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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

Torasan in the Guccie House: asta-padika biriyani sammelanam







































ランチ会にあわせて、早くから起き、喫緊論文を進めておわって、G邸へ。

とら屋食堂のとらさんのビリヤニ中心の会。

せっかくの連休だというのに、昨日も今日もあいにくの雨。

舞鶴公園西のカレーフェスも、この天気では、客入りが心配されます。

いろいろとまだ用事があるので、この日はドライ。

少し早めについたので、そこに置いてあった現代インド概説の新書を読んで、色々と復習。

インド宗教史の箇所は、講義に使うようなごくごく一般的なざっくりとした概説とはいえ、あれこれと気になる記述に微笑を禁じ得ません。

歴史もそうですが、宗教史というのも、バランスのとれた実証的な研究というのは、とくに、何らかの思い入れが強い当人が書いたものは、我々には扱いが難しいものだなと再確認。

なんにつけ、人の言うことは、取捨選択、バイアス修正して、受け取り直す必要があります。

ヒンドゥー教の描き方の(私から見れば)歴史の実際とは明らかにずれたあり方に、ネタ元のインド人当人の宗教環境や知的限界や無意識の願望というものを感じざるを得ません。

現代に目立つ一部の状況からの類推だと、シヴァ教のかつての優位性というものに思いを馳せるのはきっと難しいのでしょう。

ともあれ、いまいちど、古い伝統である獣主派について勉強し直したほうがいいでしょうし、また、最近公刊されたニシュヴァーサタットヴァサンヒターの古さと重要性を考慮したほうがいいでしょう。

とはいえ、日本語で読めるものは皆無に近いですが。

ともあれ、当分は、こんな適当あるいは恣意的な記述に概説はとどまったままなのでしょう。
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  1. 2019/04/30(火) 19:07:17|
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Traveling Kuunel





すぐに売り切れてしまうクーネル。

用心して開店早々の早めの時間に来て見ました。

早朝に起床、抱えてる喫緊論文をできるだけ進めて軽い朝食。

目もショボショボで疲れたので会場へ。

ヴィーガンフェスだそうです。

したがって、乳製品も御法度。

カフェラッテでも飲みたいなと思いましたが、当然、視覚可能なものの非存在。

地面のみの知覚が虚しくありました。

観想バーヴァナーを鍛えれば、カフェラッテが眼前にありありと顕れるようになるでしょうか。
  1. 2019/04/29(月) 14:06:35|
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宣材写真蒐集



そろそろ、文学部のパンフに載せる写真の替え時かとも思い、こまめに宣伝用に良さげな写真を蒐集。

人が揃う時をみては写真撮影。

ゼミ初回。

眞鍋に窓際に登ってもらい、上から撮影。
  1. 2019/04/28(日) 13:00:52|
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世間体

学生と環境論の論文を読んでいる.

サンスクリットではなく,ひとまず和訳のある英語論文である.

そのうち純英語論文に移行予定.

振り返っても,自分が中高で環境に関心を持ったという記憶はない.

ひとことでいえば教育環境の違いであろう.

いまや,宮崎駿もいれば,学校での教育もそうであろう,学生の多くが環境問題に関心をもって大学にくる.

1年向けの授業で,たまに向こうの関心を聞いてみると,やはり,環境のウェイトが大きいのに気がづく.

すくなくとも,それなりの知識を既に備えている.

さて,サンスクリットで環境といえば,シュミットハウゼンである.

むかしむかし,まだイスラムに石垣君や哲学に大浦君がいたときのこと,

シュミットハウゼンの英語モノグラフが読みたくなったので,学部授業で読んだことがある.

他学科の学部生のほうが,うちのより英語が得意だったのを覚えている.

普段から読んでいるからであろう.

で,久々に今回もシュミッティー(←Kさんによるシュミットハウゼン大先生の呼び方).

昔に読んだ印象でほぼほぼ理解可能である.

しっくりとくるところが多い.

幸い,英語からの和訳も精度の高いもので,間違いがなさそうな信頼できるものであり,また,和訳を丹念に読めば,そこだけからも原文の意図も十分に分かるものである.

もちろん,脚注も充実しているので,なにが資料として使われているのかもわかるので,やはり,シュミットハウゼン論文は勉強になる.

これにして正解だった.

で,内容.

殺生に関しては,以前にあれこれと自分で各種論文を読んだので,それなりに知識があるが,それ以外となると乏しい.

ましてや律文献となるとさっぱりである.

今回は幸い,律文献についてもあれこれと言及してくれているので非常に助かる.

分かったのは,僧団の規則というのは,第一に,世間体のためにある,ということである.

サポーターからの布施が減っては生活できないのだから,これは,当然である.

つまり,世間の評判が落ちては大変.

変な人間を置いておくわけにはいかん,ということになるのは自然である.

集団というのは,心の中がどうのこうのではなく,やはり,人の目を気にしてまとめる必要がある,という視点である.

これには非常に合点がいく.

肉食というのも,世間体ということを気にすれば,あれこれと合点がいく.

南インドでは,もちろん,菜食のほうが世間体がよい.

ポンディシェリにて.

インド人の退職エリートの地元の勉強会に呼ばれて出かけたことがあった.

大きなお屋敷の中に用意されたビュッフェコーナーには,ベジコーナーとノンベジコーナー.

わたしはベジのほうが好きなのでそちらに並ぼうとすると,主人に無理やりノンベジへと誘導された.

みなさん,遠慮して,ノンベジに並びたくともベジにならぶので,その遠慮を排除するために,主人が気を利かせて,どうぞどうぞ遠慮なさらずに,という配慮なのだった.

ここで重要なのは世間体であり,人の目である.

(残念ながらノンベジはそれほどうまくなかった.ベジのほうが絶対うまそうだった.)

つまり,インド的文脈では,ベジかノンベジか,菜食か肉食か,というのは,世間体ということも考慮に入れて考える必要があるということである.

倫理的な価値がどうのこうの,という話よりも,世間がそういうものだから,というほうが話がはやいし,それで済む話なのである.

ティルパティにいたころは,もちろん,ヴィシュヌ派の寺にお世話になっていたし,町中も,門前町.

基本,人気のレストランはすべて菜食である.

人目を気にするまでもなく,そういう雰囲気であるから,自然と菜食になる.

上村先生が30年ぶりかにマドラスに来られた時に,わざわざティルパティから出て行ってサヴェーラホテルの下で食事をした.

栄養つけなさいと,先生が牛の大きいの(シャトーブリアン)をごちそうしてくれたが,残念ながら,ひどい下痢になってしまった.

すでに,お腹が肉なるものをうけつけなくなっていたようである.

おなじことは,日本に一時帰国したときも.

カツオのたたきでピーピーピーになった.

つまり,体の問題である.

習慣とはそういうものであり,別に,そこに,なにやら高尚な思想があったわけではない.

つまり,大した思想があってベジをやっていたわけではなく,たんに,そのほうが楽だし,そうするしかほとんど選択肢がなかったし,それ以外の可能性をわざわざ考えなかった,というだけのことである.

過半数を超える南インド・ノンベジの豊かな食世界の広がりを考えれば,いま考えればもったいないことをしたかもしれないとも思うが,当時は,そのような発想はなかったし,まあ,実際,ノンベジであたったときのリスクはでかいので,独り身では,ベジのほうがはるかに安全である.(まして,肉屋の裏側にぶらさげた肉にたかる大量のハエを見たら,あれを食べようという気にはならないだろう.)

2001年6月のこと,ポーランドのついでにハンブルクを訪ねた.

そのときにシュミットハウゼンの授業にも一回,出させてもらったことがある.

ちょうど,いま読んでいる論文のネタにあたる資料を読んでいるような時期だった.

律文献だったように記憶する.

「(肉食の思想関連で)下田先生はお元気ですか」

「この漢字の意味は,「戻る」ですよね」

などという会話をしたのを覚えている.

インドでの菜食は,まわりがそうだから,という単なる習慣で説明がつく場合が多いだろう.(もちろん,なぜまわりがそうなのか,という社会的な説明は必要であろうが.ティルパティでの私の周りはサンスクリットをやっているバラモンしかいなかったので,肉食の余地はない.)

ハンブルクで仏教を教えるとなると,台湾や韓国からお坊様がたくさん習いにやってくる.

当然,先生もベジのほうが見栄えが良い.

他者の視点で説明がつく.(*なお,桂先生からの後日のメールによれば,シュミットハウゼンが菜食志向なのは,留学生を教える以前からとのこと.したがって,このようなうがった見方は,シュミットハウゼンに関しては,発生的には当てはまらない.後継教授のハルに関して実際どうなのかは本人に直接は聞いたことがないので不明.)

以上をかんがえると,やはり,周囲の環境は自分を労せずに変えるのには重要である.

逆に言うと,日本でベジでいつづけるというのは,南インドのサンスクリット大学でノンベジをやるのと同じで,単に面倒・厄介である.

頭でっかちの思想云々ではなく,世間体ということで考えれば,日本でベジで居続ける理由は薄い.

とはいえ,さっさと体と舌は変わらない.

帰国してから体がノンベジに慣れてくるのに1年ほどかかったのを覚えている.

法文地下の学食「銀杏」でも,食べる選択肢がすくなくて,くさい魚汁は無視して,蕎麦に大量の七味をかけて食べていたのを思い出す.

ひところは,なんでも大量に七味をかけていた.

そうしないと味がしないのである.
  1. 2019/04/26(金) 19:33:29|
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krodha

くろださんとは無関係であるが,サンスクリットのクローダ,怒りである.

チャンダマハーロシャナのローシャも同じく「怒り」.

憤怒というやつである.

しょっちゅう怒っている人,あるいは,怒りっぽい人というのがいるが,いったい,何に怒っているのか,まったく不可解である.

怒りは所詮,自縄自縛でしかない.

自分で勝手に基準を決めて,その枠組みに合わないから,ギャップを埋めるために怒っているだけのことである.

相手が自分の基準に合わせるのに手っ取り早い方法といえばそうである.

しかし,相手が世間一般の場合,天に唾するのと同じで,相手はかわらず,ひるがえって,自分の心を傷つけるに終わるだけである.

インドでは特にそうであるが,時に怒る(ふりをする)ことも必要である.

しかし,それは,ポーズであって,別に心はそれほど動いてなかったりする.

もちろん,心底,怒ることもある.

あまりに常識はずれのことが起こるからである.

しかし,それはまさに,自分の基準を当てはめて怒っているだけのことである.

自分の基準を取っ払えば,そこに怒りは生じようがない.

ただし,何事も進まず,まったりと一日が過ぎていくというだけになるのは必定であるが.

ベッドの上で回転する扇風機を見ながら,なおかつ,熱すぎて寝られず,抽象的思考をぐるぐると回すには最適である.

実際的な仕事は何も進まない.

マドラスにいたときは,面倒なので,郵便局など一度も行った記憶がない.

行くなら,勝手の分かるポンディシェリにいたときに済ましていた.

パソコンも,そういえば,電圧にやられてお陀仏,ノートを取るのも肘の汗で紙がふやけるとなると,できることは頭を回転させることくらいである.

あるいは意味なく記憶.

暇なので,ミーマーンサーパリバーシャーを,まるまる一冊記憶していたことがある.

実際の仕事を進めることをあきらめてしまえば,インドも快適である.

或る意味,放擲者である.

結果の成否を神に任せる境地というと,バガヴァッドギーターであるが,そもそも結果の成功を望めない場合のほうが多いので,案外,神に任せるという境地は身近に体得できるものなのかもしれない.

成否に無関心の無風状態に怒りはない.

(ただし,バガヴァッドギーターは,その境地は何にもしない無為ではない,と釘を刺している.)


で,怒って傍迷惑なものといえば先生である.

なにしろお偉いがゆえのパワハラ,アカハラ,まさに権力の発生する場,しかも,年齢のあいたおっさんと未熟な学生である.

自分のみみっちい基準を相手にあてはめて怒ることで,自分の意のままに扱おうと望む,共感できないのが教官である.

あるいは,自分の気持ちに合わせるよう共感を強要するのが教官である.

叫喚の凶漢が教官である.

怒っている人というのは,ただの迷惑でしかない.

路傍の石のほうが「苦の無」という観点からは,よっぽど悟っている.

反面教師という点で学ぶしかない.

そのための授業料である.

人間,あらゆるところから学ぶことができるし,また,あらゆる人間から忍耐を鍛えられ,慈悲や寛容を涵養できるのだそうだkila.

書いているだけで怒りがこみあげてくるが,はたして,怒りにたいする寛容というのはありだろうか,なしだろうか.

相対主義のパラドックスと同型である.

踏まれた雑草も再び生えてくれば昔話で済むが,中には,立ち直れない人もいるだろう.

運で済ますには悲惨である.

いっぽう,同僚に話を聞くと,案外,いい先生についていたりして,心底,先生を尊敬していたりする.

かつての助手さんから常々,「教師というのは反面教師だ」と聞かされていたので,そういうものだと諦観・達観していたが,どうも,世の中にはよい先生(善知識)も多いらしいということを,こちらにきてから初めて知った.

観音/観自在はおろか,阿弥陀も地蔵菩薩もおらず,他力をあきらめ自力救済で地力を鍛えるという意味では,絶対自力の修羅の道も悪くはないかもしれないが,人にお勧めできるものではない.

ひとにならったほうがはるかに速い.

そして速いのがタントラの救済道.速疾解脱。
  1. 2019/04/26(金) 07:22:11|
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李餃子、箱崎



解体の進む箱崎。

有名な「餃子の李」とは無関係の李餃子を訪問。

いつ見ても、メニューだけからは、何が出てくるのか、よく分かりません。

文字面からうまそうなのを、そして、厨房のおばさんも「美味しいよ」と同意するものを注文。

この同意にそれほどの意味があるとは思えませんが、命令文に対する称賛プラシャンサーも似たものでしょう。

「持ち上げ」がその機能です。

なければないでも困らないが、あるとさらに良い、という微妙な存在位置を取る文。

アルタワーダ。



ちなみに、うちの社会学の論文集をぱらぱらと見ていると、箱崎地区の統計を出していました。

なんと、箱崎エリアになると、7.5%が外国人だそうです。

13人に1人。

どんだけ。

実感が数字に裏付けられました。
  1. 2019/04/26(金) 05:20:48|
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お寺







春の佐賀平野を通り、とあるお寺に。

暑すぎず寒すぎず、最も快適な季節です。

この前のヴァンクーヴァーでのサンスクリット学会。

あのときは、時期が、ちょうど一年で最も良い季節だったようです。

無汗。

逆にマドラスでは、とにかく背中の汗がすごく、ズボンの腰後ろに汗がたまり、そこから臭くなっていきます。

有臭。

バスに乗る時のあの背中と椅子の密着感ほど不愉快な感触はありません。

車内が無風でじとっとなる、しかし、日中で屋根が焼けている出発前の待ち時間。

前の人との車窓の空き具合の攻防とともに、隣とは肘掛の面積をめぐる攻防が続きますから、待っている間も気を抜けません。

油断したが最後、いつの間にか自分の横窓が閉じられており、さらに肘掛には、けむくじゃらの隣人の肘がどかっと位置取ることに。
  1. 2019/04/26(金) 05:20:12|
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ISF













ナマステ福岡にも出店を果たした春日のISF。

確実に人が増えている感じです。

この日も結構な人の入りです。

ファンを増やしているのは間違いありません。

四月のメニューからいくつかセレクト。

今日のダールは、どろっと溶けたものではなく、形がまだ残る様態の豆でした。

同じのを頼んでも毎回、微妙に変化があります。

安価なインネパによりまともなインド料理が駆逐される「悪貨良貨」の昨今、西ベンガルというだけでなく、高級なインド料理が食べられるここは非常に貴重です。

委譲そして閉店した大名のサーガルも、かなり昔はまともだったのですが、いつの頃からか、味が安っぽくなってしまい、足が遠のいてしまいました。

名物オーナーが変わってからは、もちろん、一度も足を踏み入れずじまい。

通りかかると電気を消した店内通路にコックでしょうか、三角座りでうなだれながら客待ちしている姿が、ものの哀れを誘いました。

あの悲惨な光景の中、店内に足を踏み込む勇者の客は、いないでしょう。

案の定、しばらくして閉店。

いまは、うどん屋になっています。

小麦粉にはかわりありませんから、サーンキヤ学派的には、同じものが随伴しています。

見た目がナンからうどんに変わっただけです。
  1. 2019/04/26(金) 05:19:24|
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ビッグサンド下



この季節。

食堂には長い長い長い行列ができます。

ビッグサンド二階店は別棟の階段まで伸びていますし、こちらの下店も桜並木に沿ってずらずらずらと。

中でコーナー毎に分かれるのですが、しかし、入り口では別れていません。

さらに長く無駄に並ぶことになります。

店内のアプローチ通路が狭いというのも考えものです。

1つの穴に2つのボールが同時に入ろうとすると詰まってしまうように、シャイヴァシッダーンタのkarmasaamyaにおいては、無理矢理に、業の消化を止めます。

ドミニクの論文がありました。

似た感じです。

途中から二列になり、最終的に4つに別れますが、カレーの列は、中では、ガラガラです。

どこだったか忘れましたが、インドの駅にて、チケット購入の長い列に並んでいた時のこと。

綺麗に並んだ列に堂々と割り込む威勢のいい髭面兄ちゃん2人。

目立つ紫のクルターにサングラス、いかにも危なそうな風体です。

後ろが文句言うと逆ギレして暴力的に突っかかっていました。

珍しいこともあるものだと、よく覚えています。

ところかわって、伊都キャンパス。

12:00-12:30が激混みです。

が、普通に並べば、12:30頃にはゲット。

13:00前までには余裕で食べ終われます。

したがって、皆さん、平和に並んでいます。

およそ「あくせく」という雰囲気とは程遠い自然環境のせいもあるでしょうか。
  1. 2019/04/26(金) 05:18:32|
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G邸













トラさん来福。

Guccie邸。

ブリ、タイ、チキン、イカ・ブリ、あさり、片口鰯など。
  1. 2019/04/24(水) 00:30:48|
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進学生歓迎会



院と学部の進学生のための歓迎会.

多数派に便利な場所ということで,天神ではなく姪浜駅前.

OBもいれて,印哲総勢15名.

1名は,dharma的kaaryaが急遽はいったためキャンセル.

単品もうまいのですが,面倒なのでコースに.

刺身の次にシチュー.

組み合わせの妙に虚を突かれましたが,うまいので,文句ありません.

隣客の席には,おいしそうな特大チャーハンまでありました.

和洋中,料理のうまい居酒屋,ということのようです.

そういえば,飲みの量が今日は少ないなと思ったら,Hyoungが既に帰国したからでした.

安全・平和な飲み会.

「煙を飲む者」二人は,向こうの向こうにいたので,それほどケムくもありませんでした.

他客もいるため,各人のひとこと挨拶は省略.

忘れないうちに,来年の研究室パンフ用に,宣材写真をアイフォン撮影.

全員が揃うというのも,なかなかないですから.


店を出ると,美術のひとたちが外にたむろっているのを見かけました.

やはり,ここらへんが伊都からだと皆で飲むには便利ということでしょうか.
  1. 2019/04/23(火) 19:34:34|
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JM



幾何学的.

ジャンタルマンタルを想起しました.



日本人によるカフェのランチカレー.

昨今は,このような,綺麗に盛ったワンプレートが主流のようです.

各要素に,福岡のあの店やこの店などへのリスペクトを感じさせます.

ついでに,あれも散らしたりしています.

カレーは日本風に寄って非常に食べやすくなっています.

価格も良心的.

カレーブームなのか何なのか,場所によっては,これで1200円や1500円もとるところが福岡で増えてきましたから,850円ぽっきりは,とてもお得感があります.

空間も落ち着きますし,なによりも清潔.

sabbam aniccamの世の中とはいえ,創造・存続・帰滅の真ん中が長く続くといいです.

まあ,いわゆる楽も苦だといいくるめる仏教では,なんでも苦になってしまうわけですが.

どんだけネガティブな色眼鏡なのでしょう.

年が行くと,そんなものかとも思いますが,20前後の元気な若者相手の講義では,あまり説得力をもたない議論です.

ブッダも,20前後では,そんなことは思わなかったでしょう.
  1. 2019/04/21(日) 09:33:45|
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伊都・文系食堂

文系食堂.斜面に沿って(あるいは削って)建てられた図書館という「丘」の上にあるため景色は最高です.



12:00~12:30は,生協食堂の外に長蛇の列.

箱崎では,弁当屋がかなり緩和してくれてましたが,伊都キャンパスには,弁当屋もいまだ入り込めず.

したがって,学生の選択肢は,

1.家から弁当,
2.学食,
3.生協弁当・パン,

というようなことになります.

職員も同じ.

徒歩で行ける近場で食べるところがありませんから,内部を充実してほしい所ですが,この時間以外は,別に混んでるわけでもなし,しかも,休暇期間は人が来るわけでもなし,いろいろと,学食経営,キャパ拡充も難しいのでしょう.

箱崎のように,機動性のある弁当(弁当屋)の選択肢充実が手っ取り早い解決策となるのでしょうか.



東ゲート付近でイノシシの目撃が相次いでいるとのことですから,この山の中をうろうろしているのでしょう.



ちなみに,私が立っているここの場所にあった山を削って,その土が,対面にある大駐車場の盛り土になったそうです.

さすがに,文系と教養とを山で隔てる勇気あるデザインとはいかなかったのでしょう.

山頂にあった古墳の石が,ロータリーに配置されています.

車によって右繞されてますから,ある意味,供養や参拝になりますか.



三階の渡り廊下でボール遊びしています.
  1. 2019/04/21(日) 09:21:52|
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自内証

ネットに落ちてました.

http://www.res.lab.u-ryukyu.ac.jp/assets/shida_oral.pdf

さすが志田さん,マイルドに真綿に包みながらも,あれこれと,いいこと(つまり真実を)言ってます.

ついでに少しばかりの(あまり公然とは言ってはいけないかもしれない)本音も漏らしています.

私の個人的な意見として、シンポジウムの主催は充実感・達成感がありますし、写真やポスターの見栄えはいいんですけれども、専門の近い研究者同士が数人だけ集まったような一見地味な読書研究会の方が、研究成果に直結している印象があります。もちろん、限りのある予算を配分いただいているわけですから、リサーチグループとして成果の公開は義務的だと思いますが、とはいえ、一見地味に見える研究でも評価する軸があるといいなと思うことがあります。



まあ,そういうことです.

実際問題,なにが本当にためになるのか,というのは,現場の当人が一番わかるわけです.

一人で読んでいる,二人で読んでいる,三人で読んでいる,そんなときが至福であり,またもっとも生産的であるのは,我々の実感するところであり,その実感を否定することは他人にはできません.

なぜならば,それは,自内証だからです.

他人がとやかく言って否定できるものではそもそもないのです.

世の中の風向きがどうなろうと,yathaa tathaa,サンスクリットを地味に読んでいきたいものです.

結局それが一番有益なのですから.

幸い,昨日も,ウラディーミルと,Jの難解な議論を2時間弱読んで頭が真っ白になって燃え尽きた後に,眞鍋とMの神学文献で,これまた二時間弱.

疲れ果てて最後のほうになったときに,

abhivyaaptaav aakaara.h

というのが出てきて,なんやなんや,「形象」が何?

と不明でしたが,あれこれ検索かけたら,どうやら,abhivyaaptiとmaryaadaaの対立で,aaの意味に二つあることが分かりました.

そこまで至ってようやく気が付いたのは,aakaaraは「形象」ではなく,aa音のことでした.

ここでの「Xまで」の「まで」は,Xを含む「まで」であって,Xを含まない「まで」ではない,という趣旨でした.

つまり,maryaadaaではなくabhivyaaptiのほうを意味する"aa"だ,ということです.

「まで」がここで意味するのは,含まないほうの境界ではなく,含むほうの境界だということです.

気が付いてしまえば,なんだ,という感じです.

斉藤さんが傍にいれば,たぶん,悩む必要すらなかったんでしょうが.

あるいは,エディションが最初から綺麗に区切ってくれていれば,もっと早くに気が付いたと思いますが,前後の文とずらずらとつながっていると,案外,わからないものです.

やはり,ちゃんとしたエディションは重要.

ダンダの不適切な校訂は,句読点の適当な日本語と同じです.

内容にたどり着くまでに無駄に時間がとられます.

本当にちゃんとした親切校訂本なら,パーニニなどの文法学の参照先まで引いてくれてるところでしょう.

ともあれ,4時間も走り終えて疲れ切った後では,文法学の軽いジャブでも,結構,効きます.

不覚にも,軽く,aakaaraの擬態に,ダウンを取られてしまいました.

パソコン内にあるe-textのグレップと,外のネットにあるe-textのグーグル検索という二人のセコンドのおかげで,前後不覚に陥らずに済みましたが.

ラリーもハルも言ってますが,ここ最近のグーグルのサンスクリット文献検索能力はかなりのものがあるので,大いに助かります.

ローマ字のあれこれの転写方式で検索かけてみたり,あるいは,デーヴァナーガリーで検索かけてみたりと,工夫は必要ですが.

ともあれ,つかえるものはつかわしていただきます.ありがたく.合掌.南無グーグル如来アーバーサ.(かなりの全知者です.ただし,普通とは順番が逆で,所知障を取り除いているけれども,貪という煩悩障は取り除いてない気はします.)
  1. 2019/04/20(土) 10:51:10|
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received: 『食から描くインド』

食から描くインド
近現代の社会変容とアイデンティティ
井坂理穂・山根聡(編)

http://www.shumpu.com/portfolio/713/



------------以下出版社Homepage掲載の情報------------

食から描くインド

近現代の社会変容とアイデンティティ

井坂理穂・山根聡(編)/2019年2月

3700円(本体)/四六判上製400頁

(ISBN 9784861106330)

目次|contents

序章 食から描くインド―近現代の社会変容とアイデンティティ(井坂理穂)

I 食からみる植民地支配とナショナリズム

第一章 一九世紀後半の北インドにおけるムスリム文人と食―郷愁と動揺(山根聡)

第二章 インドのイギリス人女性と料理人―植民地支配者たちの食生活(井坂理穂)

第三章 ナショナリズムと台所―二〇世紀前半のヒンディー語料理書(サウミヤ・グプタ、上田真啓 訳)

第四章 現代「インド料理」の肖像―はじまりはチキンティッカー・マサーラーから(山田桂子)

Ⅱ 食をめぐる語り

第五章 一口ごとに、故郷に帰る―イギリスの南アジア系移民マイノリティの紡ぐ食の記憶と帰属の物語(浜井祐三子)

第六章 買う・つくる・味わう―現代作家が描く食と女性(小松久恵)

Ⅲ 変動する社会と食

第七章 もの言う食べ物―テランガーナにおける地域アイデンティティと食政治(山田桂子)

第八章 飲むべきか飲まぬべきか―ベンガルール市でのフィールドワークから(池亀彩)

第九章 ハラール食品とは何か―イスラーム法とグローバル化(小杉泰)

編者|editors

井坂理穂(いさか・りほ)
東京大学大学院総合文化研究科准教授。専門は南アジア近代史。

山根聡(やまね・そう)
大阪大学大学院言語文化研究科教授。専門はウルドゥー文学、南アジア・イスラーム論。

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  1. 2019/04/19(金) 19:10:01|
  2. 未分類

BSH

















  1. 2019/04/16(火) 23:40:23|
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ヘラ味屋&きよみ









  1. 2019/04/16(火) 23:07:45|
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Nila



小雨の中、恒例のニラさんのダンスで締め。
  1. 2019/04/16(火) 05:58:44|
  2. 未分類

KSLA



ナマステ福岡はインド人スタッフ多数と、カレーを食べに来た日本人が中心。ネパール人の店もいくつか出店。ナンハウス、マナカマナなど。いっぽう、スリランカ人は、その時、山王公園で新年のお祭り。かつて港100年公園でした時より人数はかなり少ない感じです。きよみとヘラ味屋が弁当を用意していました。
  1. 2019/04/16(火) 05:48:49|
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Namaste Fukuoka



もつかと思いきや、昼からはあいにくの雨模様。

小雨の中もステージは続きます。

ステージは踊りたいスタッフも入り乱れて、オームシャーンティオームで大盛りあがり。

ケイオティックな空間に。
  1. 2019/04/16(火) 05:41:11|
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106



昨日より焼き目が濃くなっています。

昨日はマサラドーサ、今日はチーズドーサを注文。

今日はバターも塗っています。

  1. 2019/04/16(火) 05:34:15|
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Manakamana



マナカマナのパーニープーリーपानी पूरी。

威勢のいい兄ちゃんの努力に敬意を払って購入。



店舗も訪問。

ネパールのレゲエやヒップホップが低音スピーカーから響く店内は、ネパール人の若者たちで大いに賑わっています。

味もサービスも上々。

人気なのも納得です。
  1. 2019/04/16(火) 05:25:36|
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106









ラジェーシュさん、今日は元気そうです。

ドーサを持って食べる場所を見つけようとうろうろしている間にドーサが覚めてしまいました。
  1. 2019/04/14(日) 09:09:35|
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ISF



①Basmati Rice

②Bhaja Muger Dal

③Karela Bhaja

④Bandhakopir

⑤Dhaab Chingri

⑥Shorshe Bhetki (ミズガレイ)

⑦Bhetki Paturi (スズキ)

⑧Smelt Posto (ワカサギ)

⑨Misti Doi
  1. 2019/04/12(金) 00:15:04|
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Nabisan



キャンパスから歩くとそれなりの距離。

しかも、開いてるか開いてないか結構ランダム、あるいは、恣意的なので、足が遠のいてしまってますが、久々に訪問。

以前と同じベンガルのおっちゃんが1人で回しています。

見たことのないメニューが幾つか。

  1. 2019/04/11(木) 20:43:51|
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Ceylon, Daimyo, Fukuoka



トラノイのあった大名角。

スリランカ料理のセイロン。

ランプライス、ここは定番メニューに。

きよみにならって、月一のBuffeもあるようです。

  1. 2019/04/11(木) 19:40:35|
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学術雑誌の意義

べらぼうにもうけようとすることしか考えてない海外の法外な値段の有名学術雑誌を見ていると,いったい何のために学術雑誌があるのか理解不能になります.

われわれが無料で書いて送ったものを20-30万円の価値あるものとして勝手に値を付けて商売して,しかも,場合によっては,著者に買戻しさせる(つまり大学に買い戻させる)というようなことまでやったりしています.(つまり大学側が金を出す準備がある場合には.そんな余裕のある大学など日本にはないでしょうけど.)

もちろん,著書に取り入れるときは,著作権がとりあげられているわけですから,金を出して買わないといけません.

意味不明.

査読に関わることもありますが,もちろん無料のボランティア.

忙しい中を英語論文を読んでコメントをつけるわけです.

無料奉仕の搾取でしかありません.

やる気搾取のブラックな一部の居酒屋と何の違いがあるのでしょうか?

これが,純粋に斯界の発展のためならOKですが,誰かが法外に搾取しているのは明らかですから,どうにも,腹の虫がおさまりません.

EU圏では,このような流れを見直す動きがありますが,日本は取り残されてしまうのかもしれません.

つまり,あいかわらず,有名学術雑誌を金を出して買わねばならないという図式.

あるいはボランティア労働だけして,雑誌にすらもアクセスできないという事態に現になりつつあります.(九大印哲では現物まで買う余裕はないので,有料のネットアクセスのパッケージだけに入っています.)

チョコレートを食べたことがないカカオ栽培の児童労働の子供のようです.

著作権は取り上げられ,自分が再利用することもできないという...(著作権ビジネス)

いっぽう,大学の紀要は無料.

しかもネットで公開.

これで十分ではないか,という気がします.

単に権威づけの問題.

紀要には権威がなく,海外有名雑誌には権威がある.

つまり,ブランド商売です.

海外企業のブランド戦略と同じです.

大学ランキングを作って,有名雑誌の論文数をカウントして,そして,勝手にランキングを付けていく.

税金と無料のやる気で出来上がった貴重な論文成果を,ブランド力のある海外雑誌が搾取して,それでさらに商売していくという図式です.

帝国主義時代の植民地でしょうか.

植民地で安価に作った紅茶や綿花が余って売れなくなったから,被支配国の人々に飲ませよう着させようという,かつてのどこぞの商売と構造は同じです.

単なる奴隷と何の違いがあるのでしょうか.

研究成果は,大学の紀要で無料で公開で十分という気がします.他分野はいざしらず,すくなくとも私の分野においては.(かつてベナレスで出していた大学の紀要に相当する『パンディット・シリーズ』は非常に価値あるものです.必要なものは残りますし,不要なものは無視すればよいだけです.自然淘汰が働きます.査読の有無ということは中身の価値,後代の評価とは関係ありません.)

いっぽう,ネット公開してない,あるいは,法的に許してない旧来の日本の雑誌は,その存在意義が私には不明です.(『南アジア古典学』の原稿は,投稿者自身がネット公開することは自由です.)

雑誌の使命の第一義が知の共有にあるならばネット公開をためらう必要はありません.(そもそも論文のネタが一銭にもならない印哲の領域において,ネット公開をけちる意味が分かりません.)

ともあれ,ネットの時代において,雑誌の意義やあり方(ハードコピーなのかPDF公開なのか)というのは,大きく変化しています.

ネットに落ちてない論文は存在してないも同じという現実が進行しつつありますから,現実に逆らっても,激流を遡行しようとするのと同じです.

いつのまにやら下流に流されていることでしょう.

知の共有が良い結果を生むというのは周知の事柄です.

いっぽうで,関税や著作権のように,流れがあるところに関所を設けて一部の人間が儲けるというのも,昔からの利益の上げ方です.

印哲の研究者がどちらに与すべきかは明らかです.(いまどきの大学は醸す雰囲気が違うようですが.)

雑誌の権威というのは,要するに権力ですから,旧来の権威ある古い雑誌ほど変わりにくいというのは想像に難くありません.

また,ネット公開というのは,権力を平坦にしていく方向を向いていますから,当然,ネット公開に抵抗を感じる人々は存在するやもしれません.

雑誌のクオリティばかり気にしている内に,いつのまにやら日本の中だけで埋もれてガラパゴス,という顛末は,携帯電話でも,ついぞ目にした気がします.

(すくなくとも印哲では)研究成果は全てネット公開すべきです.
  1. 2019/04/10(水) 07:38:01|
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朝日カルチャー:ヨーガから見直すインド宗教史の3000年

九大文学部と朝日カルチャーの提携講座の一回を担当します.

一回のみの受講も可能.

朝カルのホームページ





過去を知り、現在を理解するための知の六輪の花束
九州大学文学部提携講座


九州大学文学部 講師陣
 西洋やアジアの諸思想を専門にする六人の研究者たちが、それぞれ一輪ずつ、ぜんぶで六輪の知の精華をあなたに届けます。やさしく、わかりやすく語りますから、心配しないで聴講を楽しんでください。六輪のどの花も彩りが全く違っていますが、今あなたが立っているこの社会と文化の土台をふかく問いかけるものです。

1回ずつの受講も可能です。
1) 4月20日 「ヨーガから見直すインド宗教史の3000年」片岡  啓 准教授(インド哲学史)

2) 5月18日 「西田幾多郎と鈴木大拙」横田 理博 教授(倫理学)
3) 6月15日 「社会的集団に関する形而上学的考察」倉田  剛 准教授(哲学)
4) 7月20日 「ことばと哲学」吉原 雅子 准教授(倫理学)
5) 8月17日 「仏教とインドの死者供養の文化」岡野  潔 教授(インド哲学史)
6) 9月21日 「明堂──王朝をささえるコスモロジー」南澤 良彦 教授(中国哲学史)

 ★会場は、朝日カルチャーセンター福岡教室です
  1. 2019/04/10(水) 06:12:22|
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ククリFC





  1. 2019/04/09(火) 22:38:13|
  2. 未分類

NF



儀礼にむけてのネゴーシエーションの過程、さらに、祭礼そのものにおいて、滞日ネパール人コミュニティーにおける互いの位置、いわゆる権力構造が再確認されることになったはずです。

ファンクションも含め、様々な情報に溢れたフェスティバルです。

しかし、一年前と比べただけでも参加者の顔ぶれが、がらりと入れ替わっているのには驚かされます。

語学学校や専門学校を終えた後は、東京を始め各地に散っているようです。
  1. 2019/04/09(火) 22:05:14|
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