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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

NF



स्वोप्न सुमन Swoopna Sumanの本日のライブはキャンセルに.

明日のみ.



かわりにラッパーの彼が一所懸命に穴埋め.
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  1. 2019/04/06(土) 22:50:35|
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NF











ラケーといってましたから,राक्षस由来のネワール語でしょうか.
  1. 2019/04/06(土) 22:50:09|
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NF



左のキラート団体創設は2017年.









  1. 2019/04/06(土) 22:49:36|
  2. 未分類

NF



三号線沿いのあそこもこの人の.



超大物のビジネスマンも来福.



タンドゥーリーチキンがうまそう.

バーベキューの場数経験値が違う雰囲気がします.



送金業・飲食業など,成功した名士のネパール人ビジネスマンの面々.

ブッダやKyodaiの社長の姿も見えます.

今回はソルマリの出店がありませんでしたが,あれがあれしてあれなんでしょうか.
  1. 2019/04/06(土) 22:49:03|
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NF





ダルバールのティールタラージが揚げたサモサチャート.
  1. 2019/04/06(土) 22:47:59|
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NF





ククリFCのセルローティ.

フットサルで元気なやんちゃな若者たちばかりですから味はいかほど?と思ったら意外にうまかったです.

奥を見ると女性が丁寧に調理していて納得.

揚げ具合も完璧.
  1. 2019/04/06(土) 22:45:42|
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後期唯識の存在論

円成実,依他起,遍計所執の三性などというと,しかつめらしくて近づく気にもならないが,わかりやすくいえば,ようするに,本当にあるもの,因果関係の線上にあるもの,でっちあげられたもの,ということである.

parini.spanna円成実
paratantra依他起
parikalpita遍計所執

の三性は,ラトナーカラが対応させるように,

paramaartha-sat勝義有
dravya-sat実体有(あるいは実有)
praj~napti-sat仮説有(あるいは仮設有)

と対応させると分かりよい.

本当にあるものというのは,分析しても残る本当にあるもの,ということで,アビダルマコーシャの有名な定義がわかりよい.

要するに,どんどん分解しても,頭の上で分解しても残るもの,それが本当にあるものである.

アビダルマの原子論でいえば原子ということになるだろうし,経量部なら(現在ある)効果的作用を持つもの(=有),唯識でいえば外界は考察には耐えられないもので残らないので,認識のみが勝義的存在ということになる.(アビダルマや経量部では,三性説とはならず,下二つだけで十分であり,実有が勝義有ということになる.)

唯識の三性説の頂点にたつ円成実性というのは,本当に残るあり方のこと,つまり,空性,要するに,A(因果的存在である認識)にB(でっちあげられたもの)がないこととされる.

つまるところ,唯識の世界であり,我々があると思ってる外界対象が存在せず,認識だけがある,ということである.

これについては,くどくど説明せずともわかるであろう.

実体有というのは,我々が言う科学的世界観に相当する.

因果で考えた世界のことである.

認識論寄りの存在分類である12処の世界観で言うと,青などの色・形など,感覚器官の対象ほかが実体有として認められる.(もちろん,それは,本当は認識に過ぎず,認識と非別な,認識内の形象でしかない.)

集合体は,もちろん,仏教では『ミリンダパンハー』の議論でも有名なように否定される.

それらは実体有ではない.

構成要素のほうが実体有である.

さて,集合体で,世間で普通に認めているものは仮説有(けせつう)であり,でっちあげられたものである.

でっちあげられたとはいえ,世間で扱うには何かと便利である.

心相続という時間的な連続体(いわゆる個人の人格に相当するようなもの)も集合体である以上,ここに入る.(アートマンやプドガラのような個人の人格である霊魂は,もちろん,実体有としては認められない.)

推論対象となる共通相――牛性,無常性(アポーハ論で言うところの非牛からの排除や非無常からの排除)――なども,ここに入る.

夢の対象や錯覚の対象もここに入るが,それらは,正しい認識とされる推論の対象ではありえないし,正しい知覚の対象でももちろんありえない.

推論対象である火と,錯覚対象である蛇とは,同じくでっちあげられたものであり,形象をもって現れているが,うまくいくかうまくいかないか,効果的作用をもつかもたないか,という発動の観点から区別される.

つまり,効用のあるなしで区別される.

しかし,唯識の本当の世界観から見れば,究極的には,両者は同じ穴のムジナであり,うまくいったように見えるかどうかの違いしかなく,本質的な違いはない.

外界を認めない場合には,効果的作用のあるなしは問題とはならないからである.

以上の三性の下に,認識内に形象を生み出さない絶対無――空華,石女の息子,兎角など――が置かれる.

アートマンや第一原因といった,敵が考えたもの(外道がでっちあげた概念装置)も,仏教においては絶対無であり,指示対象を欠いている.

したがってそれらの否定は,討論術のしきたり上,ややこしい問題を生じさせる.

存在しないものを扱うことになるからである.

さて,アポーハ論というのは,仮説有を扱う.

我々は言葉を使ってうまいことやっているが,言葉の世界というのは,直接には実体有とはかかわりのない「でっちあげの世界」である.

そこをなんとか実体有と連絡させようと頑張った(そしてそれによってなぜうまくいくのかを示そうとした)のがダルマキールティ以降のアポーハ論であり概念論である.

外界存在論者の外道と議論せねばならないディグナーガのPSやダルマキールティのPVにとって,もちろん,軸足は第二の実体有にある.

勝義という伝家の宝刀は,どうしても,という場面でしか抜かれない.(いざというときにだけ唯識の「勝義」ヒーローは登場する.)

プラジュニャーカラやジュニャーナシュリーは,さらに一歩踏み込み,唯識の世界から,実体有中心の議論を読み替えていく.

効果的作用のあるなし,というのは,いまだ外界存在論に引きずられた有無の見方である.

真の「有」の定義は,「現れていること」である.

輝き出しの存在論が,ここに完成する.

いまここにある,というのは,PやJにとっては,心に現れていること,と同義である.

この定義が,ダルマキールティのプラマーナ第二定義に淵源を求めることができるのは言うまでもない.

シヴァ教不二一元論である再認識派の見解も,輝き出しを有とする点では同類である.(歴史的に見て彼らの認識論が唯識理論の転用であるのは疑うべくもない.)

唯識では,多様性や外性は勝義では否定され,不二なる認識という輝き出しだけが勝義有とされる.

いっぽうシヴァ教では,もちろん,外界実在性を否定する必要はない.

言い換えれば,唯識では外(外界対象と思い込まれたもの)を内(認識内形象)にいったん回収してから認識との不二を言う必要があるが,シヴァ教ではそれは必要ないということである.

内も外も等しく輝き出しであり有情(心あるもの)であり,要するにシヴァとして不二である.
  1. 2019/04/06(土) 19:45:30|
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Veg Meals in Fukuoka, at "106"



英語本を読もうと思い,軽くランチしてから,とのつもりで106に入店.

マサーラードーサを探すもランチメニューになし.

仕方ないのでベジミールスに.

すっかりお腹いっぱいです.

満足して退店.

結局,消化するのに時間がかかり,あまり本が読めませんでした.

いま思うに,先に本を読んでから,遅いランチにすべきでした.

A and Bが必ずしもB and Aと同義とならず,andに時系列が含まれるケースを思い起こしました.

サンスクリットに語順なしと言われはしますが,韻律が故に配列がランダムに見えるカーヴィヤでも,形容句を前から読むと,戦場の場面が時系列的に(そして因果論理的に)並んでいることが多々あります.

また,論書では往々にして,形容句が理由句だったりもします.(AであるB⇒AなのでB.実際,註釈者達は,理由句として解釈していたりもします.日本語人の感覚だけで読み切ろうとすると間違いではないにせよ,原作者の意図を取り逃がすことになります.)

前後関係は諸事に重要.
  1. 2019/04/06(土) 07:37:58|
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プラジュニャーカラグプタ研究

稲見先生からのメール。

なんと、プラの専門ジャーナルを出していくおつもりだそうです。

プラも、まさか日本の地で、自分の名前を冠したジャーナルが出ようとは夢にも思わなかったことでしょう。





『プラジュニャーカラグプタ研究』(仮題)について[暫定版]

刊行形態等
基本的に電子ジャーナル(PDF)を予定(紙媒体は少数作成)。
A4版(紙媒体はB5 版)。
執筆者が完全原稿(ほぼそのまま印刷できるもの)を作成(体裁統一のために変更すること もある)。
出版費用は投稿者で分担。
刊行は不定期。

掲載原稿
PVAの翻訳研究・テクスト校訂を中心としたもの(プラ研の『南都仏教』論文2本を 参考に)。
翻訳研究を含むプラジュニャーカラグプタの思想に関する論文も可。
分量はA4で30~ 50頁を目安とする。
日本語論文の場合は英文タイトルと英文要旨をつける。
主な略号は全体で統一 したものを表にして載せる予定。
原稿のフォーマット等は今後検討(MS-Word、脚注形式)。
編 集委員会による査読あり。投稿資格は大学院博士課程以上。

今後のスケジュール
投稿の意思表示(論文の概要も)=2019年4月末日(希望者多数の場合は次 号に)。
原稿の締め切り=2019年10月末日。
発刊=2020年3月頃。
編集委員会
編集委員長:稲見正浩(東京学芸大学) 編集委員:護山真也(信州大学)・小林久泰(筑紫女学園大学) 編集事務:三代 舞(日本学術振興会)




プラ研メンバーを中心に今後、プラ研究が拡大していけば、プラを承けたJや、Jと対立するRの研究もますます面白くなることでしょう。

また、プラが批判するDの議論も同時に浮かび上がって来ることでしょう。

芋づる式。

まずは、着実に引っ張れる芋から。

ライプチッヒからヤマーリの声も聞こえてくる時代です。

プラ研究、後期唯識を押さえるには必須です。

  1. 2019/04/06(土) 00:36:39|
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