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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

既成か否か

いったんestablishedされてしまうと,それを信用してしまいがちなのが人間です.
プリントされたものを安易に信じてしまい,それ以外の可能性がフィフティーフィフティーであっても,どうしても,それ以外に5割の可能性をかけたがらなくなる,既存のものを依怙贔屓してしまうのが人間の心性です.
これは,既成のものにすがったほうが労力が少なくて済むからだという効率性の観点から説明が付きます.
いちいち疑ってかかっていたらきりがないですから.(詐欺師が名刺に凝るのも,それを利用したものです.)
しかし,現実には,テクストの読みは,たとえそれが公刊されたものであっても,つねに,多くの可能性に開かれており,また,疑いの中に揺らぎうるものです.
写本に立ち戻ってチェックすることの重要性,さらには,未出版の場合には特にそうですが,複数写本を見ることの重要性というのは,読みの相対化という観点から非常に重要なことです.(現代風に言えば「情報リテラシー」とでもいえばいいでしょうか.)
写本を見ると,いかに,我々が既に前提としている既存の読みが,ひとつの可能性でしかないのかに気が付かされます.
相対化の視点を身に着ける,それのアビヤーサとでもいえばいいでしょうか.
テクストにおける空性の修習(くうしょうのしゅじゅう)といってもいいかもしれません.
絶対不変の自性(じしょう)は,読みにはありません.
それは,他の可能性との中で,相対的にしか生きていません.
アポーハな世界です.
そして,自分自身が,どうしても既存の権威にすがりたくなる弱い存在だという,自身の心性にも意識的である必要があります.
そのために,読みを相対化して,さらに,読み同士の優劣,発生順序を見抜く経験を培う必要があります.
残念ながら,読みの選択のセンスは,やはり,慣れた人と最初に訓練した方が得です.
どうしても,陥穽に陥りやすいので.
しかも,初心者が陥りやすい罠があるので,注意が必要です.
それは,人に指摘されるまで気が付きにくいものです.
綺麗に製本した出版本を見ると,それを信用したくもなるというものです.
しかし,多くの本が,テクストに関しては,決して完璧ではないというのが,サンスクリット研究の現実です.
テクスト校訂に終わりはありません.
校訂テクストを出すときに難しいのは,原稿をチェックする人がとても少ないことです.
旧知のAが校訂本を出すとなったとき,わたしにも原稿を送ってくれました.
ほかの数多くの友人にも送ったそうです.
しかし,サンスクリット校訂テクストを丹念にチェックしたのは,どうも,私だけの感じでした.
最終段階であるにもかかわらず,まだまだ,直すべき箇所が多く見つかりました.
もちろん,それは,いろいろなレベルにおいてです.
単純なタイポから,あるいは,こちらの読みの方がいいのではという提案まで様々.
にしても,サンスクリット研究者といえども,(インドのパンディット以外の)多くの人は,それほどすらすらとサンスクリットを読めるわけではない,というのは恐らく悲しい現実なのでしょう.
英語の部分は読んでもサンスクリット校訂部分は飛ばして読んでいるのかもしれません.
私の場合は逆で,論文でも重要なのは,脚注部分にあるサンスクリット部分だったりします.
サンスクリットのスペルミス,タイポ,訳との齟齬などなど,低レベルの論文や資料は,悲しいことに,いくらでもこの世には見られます.
しかし,一昔前と比べると,サンスクリットの読解レベルは格段にあがってきました.
川村君や石村君のように,小川先生のスパルタ教育を受けて育ってきた人のサンスクリットは,一昔前のいわゆる「インド哲学者」の読解センスとは比べものないほど高いものがあります.(研究全体のことではなく,あくまでも,サンスクリットの正確な読解という意味においてです.)
ディワーカル,ソームデーブ,ハル,サンダーソンなど一流どころと読んできた斉藤さんも然り.
サンスクリットの読解センスというのは,やはり,良い人と読むに限ります.
研鑽を積む,真剣勝負の経験数に応じて,やはり,戦闘能力は上がっていきます.
恥をかいても平気な若いうちに,間違いを正してもらうほうが楽です.
年取ると,そういう経験がしにくくなりますから.(私は,いまでも読書会で,別に間違っても,学生気分と同様,平気です.横地さんも,別に,平気そうな顔をしています.そういうメンタルの強さは,修行には必要です.大事なのは,正解・真実(あるいはより良き解釈)が何か,ということであって,「自分の」見解への固執ではありません.常に修正修正のカイゼンです.無我の修習といっていいでしょう.)
井の中の蛙や,あるいは,裸の王様になってしまう可能性が高くなります.
狭い研究室メンバーの中で一番読めると言われていても,それは,まさに井の中の蛙,夜郎自大.
サンスクリットの世界は世界全体でも狭いとはいえ,やはり,いるところには人はいるもので,まだまだ広いものです.
たとえば,普通は旅行することもない東欧のハンガリーにも優れたサンスクリット研究者はいます.
各地に出かけて修行を積むべきです.(特に若いうちは.)
まあ,手近にソームデーヴという偉大なサンスクリット学者がいますから,わざわざ海外に出ずとも,京都大学にいけば,いくらでもいい修行はできますけど.
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  1. 2018/09/16(日) 10:56:18|
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