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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

福田洋一『ツォンカパ中観思想の研究』

福田洋一
ツォンカパ中観思想の研究
大東出版社


江島先生の初等文法(1990年度)を終えたあと、チベット語中級が正規の授業ではないので、どうしたものかと思っていましたが、幸い、福田さんが、仏教青年会のまだ昔の部屋(上の階)で、毎週、ツォンカパの読書会を開いてくださっていましたので、私もそれに参加させていただきました。学部と修士と、数年間は継続して出ていたように覚えています。かなりの分量を一緒に読むことができました。

長尾先生の和訳を頼りに予習していって、輪読で福田さんが訂正してくれる、というものでした。

インドもののチベット訳とちがって、チベット人自身のチベット語ですから、流れが自然なので、非常にチベット語の勉強になりました。

と同時に、中観の奥深いところまで理解することができたので、一挙両得でした。

語学も内容も二度おいしい。

ちょうどダライラマ猊下が千葉あたりでしょうか、講演にこられたときに聞きに行ったのですが、講演の途中、話が突然に高度になり、まさにツォンカパが議論していたような、自立派と帰謬派の微妙な違いについて、話をされました。ちょうど福田さんと先週読んだばかりなので、私自身は「なるほど」と理解することができましたが、もちろん、まわりの一般聴衆は、爆睡しているチベット人がたくさんいましたし、信心深そうな日本人も、さすがに、この部分は、理解できなかったはずです。内容は理解できなくても、dar"sanaによる功徳は生じるでしょうし、あるいは、睡眠学習で、来世あたりに理解できるようになるかもしれません。何はともあれ、種子の潜在印象を植えることが大事です。

福田さんのライフワークの一つの道しるべとでもいうべき今回の著書ですが、色々と興味深いことが記されています。

次の事例はツォンカパによる創造的な誤読とでもいえばいいでしょうか。

その典拠とされる『プラサンナパダー』からの短い引用文のチベット語訳"de ni rang gi ngo bos yod pa yang min la med pa yang min"の部分は、サンスクリット語原文では、"na tad asti na ca^api na^asti svarūpataḥ"となっていて、「それ自体としては」(svarūpataḥ)は「存在するのでもなく、存在しないのでもない」の全体にかかり……ところがチベット語では、"rang gi ngo bos"は"yod pa"にしかかからず、「それ自体で存在するものではなく、〔だからといって全く〕存在しないわけでもない」と読むことが可能(あるいは自然)であり、……少なくともツォンカパはそのように解した。(328-9頁)



面白い事例です。しかも、ここが、肝心要の中観の不共の勝法にかかわるところですから、なおさら、重要な「誤読」です。

瑜伽行派の相無自性が、発想の根幹に関わっているのではないか、というくだりも興味深いところです。

ツォンカパは、いうまでもなくゲルク派の祖。

おいそれと客観的な研究の対象にできないのはシャンカラと同じ。

下手なことは言えません。

しかし、ツォンカパとて人の子。

成長があるはずで、思想の発展もあるでしょう。

福田さんは、思想の発展にまで踏み込んで、ツォンカパを眺め直しています。(もちろん、福田さん自身が注意するように、チベット人学僧からは、このような見方は一蹴されるに違いありません。)

なお、福田さんは、おもに内的発展を念頭に置かれているようです。

資料制約があるので、おそらく現在の知見では、そこまで調査できないのでしょうが、普通に考えると、論争などの外的要因を踏まえた発展も、視点としては可能なはずです。

一人の人間が、内的な思索や、直系の師からの教示だけで、思想を発展させたと考えるのは、インドやチベットの場合は、少し違うのではないかと思います。

論争という契機も考えられるのではないかと思いますが、どうでしょうか。資料があるのかどうか、知りませんが。

論敵の視点からながめた客観的なツォンカパ像というのも見てみたい気がします。

おそらく、そんな成果がでるのは、20年も30年もあとのことでしょうけど。

思想史的に客観的に(あるいはむしろ論敵の醒めた視点から)眺め直した祖師像や、チベット仏教思想史というのは、まだまだこれからのようです。




p. 31, n. 1
第二章おいて>第二章において

p. 31, n. 2
vipaśyana > vipaśyanā

p. 74, n. 32
śūnyatāyāṁ > śūnyatāyāṃ
引用文、ṁ > ṃが、合わせて6カ所。なお、同じ引用文内で下点のṃも用いられています。また、他箇所の正書法と統一するなら、kiṁ cinは、kiṃcinとつなげます。

p. 75, n. 38
anavatpta > anavatapta

p. 77, n. 43
tad-vastu > tad vastu
dvayavādān atikramāt > dvayavādānatikramāt
evāabhisamīhitaṃ > evābhisamīhitaṃ

p. 153, n. 20
svaṃ > svam
ātmaānaṃ > ātmānaṃ
tatparān > tat parān

p. 220, n. 10
darśaṇa > darśana

p. 224, n. 38
dharmāṇāḥ > dharmāṇaḥ

p. 291-2
p. 292でA1に言及するにもかかわらず、p. 291にA1の科段がない。

p. 292
アールヤデーヴァという表記とアーリアデーヴァという表記の両方あり。いずれかに統一。

p. 326, l. 1
それは既にて>それは既に

p. 352, n. 23
avastitha > avasthita
pratītyasamustpāda > pratītyasamutpāda
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  1. 2018/11/30(金) 19:34:04|
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英語論文を書く機会

今年は英語論文を出す機会に(異常なほどに)恵まれました。

そういう年の巡りでしょうか。

間断なく英語論文を書いて直して提出の年度。

年内の予定はひとまず終了、年度内3月までは、ようやく残りあと一本となりました。

自分で(第三者として)客観的に読み直すと、(一部の)ネイティブの流れるような運びのようにはとてもいかない、どこかぎこちない流れですが、それが現在の英語作文能力、仕方ないでしょう。

英語で他人に読まれる論文を書くというのは、ネイティブならざる身には、そうそう簡単にはいかないでしょう。

いまのレベルは、自分の知ってることを最低限、(非ネイティブの論文でもそこから内容を知りたいというジェネラスな)ひとにもわかるように記録しておく、くらいでしょうか。

Hyoungの英語論文を読むと、ネイティブでなくとも、長期間英語圏に留学した(能力ある)人の英語は、やはり、一味違うなと思わされます。(もちろん、ネイティブチェックを受けているそうですが。しかし、素のままの原稿でも、相当に流麗です。)

ライブと同じで、人前に出ながらやっているうちに、少しはましになるでしょう。

なにごとも肝心なのはフィードバックの感度と成長です。

いまある自分の能力と相談しながら、やりくりするしかありません。

イタリア人のアレッサンドロのように、ラテン語感覚の鋭い人と仕事すると、こちらも英語の語源を気にするようになり、サンスクリットと語源的にイメージが重なる英単語を選ぶことに意識的になります。
  1. 2018/11/30(金) 05:44:25|
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劉的台所



この抜群に落ち着く空間は何でしょうか。
  1. 2018/11/29(木) 20:31:58|
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Takasago Kiyokawa area



高砂、清川エリア。

カレーのナドさんと、カフェのウィルスター。

(写真にはありませんが)ナドさんのゆずアチャールにやられました。
  1. 2018/11/29(木) 20:27:53|
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Hela aji ya



特別メニュー、1000円でパロタとエッグローティーが食べ放題。

カレーは、ダルとチキンの二種つき。

当然ですが、パロタを山盛り食べたいスリランカ人の若者たちでいっぱいでした。

いったい、かれらは、どれほど食べるのでしょうか?(普段見るライス量からすると、わたしの3倍は食べられる胃袋をしていますから、10枚くらいはいけるでしょう。)

夜なので、パロタ2枚+エッグローティー2枚で、やめておきました。

クマーリラの全知者批判ならずとも、なにごとも限界があります。
  1. 2018/11/29(木) 20:24:21|
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ローティ食べ放題



数多くある福岡のスリランカ料理屋の中でも、ナイスな企画で異彩を放つヘラアジ屋。

博多駅から歩いていくには少し遠いので、メインの客は、地元の会社員か、スリランカ人、あるいは、車で来れる好き者か、といったところでしょうか。

狭い割にタバコ率高いので、臭くなるのが玉に傷。
  1. 2018/11/29(木) 20:18:40|
  2. 未分類

学内モス周辺



こんな眺望のいいモスバーガーも、世の中、そうはないでしょう。

学外者には、アクセスが不便で、きっとたどりつくには苦労すると思いますが。

椎木講堂の二階にある(学内施設の中では最も分かりやすい部類の)イタリアンのイトリーイトですら、「駐車場がわからない」「場所がわからない」「歩いた」というような意見がでるくらいですから、こことか絶望的です。

遠くの駐車場に止めた上に、ここまで歩いてたどり着かないといけません。
  1. 2018/11/29(木) 20:16:38|
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疑惑の塊


昔、南都仏教に書いた論文で自分も実践しましたが、テクニカルな問題は歴史的背景を押さえないと、よく言ってることの一語一語の意味や重みが分かりません。

というわけで、メインテクストだけでなく、関連テクストを遡って調べるになります。

その場合、関連テクストは具体的には誰かが校訂した出版です。

そして、校訂の信頼度や癖は様々です。

たとえば、討論術関係で結構ひどいのがVN、及びその注釈です。

これを読むときは頭を切り替えて、読みが信頼できないと頭から考えて、他の可能性を疑いながら進まないといけません。

壁面が崩れないか恐る恐る登るのに似ています。

読みが間違っていれば元も子もありませんから。

他のテクストも、それぞれの校訂レベルに応じて進度を調節します。

NMの場合は写本があり、夫々の写本のレベルも熟知してますから、決定に迷うことはそうはありませんし、ウルトラなconjectureのために頭をひねる必要もありませんが、他のテクストはそうもいかない場面がたまにあります。

写本なしに如何に訂正するか。

もちろん活きてくるのはこれ迄の経験です。

こちら側にいくと危ないというのは何となくの臭いでわかりますし、逆に、こちら側で考えるべき、この部分の読みは絶対に確か、というのも、経験でかなりいけるようになります。

文脈や文字面など、様々な状況証拠からemendationしていくわけです。

要は、間違わないように、足元をすくわれないように、進んでいくということだけですが、しかし、それぞれの校訂状況を考慮しながら、適切に進み具合を調節しないといけません。

信頼できる校訂がすでにあるということが、どれだけありがたいか分かりません。

しかし、我々の分野では、そのようなテクストはごくごく少数です。

ある程度、ほかの読みの可能性を疑ってかかる必要というのが出てくるのが通例です。

言ってもVNほどではありませんが。
  1. 2018/11/29(木) 06:06:30|
  2. 未分類

生臭い話ですが、、、

ちゃんと数字で議論したほうが分かりやすいものもあります。

Annual stipend of $55,000 (In addition, if required, a relocation and health-insurance allowance of $6,000).

とありますから、ロバートホーの仏教学ポスドクは、年間55000ドルです。

いっぽう、350名全国から選ばれ、まあ、仏教学だとせいぜい毎年1名くらいの枠であろう学振PDは、「月額362,000 円」とあります。(これと別に科研助成もついてきますが、それは措いておきましょう。)

1ドル=113円で仮に計算すると、ロバートホーは年間で6215000円。

いっぽう学振PDは、一年だと、362000X12=4344000円。

なお、海外学振の場合は、「派遣国によって異なる。年額約450万円~620万円」だそうです。

というわけで、アメリカだと恐らく高いエリアでしょうから、ロバートホーに近づくはずです。

実にありがたい仏教伝道協会の外国人留学生奨学金は、単身だと月に250,000円、家族一緒だと300,000円。

つまり、一年だと3,000,000円、3,600,000円。

これは、日本にくる外国人留学生用。

逆に、日本人が外にでる場合は、「原則1年間、(3)支給金額360万円/ 年(単身での滞在の場合) 420万円/ 年(法的に認められた付帯家族がある場合)」とあります。

ロバートホーは2年間。
学振は3年。
BDKは1年です。
海外学振は2年。

博士を取った後というのは、サバイブが大変です。

しかし、道がまったくないわけではありません。

チャンスはあります。

英語の応募書類を準備するのは大変でしょうけど、仏教学のひとは、ロバートホーにトライする価値はあるでしょう。

また、ロバートホーは、場所を選ばないという度量の広さです。

真にグローバル。

ところで、海外学振の最低が450万で、普通の学振PDがそれ以下の4344000円ということは、日本は安い国よりも安い国ということが含意されているのでしょうか?

また、普通の学振PDもらって、例えば1年だけアメリカの高い都市(たとえばハーバード大のボストンや、コロンビア大のNY)に行った日には、きっと大変でしょう。
  1. 2018/11/28(水) 07:44:39|
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ゲストハウス会議室

  1. 2018/11/27(火) 00:31:49|
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日本ジョナサン・KS・チョイ文化館



新華集団の蔡冠深氏の名を冠した、100万ドル以上の寄付を受けての文化館。このサイズの会議室は、使い勝手が良さそうです。少なくとも、西日本印仏ほどの規模だと、このくらいがちょうど。大きすぎず小さすぎず。箱崎の国際会館に相当する建物。隣のゲストハウスの会議室も同規模。夏は、ゲストハウスの会議室は空調をがんがんにいれないと、ガラスが大きいので、相当に蒸されそうと予想。ここも南面のガラス面が大きいです。イギリスの旗が見えますが、何の会議でしょうか。イギリスのニュースは、ここ最近、ブレグジットばかりです。経済圏はともかく、研究面はどうなるのでしょうか。EU圏外からのEU圏内へのエラスムス奨学生というのを昔、Pが貰ってオックスフォードに来ていましたが、その制度は、この先も、イギリスに当てはまるのでしょうか。あるいは、EUの研究費は、今後、イギリスの大学には当てはまるのでしょうか。疑問だらけです。
  1. 2018/11/27(火) 00:30:31|
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箱崎から移植



懐かしい木に再会。こちらの気候に合うといいですが。しかし、植物には、迷惑な話です。何十年と根付いたところから、人間の勝手な都合で移されてきて。万一枯れたらどうするつもりでしょうか。気温は明らかに低いですし、風も強いし、冬は厳しそうです。
  1. 2018/11/27(火) 00:29:37|
  2. 未分類

印哲伝達困難

類比や比喩というのは、教えるときには重要なものです。

ひとに教えるときには、まず、とっかかりを作るのが重要だからです。

まったく知らない事項が並んでいても、それはあたかも、のっぺらぼうな壁面をよじのぼれというのと同じで、手掛かりがありません。

適度に既知と未知とを混ぜないと、誰も、上には登っていけません。

つまり、既知事項との共通性というものが必要になってきます。

したがって、既知のものとの類比が沢山可能であればあるほど、教えやすく、分かりやすくなります。

インド哲学やインド思想と言われるもののなかでも、当然、西欧人に分かりやすいものが、まず、研究されましたし、教えられてきました。

『バガヴァッドギーター』は基本が熱烈帰依のバクティ(信愛)ですから、これは、神学を知っていれば普通に理解できます。

インド関係の比較で、神学をやる敬虔な人達は、たいがい、クリスチャニティとヴィシュヌ教とを比較します。

これに、好きなら真宗も加えていいでしょう。

基本構造は同じです。

分からないことはありません。

サーンキヤも、基本は、精神と物質の二元論で、あとは、流出論・展開論ですから、ギリシャ以来の哲学を押さえている人なら、十分に理解可能でしょう。

想像の範囲内です。

ヴァイシェーシカも、原子論ですし、基本は、実体(もの)・性質・運動・普遍・特殊・内属・(非存在)の6つ(あるいは7つ)のカテゴリーをたてて、あとは、その関係ですから、これまた、理解するのは困難ではありません。

ヴェーダーンタも、基本は、神学ですから、難しいことはありません。

しかし、我々の既知事項との類似点がすくないものに関しては、当然、理解が難しくなります。

タントラの理解が遅れてきたのも、その一因でしょう。

サーンキヤ由来の25原理プラス11原理に、さらに、観想法が入ってくると、とたんに風景が違ってきます。

さらに、屍林のにおいがするカウラなどの要素がはいってくると、どうでしょうか。

チャンダマハーロシャナなどは、普通の哲学者・神学者には、まったくもって想像の範囲外でしょう。

ミーマーンサーも、手掛かりのない学問分野です。

つるつるの壁面。

映画『メール』に出てくるシャークフィッシュさながら、どこをどう登ればいいのやら、手掛かりがありません。

そもそも、彼らが前提としている知識がヴェーダ祭式です。

それをこねくりまわすのが解釈学ですから、現代人にとっては、何の役に立つのかさっぱり分からないという代物です。

しかし、文法学、とくに、『マハーバーシャ』がインド哲学文献のフォーマットを用意し、さらに、偉大な文法学者・哲学者・神学者バルトリハリが、以後のあらゆる思想に深く長い影響を及ぼしているのと同じように、ミーマーンサー的思考というのは、インド哲学文献、とくに、バラモン教文献を読む時には、基本の基本、前提の前提となっていることが多々あります。

ニヤーヤ文献の体裁をとる『ニヤーヤマンジャリー』が普通のニヤーヤ学者の手におえない代物なのは、かれの深いミーマーンサー教養のせいもあるでしょう。

もうひとつは、詩的な要素ですが。

バラモン正統派の教養を身に着けた著者の文献を読むには、ミーマーンサーの知識は欠かせません。

「ミーマーンサーなど、どうでもよい」と仰る方々には、紀元後8世紀のシャーンタラクシタ著『タットヴァサングラハ』をお勧めすればいいでしょう。(シャーンタラクシタの権威を否定する人は、ダライラマ猊下に、そのような見方が正しいかどうかを、お伺いすればいいでしょう。)

そこで批判されているナンバーワンの前主張は、クマーリラです。

クマーリラ批判が、当時の仏教僧による、仏教的立場から見たインド哲学概論の多くのページを占めているわけです。

クマーリラの偉大さは明々白々です。

彼の主宰神批判(創造・存続・帰滅を司る唯一神の否定)のフォーマットは、彼以後のあらゆるところに見られます。

おなじく認識の真と偽の議論も。

『タットヴァサングラハ』の結部は、完全に、ミーマーンサー批判を念頭に書かれています。

また、シャーンタラクシタの詩節には、多く、肯定を否定に、否定を肯定にしただけのパロディー詩節が多く見られます。

つまり、クマーリラのナイスな詩節を、そっくりそのままいただいて、否定を肯定にちょこっと変えて、自分の主張に様変わりさせて、完全に逆の主張をするわけです。

おちょくりのからかいでもありますし、また、いかにクマーリラの影響が深いかを示しています。

実際、クマーリラの詩節は、実に、覚えやすいよう、うまくまとめられています。

現代日本なら、コピーライターやCMプランナーになっていたでしょう。

批判する側も、その圧倒的な影響力がゆえに、パロディーのオマージュかリスペクト、もじりたくなるわけです。

ともあれ、それが紀元後8世紀に住んでいた仏教僧が学ぶべき「インド思想」だったわけです。

というわけで、このあたりの仏教哲学を学ぼうとすれば、当然、クマーリラを学ぶ必要があるわけです。

もちろん、そのような奇特な仏教学者は、世の中には、そうはいませんが。

佐藤君とずっと読んできましたが、クマーリラ批判が続く最終章のカマラシーラ註などは、ミーマーンサーの哲学部分を知らない人が読み通せるような代物ではありません。

『タットヴァサングラハ』と注釈の初版がでたのは、結構前になりますが、一部は研究されてきたものの、肝心のところの研究が一向に進んでこなかったのは、そういう事情があります。

誰もこわくて手を出せなかったわけです。

おなじことは、ジュニャーナシュリーにもいえます。

こちらも、前主張は、ニヤーヤだったりミーマーンサーだったり、あるいは、仏教内なら、サンスクリット原典が多く失われたダルモッタラだったりラトナーカラシャーンティだったり。

Jを読むには、相当のサンスクリット力がないと、振り落されます。

登攀困難。

しかも、まったく非体系的に、好きに気分で、こっちの話題から次の話題へと移行するという形で、同じ話を延々と、形を変えながらしていくのが彼のスタイル。

一章まるごと読んでも、いまひとつ、すっきりしません。

ラトナーカラシャーティが、きれいにまとめてくれているのとは大違いです。

そして、チベット訳なしの無酸素登頂、あるいは、シェルパなし。

自力でベースキャンプまで荷物をあげて、そこから、上に行くしかありません。

JNAの初版も随分前ですが、おなじ仏教書に多くの人が群がる仏教研究の豊かな世界においても、ここは、人が寄り付かない真空スポットでしたが、それもそのはず、落下して命を落とす危険があるからです。

ハルが春にタイで行ってくれるジュニャーナシュリーの「サーカーラ」(有形象論)の連続講読も、すでに何回でしょうか。

続けて出ていますが、本当に、Jのは、分かりにくい書物です。

もうちょっと体系的に分かりやすく書けそうなものですが、まあ、こういう体質の人なのでしょう。

ラトナキールティがいて、ちゃんと、分かりやすく体系的に書き直してくれているから、本当に助かります。

まずはRで練習、そのあとにJに登攀というのが、正しい登り方です。

マンダナもしかり。

Mの『ヴィディ・ヴィヴェーカ』と来た日には、もう、大変至極、この上ありません。

なにしろ、命令論です。

「べし」が何を意味するのか、という議論が延々と続きます。

しかも、そこに、定期祭と願望祭の区別も織り交ぜながら、高度に抽象的な、そして、微細で微妙な議論がたえまなく続きます。

踏み外したら奈落、細い尾根を、延々と歩かないといけません。

登山の得意な斉藤さんをもってしても、何年もかかる由縁です。

偉大な先達、エリオット・スターンがいてくれて、本当に、地獄に仏です。

バーヴィヴェーカのMHKは、これまた、一味違うむずかしさ。

あちこちに落とし穴があります。

多くの人が色々な形で研究を続けてきました。

サーンクリティヤーヤン、ゴーカレー、梶山雄一、江島恵教、川崎信定、Paul Hoornaert、リントナーその他、そして、最近では、Qvarnström,広大の田村君,何歓歓。

ミーマーンサー批判章では、Hyoungもミシガンで博論を書いています。

一緒に読んでますが、あちらこちら、危険な罠がひそんでいます。

最終的な解決にはどうも至り様がないところが多々あります。

危険な沼地です。

一因は、もちろん、チベットにしか残らない註釈のTJにあるでしょう。

思択炎Tarkajvaalaaとは言い得て妙です。

チベットしか残っていませんので、実際には、助けるどころか、多くの哲学者を燃やしてきたような代物です。

灯火に群がる虫のように。

インド哲学のこの時代の文献には残るものが少ないですから、MHKの重要性は疑うべくもありません。

はやくすっきりとさせてほしいものですが、この文献の状況からすると、お先はまだまだ暗いでしょう。

困難があれば、挑戦する人もいるというもの。

インド思想文献には危険がいっぱい。

それを楽しめる人は一緒に登攀しましょう。

大学院修士からでも、学振PD応募挑戦でも、大歓迎です。

挑戦しないことには何も始まりません。
  1. 2018/11/25(日) 09:10:50|
  2. 未分類

Himalaya kitchen, Meinohama

  1. 2018/11/24(土) 21:07:44|
  2. 未分類

よく見ると



とんぺいが、しんぺいに
  1. 2018/11/24(土) 21:00:02|
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棘と網



鳥よけのため。

自然と共生しようとすると、こういうところに落ち着くのが現実です。
  1. 2018/11/24(土) 07:43:36|
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Bayern Fukuoka, soon to be closed



will be renewed as cafe next year
  1. 2018/11/23(金) 18:41:02|
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དཔལ་བེའུ

  1. 2018/11/23(金) 18:29:15|
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prpr

  1. 2018/11/23(金) 18:28:37|
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バインミー

  1. 2018/11/23(金) 18:27:50|
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古墳の石棺

  1. 2018/11/23(金) 18:26:10|
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伊都

  1. 2018/11/23(金) 18:25:33|
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肖記



基本、客は中国人ばかりです。

メニュー構成も、中国人向け。
  1. 2018/11/23(金) 07:41:50|
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received

  1. 2018/11/22(木) 18:48:04|
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文系食堂



愛称はビックスカイに決めたそうです。

マハーアーカーシャとなりますか。

アーカーシャは定義的に極大なのでマハーをつけるのはリダンダントですが。
  1. 2018/11/22(木) 07:40:15|
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九州南アジア学会冬季定例会

日時:2018年12月1日(土) 
   13時30分~17時   

場所:福岡大学七隈キャンパス2号館(商学部棟)27Bゼミ室 
   (中央図書館の隣の建物)
    https://www.fukuoka-u.ac.jp/help/map/

発表者:
山本盤男氏(九州産業大学名誉教授)
「インドの税制改革の動向:GST導入と連邦財政制度の転換」
林裕氏(福岡大学)
「アフガニスタンにおける地域社会と平和構築」



幹事:別府大学 針塚瑞樹
  1. 2018/11/21(水) 20:27:46|
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慢の時代

学内の「スポークスパーソン」なる役職をあてがわれた方から、直近半年の広報用のネタを求めるメールがきました。

 ・ 研究室のイベント
 ・ 教員や卒業生が出版した書籍
 ・ 授業の一環として行なったフィールド調査
 ・ マスコミ活動
 ・ 受賞
 ・ 共同研究等

を宣伝するというので、そのネタ集めです。

地味に学生とサンスクリット読んでいるだけですので、派手な活動はありませんが、「自慢、自慢」のマーナの時代ですから、こういう自己宣伝の自己喧伝も、カリユガとあきらめるしかありません。

下品このうえありませんが、貧すれば窮する、どぶ板なめるのでもなんでもやらざるをえません。

にしても、世界ランキング目指しているのに、日本語で広報してどうするんだ、というそもそもの疑問もありますが。(おそらくそこを突っ込んではいけない、KY、era of conformityの同調圧力。)

直近のインド哲学史研究室を(盛り気味に)あえて自己喧伝するなら、せいぜい、次のような感じでしょうか。

これまでに、学内出身者のDC1やDC2はもとより、京都大学、早稲田大学、ミシガン大学出身のポスドクを受け入れ、また、学振海外特別研究員を輩出し、国内外のインド学仏教学研究ネットワークの一翼を担ってきたインド哲学史研究室ですが、今年度、6月からは、ハンブルク大学博士課程在学中のVladimir Angirov君を、仏教伝道協会外国人留学生奨学金制度による訪問研究員として一年間の予定で受け入れています。

「組織は人」という常套句にしたがえば、アニティヤなイベントに時間を費やすより、人材育成、輩出が第一のはず。

本当に大事なのはイッコハンコです。

ナーランダーのアビダルマ論師達も、まさか、大学自らがマーナを推奨し、lobhaを肯定するとは思わなかったでしょう。

ラッジャーしかありません。
  1. 2018/11/21(水) 08:00:36|
  2. 未分類

伊都キャンパス眺望



ウェスト1号館と対照、逆側の展望室からセンター方向を臨みます。窓際に展示パネルが並んでいるので窓に近寄るのに不便ですが、何しろ、古墳展示のための記念室ですから、文句は言えません。このパネルの方が眺望よりも主要という建前ですから。にしても、パネルの位置は、一工夫できませんかねー。
  1. 2018/11/21(水) 07:39:08|
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伊都キャン眺望





10階にある展望室より。週に二日だけオープン。外の写真はガラス越し。どこも厳重に囲われていて、飛びおり防止構造。子供も安心ですが、こんなところにまでくる親子連れはそうはいないでしょう。バイトの学生が受付をしていて、名前を書かされます。古墳記念なので各種パネル説明あり。四方の敷地内の丘陵古墳には、いずれ、遊歩道が整備されるそうですが、その時まで果たして、いのししはサバイブしてるでしょうか。元岡側の山道に檻の罠が仕掛けられてます。
  1. 2018/11/20(火) 19:41:49|
  2. 未分類

第6回国際ダルマキールティ学会、2020年、釜山

以下のサーキュラーが回ってきました。

小野さんとともに私もコミッティーに入れてもらっています。

IABSの直後で、そのまま続きでやるつもりのようで、バスまでソウルから出してくれるそうです。

福岡に一度かえって釜山にいくか、あるいは、そのままソウルから行くか、迷います。

いずれにせよ、福岡からこんな近くでやってくれることはなかなかないでしょうから、便利至極、この上ありません。

Kyoto (1982)
Vienna (1989)
Hiroshima (1997)
Vienna (2005)
Heidelberg (2014)
Busan (2020)

なので、間隔は、7, 8, 8, 9, 6となりますから、周期的には、かなり早いほうです。

ともあれ、これから、ダルマキールティ学会にふさわしいネタを探さないといけません。




The 6th International Dharmakīrti Conference

August 24-28, 2020



First Circular, November 2018



Dear Colleagues,

We are pleased to announce that the well-established tradition of International Dharmakīrti Conferences – Kyoto (1982), Vienna (1989), Hiroshima (1997), Vienna (2005), Heidelberg (2014) – will continue with the 6th International Dharmakīrti Conference in Busan (South Korea) – to be held from 24-28 August 2020.



The Conference aims to showcase current research on all aspects of Buddhist epistemology and logic in India, East Asia and Tibet from a historical, philological and/or philosophical perspective. Papers may also address aspects of the relationship between Buddhist pramāṇa and other currents of thought within Buddhism. We also welcome pertinent contributions from the broader intellectual environment.



To facilitate participation in both conferences for scholars from overseas, the conference in Busan is scheduled for the week immediately after the IABS conference in Seoul (16-21 August 2020). The city of Busan can be easily be reached by air or ship. For those attending the IABS conference, a limousine bus for Busan will be waiting at Seoul National University, the site where this conference will be held. In addition, we shall take care to keep registration and accommodation costs as low as possible. Details will be announced in the second circular.



Further communication will take place by e-mail unless individuals specifically request otherwise. Please contact Dr. Kyungrae Kim (wizkyung@gmail.com) if you wish to be contacted at an e-mail-address other than the one we have used to dispatch this circular.





Schedule

1 March 2019 Second circular, opening of online registration system

1 October 2019 Deadline for registration

1 January 2020 Deadline for submission of paper/panel abstracts

1 May 2020 Third circular

24-28 August 2020 Conference



Honorary Chairs

• Shōryū Katsura

• Ernst Steinkellner



Academic Committee

• Kei Kataoka

• Birgit Kellner

• Motoi Ono

• Parimal Patil



Planning Committee

• Jeson Woo

• Kameron Bailey

• Hyongchol Kang

• Kyungrae Kim



Correspondent

Please direct all communication pertaining to the organization of the conference to:

Prof. Jeson Woo (dharmakirti2020@gmail.com)

Department of Buddhist Studies

Dongguk University

30 Pildong-ro 1-gil, Jung-gu,

Seoul, 04620, Republic of Korea.

Phone: +82(0)2-2260-3134

https://www.dharmakirti2020.com
  1. 2018/11/20(火) 19:14:29|
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