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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

肖記







いつ来ても,ほぼ中国語人の若者客で占められている肖記.

マナーも良くて快適です.

隣客のしゅっとした若い男性が移動したなと思ったら,離れた空席に移動して喫ってくれていました.

よその店だと喫ってもない煙草の先をこちらに向けたまま,おしゃべりに興じる無神経な日本語人には結構でくわしますが,えらい違いです.

ちなみに,ネパール料理屋は,たいがい,若者(男性に限る)が,がんがん喫いまくっています.

男は吸うのが正義とでも言わんばかりの一昔前の日本の感じを未だ保っています.

煙草と言えば,マドラスに住んでいた頃.

ティルヴァンミュールまで行かず,ちょっと手前で左に折れて,しばらくいったところ.

バスを降りると,ちょうど,チャイ屋(コーヒー屋)の店先.

みなさん,タバコを一本単位で購入,そこに結わえられた縄でタバコに火をつけています.

だいたい,何人か,汗腺から濃厚な芳香を発した男ども(Gandhavanta.h)がたむろって,無心に喫っています.

はたして彼らの五官の刺激は,ダルマキールティよろしく,同時に起こっているのでしょうか?

ああいう日常風景があると,タバコも自然と定着するのでしょう.

バスを降りる行為と喫煙のanvaya.

喫煙者性をプラティヨーギンとする絶対無の基体である私はもちろん,コーヒー(コピ)のみを注文.

熱い中,ガラスからすする瞬間はプチ至福.

そして,三上さんは,お約束のように,「南インドはチャイがまずいからな」と,ぶーたれるのでした.

たしかに,その通り.

郷に入っては郷に従えで,おとなしくコーヒーを頼んだ方が,ほとんどの場合,正解です.bhuuyodar"sanaに基づきます.

さて,肖記の店内,かつては寿司屋だったのでしょうか,ネタケースが鎮座するカウンター席.

和の内装.

妙に落ち着きます.
  1. 2019/05/05(日) 08:03:39|
  2. 未分類

マイティガル



テーブルの柿渋の色がなんとも落ち着く店内.

ダルバートセット.

カレーの選択は,マトンほうれん草.

ほぐし具合がなんともいえず食欲をそそります.

よくかかっているボブではなく,なにか変な(かなり音の外れた)日本語フォークが流れているなと思ったら,天神郵便局前でよく歌っている方のCDでした.

これかけますか.

マイティガル,まったり空間ですが,ものすごい角度から攻めてきます.

ちなみに,よくかかっているフォークのボブですが,わたしもマイティガルでしか聞いたことがありません.

当然,知っている人も,私の周辺ではいません.

ひとりだけ例外が.

マイティガルでの新歓の時.

2年生の進学を祝う会.

店内に,ボブの曲が.

その2年生曰く,「お父さんが好きでよく聞いてました」とのこと.

ボブを幼少から聞いているという人に初めて会いました.

マイティガルを最初から知っていた学生も初めてでした.

普通は,店にたどり着くのですら,初回だと迷うものですが.(二回目でも十分,迷いますが.)
  1. 2019/05/05(日) 08:01:04|
  2. 未分類

箱キャン















かつて,ここらへんは,かなり土壌の良い畑だったそうで,箱崎地区は,野菜の供給地だったとのこと.

そんな農民の反対を押し切って,校舎を建てて,存続と帰滅.

いまは,理系の下は,毒にまで汚染されています.

ちょうど豊洲の毒で大騒ぎだった時期です.

ハラーハラを呑み込むシヴァを持たぬ非ヒンドゥー教徒の我々は、大金かけて毒処理するしかありませぬ.

なんでもそうですが,結局,最後には,誰かが尻を拭かないといけません.

環境にせよ,社会にせよ,そんなものでしょう.

移民問題も,安い労働力といっていますが,教育などの周辺コストを考えると,それは一面でしかありません.

ジャイナ教徒ではありませんが,あれこれと多面的に考える必要があります.

言葉を介した概念知は事物の一面(他者の排除を通した側面)しか捉えないとはディグナーガの言.

知覚が捉えるのも,直接的な視覚情報のみだったりで,あくまでも事物の一面にすぎません.

総合的に考えるには,マナスで統合する必要があります.

いずれにしても,概念知なので,最終的には世俗ですが.

存在するすべてをあるがままに一瞬でとらえる(ことができる)のは,一切智者のみだそうです.

というわけで,世俗の凡人としては,せいぜい,トライアンドエラーそしてカイゼンくらいしかないでしょう.

ジャヤンタいわく,大金のかかるヴェーダ儀礼はいざしらず,世俗の事項に関しては,それでよいとのことです.
  1. 2019/05/04(土) 22:05:12|
  2. 未分類

連休の二面性

英語の論文一本書こうとすると,10連休もすぐに潰れます.

たいして大きくない普通の論考ですが,英語となると,日本語とは勝手が違うので,どうしても時間が取られます.

天気も後半はよいのですが,部屋にいるので,あまり関係がありません.

そういえば,むかし,まだ大学一年の頃,M添Y一先生の授業を取っていました.

大教室がいっぱいだったのを覚えています.

もちろん,単位欲しさに,彼の本も購入.

頁を開くと冒頭か最後に,「連休に一気に書き上げた」という旨のくだりがあったように記憶しています.

なるほど,学者というのは,こういうものを休みの日に一気に書くのかと思ったものでした.

彼の本は,大教室にいっぱいの学生全員が購入するでしょうから大量に売れたでしょう.

かたや,わたしの英語論文は,ボランティアのようなものです.

はたして読み手も何人いるのやら.

ただし今回は,仏教関連なので,ミーマーンサー関連より読者は遥かに多いでしょう.

ともあれ,3月まで何もやってなかったので,研究者としては,この連休があって助かりました.

しかし,教育者としては,4月に数回やって連休,そして連休明けに振り出しから,のような感覚ですから,講義・ゼミのテンションをあげていくのが面倒です.

途中までした議論も,思い出すのに苦労します.

連休,教育上は,障害でしかありません.

いっぽう,研究上は大いに助かります.

英語論文を書こうとすると,やはり,まとまった時間が連続してないと,細切れではなかなか厳しいものがあります.

しかし,まとまった時間が長すぎても,だれてしまいます.

「授業で忙しい」「ちょうど連休があって助かった」ぐらいが,論文を書くには,ちょうどです.
  1. 2019/05/04(土) 11:40:26|
  2. 未分類

received: 北田信:「デカンの美食と聖婚 」

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/240738/1/I.A.S_012_222.pdf


奇才の後輩から送られてきた論文.

前回送っていただいたのはネワール語関係だった記憶がありますが,今回は,ウルドゥー語関係.

カヴァーする語学のあまりの広さに,こちらは目がくらみます.

で,中身.

ウルドゥー語の詩の訳など,なかなか和訳で目にする機会がありませんから貴重です.

さすがインド人の詩,メタファーに満ち満ちています.

あれをこれでたとえるとは,さすが,インドならではです.


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<原典翻訳>デカンの美食と聖婚 --ダカニー・ウルドゥー語の詩人ヌスラティー--

北田 信

イスラーム世界研究
Kyoto Bulletin of Islamic Area Studies (2019),
12: 222-251
2019-03-25
https://doi.org/10.14989/240738
  1. 2019/05/04(土) 11:22:08|
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