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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

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  1. 2019/03/31(日) 00:25:53|
  2. 未分類

限定:分け残らせる

viśeṣayatiは,分け・残らせるというのが原義であろう.

そこから,区別する,という意味が出てくるはずである.

通常は限定するなどと訳す.

分けるということまで翻訳段階では考えない.

しかし,サンスクリットで考える人にとって,viの存在は重要である.

間違いなく,分け残らせるという作用は,分けるという作用を前提としていることになる.

すなわち,限定という働き―――たとえば「黒いゴマ」において黒いがゴマを限定する場合―――は,分け残らせる働きということになる.

さて,音それ自体に価値はなく,音の対立構造に価値があるというのがサンスクリット学者でもあるソシュールの,後の構造主義へとつながる卓見であろう.

このような発想自体は,意味論の世界にも応用できるし,実際,インド哲学にはあふれている.

すなわち,アポーハ論であり,それに先行する文法学における意味に関する考察である.

そこでは,「黒い」と「ゴマ」の二語の働きをつながり(黒いかつゴマ)とする考えと,分ける・差異化(非黒でもなく非ゴマでもない)という考えが既に見られる.

後者の考えによれば,黒いはゴマに関して,黒くないゴマを排除し,また,ゴマは黒いに関して,ゴマでない黒いを排除する.

黒いがゴマを限定するという時,サンスクリットで考える者は,否が応でもその否定的側面に注目せざるを得ない.

なぜならば,それは,分け残らせるという働きであり,その前提として分けるという働きがあるからである.

これを延長すれば,語の働きは排除にあるというディグナーガの考え方――アポーハ論あるいは他意の排除の理論――が成立することになる.

サンスクリットで考える人にとって,アポーハ論は,なんら唐突なものではない.

ディグナーガ以前の文法学の言語理論の延長線上にあることからも分かるように,楽に理解できるものである.

構造主義的な考え方――対立構造に意味がある――というのは,サンスクリットで意味や語の働きを考える際には,自然と出てくる考えでありうるというのは,viśeṣayatiという特徴的な語からも分かる.

これは,つとに明らかにされているように,eva「だけ」という限定語からも分かることである.

「だけ」の意味はavadhāraṇaであり,下に保つ,止める,押さえる,というような原義から,確保する,確定する,限定する,という意味になる.

原義の解釈であるavadhāraṇaはあくまでも肯定的である.

しかし,evaが排除によって成り立つのは,その機能から明白である.

Aを押さえるということは,非Aを排除するということである.

ダルマキールティの発想である「切り取ることは,即,切り捨てることである」は,サンスクリットで思考する者にとって,決して驚異的でも脅威的でもない.

納得できる範囲にある.

ただし,世間的常識に立脚する聖典解釈学者達は,もちろん,「否定は肯定を前提とする」という常識から,仏教徒の(世間的には突飛な)相即理論,あるいは,否定先行理論をたしなめるだけの話である.

言語的に分節化された世界であるプラパンチャが分別対象にすぎないというのは,仏教哲学のひとつの信念である.

言語への不信がそこには一貫してある.

毒が毒を制するように,また,泥を沈殿剤で沈殿させるように,言語で言語を制し,ついには言語を捨て,すべての戯論がやむときに,実相が(あらまあ不思議)露わになるというのが彼らの(そしてインドの解脱観に通底する楽天的な)信念である.(雲間を抜けると光り輝く空があるのと同じである.それが真っ暗闇だという悲しい可能性は考えない.夢や希望を売るのが宗教ビジネスであるから当然である.)

しかし,その後も,言葉で語り続ける必要があるというのが利他の悩ましい所である.

毒と知りつつ毒を用いるのである.

手段と目的の一致(例えば平和のために暴力を用いてはならない)というのはガーンディーの信念であるが,その意味からいうと,仏教の教示(説法)というのは,実は,手段と目的が一致しない例ということになる.

錯覚を錯覚と知っているからそれは錯覚ではないのだ,というのが,いちおう,仏教徒の言い訳である.

すなわち,幻術師は,象が現出している棒きれを,棒きれだと知っているから,決して,騙されているわけではない.

もちろん,幻術師にも象は見えている.

それと同じことである,というのが,仏教徒の言い分である.

中国の禅なら,指月でもって,無言でこの矛盾を指し示すところかもしれない.

しかし,あくまでも言葉と論理(の限界)を尽くそうとするインド人の仏教徒は,そのような方法は好まなかったし,思いもしなかったであろう.(竜樹の中論を見れば明らかである.)

サムイェーにも見られた漸悟と頓悟の好みの違いと言ってもよいだろうか.

日本にカマラシーラが布教に来ても,きっと,失敗しただろう.

早い,安い,旨いの三拍子ということからいうと,遅いの一点が顕教の問題点ということになる.

その難点を克服するのがタントラである.

ただし,儀礼報酬にお金がかかるので,安くはない.

が,それはむしろ,金持ち貴族の「権威」を示すのには好都合.

高いものほど価値があると喜ぶ手合いというのは,いつの世にもいるというもの.

なにしろ,対立構造にこそ価値があるのだから.
  1. 2019/03/30(土) 11:13:19|
  2. 未分類

護山 2015

護山 真也
仏教認識論と<所与の神話>
信州大学人文科学論集 2: 43-56(2015)

p. 45, n. 6
解釈にについては>解釈については

p. 46 (PV 3.346)
護山「把握者としての側面は残されながらも、外界にある諸対象に依拠することはない」
片岡コメント:apekṣyateの主語は「把握者としての側面」のほうですから,構文理解は戸崎に従う必要あり.AはBに関して依拠されない,考慮されない,必要とされない,という趣旨です.

p. 46 (PV 3.223)
namendriyavat > nāmendriyādivat
(したがって,和訳も「等」を付すべきである.)

p. 48
Anschaung > Anschauung

p. 52, n. 15
vayvahāreṇa > vyavahāreṇa

  1. 2019/03/27(水) 07:51:20|
  2. 未分類

Jのサーカーラ

JNAのサーカーラが重要なのは,その章の多さを見ても一目瞭然.

当然,挑戦してきた人もいるでしょうが,いまのいままで――タクルのテクストそれ自体出版されて長くがたちますが――全体像は不明のまま.

テクスト訂正からしてやらねばならないので,或る意味,当然です.

写本で直さずにやったとしても,それは,土台無理というもの.

なにしろ,(いまわかることですが)あちらこちらに,訂正すべき箇所がありますし,それも,決して容易ではありません.

写本の読みがもちろんすべてではなく,当然,文脈や用法から,写本の読みをもさらに訂正しなければならない場合もあるわけです.

みなさん,挑戦してきたひとは,あちらにもこちらにもいるはずですが,成果としてまとまったものは(一部を除いて)出ていません.

それがなぜかはよくわかります.

要するに難しい.その上に,量が多い.(サーカーラが六章.それにプラスしてサングラハ.)

ひとりでやっても挫折するしかないのが大半のケースでしょう.(取り組んでいるという噂を聞いても,結局,成果まで行き着くことはなかったりします.)

自分も,ひとりでは,とてもじゃないですが,読み通す気にはなれません.

どこかでつまって,それでそのままギブアップ,ということになるのが目に見えています.

後代も後代ですから,読むとなると,あれこれの関連文献に通じていないと,たちうちできません.

そのうえに,ラトナーカラとの対論ときていますから,当然,ラトナーカラのポイントも知らねばならないわけです.

そして,ラトナーカラのサンスクリットは,無相説に関しては,いまだなし.(ルオホンのPPUだけは,目下,準備中.)

博論最終段階のデイヴィーも,博論にえらく年数がかかったそうですが,さもありなん.

JNA読み通すサンスクリットの実力と根気があれば,まあ,なんでもできるでしょう.

登山なら「魔の山」のひとつといっていいでしょう.

道中に屍が転がっている感じです.

単独無酸素登頂はさっさとあきらめ,チームで登頂を目指すのが,まずは無難です.
  1. 2019/03/23(土) 00:16:21|
  2. 未分類

金曜



無事に読了.

ハルといえども,普段は3週間かけるところを,むりくり2週間で終わらしたので,かなりの駆け足でした.

ともあれ,読了できてよかったです.

最後の最後に,Jが本音を漏らして,なるほど,形象論のような抽象的な議論に固執しながら,実際にはこういうことがしたかったわけか,ということが読み取れました.

無相派との議論はここで終わりのようなので,自分にとっては,ひとまずこれで満足です.

第5章は自己認識そのものを否定する立場に対する回答ですから,もう一段階すすんで,中観派との対論になるようです.

無相派も唯識ですから,自己認識は当然認めます.

形象の虚偽性が有相派との違いです.

中観派は認識そのものまでも否定します.

無相・有相の対立は,純粋な哲学上の議論というよりは,(教理的前提に絡めとられた)一種の神学論争として読み取るほうがいいのではないか,という気がします.

純粋に瞑想の議論として読み取るのもどうかと思います.

なぜなら,二人では,えらく見ているものが違うからです.

瞑想についても,教理的な背景に沿って解釈していくだけで,教理前提なしに,何かを純粋に瞑想するわけではありません.

宗教上の悟りというのも,そんなものでしょう.

みなさん,結構違う風景をながめながら,各自,悦に入っているという感を強くします.

そもそも,涅槃や解脱の中身からして,学派によって,かなり違います.

サディヨージョーティス著『他派解脱批判論』へのラーマカンタ注も,それぞれが違うゴールを違う方法で目指していればこそです.

同じゴールを違う方法で目指しているという見方も当然ありますが,実際には,目指す境位は,かなり違うように思われます.

この点は,各人それぞれのゴールを設定するタントラ的な見方のほうが的を射ているでしょう.

アビナヴァも,あれこれと,各学派の教判をしています.

理想的な『インド思想史』があれば,ここらへんの解脱論を,仏教からシャイヴァまで,だれかれ問わずに並べてみることができればいいでしょうが,そんなものができるのは,まだまだ先の話になるでしょう.

文献校訂からして,まだまだ未整備の状況です.

今回も,JNAのテクスト,かなり重要な訂正があいついでありました.

写本確認は欠かせません.

そもそも,有相・無相からして,JとRの対立については,まだまだ展開が見えていませんし,プラジュニャーカラとダルモッタラの対立についても,研究は,まだまだこれからでしょう.

プラジュニャーカラ研究は,また,これはこれで,大変な難しさです.

おいそれと素人が手が出せるものではありません.

現下,まともにやれているのは,稲見さんとそのグループくらいでしょう.

ダルモッタラの無相の考えがどのようなものか,ということも,サンスクリット文献が残ってないせいもあり,学界では,十分に理解されていません.

ともあれ,Jの思想を位置づけようとすると,まだまだやるべきことが大量に残っているのが分かります.

仏教認識論・論理学の問題として片づけるのではなく,やはり,唯識や仏教さらにはインド思想史という広い流れのなかで,知性史の展開を跡付け評価していく必要があるでしょう.

サンスクリットが残っているという点で,やはり,JNAは貴重な資料です.

テクスト問題がまだまだ残っているうえに,ラトナーカラ相手にハイレベルで議論しているという性格上,はたから見ると晦渋と来ています.

通りすがりの部外者がそう簡単に消化できるようなものではありません,

とはいえ,徐々に,研究は進んでいくことでしょう.
  1. 2019/03/22(金) 16:32:11|
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多様形象群

多様な形象群を真実と言ってしまった時点で,すでに理論的に詰むことは見えています.

一・非一(多),別・非別など,すこしずつ視点を変えながら,あれやこれやとRにたいして答えていますが,Jの議論は,どれも苦しい感じです.

のみならず,本日の箇所,ダルマキールティから明らかに外れた個所もあり,本人も気が付いているのは当然,言い訳してました.

ずれてることは当然知っていますから,まあ,いってみれば確信犯です.

コーナーに追い詰められ,何かと都合が悪くなると,「いや待て待て,それは世俗レベルの話」と言い,世俗での設定に逃げている感じです.

融通無碍な世俗逃げ.

「Xと言ったけど,それは本気ではないので」と言われたら,議論も成立しないというものです.

ともあれ,ダルマキールティとプラジュニャーカラの多様不二に関する理解の違いは,Jにとっても明々白々です.

思想史の変化,屈折,展開を,丁寧に追う必要があるでしょう.

間違っても,Jの表向きの言葉を鵜呑みにして,「DもPもJも,意図しているところは同じ」などと(少なくとも我々研究者は)言ってはいけません.

Jの伝統に連なって,自ら有相唯識喧伝の宗教実践をするなら別ですが.
  1. 2019/03/22(金) 00:33:06|
  2. 未分類

木曜



本日の午後セッション追加分に備えて多めに予習.

朝飯に外に出る暇がなくなってしまいました.

大学のカンティンにて朝食.

朝からあいていて至極便利です.



カフェは,きょうは,シュガーケーンコーヒーのアイスに.





昼は,ハリモトさん御用達のブースに.

並ばないですぐに買え,しかも,指差し確認なので,意思疎通にほぼ間違いなし.







食後のカフェは別学部のカフェに.

表のエスプレッソ列にアイスがないことを確認.

ラッテ,アイス,スモール,甘さ段階0%に.(125%指定まであります.)







PM2.5が,ここ数日たかく,きょうも高止まり.

みなさん,睡眠の質が下がっているそうです.

テクストは,今日でかなり進んだので,残りは,おそらく,明日の午前で終えられるかもという状況.

JNAの40数頁,力でねじ伏せて読み切りはすごいことです.

ひとりなら,どの一章も,ふつう,読み終えられないでしょう.

H大学のHとそのチーム(H,T),ワークショップ開催校のM大学のM,Hさんのおかげです.

いままさに最終段階にあるDの博論がそのうち世に出るでしょうから,Jの形象論も,いずれ,英語でより簡単にアクセス可能となることでしょう.
  1. 2019/03/21(木) 20:21:14|
  2. 未分類

水曜日





小さいので液体オンリーかと思いきや,中の身も結構あります.
もったいないので,ほじくろうと思いスプーンをどうするか思案.
ドラえもんのように何でも出してくれるH本さんに聞くと,はたして,ちょうどいい塩梅の薄いスプーンを貸してくれました.
小さい穴から,いい感じに身をほじほじ.整腸.
ほじほじしながら,宿の下のレストランで朝餉中のM山と談話.
今晩の便で発つとのこと.



大学にいくバンに乗車.

奥を見やると,ウラディーミルが既に乗っています.

ウラディーミルはブータンのお坊様とカンティーンで朝食.

こちらは,隣でラッッテーを購入.



昼は,見送りがてらM山と宿前にてランチ.

私はレッドカリーを頼み,M山はマッサマンカリー.

しかし,夜になって他の人が頼むのを見て気が付きましたが,私と彼とで,お互いのを取り違えてました.

anyonyaのvyatisa.mkaraとでもいえばいいのでしょうか.

こちらがマッサマンカリー.

ピーナッツとジャガイモが結構いけます.

暑いので,とたん屋根の下の屋外食堂ではなく,冷房のあるガラス張り店にて食事.

M山の追加で頼んだトムヤムは,結構辛め.

一口で汗が噴き出してきます.

気温は35度ほど.



予習を終えて夜飯.明日は6ページ進むとのことですが,2ページほどしか終わりません.道遠し.

H本さんにメールすると,近場にいるとのこと.

たまたまですが,昼と同じ店.

昨日ドイツから到着したばかりのチャールズの姿も.

そのほか,いつものように,Dイヴィー,K谷,M鍋.

PM2.5が高いせいか(というか疑いようなく,そうですが),喉がイガイガするので,汁もののベジビーフンに.

H本さんの頼んだクリスピーポークは,結構いけます.



食後のかき氷は控え,露店で買ったパパイヤに.



デイヴィーらはGrooveへ.

こちらは,予習が終わらないので,宿で続き.

H本さんが下の売店で牛乳を買おうとしますが,冷蔵庫の奥のほうに仕舞ってあります.

わざわざ奥から引っ張り出してレジに持っていくと「賞味期限切れなので」ということで,また仕舞われてしまいました.

もっと緩いのかと思いきや,意外に(失礼),ちゃんとしてます.

ビールの冷蔵庫に,通常の三倍ほど量がありそうなマグナムボトルを発見.

シャンパンかと思いきや,Changの名前があり,ただのラガービールと判明.

M鍋に聞くと,「ヒョウンさんは,去年,毎晩これ一本あけてた」とのこと.

金曜日に週末解脱したら買おうと思います.

あすの木曜日は,午前と午後の2セッション.
  1. 2019/03/20(水) 23:05:23|
  2. 未分類



張本さんに導かれるまま、夜は12人で鍋。
  1. 2019/03/19(火) 23:19:36|
  2. 未分類



午前の2セッションに加えて、今日は、午後セッションもあり。

ランチ後にエスプレッソアイス。

1400-1600で予習も完全に切れた上に、エネルギー切れ。

36度あると、一日中はきついです。

復習予習の暇がなくなってしまいます。
  1. 2019/03/19(火) 19:21:38|
  2. 未分類



朝粥の隣を覗き込むと豆乳。

さらに、マンゴーも購入。

持ち帰りプラスチックの多用に若干、心が痛みます。
  1. 2019/03/19(火) 19:21:19|
  2. 未分類

多様なのに一つ



暑いし考えるのも面倒なので学食はいつものパッタイ。

慣性あるいは惰性で回る車輪のごとく夜の発動対象も麺。

諸形象が認識を本質とすることは分かりましたが、結構、砂糖も効いているので、効果的作用がかなりある気がしますが、これも、所詮は、長年の繰り返しの影響に由来する思い込みに過ぎず、本当には、輝き出しがあるだけなのだそうです。唯識にしては、えらく腹が張りますが。

ちなみに、このビーフンのvijnaptiが現れたのちに、露天焼き鳥のソーセージのvijnapti、露天の青マンゴーのvijnapti、フライドチキンのvijnaptiが光り輝き出してましたが、その効果的作用も所詮は思い込みに過ぎないのだそうです。唯識を体得するのは難しい。面倒なので、なんなら外界対象論者のままで構いません。

学食の隣のコーヒー屋で先日Hugoがエスプレッソスムージーなるものを頼んでいたので、今日は、試しにエスプレッソアイスなるものを注文。名前と対象の関係の恣意性に想いを馳せるにはいい修行かもしれません。

いつものように名物女将が「ノースイート?スイート?」と訊くので「リトルスイート」でお願いしましたが、いつものごとく、日本標準でかなり甘いものが出てきました。怖くて「スイート」は注文できません。
  1. 2019/03/19(火) 00:54:00|
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Eka-Aneka



本日のセッション,一部にあいまいな表現もあり,進んだのは,3ページほど.

過午不食で12時前に終わらないと食べられない人もいるので,昼前に強制終了のため.

このままだと間に合わないので,あすからは,午前セッションに加えて,午後セッションも.

難解なJNA,いまですら相当に大変ですが,分量が増えてスピードアップとなると,さらに予習がきつくなってきます.

それにしても,5ページほど自分で読み進めましたが,Jさん,まだ,前とほとんど同じことを繰り返しています.

ずっと一多に満たされたまま.

要するに,Jによれば,離一多性論証は,認識形象群には適用できない代物だそうです.

このような回答を聞いたら,ダルモッタラもがっくりでしょう.(「いや,だから虚偽なんだ」と答えることでしょう.)

離一多性による論証が,まさかここまで貶められるとは,昔の祖師達も,予想だにしなかったでしょう.

或る意味,プラジュニャーカラは偉いです.

プラジュニャーカラがパラダイムシフトを起こさざるを得ないほどに,ダルモッタラの批判が的確だった,ということではないでしょうか.
  1. 2019/03/18(月) 19:41:42|
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形象論

形象論といえば,沖先生の諸論文に詳しいので,いまさら付け加えることもありませんが,要するに,JNAで扱われるのは,真実形象論と虚偽形象論の間の議論.

ラトナーカラシャーンティの無相説,虚偽形象説にたいしての,ジュニャーナシュリーミトラの有相説,真実形象説です.

この基本軸のなかに,いろいろな主題が角度をかえながら議論されていきます.

一多の問題とは,いわゆる,離一多性がらみの問題.

有であれば,かならず,一かそうでないか(すなわち多)かのいずれかのはずです.

有 → 一多のいずれか

対偶を取れば,一多のいずれでもなければ,それは有ではありえない,ということになります.

いま,目の前に現れている青等という形象群はどうでしょうか.

これは子細に検討すると,一多のいずれでもありえません.

したがって,一多のいずれでもないので,形象群は虚偽だ,非有だ,というのがラトナーカラシャーンティの議論です.

これを冒頭にもってきて,そこから議論を展開し,ラトナーカラシャーンティの議論をくつがえして,虚偽形象ではなく真実形象の立場を守ろうとするのがJの形象論の第四章です.

離一多性という証因による,形象の有性を押し退ける推論は,所詮は推論です.Jから見れば,推論は世俗レベルのものであって,勝義には属しません.

これは,自己認識という輝き出し,絶対的なエースを否定することはできません.

形象を虚偽だなどという推論は,はなからありえないのです.

そもそも非有なるものが現れるということが不可能です.矛盾そのもの.

有=輝き出し

有の定義からして,輝き出しですから,非有が現れるということは,Jから見れば,定義矛盾です.

有が現れているというのは,証明の必要すらない大前提です.自明.

離一多性による推論が自己認識という知覚を押し退け否定するなどというのは,そもそも無理な話です.

離一多性による推論も,所詮は世俗.

自己認識・輝き出しのみが真実・勝義です.

すばらしきかな不二.

一でも多でもないけど,まあ,世俗的には一のほうが有益なので優先してもいいかな,くらいです.

真実には一でも多でもありません.

世俗的には有益なので一でもオッケー.

多は無益なので,世俗でも認められません.

このような話を,延々と,40ページ以上にわたって,あれやこれやと手を変え品を変えながら,議論しています.
  1. 2019/03/17(日) 18:02:05|
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H



日曜日。

下のカフェでヘーユンと、2年前に読んだところの再検討会。

ウラディーミルもジョイン。

質問は、三種のアポーハに関わるところと、どうもアポーハとは関わりなさそうなところと。

ここでも問題はエーカアネーカ、一多、でした。金太郎飴のように、どこを切っても一多の問題。一多郎。
  1. 2019/03/17(日) 17:12:54|
  2. 未分類

H



車酔いしやすいひとは、タクシー乗るのも大変です。

今日はPM2.5が高いらしく35はあるとのこと。

聞いた途端に喉がイガイガしてきました。

H君と次に会えるのは、また来年になるでしょうか。

浙江大学も、一度は行きたいような行きたくないような、、、

夏はやめておいたほうがいいそうです。

彼が現在取り組んでいる般若心経の注釈についてあれこれと貴重な話を伺うことができました。早くからヴァスバンドゥ一筋でしたが、まさか本人も、ヴィマラミトラに首を突っ込むことになろうとは、思ってもなかったでしょう。学究人生、どう変化するか分かりません。
  1. 2019/03/17(日) 13:24:04|
  2. 未分類

The Wonder That Is Advaita

ひとつの解釈では,citraはaa"scaryaの意味なので,citra-advaitaは「驚異の不二」となるそうです.

一でも多でもないのに,なおかつ,有であるという,まさに驚くべき素晴らしい不二なのだそうです.

素晴らしいというべきか,あるいは,反論者から見れば,あきれてものも言えない・おめでたいというべきか.

鈴木大拙あたりが聞いたら論理の超克に大喜びしたことでしょう.

真実・勝義には排中律を超えた絶対不二の光があるのみです.

クマーリラが聞いていたら,おめでたいお花畑の妄想に,どうぞご勝手に,と言ったことでしょう.

有にこだわって,さっそうとスーツを着てネクタイ締め,ダルモッタラやラトナーカラの「虚偽」押しに眉をひそめ,眼鏡を光らせて知的に振る舞っていたわりに,成れの果ては意外にも,ネクタイねじり鉢巻きの酔っ払いと大して変わりません.

多くの場合,不二とか言い出しはじめたら,まあ,あまり相手にしないほうがいいようです.
  1. 2019/03/17(日) 12:48:43|
  2. 未分類

土曜日



粥屋が満席で座れないかと思いきや,対面の店の椅子に座らされ,親切に,味変用調味料一式持ってきてくれました.




我々の勝手な通称「アリーカ」カフェ.いつものお兄ちゃんがいないのですが,どう見ても顔がそっくり,しかし,体形が違う弟と思しき人がいるので,「兄ちゃんはどこいった?」と聞くと,プラトゥーナムだとのこと.よく聞くと,Porta Koffeeなるカフェをバンコクにオープン.インドラスクエアの近くですから,機会があれば行かねばなりません.

友人とあれこれと貴重な学術情報交換.メールがあるとはいえ,やはり対面に越したことはありません.知覚はすべての母胎です.今日サラヤを去る人もあり,ここでお別れ.






一部の人は番外読書会のためもありセンタンプラザへ.私もガタ・アヌガティコー・ローカハの論理で多数派にくっついてランチ&スウィーツを順次に,さらに移動して,H内君とK納君の検討会を横目に,スタバで復習.

スウィーツは糯米マンゴーもうまそうでしたが,さすがに食事の後にしては量が多すぎますし,はたして副のスウィーツなのか主の食事なのか若干の疑惑を誘発する黄・白・茶の多様形象の顕現なので,そこはニブリッティして,量が少なめの(しかし実に多彩な形象を持つ)ココナッツアイス(+3種トッピング)に向けて発動.張本さんの「ココナッツアイスを食べるべし」という命令にしたがって正解でした.



復習を終え,読書会組に挨拶をして,バスでH本さんと宿へ向けプラティアーヴリッティ.復習の続きをして,先日行った近場のパッタイ屋――M鍋氏チキンパッタイ御用達店――で,シュリンプパッタイなど.あとから,センタンから戻ったM鍋,H内,K納氏と合流.シムの安い携帯社会はアポなしミーティングには便利です.

議論を整理してさらにわかったことは,Jは,同じ話を(視角を少し変えながら)ずっと繰り返しているということでした.

よくいえば一貫性があるといってもいいですし,立場にぶれがないといってもいいですが,要するに,話に進展があるわけではありません.

真実形象論の繰り返しによる一種の洗脳で,これでシンパを増やそうという算段でしょうか.

すっきりかつ体系的な叙述のダルモッタラやラトナーカラとは,えらくスタイルが異なります.

肝を掴んでない人にはおそらく難解にしか感じられないような書き方・表現の連続です.

次のは直訳.

というのも,能遍の非知覚は,他の感受だけに限られており,遍充等を把握する〈他の感受〉に他ならない知覚と同じクラスにあるとすべきだからである.なぜなら,或る一つのものの真知手段性を認めることなくしてはないのが,他のものの非真知手段性だからである.



いきなり読んで具体的に何を言っているのか理解できる人は少ないでしょう.

チベット訳はありませんが,たとえチベットにしてたとしても,きっと,そこだけから原文の意図を汲み取るのは大変だったことでしょう.

出版されてから随分と経ちますが,JNAの訳があまりでてこないのも,まあ,当然といえば当然でしょうか.

100%,細かいところまで正確に理解するのは,結構大変かもしれません.
  1. 2019/03/17(日) 00:49:13|
  2. 未分類

Bundit


夜は宿の近場で鍋,その後,ピンス屋さん.
  1. 2019/03/15(金) 23:56:28|
  2. 未分類

Mahidol



九大とも大学間で結んでいますし,あちこちの日本の大学とも協定があるマヒドン大.

最近は浙江大とも(学部レベルでしょうか)結んだとのこと.

本日も8:30から昼前まで.

13から18ページ.

かなりの猛スピード.

金曜日ということで,学内でマーケットの出店多数.

昼はそこで買って,教室で食事.

続いて昼過ぎからは,特別に,加納さん校訂中の貴重な文献の講読.

飲酒がなぜいけないのかについて.

さらにその後,ハルによる朝の続き若干.

さすがに疲れました.

Jの話の内容は,ずっと,一多について.
  1. 2019/03/15(金) 19:45:08|
  2. 未分類

グルーヴ



ひたすら予習復習.

たくさん語っている割には,Jは,同じことを繰り返しているような感じです.

宗教哲学者が自説(唯識・形象真実)を語ると,どうして,こう,くどくどと同じことを繰り返すのでしょうか.

あれこれの敵説にあれこれと答えていますが,同じ主張の周りをぐるぐると中心からの距離を若干変えながらも,ひたすら回っている感じです.

教師たるもの,口頭での繰り返しは美徳ですが,書いたものとなると,もう少し要領よくまとめてほしいものです.

あるいは,講義録的なものなのかもしれません.

カマラシーラやラトナーカラシャーンティのような読後のすっきり感を欠いた読み物ですが,Jのこのスタイルにも,なんとなく慣れてきました.

ヴァスバンドゥあたりの唯識説に慣れた人がJの主張の肝を聞いたら,きっと,びっくりすることでしょう.
  1. 2019/03/14(木) 22:38:22|
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Mahidol



宿の近場で粥朝食.

さっさと済ませて早めに大学キャンパスへ.

8:30から昼前まで.

ハルの高速リーディングにより,なんとか9ページから13ページまで.

このままのペースだと少し遅いので,明日はもっと飛ばすとのこと.

昼は皆で学食へ.

いつもの行列人気店のパッタイカウンターで並ぶこと10分ほど.

午後は大学内を散策.

その後,宿に帰り予習.

3時ころ,ヘユンとデイヴィーのサングラハ自主読書会にジョイン.

遅れてK納君,S賀君も参加.

サングラハのシュローカ,少ないヒントから読み解くのは,パズル解きのようで,これはこれで楽しいです.

夜は,8人で,近場の食堂.

M鍋ご用達だそうで,彼の注文したパッタイが真っ先に出てきました.(注文して2~3分くらい.早すぎます.)

宿の前のストリートもどんどん開発が進み,南へ南へと広がりつつあります.

留学生も増えているようです.

すぐ近くについ最近オープンしたばかりというGrooveなるレストラン街を散策.

大学生が好きそうなカフェやバーがそろっています.
  1. 2019/03/14(木) 22:24:12|
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Anya



サラヤに到着.

予習の後,夕方,Haru, Hugo,Harimotoさんに誘われて,10人でアンヤへ.

久しぶりと思いきや,ハルとは大正で会ったばかりでした.

Hugoも昨年末にウィーンで会ってます.

真に久しぶりなのはS藤さんでした.昨年5月以来.

年々参加者数を増すラトナーカラ研究会.

ハルのJNAサーカーラは人気で,教室は大入り満員とのこと.

明日の8:30から.

なお,席取りのため,早めに出る必要があるとのこと.

すでに3回を終えているので,追いつくべく,飛行機の中で予習,さらに,宿でも予習.

幸い,飛行機の中の予習分で追いつけた感じです.

今回のJの議論は,予想の範囲内なので,なんとかなりそうです.

有相・無相のど真ん中の議論.

アメリカからはデーヴィー(男)も参加.

九大関係者は,M鍋,Vラディーミル.

S藤君は,このセッションの前にあったゴーカレー先生のVNセッションに参加,すでに帰国.

中国生活も長くなってきたせいでしょうか,H内君は生野菜には手を付けず.
  1. 2019/03/13(水) 22:44:43|
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ISF




パニール
ミックスベジローティー
ポロタ
ティッカ
ショルバ2種

  1. 2019/03/13(水) 21:40:44|
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Zaeka



裏メニューもすっかり定着してきたザエカ.

ランチタイムは結構な人で,この日も一杯でした.
  1. 2019/03/10(日) 22:43:46|
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伊都キャンハニーコーヒー



高低差を付けた行程を記すと偉く面倒ですが,道を跨ぐ陸橋のおかげで,あまり考えずに到着できます.

印哲の六階から,まずはイーストゾーン一階へ.

さらに,図書館を二階分下ると,渡り廊下.

道なりに進むと教養へ.

端っこまで延々と行くと,そこが教養の終わり.

そこから一階分上に.

さらに陸橋で理系地区へ.

すると左にモスバーガー,さらに奥に生協の食堂とその上に,ローソンとハニーコーヒー.

印哲からすると何階下にあるのでしょうか.

また,地上からは何階上にあるのでしょうか.

階で調べるより,海抜で記した方が楽そうです.
  1. 2019/03/09(土) 06:00:22|
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Ceylon, Daimyo



大名のセイロン.

バーのトラノイがパレスチナ推しの店となったのもつかの間,それも閉まって次は良く分からない店に.

それも閉まって次はスリランカ人が営業開始.

食器はトラノイのまま.

メニューも固まって,すこし他のスリランカとは違うものをセットで提供.

場所も便利.

昨今,市内で数を増やしているスリランカ人留学生が隣ではお誕生会を盛大に開催中.

スリランカ人の若者たちの溜まり場として機能しているようです.

(コストコあたりで買ってきたであろう)でっかいお誕生日ケーキから,1カットをお裾分けで頂きました.ありがとうございます.
  1. 2019/03/07(木) 23:58:06|
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Marhaba



珍しいメニュー.

チキン・ジャハンギーリー.

ローティーは,サルマーン君作.

きれいに○.
  1. 2019/03/07(木) 23:56:03|
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発酵



イドリー
ダール
万能スパイス油

Uttappanから発酵の話になり,高田さんが,試しにぱっぱと作ってくれたイドリー.
  1. 2019/03/07(木) 21:29:46|
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YSCN


薬院スパイスカリーヌードル


天才的発明と自負される「万能スパイス油」の効能を試すべく,チキンラーメンに投下.

すすると上品な香りが立ってきます.
  1. 2019/03/07(木) 21:29:15|
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