだけだったから.
  1. 2017/04/30(日) 05:52:33|
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イーシャーナ

イサーン料理やイサーン音楽でも知られるイサーンの地名は,サンスクリット語のīśāna由来.

イーシャーナはシヴァの一面.

神格としては,通常,東北に配置されます.

したがって,イーシャーナはサンスクリット語では「東北」も意味します.

語源的には,イーシュヴァラと同じくīś「つかさどる,支配する」から来ているので,全てを意のままに司る主宰神という意味が出てきます.

Sadasiva.jpg

写真は五面のサダーシヴァ.

イーシャーナは上面.

教理的には本当は東南西北の四つ(タトプルシャ,アゴーラ,サディヨージャータ,ヴァーマデーヴァ)だけが見えて,五つ目の上の顔(イーシャーナ)はヨーガ行者にも見えないんですが,この像では見えてます.

可視化しすぎの病でしょうか.

Sadasiva2.jpg

こちらの像では上面は見えていません.こちらが文献規定に則した正規のもの.

ただし,南面と北面とが入れ替わっているのはご愛敬.
  1. 2017/04/28(金) 19:08:35|
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印哲新歓






上人橋マイティーガルにて,進学生歓迎の宴.総勢13人.

OBの原田先生,山口先生も参加してくださいました.

前菜各種に8種のカレー,2500円.

19:00ー22:00,BGMは内田ボブ

いつものことですが,居心地の良さに,ついつい長居してしまいました.

ヘルプのバイトはリサちゃん.

なぜか焼肉スタミナ苑の話題で盛り上がりました.
  1. 2017/04/24(月) 23:52:42|
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増殖するスリランカ料理屋

福岡で増殖しつづけるスリランカ料理屋.

もとはといえば,九大建築出身の日本人建築家のオーナーがスリランカ料理屋「ヌワラエリヤ」をオープンしたのが最初.

1988年.

ここを起源として,コックさんがあちこちに独立.

さらにそこからも分岐して,増えに増えています.

九州全体でいったい何軒あるのか分かりません.

天草にまで同スタイルの店(カリー食堂リトル・スパイス )があるのには驚きです.


昨日のこと,上人橋を歩いていると,帽子の外国人が居酒屋のチラシを配っていました.

受け取って5m後歩いた後に紙を見直すと,なんと「スリランカ料理」でした.

「Reon上人橋店」

スリランカ料理店としてリニューアルオープン.

引き返して兄ちゃんにあれこれ質問.

ウパーリさん.

仏典に出てくるのと同じ名前(優波離)です.さすがスリランカ.

もともとスリランカ熊本で働いていたとのこと.

このスリランカ熊本は,スリランカ鹿児島とも兄弟の店.

こうなってくると,樹形図を書いて整理しないと分からないです.

ヌワラエリヤ1988,ツナパハ1994,,ツナパハ2号店2016
スリランカくまもと2005,スリランカかごしま2009,ハル・スリランカ(大野城)2011,モナラ2015,スリランカ福岡2016,スリランカくまもと2号店2016
へら味屋(博多区)2014
ポルポル2014(西新)
オスアシリ2015(香椎に二店舗目もオープン2017)
キャナリー2016
Reon(リニューアル)2017

このほか,閉めた店もありました.

ランペ,しんは,北天神の時のポルポル,香椎のシンハギラ.

栄枯盛衰.

にしても,店舗数の多いこと.

それだけ支持されているということでしょう.

ここまでくると,ツナパハスタイルのカレーは,福岡辛いもの好きのソウルフードといっていいでしょう.
  1. 2017/04/24(月) 20:04:48|
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vm


  1. 2017/04/23(日) 14:22:05|
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ネワーリー



WNOのサマエボジ
  1. 2017/04/23(日) 14:05:30|
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वैशाखीमेला

DSC03237.jpg
DSC03247.jpg

過日のヴァイシャーキーメーラー.

奈多から箱崎に移って大成功のハリさん.

箱崎で姿を見かけず,二号店のほうにいるのかと思いきや,いまは更に別の店.

バジェコセクワハウス.

博多駅前に新しい店がオープンしてるなと思って覗いてみたら,中から見知った顔が出てきてびっくりさせられました.

ヴァイシャーキーメーラーには来ないと言っていましたが,気が変わったのでしょう,セクワで出店していました.

焼き物係の人は精悍です.軍人あがりでしょうか.ククリを持たせたら無敵のたたずまいです.

いっぽうのソルマリ,祭りに食べるセルローティー.
  1. 2017/04/23(日) 13:40:21|
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आङ्गन्



タカリセット.

当然といえば当然ですがNと同じメニュー構成.

で,お味は,やはり,こちらのほうが一段上か(個人舌比).

ギーがついているのは,やはり嬉しい.

大根の発酵臭酸味がたまりません.

周囲の学生と思しきネパール人たちを見回すと,当然のことながら,500円最安セットを注文,山盛りのご飯をみんな食べていました.
  1. 2017/04/23(日) 09:53:46|
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நந்தினி




ベジミールス,さらに,ポロタセットを追加.

サラダは私的には不要ですが皿のハート型が可愛い.

ミールスはココナッツのスウィーツが何気に嬉しい.

漬け物もしっかり美味.

左上カトリはレンコン.

ポロタ(二枚)のチキンカレーも,ポロタに合う少しこってり系のものでした.

組み合わせに安心感があります.

サンバル・ラッサムは一杯おかわり無料.

ご飯はおかわり100円.

最初からはっきり書いてくれているので,こちらも気が楽です.
  1. 2017/04/23(日) 09:45:48|
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片岡真実「チャーミングな旅――顕微鏡と望遠鏡と絵画」


片岡真実 2017: 「チャーミングな旅――顕微鏡と望遠鏡と絵画」,In: 『N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅』カタログ,pp. 14-25.

洋の東西・古今を問わず,あれこれと参照しなければならないので,美術関係の方も大変だなと思いながらも,インド関係については,やはり,細かいところが気になってしまいます.

きっと参照文献も日本語では充実してないので苦労されたことでしょう.

しかも,北インドならともかくも,南インド,マイソール(マイスール)ともなると,ぐぐっと日本語での情報量は減ってしまいます.

英語文献を参照するしかないでしょうが,日本人向けの解説では,やはり,一般に購入可能な本ということになるのでしょうか.

と,あれこれと同情を禁じ得ません.

片岡 2017の参照文献リストを見てみると,インド関係では,

立川武蔵他『ヒンドゥーの神々』せりか書房,1980年
『岩波講座 東洋思想 第七巻 インド思想』, 1989年

の二書――インド関係となると結構古い本しかないということです――があげられており,後者からは,

服部正明「I インド思想史(三)」
竹中智泰「2護の表示対象――個物と普遍」

の論文が引かれています.(選書は,なかなか良いチョイスです.)

竹中先生も,まさか,自身のヴァイシェーシカ論文がこんなところで引用されるとは予想しなかったことでしょう.


さて,片岡氏の解説冒頭のp. 14左に次の記述.

片岡 2017:14左:楕円形で描かれた全宇宙(ブラーフマン)の内部には……



いきなりブラーフマン.なぜ長音。

ブラフマンなら分かりますが.

ひょっとしてアクセント記号のあるbráhmanを見て,長音だと思われたのでしょうか?

ヴェーディストでしょうか.

仮説1:bráhman→全宇宙(ブラーフマン)

間違いの元が非常に気になります.

そして楕円形とくれば,やはり,本来言うべきは「ブラフマーンダ」brahmāṇḍaではないでしょうか.実際,同じ絵を掲げる同カタログp. 226の足澤さんの解説では,「梵卵(宇宙の卵=世界そのもの)」と記されています.

ブラフマンの卵,いわゆる,宇宙卵.

ひょっとすると,私的な会話でブラフマーンダという音を聞いて,それが既に氏の頭の中にあったブラフマン,梵,および,どこかの解説にあったブラーフマナbrāhmaṇaやブラーフマンbrahman(いわゆる婆羅門)と結び付いて,「全宇宙(ブラーフマン)」という出力となったのかもしれません.

仮説2:brahmāṇḍa→全宇宙(ブラーフマン)
仮説3:brāhmaṇa→全宇宙(ブラーフマン)
仮説4:両者の混合→全宇宙(ブラーフマン)

ちなみに,氏による表記が,一過性の誤植や誤記ではなく,氏の頭の中にあったことは,同表現が次のように繰り返されることからも確認可能です.

片岡 2017:22左:同時にアートマン(我)としての自己とブラーフマン(梵)としての宇宙全体を往来する……



私的な会話でインド人から聞く場合には,梵天であれば「ブラフマー」「ブフマ」ぐらいの発音でしょうから,「ブーフマン」というような音に聞こえることはないはずです.

とすると,やはり,ブフマーンダという音を聞いて,そこから,これまでの氏の知識と結び付けて,「ブラーフマン」というのが出てきたという推定が正しいように思います.

あるいは,英語的発音のブラーマンから,綴りを考慮してブラーフマンとなったのかもしれません.

仮説5:brahman→ブラーマン→ブラーフマン

はたして真実は如何.


p. 22左では「視線(gaze)」という英語の単語を取り上げていますが,やはり,インドで「見る」「眼差し」とくれば,ダルシャナdarśana(見ること)という単語を取り上げて,その深みや広がりを論じるべきではなかったかと思います.

少なくともハルシャ氏の世界観の中で,英語的な意味の広がりよりも,ダルシャナという語の意味世界の広がりのほうが遙かに重要だと思われるからです.

続いて,「タマシャ」についての解説があります.(なお,私なら「タマーシャー」と表記します.)

片岡 2017:22左:ハルシャがベルリン滞在時に制作した立体作品《タマシャ》(2013)の猿たちも同様だ。タマシャとはヒンディー語で、何らかの騒動や胸騒ぎ,せわしなさを表現する言葉だそうだ。



ここでも,ダルシャナ(見ること)からの連関で,まさに「見物(みもの))」という単語で説明が可能だったのではないでしょうか.

ちなみに,tamāśāは,ミーナークシーの辞書だと

1. show, display
2. fun

と出てきます.マックレーガーでも,似たような感じで

1. show, spectacle
2. amusement; fun; joke
.....

などと出ています.つまり,日本語で「こりゃー,みものだ」と言う時の「みもの」です.

マックレーガーは親切に,

A. tamāśī
P. tamāśā

とつけてくれていますから,アラビア,ペルシア起源であることが分かります.

騒動を指さして「こりゃー,みものだ」「なにがはじまるのか」「ちょっと見てみようぜ」というニュアンスです.

そういう意味で,おそらく,私的な会話では「騒動」turmoilという単語が使われたのではないかと推定します.

ちなみに,対応する英語版p. 36leftでは,

In Hindi, tamasha refers to a state of restless unease or turmoil.


と表現されています.

いずれにしても,片岡氏の言う「胸騒ぎ」や「せわしなさ」では,「タマーシャー」の本来の語感からは,少しずれた方向に行ってしまっています.

猿が「みもの」を指さしている,そこに,興味・笑い・嘲笑など,ないまぜになった冷めた視線の皮肉も生じてきます.「騒動」ならまだいいですが,「せわしなさ」「むなさわぎ」だと,タイトルが本来持つニュアンスからずれてしまっています.

ローカルなインド世界に息づく普遍性を取り出すにあたって,インド人自身の世界観を無視して,いきなりグローバルな英語知識世界から切り込まざるをえないという日本語文献世界の知的貧困さも,また現代日本を表すひとつの滑稽な「タマーシャー」です.

もっとも,ヒンディー語世界も,インドでは,一種のグローバルな世界なわけで,さらに深く論じるには,ハルシャ氏の母語カンナダ語の世界についてもよくよく知らないといけません.ごくごく単純化すると,

カンナダ<ヒンディー<英語

というような構造も念頭に置いておかないといけないということです.(もちろん,そのような階層・上下構造を抜きにして,同時併行的に水平に論じるのならば,なおさら,カンナダ世界に通じることは必要でしょう.)

ハルシャ氏は,はたして,カンナダ語では,どのような単語を思い浮かべていたのでしょうか?

さらに深く追求するならば,インド人自身が普遍を語りうる豊富な語彙を備えているというその背景にある,アラビア,ペルシア,サンスクリットの語意世界についても注意と敬意を払う必要があるでしょう.

特に,親サンスクリット的な現代カンナダ文化圏においては,なおさらでしょう.




展示の一部に,ハルシャ氏の背景を知るためのインド知識篇として,マイスールなどに関する解説コーナーが設けられていました,監修は,プーナに長くいらっしゃった足澤さんでした.
  1. 2017/04/23(日) 08:44:40|
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हर्षहर्षितहृदयो हम्






多数の人が空を指さすというイメージで思い起こされるのは,インドでの日食のこと.

ティルパティに留学していたときが一回目.

そして,ポンディシェリに滞在していたときが二回目.

いずれも周囲のインド人は大騒ぎ.

ポンディシェリでは,人々が海岸に出てきて,それにあわせてサングラスやら半透明の黒っぽい下敷きやらを手にした物売りがここぞとばかりに声を張り上げていました.

日食が始まると同時に,もうゲームオーバーと諦めたのか,不要になった商品を周りの人に「フリー,フリー」と配っていたのが少し同情を誘います.
  1. 2017/04/22(土) 18:15:20|
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A Critical Edition of the Khyati Section of the Nyayamanjari

A Critical Edition of the Khyati Section of the Nyayamanjari: Bhatta Jayanta on Akhyati and Viparitakhyati. 『東洋文化研究所紀要』(The Memoirs of Institute for Advanced Studies on Asia) 171, 476(1)-401(76).

http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/72195
  1. 2017/04/18(火) 19:15:25|
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Raghuvaṃśa 9.1-5

以下はVallabhadeva註に従った読みと解釈.

韻律はドゥルタヴィランビタ.(∪短,- 長)

∪∪∪  -∪∪  -∪∪  -∪-

タタタと走った後にタンタタ,タンタタと繰り返して,最後に,タンタタンで解決.

また同音で韻を踏むヤマカがあります.


1. 父の後に(anantaram)北(uttara)コーサラを

正しく得てから(samadhigamya)抑制(samādhi)により感官を制した

偉大な戦士(mahāratha)ダシャラタ(daśaratha)は治めた

禁戒を保つ者たちと(yamavatām)守護者たち(avatām)との頂点に位置する彼は


2. 得たものを規定通りに彼は守ったので

山の穴(nagarandhra)を作る両者に等しい威力をもてる彼の

自身の家系に相応しい大臣たちは

街とともに(sanagaram)美徳に専心する者となった


3. 二人だけを賢者たちは語る

バラの殺戮者とかの財主(王)――刑罰棒を持つマヌ王(manudaṇḍadhara)の系譜にある彼――とを

責務を果たした者たちに適時に雨降らすことで

疲労を除く者として(śramanudam)


4. 国に病気は地歩を置かなかった(janapade na gadaḥ padam ādadhāv)

敵からの脅威がどうしてあろうか

大地は実り豊かになった

アジャの息子――平和を好み(śamarate) ,不死の[神々]に等しい威光を持つ者('maratejasi)――が王である時に


5. ちょうど十方位を征するラグにより

その後アジャにより富を増やした

[大地は]彼を得てから同様にならないことはなかった

大地は主――無欠の(mahīnamahīna<mahī inam ahīna-)勲を持つ者を[得てから]



最後の9.5dは,nanamahīnamahīnaparākramamナナマ ヒーナマ ヒーナパ ラークです.

カーリダーサ,グプタ朝期最高のラッパーと言って良いでしょう.
  1. 2017/04/18(火) 18:55:36|
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namaste fukuoka








鼻笛の日本人が「異邦人」を鼻で吹くという,ぐだぐだ感満載の「ナマステ福岡」の舞台.

たしかに「ナマステ福岡」ですから,別に,「インド」という語はどこにもありませんので,特に,インドにこだわる必要はありません.

直訳すれば「こんにちは福岡」ですし,福岡でありさえすれば何でもあり,という解釈も成り立ちます.

少なくとも,舞台の中身は,インドと関係のないものがかなり多かった印象です.

そして,それは,或る意味,正解なのでしょう.

というのも,バトンならバトンで知り合いがくるでしょうし,フラダンスならフラダンスでまた知り合いがくるでしょうし,また,インドの禁欲的なバラタナーティヤムからはかけ離れたアラブの妖艶なベリーダンスも,全く別のグループの人々がやってくるからです.

つまり,インドに全く関係ない層にインドに触れて貰うという意味では,逆に,インドでなくてもいいのではないか,という戦略も成り立ち得ます.

ともあれ,二日目は絶好の天気で何よりでした.

人出も多かったので,各店の売り上げもよかったでしょう.

面白いのは,前週のネパール祭りとの違い.

ネパール人は,それぞれのコミュニティーがあり,各団体で統率がとれていました.

また,ネパール人自身が参加し,そして,楽しむ祭り,という感じでした.

いっぽう,インド祭りのほうは,インド人は,やる側というよりは,お客さんという立場の人が多い感じでした.

社会階層の違いでしょう.

ネパール人は,語学学校の学生,そして,そこからネパール料理屋や商売などで定着した層.

いっぽうインド人ファミリーは,百道あたりにあるIT系の裕福なホワイトカラー.

遅かれ早かれ用が済めばインドに帰るつもりの人々です.

福岡への根付き方にも違いがあらわれて当然です.

この手の祭りの主催は,学生・若者のエネルギーが必要になりますが,その点で,圧倒的にネパールのほうがマンパワーがある,ということでしょう.

ネパール祭りにネパール人のインド・ネパール料理屋が多数出店していたのは当然ですが,いっぽう,インド祭りのほうでは,インド人の出店数は少なかったように思います.目立つのはスラージと106.むしろ,オーラスやワナッカンといった日本人の店が健闘していたのが特徴的でした.

ネパール祭りにも出ていたインド料理屋のスラージは,ネパール祭りでは閑古鳥,二日目は出店すらしていませんでした(出店放棄?)が,インド祭りでは一転,最も良い場所に出店し,大層にぎわっていました.

インド祭りでは気合いをいれてタンドール釜まで持ち込んできた甲斐があったというものです.

パチャールさんの息子さんも忙しそうに立ち働いていました.



いっぽう、舞台の上からは、素人丸出し,間があきあき,ぐだぐだ,英日ちゃんぽん,絶叫の,耳うるさいだけの司会進行。来年は何とかして欲しいものです.

バラタナーティヤムの踊り手も,文脈に全く関係ない訳の分からない質問を唐突・矢継ぎ早にぶつけられた上に,さらに,親切・丁寧に答えても実は関心など端から無いので司会からは一切フォローもなし,可哀相でした.

いっぽう,ネパール祭りではプロの女性司会がそつなくこなされていました.

やはり,安心感がちがいます.餅は餅屋でしょう.

まあ,インドのカオスを味わうには十分すぎるほど十分でした.

最後はニラさんが踊って皆で踊り倒せば何とか形がついて収まるという,ニラさん頼りの舞台進行になりつつあります.
  1. 2017/04/17(月) 22:36:13|
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नमस्ते हुकुओका






106のハーフ&ハーフ500円.

これはどう見てもお得.

カシミールとバターチキン.

店に行くと,ミールスやドーサなどを頼むので,いずれも口にする機会が無かったものです.

折良く一石二鳥.日本人が好きなのも当然,完成された(pariniṣpanna, 円成実)味でした.

知人は,なぜか,半分だけのカレーを注文していました.後から聞くと「ハーフ&ハーフ」のメニュー表示を見落としていたそうです.

しかも,そのカレー皿を見てみると,どう見てもカレーが二倍量ではなく,ハーフ&ハーフのハーフ部分しかなかったので,お得感ならぬ御損感ありあり.

やはり,注文前にメニューや人の皿をじっくり見るのは重要.

実際,カレー皿を持って移動,あるいは,一箇所に置いて食していると,通りすがりの人々の熱い視線が注がれているのを感じます.みなさん,チェックに余念が無いのは同じ.

106のヘルプに来ていたのはどこぞの若手芸人でしょうか,客あしらい客さばきといった体の薄っぺらい接客に閉口です.まあ,他人の店なので当然ですが... 実家の店に手伝いに行けば違う態度になるでしょうけど.

いつもながらのラジェーシュさんの心温まる接客で相殺.

おいしくいただきました.


いっぽう,日本人スリランカのオーラスも,これまたお得感ありあり.

マトン700円とチキン500円との二択がありました.

きれいに盛られています.

私的にはチキンのほうが好みでした.


ベジミールスのワナッカンは大行列.

炊飯待ち.

12:30に行ったところ,13:30の予約券をゲット.

いつもながら,完璧なベジミールスでした.

日本育ちの日本人でどうしてここまでおいしくできるんでしょうか.謎です.

最後のほうは,インド人ファミリーが爆買いしていたのも当然.
  1. 2017/04/16(日) 00:42:55|
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学内植物園



写真で見ると涼しげですが,実際のところは,あつい、、、、

我々以外,誰も歩いてません.
  1. 2017/04/13(木) 23:06:04|
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マヒドン



中央食堂の入るメインの建物.
  1. 2017/04/12(水) 23:05:10|
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大食堂



歩いて中央食堂を見学.

あまり魅力的ではありませんでした.
  1. 2017/04/11(火) 22:04:19|
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マヒドン文系食堂



学内には,ものすごい数の食堂と喫茶店がありますが,ここが一番落ち着きます。

パッタイが食べたかったのですが,行列が凄いので断念.

隣のご飯系にしました.
  1. 2017/04/10(月) 22:03:01|
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sss



3月頭のイノグレーションには桂先生も登場.

サーカーラシッディ,難しい上に,量が膨大.

心が折れるのも当然です.

ひとりだと継続が難しいので,皆で読むのが正解.
  1. 2017/04/10(月) 06:50:13|
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火を直接知覚(視覚・触覚)するとほっこりするのは原始時代からのヴァーサナーです.

タイバジルを大量に投入.

嗅覚と味覚も同時にあるので,知覚の多層性を支持します.

足下は,蚊に噛まれて少し痒いという触覚がたまにありますが,意官が介在してない場合には忘れてたりします.
  1. 2017/04/09(日) 06:49:20|
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学内レストラン



ホテルの学科もあるようで,調理・接客の研修も兼ねているようです.

ウェイトレスには若い研修生の姿も見られました.
  1. 2017/04/08(土) 06:47:43|
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思弁と法性

仏教的真理である法性は思弁(tarka)の及ぶ範囲にありません.

ジネーンドラブッディはディグナーガのPSV注釈にあたり,思弁と法性の関係を明らかにしています.

「思弁の道によって法性を決択しようとする者達,彼らは,釈迦牟尼の教説から遙か離れて滅している」ということです.

法性はそもそも,思弁の対象ではないからです.

これは,宗教的真理を思弁から守ろうという姿勢です.

いわゆる,宗教的真理は科学の範囲内には収まらないという態度と同じです.

哲学者も同じようなことを議論しています.哲学の領域が科学に収まるのか否かと,また,科学に還元されない哲学独自の領域があるのか否かと.

ディグナーガ,ジネーンドラブッディの議論も同じです.

1.宗教的真理
2.思弁領域

1は2を超えている.

では,宗教的真理は2の思弁によって吟味される必要はないのか.

というと,さすが,インド人,そこは思弁を拒否しません.

むしろ歓迎.

吟味が必要,という立場を取ります.

「外道のでっちあげた事物(原理)のように」

たとえば,外道は,アートマン(我)など,実在しないものを勝手にでっちあげています.

しかし,思弁によって吟味すれば,それは,「変化」して雲散霧消してしまいます.

思弁(思考分析)によって変化するようなもの,雲散霧消してしまうようなものは,勝義的存在ではありませんから,当然,そのようなものが真理と認められることはありません.

それでも残るものが真理です.

外道の唱える真理を排除し,仏教の真理を残すためにも吟味は必要です.

「外道らにより思弁の対象として認められているにもかかわらず,アートマンなどという原理は,思弁によって吟味すると変化する.彼らの教説において設定されたようには存続しない,という意味である.」

さらに,思弁は推論です.

それは,一般相の形で法性を捉えます.

そのような形で,法性の独自相の証得に,間接的に資することが出来ます.

吟味しても無我はそのままに残るのです.
  1. 2017/04/08(土) 06:22:29|
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学内レストラン




お高いHerb Garden.

むかしC大の研修学部生グループがここで食べてたのを見て,「まあリッチ」と思ったのを想い出しました.

思ったのを想い出したので,ディグナーガによれば,認識の自己認識が証明されます.
  1. 2017/04/07(金) 07:45:41|
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学食2



サークル棟のような学生スペースの二階にある二食.(正式名称は知りません.)

人文食堂のほうが,店の幅が広い気がします.

ちなみに,この奥の左にベジの店がありますが,よくよく見ると,ノンベジも置いてました.

「齋」という漢字がベジのマーク.
  1. 2017/04/06(木) 06:44:46|
  2. 未分類

学食



混む前の様子.

12時になると猛烈に混んできます.

ここのパッタイ屋は人気.

いつも長い行列ができています.
  1. 2017/04/05(水) 06:43:29|
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