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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

द्वात्रिंशत्

PDが32歳になったというので,研究室の皆でプチお祝い.

そこで,私自身が32の時,何をしていたのかを想い出してみました.

ちょうど東文研の助手になった一年目の年.

博士号の審査が6月にあり,博士(文学)を取得.

同じ6月には,ハンブルクからポーランドのKunowiceに行き,ワルシャワにも寄って,ハンブルクから帰っています.

そこで発表したのが

The Mimimamsa Definition of Pramana as a Source of New Information,
International Seminar `Argument and Reason in Indian Logic' (Warsaw University, Poland), 2001.6.24.

バルセロヴィッツが中心になって主催したものでしょう.

瀟洒な坂や古城もあって,かなり風光明媚なところでしたが,この頃は,デジカメも持っておらず,どんなところだったか記憶も薄れています.

帰りのワルシャワで,桂先生,シデリッツと,温室のような超高級レストランで食事した覚えがあります.

桂先生が後からクレジットカードの請求見てびっくりしたそうです.ワインが高かったとの由.さすがシデリッツ.高級ワイン派.

博論を1999年に出して勢いに乗るジョンダンが,確か,その頃出たばかりの携帯できる小さいノート(ipadみたいなもの)を片手に,ワルシャワの街中でギロンとPVの一節について議論していたのを見かけた記憶があります.

桂先生,「こんなとこまで議論か,よーやるなー」.

夏の印仏研は東大.

「認識の真偽と聖典の権威──クマーリラのpramanya論──」,
第52回日本印度学仏教学会学術大会(於:東京大学),2001.7.1.

博論のbhavana論が終わって,ちょうど,JS 1.1.2のcodanaのところを読んでいたので,その関連で,この発表でした.

真理論,あるいは,真偽の理論と,それの聖典の真偽への適用について,ということです.

翌年の印仏研に英語で載せています.

ちなみに,2001年までの総論文数は11本です.

さらに,助手一年目ということで,東文研内での研究会でも,分野外の諸先生方の前で発表させられています.

「古典インド聖典解釈学派による全知者批判」,
東洋文化研究所平成13年度第2回定例研究会,2001.7.12.

これもcodana関連.

この頃は,一切智者論といえば,本邦では,川崎先生のものがほぼ唯一のものでした.(藤永さんが2001年にジャイナ教の一切知者論を丁度出された時です。)

全知者関連では,翌年2002年の年末のインド思想史学会で発表,2003年に英語で載せています.

所長だった田中明彦先生が,「それは変な議論だな」ということで,正確な突っ込みをされたのを覚えています.

細かいところは分からなくても,大所高所からの議論の飲み込みが早く,勘所を押さえるのがうまいなと感心したのを覚えています.

上村先生が専門外の先生方のために,私の専門的な議論を分かりやすく解説,フォローしてくれていたのも記憶にあります.

8月-9月には,カルカッタに行っています.

ワルシャワでも一緒だった桂先生が,藤永さんと共にジャンブヴィジャヤ師に会いに行くというので,ご一緒させてもらった時です.

カルカッタから入って,夜行に乗って,ビハール州のジャイナ教の聖地へ.

ジャイナ教の信者が泊まるホテル(というか宿泊所)に滞在中のジャンブヴィジャヤ師に面会.

小林君が師にテクストを読んで貰っていたのに一緒に参加.

TSでしたか,PVAでしたか,忘れました.

桂先生が,できたばかりのPS1の原稿をジャンブヴィジャヤ師に見せたのも,その時でした.

藤永さんが,ポラロイドでホテルに滞在中の信者さんの記念写真を撮って記念にその場であげたところ,翌朝には部屋の前に行列ができていて,「子供と記念に取りたいからお願い」というようなことで,皆,撮ってもらっていました.

藤永さん,フィルムも結構持ってきたはずが,途中で切れてしまい,「これでおしまい」ということで,行列の途中で打ち切り.

小さい女の子が記念写真用に派手な可愛い服を着せられて写真を撮られていたのを想い出します.

藤永さん,いくらかは別の機会にフィルムを残していたかったそうですが,親切にも,他人の記念撮影のために全てを使い切っていました.にしてもインドの口コミは早い.

宿泊所の食事は当然,ジャイナ用のベジタリアン.

私はインド留学時のティルパティで,お寺のシンプル菜食には慣れていたので,むしろ,懐かしかったです.

すごいシンプルなジャガイモカレーがうまい,と思ったのを覚えています.

多分,大方の日本人には,質素すぎる食事にしか映らなかったでしょうが.

広大の院生2人が,私が着ていたクルターシャツを見て,クルターシャツをテイラーに行きオーダーメイドしたところ,ただのカッターシャツが出来上がって,困惑した表情で着ていたのを想い出します.

ビハールの田舎なので,ヒンディー語ができないと意思疎通も難しいという結果でした.

桂先生は,地元のマッサージをホテルの部屋に呼んで,上に乗られて足でぐいぐいやられて気持ちよさげでした.

桂先生を足蹴にした数少ない人間でしょう.

ビハールに行く前だったか後だったか忘れましたが,カルカッタでは,桂先生の滞在中は,先生と一緒の高いホテル.

そこから,B.K.マティラルの未亡人のお宅に訪問したのを覚えています.

ミーティングの約束のため事前に電話する必要がでてくると,そこは,私の役目.

桂先生とサダルストリートの高めのインド料理屋に行ったのも想い出します.

先生も,大昔に着ていた真っ黄色のクルターシャツを取り出して着てらっしゃいました.

ホテルで昼にいたところ,掃除の兄ちゃんが入ってきて,下のぞうきんで上のグラスを拭いているのを見てしまった桂先生.

苦笑い,

「見んほうが良かったな-」.

先生,日本からのペットボトルの水を大事に飲んで,お腹には相当気を払われていましたが,まさかコップがそんな状態とは.

やはり,ペットボトル直飲みが衛生的には一番です.間接性が増すほど,人間の過失が入り込む可能性が増えるというのは,ミーマーンサーの聖典権威論が教えてくれるところです.

桂先生と一緒になる前だったでしょうか,カルカッタに一人でいた間は,安宿とカフェでPVSVを注釈なしで単独で読んでいました.(あとは、写本複写依頼。ASから許可をもらい金も払いましたが、その後、北田君の助けも借りてマイクロを最終的に入手できたのは何年何年も後のことでした。ゲットできただけでもラッキーですが、ともかくも、インド写本は時間がかかります。)

やはり,テクストは,「裸で」(注釈なしで)読む物だと思いました.

著者は,後代の注釈を前提とせずに書いているわけですから,それだけで単独で読んで理解できるはずなのです.(自注と同時に書いているというような場合は別です.)

PVSVという難解なテクストも,それ単独で読んで案外理解できるものだなと納得したものです.

全知者についてのクマーリラとの議論応酬というアイデアも,そこから広がっていきました.

その頃は,まだ,クマーリラとダルマキールティの議論応酬というフラウワルナー説に乗っかって正面から議論する論文は僅かでした.

シュタインケルナーやクラッサーくらい.

川崎先生の一切智者もそこはノータッチ.

PVSVに裸で取り組むことで,自分で感じることができたのはラッキーでした.

ミーマーンサーだけでなく,仏教論理学,なかでも,ダルマキールティを読み始めたのはその頃からです.

稲見さんの研究会なども出ながら,最終的に,その時のアイデアは,2003年に,

仏陀の慈悲と権威をめぐる聖典解釈学と仏教論理学の対立.
『東洋文化研究所紀要』142, 198(151)--158(191)

として出しています.

水もそうですが,テクストも(注釈や二次文献に惑わされることなく)直接に味わうのが最も安全です.

ところで、32歳のPDにとって、現在の私がどんな風に映るのかを類比的に考えると、2001年当時の私にとっての、赤松先生くらいの年齢にほぼ当たります。

ちなみに、2001年といえば、1998年にVPの和訳を出された赤松先生が丁度4月に九大から京大に異動、九大印哲が先生のいない「大空位時代」を迎えた時です。(非常勤として針貝先生、阿先生、宇野先生に来ていただいていたようです。)

ちなみに、2001.9.11、わたしは丁度カルカッタの空港で、日本に帰るフライトを待ちながら、ビルから煙が立ち上るテレビの映像を、それがなにであるか正確に認識することもできないまま、眺め、その後、飛行機に乗り込んで翌日にシンガポール経由で成田に到着しました。
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  1. 2017/10/21(土) 09:25:56|
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