FC2ブログ

Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

構内






















箱崎の桜達も最期.

来年には全てが破壊され無となっていることでしょう.

創造と存続と帰滅.

有から無へ.

あるいは,これら全てが端から虚構だったと瑜伽行者なら見破るでしょうか.

昔の高知やカトマンドゥの空港を思わせる,平屋の文系食堂を見る度に,オックスフォード・ケンブリッジの豪華ダイニングホールとの差を感じ,そして,世界ランキングの彼我の差の埋めがたさを目の当たりにする思いがします.食堂ランキングでは,世界100位以内どころか,国内でも最底辺でしょう.

しかし一方で,地蔵の森で気ままにBBQしてる人達を見ると,この緩さもありかなとも思わせてくれます.

オールソウルズカレッジの綺麗な芝生の上には,入ることさえ許されませんから.

よしあしも色々.価値観もいろいろ.

「躍進百大」の単眼直線思考から抜け落ちたものは何なのでしょうか.

変わるものと変わらぬもののサーンキヤ的転変説.和魂洋才.

アイデンティティと矜持を失った大学は,アビダルマのダルマ論のように,基体を持たない属性として,このまま世界の波間に漂うのでしょうか.

カシミールの毘婆沙師達が考え出した,身体も持たずに,どこかをふわふわと49日も漂う中有的な存在となるのでしょうか.

それはそれで潔いとも言えますが,足下を見ると,そうともいかぬ事情が山積み.

東大の9月始業もどこへやら.

英語化の波も,医学部や法学部を見る限り,限界がありそうです.(英語で試験があるわけではないので.)

結局,折衷や妥協という落しどころを探すことにならざるを得ないでしょう.

インドのように,現地語ミディアムと英語ミディアムとで教育レベルや階層が分かれる社会になるということでしょうか.
スポンサーサイト



  1. 2018/03/31(土) 15:55:49|
  2. 未分類

唯識の含意

この一切は心のみ,認識のみ,表象のみ,ということは,後期唯識の表現で言えば,自己認識のみ,ということになります.(ここでいう自己認識とは、認識それ自体が認識それ自体を認識する、厳密には、自ら輝く心があるのみ、ということです。)

自己認識のみ,ということは,すなわち,他を認識することがない,ということになります.

すると,様々な問題が噴出することになります.

JのJNAのSS第三章の出発点は,そんなところです.

因果関係は成り立つのか.

能取は所取を捉えるのか.

前後関係は言えるのか.

世俗の立場と勝義の立場を分けながら考えていくことになります.

容易に予想されるように,勝義には自己認識のみだが,世俗では関係の全ては否定されない,ということになります.

そして,関係を認める世俗の立場に降り立つということは,この立場では,外界実在論に立ってもよい,ということにもなります.

因果関係と外界実在とは,Jから見れば,ワンセットです.(つまり,経量部の立場に立つ,ということになります.)

当然,勝義において自己認識のみであるならば,仏陀の身体は,どのようなものかということが,無相と有相の間での見解の違いを前提にしながら,問題として浮上することになります.

第三章がいつのまにやら仏身論になるのは,そういう問題意識からです.

サンボーガカーヤが基体としての仏身であり,その属性として,空性=法身=tathataaがあるとするJの立場は,被限定者不二一元論のラーマーヌジャが聞いたら喜ぶことでしょう.

ブラフマンはsagu.naかnirgu.naかということです.

ただし,ラーマーヌジャの場合は,身体という様相に限定されているのがブラフマンということになるので,Jとは上下が逆です.

比較神学というと,クリスチャニティーとラーマーヌジャ,それに,浄土真宗の阿弥陀信仰と相場が決まっていましたが,いずれも,sagu.nabrahmanを立てる点で似ています.(要するに,偶像崇拝の側です.)

今後は,これに,Jの有相唯識の仏身論も加えれば,誰もついてこれないほど高度になるでしょう.
  1. 2018/03/25(日) 10:44:37|
  2. 未分類

センタンプラーザ

  1. 2018/03/24(土) 20:56:39|
  2. 未分類

マーケット

  1. 2018/03/24(土) 20:51:53|
  2. 未分類

Anya's place

  1. 2018/03/24(土) 20:41:59|
  2. 未分類

SSS

この道は,理証・教証・マイトレーヤの教義に従う.したがって,有形象論において,議論は打ち倒された(nihata.h).しかしながら,論争の場におけるかのように,論争当事者の諸見解の順に従って書くというやり方をしているため,その教えは,まとまりのないものとなってしまった.

それゆえ,簡潔に,これ――その内容をまとめる諸短句の蔵――が作られる.これは利他行となるかもしれないし,ならないかもしれない.しかし,真理の反芻により,自利があるのは,確かである.



聞けなかった前半について,ハルのレコーディングを聞き直し.

初回レコーディングで,JのSaakaarasiddhiでの書き方について,J自身が言及している箇所にハルが言及.

散らばっている,とJ自身記述しています.つまり,まとまりがない記述になったと自ら言及.

シノプシスを作ろうとしても,どうも,すっきりしないのはそのためです.

つまり,あたかも論争現場にいるかのように,論争を念頭に起きながら,あれこれと展開していくので,教科書のように体系的にはできていないということを自ら白状しています.

SSSというまとめを書いたのは,まとまりのない記述をまとまったものとするため,というわけです.
  1. 2018/03/24(土) 16:37:53|
  2. 未分類

巡回



お粥屋。

右前には、昨日と同じ兄ちゃん。目があってお互いニヤニヤ。

同じお粥、ただし彼は、昨日も今日も卵付き。

新聞の置いてあるところには、食べた後の器が。

ご飯に鳥の汁。

これも、いつもの親父に違いなし。

みな、同じものを同じ時間に毎日食べている様です。習慣の生き物というか、惰性というか。そういえば、毎日5時にプール脇を通過して行く母犬がいます。縄張り確認でしょうか。



アリーカカフェに、マーキング。
  1. 2018/03/23(金) 09:51:22|
  2. 未分類

maarjaara

  1. 2018/03/22(木) 23:38:57|
  2. 未分類

  1. 2018/03/22(木) 22:43:06|
  2. 未分類

J

  1. 2018/03/22(木) 09:48:05|
  2. 未分類

キャンパス内

  1. 2018/03/22(木) 09:47:27|
  2. 未分類

antahsatadivisayam bahihsitadigocaram

  1. 2018/03/21(水) 22:52:59|
  2. 未分類

jotinganairghrnyavat

  1. 2018/03/21(水) 22:51:00|
  2. 未分類

aelika cafe

  1. 2018/03/21(水) 22:46:21|
  2. 未分類

kukkura

  1. 2018/03/21(水) 22:43:03|
  2. 未分類

サンボーガカーヤ

ジナを最上のもの(法身)に他ならないと考える人達(ラトナーカラシャーンティ)は,自分の先生をも掠わせている.

アーガマから真っ正直に把握される[ジナ]は,[32]相で輝いている.



Jによれば,ジナは,サンボーガカーヤだそうです.
  1. 2018/03/21(水) 18:21:18|
  2. 未分類

JNA

それ自体見られないようなもの,あるいは,喩例を通じても理解されないようなもの,そのようなものがどうして修習対象となろうか.相がない場合,まさにそれらについて,何らかとの比較が,ありうるだろうか.

というのも,相を厭う[ラトナーカラシャーンティ]は,正しい道をよく知らないからこそ,[無相の心を]清いと思って,そのようなもの(無相の心)を修習しているのである.[しかし]それを修習しただけでは,[彼は]能遍の無知覚(離一多性)から生じる危険から逃れることはできない.



この箇所は修正が必要なので,タクル版そのままだと,読めません.
  1. 2018/03/21(水) 18:16:05|
  2. 未分類

JNA

また,論理的考察は,順次に,それ(無我性)のみに向かっているのだから,

知覚あるいは推論により,諸存在が証明されることは決してない.

むしろ,おなじ両者によって,これら(諸存在)は打ち消される.

これゆえ,両者は,これ(無我性)を主眼とする.



プラマーナというのも,何かを肯定的に証明するために用いられるのではなく,むしろ否定するために用いられるとジュニャーナシュリーは述べています.

つまり,Xが自性を持つことを否定するのに資するのがプラマーナということです.
  1. 2018/03/21(水) 17:57:05|
  2. 未分類

屋台移動

  1. 2018/03/21(水) 10:06:42|
  2. 未分類

  1. 2018/03/21(水) 10:06:10|
  2. 未分類

35と思いきや



1㎏が35なので、15バーツでした。

  1. 2018/03/21(水) 10:05:19|
  2. 未分類

Sakarasiddhi 3

ものすごい速さで読破中.

予定より一日早く終わるくらいのペース.

ほぼ3頁ほど,毎日,進んでいます.

復習が追いつかないので,ランチをパスして,居残り打ち込み.

なんとか追いつきました.

話は,いつのまにやら,仏身論へと展開.

世尊がダルマカーヤかサンボーガカーヤかで揉めています.

それと形象論が密接に絡みながら,議論がうねっていきます.

そして,そこにasatkhyaatiも入ってきます.

Jによれば,asatkhyaatiのkhyaatiは,adhyavasaayaの意味だそうです.

さもありなん.

何が何でも虚偽形象は許さない,虚空のような無形象・無顕現の仏も許さないとの姿勢です.

なお,法法性分別論のサンスクリットは,dharmadharmataapravibhaagaが,正しい梵文タイトルとのこと.
  1. 2018/03/21(水) 00:11:49|
  2. 未分類

学内

  1. 2018/03/20(火) 23:30:20|
  2. 未分類

音楽学部近くの学内レストラン「ミュージックスクエア」

  1. 2018/03/20(火) 23:24:25|
  2. 未分類

Music Square

  1. 2018/03/20(火) 23:21:21|
  2. 未分類

  1. 2018/03/20(火) 23:17:31|
  2. 未分類

シュガーケイン



「うちは、1㎏、4000バーツの抹茶よ」

「ほうじちゃも、美味しいわよ」

「タイ北部の烏龍茶も入れたから飲んで行きなさい」

「抹茶の有名なブランドはどこ?」

「つぎは、タイティー飲みなさい、砂糖少なめにしてあげるから」

抹茶ラテの飲み方も指導されました。
  1. 2018/03/20(火) 19:54:45|
  2. 未分類

アバンギャルド



客が珍しく多く、テンパっていたのでしょうか、かなり前衛的に。
  1. 2018/03/20(火) 19:50:24|
  2. 未分類

キャンパス内





  1. 2018/03/19(月) 22:57:21|
  2. 未分類

ジュナーナシュリーミトラとアバヤーカラグプタの超高速リーディング

日曜日もムニマタだったので,疲れが取れず.

無情にもまた月曜日.

小学生のように,久々に,学校に行きたくない気分です.

きょうが,二回目の日曜日であったほしかったです.

朝,5:30起きで,予習.

7時に朝食に出て,戻って,8時に大学へのバスに乗車.

11:45に終了.3頁ほど進んでいました.恐ろしいスピードです.

午後は休めるかと思いきや,ムニマタの続き.

14:00-16:30

あっというまに7頁分を終了.超高速リーディング.

中観からの無相唯識批判が主な内容.

JNAに比べると超簡単に感じられます.

帰ってJNAの復習をする時間もなし.

この暑い中で,午前も午後もやられると,さすがに疲れます.

にしても,ジュニャーナシュリーも,アバヤーカラも,ラトナーカラシャーンティに対して,言いたい放題でした.
  1. 2018/03/19(月) 22:13:17|
  2. 未分類
次のページ

プロフィール

Aghora

Author:Aghora

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する