FC2ブログ

Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

Dipavali at Fukuoka Asia Museum

Installation by Krupa Makhija













スポンサーサイト



  1. 2017/10/25(水) 07:00:26|
  2. 未分類

द्वात्रिंशत्

PDが32歳になったというので,研究室の皆でプチお祝い.

そこで,私自身が32の時,何をしていたのかを想い出してみました.

ちょうど東文研の助手になった一年目の年.

博士号の審査が6月にあり,博士(文学)を取得.

同じ6月には,ハンブルクからポーランドのKunowiceに行き,ワルシャワにも寄って,ハンブルクから帰っています.

そこで発表したのが

The Mimimamsa Definition of Pramana as a Source of New Information,
International Seminar `Argument and Reason in Indian Logic' (Warsaw University, Poland), 2001.6.24.

バルセロヴィッツが中心になって主催したものでしょう.

瀟洒な坂や古城もあって,かなり風光明媚なところでしたが,この頃は,デジカメも持っておらず,どんなところだったか記憶も薄れています.

帰りのワルシャワで,桂先生,シデリッツと,温室のような超高級レストランで食事した覚えがあります.

桂先生が後からクレジットカードの請求見てびっくりしたそうです.ワインが高かったとの由.さすがシデリッツ.高級ワイン派.

博論を1999年に出して勢いに乗るジョンダンが,確か,その頃出たばかりの携帯できる小さいノート(ipadみたいなもの)を片手に,ワルシャワの街中でギロンとPVの一節について議論していたのを見かけた記憶があります.

桂先生,「こんなとこまで議論か,よーやるなー」.

夏の印仏研は東大.

「認識の真偽と聖典の権威──クマーリラのpramanya論──」,
第52回日本印度学仏教学会学術大会(於:東京大学),2001.7.1.

博論のbhavana論が終わって,ちょうど,JS 1.1.2のcodanaのところを読んでいたので,その関連で,この発表でした.

真理論,あるいは,真偽の理論と,それの聖典の真偽への適用について,ということです.

翌年の印仏研に英語で載せています.

ちなみに,2001年までの総論文数は11本です.

さらに,助手一年目ということで,東文研内での研究会でも,分野外の諸先生方の前で発表させられています.

「古典インド聖典解釈学派による全知者批判」,
東洋文化研究所平成13年度第2回定例研究会,2001.7.12.

これもcodana関連.

この頃は,一切智者論といえば,本邦では,川崎先生のものがほぼ唯一のものでした.(藤永さんが2001年にジャイナ教の一切知者論を丁度出された時です。)

全知者関連では,翌年2002年の年末のインド思想史学会で発表,2003年に英語で載せています.

所長だった田中明彦先生が,「それは変な議論だな」ということで,正確な突っ込みをされたのを覚えています.

細かいところは分からなくても,大所高所からの議論の飲み込みが早く,勘所を押さえるのがうまいなと感心したのを覚えています.

上村先生が専門外の先生方のために,私の専門的な議論を分かりやすく解説,フォローしてくれていたのも記憶にあります.

8月-9月には,カルカッタに行っています.

ワルシャワでも一緒だった桂先生が,藤永さんと共にジャンブヴィジャヤ師に会いに行くというので,ご一緒させてもらった時です.

カルカッタから入って,夜行に乗って,ビハール州のジャイナ教の聖地へ.

ジャイナ教の信者が泊まるホテル(というか宿泊所)に滞在中のジャンブヴィジャヤ師に面会.

小林君が師にテクストを読んで貰っていたのに一緒に参加.

TSでしたか,PVAでしたか,忘れました.

桂先生が,できたばかりのPS1の原稿をジャンブヴィジャヤ師に見せたのも,その時でした.

藤永さんが,ポラロイドでホテルに滞在中の信者さんの記念写真を撮って記念にその場であげたところ,翌朝には部屋の前に行列ができていて,「子供と記念に取りたいからお願い」というようなことで,皆,撮ってもらっていました.

藤永さん,フィルムも結構持ってきたはずが,途中で切れてしまい,「これでおしまい」ということで,行列の途中で打ち切り.

小さい女の子が記念写真用に派手な可愛い服を着せられて写真を撮られていたのを想い出します.

藤永さん,いくらかは別の機会にフィルムを残していたかったそうですが,親切にも,他人の記念撮影のために全てを使い切っていました.にしてもインドの口コミは早い.

宿泊所の食事は当然,ジャイナ用のベジタリアン.

私はインド留学時のティルパティで,お寺のシンプル菜食には慣れていたので,むしろ,懐かしかったです.

すごいシンプルなジャガイモカレーがうまい,と思ったのを覚えています.

多分,大方の日本人には,質素すぎる食事にしか映らなかったでしょうが.

広大の院生2人が,私が着ていたクルターシャツを見て,クルターシャツをテイラーに行きオーダーメイドしたところ,ただのカッターシャツが出来上がって,困惑した表情で着ていたのを想い出します.

ビハールの田舎なので,ヒンディー語ができないと意思疎通も難しいという結果でした.

桂先生は,地元のマッサージをホテルの部屋に呼んで,上に乗られて足でぐいぐいやられて気持ちよさげでした.

桂先生を足蹴にした数少ない人間でしょう.

ビハールに行く前だったか後だったか忘れましたが,カルカッタでは,桂先生の滞在中は,先生と一緒の高いホテル.

そこから,B.K.マティラルの未亡人のお宅に訪問したのを覚えています.

ミーティングの約束のため事前に電話する必要がでてくると,そこは,私の役目.

桂先生とサダルストリートの高めのインド料理屋に行ったのも想い出します.

先生も,大昔に着ていた真っ黄色のクルターシャツを取り出して着てらっしゃいました.

ホテルで昼にいたところ,掃除の兄ちゃんが入ってきて,下のぞうきんで上のグラスを拭いているのを見てしまった桂先生.

苦笑い,

「見んほうが良かったな-」.

先生,日本からのペットボトルの水を大事に飲んで,お腹には相当気を払われていましたが,まさかコップがそんな状態とは.

やはり,ペットボトル直飲みが衛生的には一番です.間接性が増すほど,人間の過失が入り込む可能性が増えるというのは,ミーマーンサーの聖典権威論が教えてくれるところです.

桂先生と一緒になる前だったでしょうか,カルカッタに一人でいた間は,安宿とカフェでPVSVを注釈なしで単独で読んでいました.(あとは、写本複写依頼。ASから許可をもらい金も払いましたが、その後、北田君の助けも借りてマイクロを最終的に入手できたのは何年何年も後のことでした。ゲットできただけでもラッキーですが、ともかくも、インド写本は時間がかかります。)

やはり,テクストは,「裸で」(注釈なしで)読む物だと思いました.

著者は,後代の注釈を前提とせずに書いているわけですから,それだけで単独で読んで理解できるはずなのです.(自注と同時に書いているというような場合は別です.)

PVSVという難解なテクストも,それ単独で読んで案外理解できるものだなと納得したものです.

全知者についてのクマーリラとの議論応酬というアイデアも,そこから広がっていきました.

その頃は,まだ,クマーリラとダルマキールティの議論応酬というフラウワルナー説に乗っかって正面から議論する論文は僅かでした.

シュタインケルナーやクラッサーくらい.

川崎先生の一切智者もそこはノータッチ.

PVSVに裸で取り組むことで,自分で感じることができたのはラッキーでした.

ミーマーンサーだけでなく,仏教論理学,なかでも,ダルマキールティを読み始めたのはその頃からです.

稲見さんの研究会なども出ながら,最終的に,その時のアイデアは,2003年に,

仏陀の慈悲と権威をめぐる聖典解釈学と仏教論理学の対立.
『東洋文化研究所紀要』142, 198(151)--158(191)

として出しています.

水もそうですが,テクストも(注釈や二次文献に惑わされることなく)直接に味わうのが最も安全です.

ところで、32歳のPDにとって、現在の私がどんな風に映るのかを類比的に考えると、2001年当時の私にとっての、赤松先生くらいの年齢にほぼ当たります。

ちなみに、2001年といえば、1998年にVPの和訳を出された赤松先生が丁度4月に九大から京大に異動、九大印哲が先生のいない「大空位時代」を迎えた時です。(非常勤として針貝先生、阿先生、宇野先生に来ていただいていたようです。)

ちなみに、2001.9.11、わたしは丁度カルカッタの空港で、日本に帰るフライトを待ちながら、ビルから煙が立ち上るテレビの映像を、それがなにであるか正確に認識することもできないまま、眺め、その後、飛行機に乗り込んで翌日にシンガポール経由で成田に到着しました。
  1. 2017/10/21(土) 09:25:56|
  2. 未分類

transient

Rokkakudo1

箱崎キャンパス農学部,

図書館の裏の森に隠れた通称「六角堂」.(店の正式名称は「ページ」.)

机も六角,椅子のボルトも六角というこだわりよう.

農学部の50周年記念会館としてS49.5.31に建てられたここも,2月頃で営業終了のようです.

実際の取り壊しがいつになるのかは知りませんが,1974ー2018ということにはなるでしょうから,44年しかもたなかった,ということになります.

50年を祝ったはずが,50年より短いとは皮肉です.(ちなみに,箱崎の法文学部本館は,1925年ー2017年ですから,92年の寿命.)

諸行無常の刹那滅.嗚呼,無常!

金を出したであろう農学部OBも呆れていることでしょう.

かつてのCOEプロジェクトや,いまの何とか拠点構想を見ても,日本のプロジェクトは,永続性の発想に欠けた思いつきの企画が多いように思えます.(金もたいてい長くて5年で終わりですし.)

いっぽう,最近終了したドイツのネパール写本プロジェクトなどは,その長さにびっくりさせられます.(1970-2002, NGMCPが2002-)

ひょっとして,建物の非永続性という環境に,人々の発想が影響を受けているからでしょうか.(多分そうでしょう.)

伊勢や出雲よろしく,遷宮してフレッシュにいちからやりなおす,というのが日本的ということなのかもしれません.(日本の一軒家も長持ちしませんし.「いずれ壊すからメンテしなくていいや」でずるずると何年も経ち,水回りは汚いまま,台所はぼろぼろ,そして金がないからいつまでも引っ越しできず,引き延ばし引き延ばしで10年も20年も経ってしまうというのも,似たような構造かもしれません.ちなみに,金はなくとも,さすがにトイレは,一時,文学部でも,綺麗に改修されていました.)

とすると,安い建物をさっさと建てて,また壊して,次に作り直す,というのも,ありなのかと.(土地利用が決まるまでの一時的な利用法として,プレハブの本屋などが天神にもありました.新しいので人気でした.)

なんなら,サーカス団や劇団のテントや遊牧民のパオでもいいでしょうけど,遊牧民でも焼き畑移動の民でもない定住の農耕民に,そこまでの潔さはないようです.

しかし,箱崎に林立するプレハブ群は,いわばパオに近い仮設です.神経中枢の文系事務等からしてプレハブですし.

同僚の京谷先生が最近本を出され,仮設の凱旋門などの二階部分で行われた活人画を紹介されています.(『凱旋門と活人画の風俗史 儚きスペクタクルの力』(京谷 啓徳))

だとすると,仮設の儚いありかたを追求するというのも,立派なひとつの方向なのかもしれません.(ちなみに,京谷先生のオフィスは,仮設のプレハブ棟の中にあります.来福以来,10何年間もプレハブ・オフィス.)

桜のようにぱっと咲いてぱっと散る.

定期祭(nitya)と非定期祭(anitya)という分類であれば,非定期なのは,願望祭(kaamya)ですが,その願望祭は,100%の力でやらないといけません.

いっぽう定期祭は能力が及ぶ可能な限りでいい(yathaa"sakti),ということなので,一部面倒なところは省略しても問題ありません.

つまり,ルーチーンワークは,少々手抜きしてもいいけど,自発的プロジェクトは全力でやらないと成就しないというわけです.

そのことから考えれば,非永続的なものは,瞬間的に全力が発揮される場であるとも言えるでしょう.

hakozakirigakubu1

20cのキャンパスが箱崎元寇防塁(13c)から21cに元岡古墳(7c)へ移転というのも,奇妙な縁です.

22世紀にはどこに引っ越すのでしょうか.
  1. 2017/10/14(土) 08:29:52|
  2. 未分類

バスリ

Tokyo 063

寮前の中島屋はそのまま.

Tokyo 070

いっぽう,舐めたコンビニのバスリはなくなって久しい.栄枯盛衰.

ジャパンツアーでちかくのホテルに泊まっていたエ〇ロ〇〇スのメンバーが,いかがわしい雑誌を揃って立ち読みしてたのを想い出します.

バスリのオヤジ,アイスの冷凍庫の上にちょっとでも物を置こうものなら,

「はい,ここは物を置くところではない」

としゃがれた声で注意を促し,物をのけていました.

友人も,「あそこだけは絶対いかない」と堅い誓いを立てた人がいくらでもいました.

バスリのネタを肴に,中島屋で買った酒を飲むといくらでも進みます.

略号表
*バスリ=Number Threeという屋号の家族経営のコンビニ
  1. 2017/10/14(土) 07:40:14|
  2. 未分類

学内カースト









最初に立てた上流エリアの工学系の建物は、かなり立派。

丈夫そうだし、格好もいい。

しかし、坂を下り、後になるにつれ、下に行くにつれ、どんどん安普請になっている気がします。

気のせいでしょうか。

谷の最下が教養エリア。

ここは、かなりの安っぽさです。

オープンな空間といえば聞こえは良いが、要は安く上げるための、ただのふきさらし。

しかも(api ca)、ディテールのひどさは、呆れるレベル。

鳩除けか鳥避けのためでしょうか、後から外枠に取り付けられたらしいトゲトゲが悲しく、そして、汚らしい。

渡り廊下の屋根も、流石に無いと糸島半島の過酷な風雨には不便というので、後からのものだったはず。

新しいのに遠目にも更にチープに見える文系ビル群は、谷底の道を渡った、逆側の丘の上。

下流民の悲しさ。ザ安普請。

四姓制度を思い出しました。或いはベナレスのガンガーの誰も住まない対岸。

にしても、丘を平らにする金もなく、結果として背後から見れば半分地下風になる図書館は、かなりの湿気になる気がします。書庫とか大丈夫なのでしょうか。

果たして、22世紀まで、この文系の安普請建設物は残存してるのでしょうか。

諸行無常は世の習いとはいえ、かなりの刹那滅ぶりを証明してくれる気がします。

うちの研究室は6階に入居予定です。

人数に対してエレベーターの数とか足りるんでしょうかね。

待つくらいなら歩いたほうがまし、とかいうことになる気がします。

健康のためには良いかもしれません。

年寄りの膝には堪えます、、、

「でも、移転したら、研究室も、今より広くなるのでしょ?」

と聞かれますが、正解は、

「今より狭くなります」。

広大なスペースを求めて田舎に引っ越しても、駐車場は有料、そして、専有スペースは狭いという、結果だけから見ると、よく分からないことに。

「え、じゃあ、なぜ移転?」

と聞かれますが、知りません。

大昔に決定されたようなので、その当時の意思決定責任者、皆さん、とっくにいません。

どーせ、いいことばかりを語っていたのでしょう。

まさか、「みなさん、是非、狭い場所に移りましょう」と説いて回ったとは思えません。

今日、バスの後ろの学生が「俺、定期じゃなかったら、家から交通費、往復2000円だぜ」と言っているのが聞こえました。

「定期取れるまでの3日で6000円だったよ」とも。

入学早々、伊都国の遠さを恨むことになるのも当然かと。

防人の歌か、貧窮問答歌でも、ひねれそうです。
  1. 2017/10/07(土) 22:48:34|
  2. 未分類

理系の方



  1. 2017/10/07(土) 16:55:21|
  2. 未分類

トゥクトゥク・レボリューション



タイ風なのに、タージマハル?

という突っ込みしたのは、私くらいだそうです。

濱岡さんのブース。
  1. 2017/10/07(土) 16:51:45|
  2. 未分類

ito campus

  1. 2017/10/07(土) 16:50:04|
  2. 未分類

ドーサ

  1. 2017/10/07(土) 16:49:17|
  2. 未分類

文系棟

  1. 2017/10/07(土) 16:48:32|
  2. 未分類

北も南も




ビリヤニがよく出てました。

次にドーサ。

パッバッジ頼んでるのは、インド人くらいでした。
  1. 2017/10/07(土) 16:46:16|
  2. 未分類

バングララッシー



バング~らっし~ではありません。
  1. 2017/10/07(土) 16:44:07|
  2. 未分類

タイ、アイスティー


  1. 2017/10/07(土) 16:42:55|
  2. 未分類

インド人留学生ブース

  1. 2017/10/07(土) 16:41:55|
  2. 未分類

パニプリ

  1. 2017/10/07(土) 16:41:04|
  2. 未分類

パッバッジ

  1. 2017/10/07(土) 15:36:03|
  2. 未分類

pāṭhyamānāni

今期は充実の読み会ぶりです.

PDの眞鍋博士(早大,PD)とはマドゥスーダナサラスヴァティーのパラマハンサプリヤー,いわゆる後期ヴェーダーンタ,バーガヴァタプラーナの冒頭偈への注釈,四ヴィユーハを説明し終わって,これから,ナーラーヤナやクリシュナの立ち位置を確定するところ,

ナングロガル5


須藤君(DC1)とはジャヤンタのニヤーヤマンジャリー,詭弁・討論術,

ナングロガル3


学部生の濱岡さん(B3年)とはクリシュナヤジュヴァンのミーマーンサーパリバーシャー,聖典解釈学の綱要書なので楽ちん,昔は全体をほぼ暗記してましたが,さすがに忘れてました,

ナングロガル4


佐藤君(DC2)とはカマラシーラのTSP,一切智者批判・擁護,後得清浄世間智や十地がどうのこうのと解説中,

マルハバ2


斉藤博士(京大,PD)とはマンダナミシュラのヴィディヴィヴェーカ,印哲の中でも最も難しいテクストの一つです,命令論,iṣṭābhyupāyatāを願望法動詞語尾の意味として認めた場合に,では,定期祭(nityakarman)をどのように説明するのか,という山場に入りました.プラバーカラの見解を知らないと無理です.

ポラポラショクドウ1


Ham博士(ミシガン大,Robert Ho Family Foundation Fellow)とは清弁の中観心論,こちらは英語ミディアム,

Vienna 530


いずれも,興味あるものには,他の人も参加.

須藤君との読み会の,しかも,いわゆる「六主張論議」の箇所を読む会に,結構な数が参加しているのには驚きました.

マニアックなオタク向けの内容なんですが.

Ham君も興味があったらしく,英語とちゃんぽん授業.

Vienna 529


さらに,春先には海外からビッグな若手研究者が短期で来福予定.

何か一緒に読む予定です.いま考えているテクストは,泣く子も黙る〇〇〇です.

筑女の川尻博士もそのうち誰か短期で呼ぶようです.



福岡も意外にサンスクリット語の諸音素が,音響(風原子の結合分離)を通じて,頻繁に開顕されています.

そして,先行音素から生じたサンスカーラを伴った最終音素,あるいは,潜在印象を通じて全体として想起された諸音素から成る単語から,表示連関モデルにより,あるいは連関表示モデルにより,あるいは,その他のモデルにより,文意が理解されています.

ちなみにジャヤンタによれば,文意理解も語の持つtātparyaśaktiに起因します.

なお,後期水曜3限は,斉藤博士の「わくわく印哲講義」も非常勤枠で正規授業として開催中.
  1. 2017/10/07(土) 10:07:59|
  2. 未分類

punarutthaanakaale

後期の開始となると想い出すのが昔のY助手.

わたしがまだ学部の頃でした.

「ち,しょーがねーなー」

と,うちの助手のTさん.

「どうしたんですか」と聞くと,「また,来てねーよ」とのこと.

どうやら,隣の研究室のY助手が大学に来てないとのこと.

そして,どうやら,休みがあけて新学期が始まると毎回,1週間も2週間も来ないのだそうです.

新学期の憂鬱というやつです.(下宿は大学の近くなんですけど.)

気が効くT助手は,学生のためにわざわざ研究室をあけてあげたり,あるいは,締め切りが迫っている事務を代わりにやってあげたりしていました.

外から聴講にやってきていたご高齢の名士F氏が,よく,研究室の前でY助手を待たれていたのも想い出します.

「しょーがねーなー」というT氏も,「まあいつものことですから」というF氏も,怒った風ではなかったですから,これも,Y助手の人徳でしょうか.

お得な性格です.

醸し出す雰囲気というのは,そうそう簡単に真似できるものではないですから.

そういうのを見ると,インドの昔の雑誌が3~4年間をまとめて1号にしてたり,ひどいのになると10年間をまとめて1号にしてたりするのも,まあ,ありかなと思います.

みんな,事務さぼってたんですね.

というわけで,日本の雑誌も,きっちり毎年1号出さずとも,インド的には1~2号くらいの飛ばしがあっても許すべからざるや.

インド的寛容の精神からはそう思いもします.

いっぽうで,仕事きっちり,5分前集合の日本的風土に育まれた身としては,「ちゃんとしてよ」とも思います.

ともあれ,学部の頃は,こんな生き方も許されるのかと衝撃を受けたのを覚えています.

その後インド旅行やインド留学で受けることになる衝撃に比べれば,何ということはないレベルですが.
  1. 2017/10/05(木) 20:31:35|
  2. 未分類

closed Mandala

年を取ると新しく学ぶということが難しくなってきて、

閉じた円環の中でぐるぐる同じ所を回っている、

ということが多くなります。

意識的に、どこかに風穴を開けて外に出て行かないと、

知的な成長つまり学びがなくなってしまいます。

そのことを感じるのは、

1.校訂や和訳をしていて分からないことがでてくるとき、

つまり、自分の知力範囲の限界を知り、強制的に新たな事項を学ばせられるとき、

2.学生に教えていて強制的に学ばせられるとき、

でしょうか。

自分が修論で扱ったテーマ、あるいは、博論で扱ったテーマを、その後もずっと追い続けるというのは、それはそれで重要なことですが、しかし、同じテーマに安住すると、自身の成長は期待できません。

教授資格論文のハビリタチオンが博論とは全く違うテーマじゃないといけないというのは訳あることだと思います。

自分の分かる範囲で資料の一部を切り取ってきて、それをつないで論文にするだけだと、自身の成長はほとんど望めません。

和訳研究が斯界に少ないのは、実際には、実力がばれるのが怖いから、というのもあるでしょう。

和訳を見るとすぐに実力がわかります。

校訂テクストも同様です。

自分の閉じた円環の中でぐるぐる回っていると、見たくないものは見えないし、聞きたくないものは聞こえない、という状態に陥ってしまいます。

どこかの大統領ならずとも、年取ると、人間、そんなものですが。

他人に改めてファクトを指摘されるのを待つしかありません。

恥かかないと学びはないですから。

逆に言えば、無恥と無知は最強です。

マンダナやシャンカラによれば、現象世界の根本は無知だそうですから、いずれにせよ、悪あがきの程度が異なるだけですが。
  1. 2017/10/02(月) 20:13:58|
  2. 未分類

プロフィール

Aghora

Author:Aghora

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する