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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

就任講義

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  1. 2019/05/31(金) 19:42:04|
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いとうめ









  1. 2019/05/30(木) 21:40:48|
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辛島先生のスタンフォード講演

youtube動画

サンスクリットでいくら考えても混乱するばかりの漢訳語も辛島先生の手にかかるとこの通りすっきり。

Maayaaは、固有名ではなく単なる一般名詞のmaataaと同じとは、、、

娘にMayaとつけたら原義は「母」ということになります。

はたまた、ややこしいことこの上なさそうな、観世音、観世自在、光世音。

avalokitasmara。

また、盂蘭盆がodanaの「お粥の器」でしかないとなると、お盆の説教ネタも、簡潔になりすぎて、今後は、わざわざ人に話すような定番ネタにはならないことでしょう。

訳わからない方がありがたがられる、というのはよく見られる現象です(^。^)

ullambanaの倒錯とでもいえばいいでしょうか。

お寺の「てら」も、chattra刹で、瞬殺。

えらい仏教学者が先輩にいるのは誇りです。

私が学部にいた頃は、辛島さんは中国留学中。

E島先生他と一緒に北京の辛島さんを訪ねたのを思い出します。

ちなみに、中国の大先生の前でE島先生が我慢しきれず煙草をもくもく。

大先生がげほんげほんと咳き込んでしまいました。

2人の先生の狭間で、辛島さんもきっと内心ヒヤヒヤだったことでしょう。
  1. 2019/05/28(火) 20:54:07|
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BSH



住吉神社裏手バジェコセクワハウス。

ウーバーイーツもやっていて、結構、注文が入っていました。

モモとか運んでくれるなら、確かに助かります。
  1. 2019/05/28(火) 06:08:59|
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Vietnam Festival in Fukuoka



時間も正確,撤収も迅速.

7時前にはテントもすっかりきれいに片づけられていました.

そこらへんは南アジアのおおらかな時間とは違うようです.
  1. 2019/05/27(月) 19:55:37|
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マラドーサ of 106



「マラドーサ」とはなかなか珍しい.

印刷屋の頭の中は,おそらく,マラドーナとの連想が働いたのでしょう.

Malaだとすれば「垢ドーサ」となりますから,かなりのjugupsaaの惹起原因です.

Maraだとすれば「殺しのドーサ」となります.

あるいは,Maaraだと仏教的に「悪魔のドーサ」とでも解釈してよいでしょう.



後追いの油でしょうか,けっこう,ぱりぱりでした.

殺しのドーサとは,このことを意図していたのでしょうか.

これまでの経験からすると,鉄板があたたまるまでに時間がかかるであろう一枚目は,だいたい,こんな焼き具合になっている気がします.

改装のため,6月は,しばらくお休みの期間があるそうです.

Barスペースまで通常の客席にすれば,もうちょっと余裕ができるというプランでしょうか.

ベイサイド支店は6月にオープン.
  1. 2019/05/27(月) 19:52:47|
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逆瀬川剛史「花のごとく」





チャーリーこと逆瀬川剛史の東大寺コラボアルバム再リリース。

デザインはトミー。

CD購入ページ
  1. 2019/05/25(土) 22:32:37|
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ベトナムフェスティバル





ネパールフェスは、すでに回数を重ね、かなりの規模と組織になっています。

上位と下位のアソシエーションが各種出来上がっていますから、組織力には際立ったものがあります。

いっぽうのベトナムフェス。

今回が初回。

まだ手作り感の残る小規模なフェス。

会場には多くのベトナム人の若者たち。

上役のビジネスマンが目立たないのが、ネパールとの違いでしょうか。

最も行列ができていたのは、ガムランディの姉妹店のベトナム料理のアンディ。

バインミー500円には、長い行列。

朝からずっと途切れることなく、だそうです。

野外では、やはり、BBQの香りに勝るものは、なかなかありません。

フランスパンも、どこから仕入れているのでしょうか、相当美味しいものでした。

踊りを見るに、やはり、地方性という点で、ネパールフェスの豊かさには敵いそうもありません。

送金屋は、Kyodaiが一番いい場所を確保。

ベトナム語の幟を掲げていました。
  1. 2019/05/25(土) 22:18:30|
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はこざきあとつぎいち





















六本松しかり、三畏閣しかり、箱崎跡地の将来も、帰納的に蓋然性をもって推論できるというものですが、そのことを明言するのはきっと憚られるのでしょう。

頭のいい方々が、立派な意見をいろいろと出し合っているのでしょう。

10年もたてば、答えははっきりしてることでしょう。

何が建つのか。

結局、いまの世の中で売れる物が建つ、というのが正解でしょう。

病院は立派なのが近くにありますし、答えは自ずから明らかです。

ともあれ、博物館関係の純粋な研究の場が変わらず維持されるよう望むばかりです。

鉱物や化石を追い求めたり、昆虫を世界中に探し回ったり。(そういえば、九大昆虫関係で海外で捕まっている人の報道が最近ありました。)

そういえば、卒業生の父親でも、シベリアに地層を掘りに行く、という話を聞きました。別の大学ですが。

植物関係は、実学志向なのでしょうか、コメなどの有用な植物推しでした。

ネパールのコメ標本には、心惹かれるものがあります。

膨大な資料の保管をどうするのか。

後ろ向きのこのご時世ですから、未来はアンデーラーホーターヘー。





  1. 2019/05/25(土) 22:17:35|
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農法と涵養


不幸というべきか、私自身の専門分野経験からは,大学で,体系的な教えを受けたことはわずかかもしれない.

唯一,非常勤の先生によるヒンディー語だけは,きわめて体系的なプログラムになっていた.

外大で何年も教育を積んだ先生方である,当然,最も効率のよい教育のシステムができあがっているし,長年の経験があるので,教育者としてすぐれたものがあるのは当然である.

初級・中級・上級と,階段を順に登っていくことができた.

ありがたいことである.

ひるがえって,サンスクリットは実に乱暴な教育であった(と言わざるを得ない).

文法の初級がさっさとおわると,あとは,習うより慣れろの研究者の世界である.

サンスクリットの場合,そもそも書かれている文献が,専門家が専門家に向けて書いたものが多いので,それは致し方ないという側面があるのは否めない.

それぞれの専門分野で慣れるしかないのが実情であるし,それが,実際には最短である.(いつまで文法をやっていても,また,チーチーぱっぱの易しい撰文でいくら練習しても,本物と対決したときには全く歯が立たないからである.)

よほどの覚悟がないと続けられない言語である.

私の場合,卒業論文がないのは幸いであった.

ひとまず,特別演習と称して,アビダルマ,ヴェーダーンタ,ギーターと,1500mほどの三つの山で自主訓練ができる.

その後,修士論文.

こちらは,いきなり,3776mの山を「はい、のぼれ」と言われるようなものである.

何をどうしたらよいのか,さっぱり分からなかったが,とりあえず,見よう見まねで,あれこれと自分で参考になる先行研究を探してくるという作業から始まる.

装備の準備からはじめて,全部,自分でいちからやっていた.

ミーマーンサーの先達などまわりにいないのだから仕方ない.

親切なガイドなしの単独登頂が最初から強制される.

そのために必要なサンスクリットの語学力は,ヒンディー語訳を通して身につけるしかなかった.

親切なマップが日本語ではないのだから他にやり様はない.

いわば,グーグルやグーグルマップで登頂に必要な情報を集めるのとおなじである.

自力自修.

大学から見れば,放任放牧.

当然,修論は2年で終わるわけもなく,研究室では,3年かかるのが当然視されていた.

何が幸いするか分からないが,ともあれ,自分で全部最初から自力でやる,という地力がついたのは確かである.

ひとの世話にならずに自分で研究を進めることのできる能力が「自立した研究者」の一つの条件であるとすれば,その構えだけは,博士に入るころにはできあがっていた.(もちろん,論文自体は,隙だらけだっただろうが.)

留学も,交換留学制度などではなく,自分でティルパティまで行って学長と対面して,直接に許可を貰ってくることになった.

途中で学長がかわったので,結局,留学前に二回,向こうまで行って話をすることになる.

昨今の制度の整った交換留学の話を聞くと,うらやましい限りである.

放任・放牧.

種をまいて,あとは,天水に任せるという農法である.

わたしだけでなく,わたしの後輩も,自力救済能力だけは長けている様子である.

自分でなんとかするしかないのだから,仕方ない.

おかげで,その後も,海外に行って高度を上げていくことに,さほど困難を感じなかった.

英語や写本の扱いに関しては,海外の先達にお世話になった.

山で出会った先輩登山者とでもいえばいいだろうか.

かれらと一緒に登る中で,英独風の研究の仕方についても身に着けていった.

知識・能力・態度という三つでいえば,自力の作業で身に着けたのは,自学自習の無限の学習ループの態度になるだろうか.

カイゼンによる学修回路のループである.

先に進む人達の背中を見ながら,必死についていった,という感じである.(幸い,彼らは,親切にも歩調をあわせてゆっくり進んでくれる教育者でもあった.)

研究室にある程度の人数がいるというのは,その意味で,非常に重要なことである.

先達のいない状況というのは,かなりの困難を生じる.

模範となるモデルがいることほど楽なことはない.

遠い先生よりも身近な先輩にモデルがいることのほうが,学ぶところが多いのは当然である.

助手がいない昨今の研究室状況というのは,その意味でも,ある種の教育上の困難を容易に生み出す環境と言えよう.

モデルとなる先輩が常にいる環境をなんとか保っていくことが一層大事になっている.

わたし自身は,自分の経験を(変な言い方になるが)「他山の石」として,天水農法などではなく,しっかりと育てる灌漑農業で進めている(つもりである).

どっちがいいのかは,時がたたないとわからないから,こればっかりは何がいいとはいえない.

すくなくとも,「ちゃんとやってます」くらいの言い訳にはなるだろう.

教員といえども,一緒に耕す中で,自分が学ぶ機会をみすみす失うことのないよう気を付けたいものである.
  1. 2019/05/25(土) 21:46:31|
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しゃんしゃん

諸々の書類仕事を終えて研究室に行くと、ウラディーミルの家の片付けを終えた学生連中がちょうど帰って来たところ。

皆で夕ご飯に行くことに。

ちょうど近くに香香伊都店がオープンしたところ。

電話予約。092 707 6988。

オープン初日で電話番号がネットのどこにも出ていません。

別件で車で先に出るSが直接に店の看板を撮影、Hに転送、Hが電話予約。

日本人なら誰でも親しめる感じの中華でした。

箱崎の李餃子のようなディープ中華とは真逆の方向性です。

にしても、初日から大繁盛。

駐車場は満杯。

ちかくに第二駐車場もあります。

裏地の飛行機は日曜だそうですが、大きいチャリも、飛行機で持って行くのだそうです。


食べていると消防車が4台九大の方へ走っていきます。

九大新町で火事の様子。

そういえば、昼に同僚の先生から、地元の消防団活動についてあれこれと興味深い話を伺ったところでした。

彼もきっと駆けつけたことでしょう。
  1. 2019/05/25(土) 10:42:40|
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ウパーディヤーヤ

アレックスもカンボジアで話題にしていたオショーことラジニーシのすこし長いシリーズもの.

出てくる登場人物のキャラの濃さ.

若者の能力というのが,まったく無限なのには驚かされます.

むかう方向が誤っただけとでもいうべきなのでしょうか.

破壊力という点で,やはり,若者の勢いというのには止められないものがあります.

需要と供給.

その時代時代の人々(若者)の求めるものに応じて,それに答える「聖者」というものが出てくるのは,きっと必然なのでしょう.

人々の要請にこたえる宗教者が,そこに,ビジネスチャンスを見出すのも,或る意味,当然でしょう.

聖者ビジネス.

ニッチと片付けるにはあまりにも大規模です.

時代や宗教や集団というものを考える時のひとつの材料として学ぶところの多いプログラムでした.

集団を容赦なくマネジメントする能力ある人というのは,慈悲も共感もないサイコパスという場合も,ひょっとすると,多いのかもしれません.

古の仏教僧団にも,権謀術数,出世欲に満ち満ちて他を追い落とす強烈キャラは,きっと,いたのでしょう.(日本では,昔も今も,よく見聞しますが.)

雑密のような欲望に満ち満ちた儀礼を各種用意できるくらいですから.

三毒にまみれてしまうのは,人間集団のある種の定めでしょうか.

単色の袈裟の背後に広がるカラフルな世界というのは,きっと,そういうものでしょう.

そういう目で文献を見直すと,楽しい世界が広がっています.

ヴィナヤには当然ヴィネーヤが存在するわけで,ヴィネーヤというのは,いまだヴィニータされてない人ということですから,道から外れているはずですから.

説法するにも欲は必要だろ,と喝破したのはクマーリラですが,そのような視点で見直すと,ラジニーシの説法は,何に基づいているのでしょうか.

ジャイミニは,それをhetudar"sanaac caと喝破しています.

老婆心ならぬlobha心.

日本にも,ラジニーシと似たモデルをとる団体は見られます.

修行方法,出版,などなど.

教義だけは,これほど自由なものは,日本ではあまり見られませんが.

ここは,やはり,個人主義というものの根付き具合の違いでしょうか.

「資料を通じた,我々自身も含めた人間のあり様を捉え直す自覚的な作業」などという高尚な言い方でいえば,そうやって見えてきた己自身の姿というのは,案外,三毒まみれなのかもしれません.

皮肉なことに,案外,見なかった方が幸せということもあるかもしれません.

安宿のシャワー室や場末食堂の調理場みたいなものです.

相対主義の建前と,反社会的カルトへの対処.

紀元後900年頃のジャヤンタがかつてカシミールの宗教大臣として苦慮した宗教政策と同じ問題がここでも繰り返されています.

人類の絶えざる課題の一つなのでしょう.

なにやっても原則自由だからといって,本当に,なにやってもいいわけではない,ということです.

理念と現実の狭間.

非ヴェーダのシヴァ教・ヴィシュヌ教や,反ヴェーダの仏教・ジャイナ教までは許すが,反社会的なものは許さないというのがジャヤンタの結論です.

というか,彼が答えを出すまでもなく,社会というものは,反社会的集団を許さないというのは,当然の帰結です.

しかし,それを理念化しようとすると,実際には,かなりの困難を生じるということは,ジャヤンタが敢えて宗教騒動を戯曲化した動機でもあり,また,この番組でも明らかなことでした.

ジャヤンタの戯曲『聖典騒動』にも強烈キャラ(仏教僧の名はダルモッタラ!)があれこれと登場してましたが,してみると,このWild Wild Countryも,一種のドラマとして綺麗に成立していると見なしてもいいのでしょう.

作り物のような現実.

ジャヤンタの戯曲の登場人物も,実際には,実在モデルのほうがむしろもっと強烈だったのかもしれません.
  1. 2019/05/23(木) 19:18:59|
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ウラディーミル送別会



BDK奨学生のウラディーミル。

インドに行った斉藤さんと入れ替わりにうちに来たのが去年の6月。

早いもので一年になんなんとしています。

月末のハンブルク帰国前に親不孝で送別会。

先日は皆で呼子のイカにも行ってきたそうです。

が、さすがに、活き造りは無理だったとのこと。

今回はウラディーミルの希望で魚。

研究も計画通りに進みましたし、研究室の連中とも普通にコミュニケーションしていましたし、いい日本経験になった様子。

一安心です。

帰国直前にまだ一回、一緒に読まないといけませんが。

2020年の韓国にはくる予定だそうです。

博多織のネクタイ締めて発表してるロシア人がいるかもしれません。

写真の白いのはアナゴです。
  1. 2019/05/22(水) 07:27:31|
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註釈を書くとはどういうことか?

マドゥスーダナの眞鍋の発表を聞いていると,やはり,註釈を書くということの意味について考えさせられます.

もちろん,師匠の作品に書く,という素直な註釈もあるでしょう.

シャーンタラクシタにカマラシーラが書くというような場合について,特に,説明はいらないでしょう.

しかし,或る程度,権威の固まったものについて,それほど関係がないひとが註釈をあらわすということがあります.

あるいは,対抗して註釈をあらわすということがあります.

たとえば,ブラフマスートラにはいくつもの相対立する学派による註釈があります.

権威がすでに固まったBSを,各派が取り合う状況がそこにはあります.

聖典も同様.

バガヴァッドギーターにも,各派の註釈があります.

マドゥスーダナサラスヴァティーのバーガヴァタプラーナ注も同じように考えるべきでしょう.

つまり,権威の固まったものを自派に取り込むという椅子取りゲームのような競争意識がそこに働いています.

すでにある権威を取り込むという,まあ,どこにでも誰にでもある意識です.

「〇〇先生は...こう仰ってたものです」というのも,まあ,似た意識かもしれません.

関係が薄い人ほど、関係を声高に強調するものです。

シャンカラ派とクリシュナへのバクティ、もともと関係ないやん、と突っ込みたくなります。

ともあれ、バクティにラサ理論を絡めた議論は、詩論アランカーラや演劇理論ナーティヤシャーストラの背景を知らないと味読できません。

観衆サビヤと演じられている劇中人物アビネーヤの無区別云々などという議論が、熱烈な信仰を裏付ける護教の理論に出てくるとは、普通は想像だにしないでしょう。

衒学的な理屈を抜きに、熱烈な信仰だけでは、バクティ理論は語れません。

詩と詩論に見られるのと相似の円環運動が、宗教実践と教学の間にあると考えた方がいいでしょう。
  1. 2019/05/20(月) 09:51:35|
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研究会









合同の研究会。

南アジア学会九州支部、東大のtindas、それに、神戸の佐藤科研。

経済の発表3本。

日本の自動車産業のインドにおける適用と適合。

戦前の資料に見る株式会社数の変化。

和田さんは、南インド農村の資料に見るカースト毎の土地所有の変化とモデル。

その後、眞鍋がマドゥスーダナで発表。

懇親会は20名。

大所帯です。

福大からバスに乗り、少し離れた「わらじ屋」へ。

よく見ると、使用している米は、やべ商店からのもの。

場所も、やべ商店の近くでした。
  1. 2019/05/19(日) 08:20:38|
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flea market



高田さん。

豆、鶏、砂肝の三種盛り。

500円。
  1. 2019/05/18(土) 12:49:27|
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ISF















パニールドーピアーザ。
  1. 2019/05/17(金) 06:42:41|
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Nabi-san, Ito







伊都キャンパス下「ナビさん」のマトンビリヤニ800円。
  1. 2019/05/16(木) 19:42:19|
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Fukuoka Kashi







  1. 2019/05/16(木) 19:41:20|
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published: Kei Kataoka "Jayanta on Kumarila's View of Liberation"

https://academic.oup.com/jhs/advance-article/doi/10.1093/jhs/hiz002/5443428

Journal of Hindu Studies。

新しい雑誌。

編集者から連絡があり、前年後半に投稿したのが出たそうです。

編集者も親切で、査読待ちも含め、出るのはかなり早かったです。(博多から東に新幹線で3時間弱に位置する雑誌が数年越しになることを考えると、相当はやいです。)

査読2名のうちの1名のコメントは的確で助かりました。

自分のところの大学はこの雑誌を見られない気がしますが未確認。(伊都は遠い。)

いずれにしても、家からは、書いたはいいけど、自分でも見られないという、、、、

いつもながら、指標に載るようなこの手の国際メジャー「一流」雑誌は、そのやり口に、もやもやします。

現実にあれこれ文句言っても仕方ないので、あまり考えないようにしますが。

しかし、年々値上げしているので、図書館としては、数年後には、かなり諦めないといけないようです。

パッケージの解体がどうのこうの、という話でした。

いずれにせよ、日本の大学でこの手の高い雑誌のパッケージを買えるところは、ごくごく少数になるでしょう。

銀座のウィンドウショッピングみたいな感じでしょうか。

アブストラクトは見られるけど、本体は買えないから、それで終わり。

無料奉仕(というか英語プロ校閲で金かかってるのでむしろマイナス)で供出、しかし、書いた本人は高くて見られないという。

学術雑誌に大企業ビジネスを持ち込んだなれの果て。

ガーンディーの言うとおり、一人の強欲な人を満足させるのにリソースはいくらあっても足りません。

まさか、学術雑誌のオンライン料金に図書館がアップアップになるとは15年前には考えもしなかったでしょう。(雑誌買うよりも、オンライの方が安いからオンラインに移行しましたが、そのオンラインの料金は、年々値上げ。こっちが払えなくなるまでどんどん値上げ。沈んだ船室に下から水が溢れてくるイメージでしょうか。いつか溺れ死ぬのは必至。)

誰でもアクセスできる便利な世の中、というようなイメージだったのではないでしょうか。

実際には、金持ちだけがアクセスできる、という現実。

どこぞの国の医療と似た感じになるのでしょう。

ネットワークで安く手軽に誰でもがつながるはずが、結局、不便な関所を設けて儲けようとする人がでてくるので、結局、どんなシステムにしても、不便の具合は変わらないのかもしれません。

そういえば、Journal of Indian Philosophyの実物を見たのはいつになるでしょうか?

ずいぶん見てません。

ぱらぱらとみることのできた昔がなつかしいです。

いちおう、わたしも、編集査読委員会に入ってはいるのですが、、、

もうひとつのメジャー系のインドイラニアンも、今年に入って協力したような記憶がありますが、うちの大学は確か買えてないように思います。

どっちも編集長は知り合いなので、そのよしみで協力は喜んでしますけど、なんだかなあ、という感じです。



で、このJHS。

ほかのタイトルを見ると、眞鍋あたりのやってることはフィットしそうです。

わたしは、いまひとつ、ヒンドゥー教という感じでもないので、ジャヤンタの解脱論くらいならフィットしますが、ほかだと無理があるでしょう。

バクティやってる人は、出してみてもいいのではないでしょうか。

こういう雑誌に協力する是非はともかくとして。

ところで、ミーマーンサーは、この雑誌が考える「ヒンドゥー教」に入るのでしょうか?

いまひとつ、慣用的には、フィットしない気がします。

神学に絡めるとなんとかフィットする気がしますが。

サンスクリットの神学関係、というような理解で、ここでの「ヒンドゥー研究」は捉えるべきなのでしょう。

しかし、クマーリラがやるような、ごりごりの主宰神批判とかをやると、これまたスタイル的に違うような気もしますが。

ジャガンナートに異教徒が入れないという時の異教徒の範囲と似た議論になるでしょうか。

10の化身に仏陀も入ってますが、多分、仏教徒はつまみ出されるでしょう。
  1. 2019/05/14(火) 06:40:49|
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Tabisuru kuuneru



よしおさん、インド旅行でOshoの話も耳に挟んだらしく、しばしOsho談義。

Oshoといえば、話題のドキュメンタリーがあります。

アレックスに前回カンボジアであったとき、英語人同士は、その話でしばらく盛り上がっていました。

単に時代の問題で片付けるのではなく、若者が何に熱狂し感動するのかという観点からも、興味深い事象です。

特に、60年代、70年代のインド哲学プロパーの西洋人の場合、入り方としてはヒッピーからが多いので、その点からも知っておいて損はありません。

もう1つの重要な入り方はラテンギリシャの古典語からの延長というもの。

全く異なる2つの潮流が混ざるところに、実は、少し前の西洋の狭義のインド哲学プロパーのエートスがあります。

日本の場合は、全然違います。

まずは仏教。

それに、戦後の喪失感、虚無感。

日本の狭義のインド哲学、仏教論理学、ダルシャナプロパー(特にプラマーナ論)の根を考えるとき、宇井(1882年6月1日 - 1963年7月14日)から中村(1912年11月28日 - 1999年10月10日)につなげるよりも、宇井から梶山(1925年1月2日 - 2004年3月29日)や服部(1924年7月8日 - )への飛び火を考えたほうが、現代への連絡からは正解の気がします。(いまは、山口、長尾という、インド仏教の中観唯識の論書の系譜は措いておきましょう。また、フラウワルナー(December 28, 1898 – January 5, 1974)やトゥッチ(5 June 1894 – 5 April 1984)経由の逆輸入という観点も、年代差を考えると必要かもしれません。)

それは、辻から京大ヴェーダ学への飛び火とパラレルに捉えられる気がします。

すくなくとも現代のダルシャナ研究の若手に、中村の影響を見るのは無理があります。



とはいえ、このようなものは、隔世遺伝や飛び火や復興や見直しが常にありますから、次の世代に、木村(1881年8月11日-1930年5月16日)や中村の遺伝子が受け継がれる可能性のあることを否定するものではありません。

ともあれ、親切な入門書や指導があれば、後代への波及は広がります。

本邦のジャイナ研究(特にその論書)といえば、宇野淳の影響を考えねばなりません。

ニヤーヤも。

わたしも真っ先に、宇野先生のタルカサングラハで自習しました。

誰かさんの論◯◯滴注訳が全く役立たないのとはえらい違いです。

哲学思想は、原文をちゃんと理解してから訳しましょう。

あとは、難解な箇所を誤魔化さないこと。

逃げの一手で、自分が分からないところは放置というのを目にした時の落胆といったら。

昔の偉い先生の偉さの内実は、我々の分野では、残念ながら、そんなものです。

誠実な研究者は、その点、違います。

そして、誠実な取り組みのパッションこそ、遺伝の重要な契機となります。

そこを忘れては、教育や研究の意義はないでしょう。

古典インドの儀礼学なので全然分野は異なりますが、永ノ尾先生に修士から親しくシュラウタを習えたのは幸せでした。

誠実さと情熱と体力努力。

斯界の着実な発展ということを考える時、この3つは欠かせません。

敵は欺瞞と私利私欲と権力による搾取や楽したろう精神になるでしょう。

プラボーダチャンドローダヤのような寓話でも書けそうです。
  1. 2019/05/12(日) 08:50:51|
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中庸

なにごとも極端だと、うまくいかないものです。

シュミットハウゼン、一本目を読了。

印象的なのは、二点。

あまりに高い目標、実行不可能な基準を設けても、誰も従えないので意味がない、ということ。

これはその通りで、重要な視点です。

不殺生の場合、たいがい、意図的にかどうか、という但し書きがはいっています。

意図的でない不殺生まで罪としてしまうと、これは、誰も守れないものとなってしまうので、そもそも、不殺生というルールを設ける意味がなくなってしまい、倫理ルールの破たんが起こってしまいます。

ルールを決めるなら、多くの人が守れる水準で設定すべきである、ということ。

もうひとつは、人が納得できない論理を持ち出してきても仕方ないということ。

個体であれば、実際に苦しんでいる様子を目の当たりにできますから同情も湧くというものです。

そして、その慈悲を根っこに、モラル的にふるまうことが可能となります。

しかし、これが、個を超えた種や環境全体、さらには、ガイアということになると、説得力ある論理を展開するのには慎重でなければなりません。

とくに、「ガイアが涙を流している」などという論理を文字通りに主張するならば説得力を持たないということです。

みなが納得する理屈を提示する必要があるでしょう。

極端な理屈を持ち出されても、誰も納得しないでしょう。

個体への同情を基盤にしながら、その延長として全体としての環境ということを考えるのが、もっとも中庸な理屈でしょう。

また、全体の利益と個体の利益とが相反する場合には、当然、全体のために一部の個が犠牲にならざるをえないということも勘案しなければなりません。

しかし、だからといって、ガイアの苦しみを感じるなどという論理を持ち出してくるのは行き過ぎです。

実際的でなければ意味がない。

そのような視点は、文献の向こうにある書き手の意図や事情を探るのにも重要です。
  1. 2019/05/12(日) 08:45:00|
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backstage



久々に赤坂のバックステージ。

むかしジャズ研のTが哲学科にまだいたころ、彼がここによく出入りしていました。

「福岡城」終演後のセッションに彼が参加するのを見に行ったのを思い出します。




ところかわって留学中の話。

ウッズランドにはミールスをたまに食べに行ってましたが、同じ並びのサヴェーラホテルのレストランは、さすがに高いので、しょっちゅうは行けません。

まして、さらに高い5つ星のホテルとなると、敷居が高すぎます。

どうしても暑い日に、ACの効いた空間でビールに涼を求めるというので、三上さんと連れ立って行ったことがあります。

冷えたビール一本飲むだけで、相当しますから(といっても日本円にすれば大したことはなかったですが)、そう気安くはいけません。

一階のラウンジでは、3ピースのバンドが演奏中。

「日本人が来た」というので、日本にちなんだ曲を演奏してくれたのを覚えています。

そんなのより、もっと別なのが聞きたかったのですが、まあ、気持ちは嬉しいので、三上さんとニヤニヤ。

にしても、そのときに弾いていたベースが、共鳴箱に紐をはっただけ。

それで、立派にベースの音がしてました。

ギターも、どうみても、安っぽい、永遠にチューニングが合わなさそうなギターでしたが、二人とも、非常にうまかったのを覚えています。

箱ベースにギターが二本。

ジョンテイバーがマドラス滞在時に泊まっていたホテルも同じ。

呼んでくれて、一緒にそこのラウンジでビールを飲みました。

確実に冷えたビールが飲めるというのは、やはり嬉しいものです。

ある日のこと。

「きょうは飲むぞー」

と三上さんが朝から大張り切り。

夕方になって、いつも行く近くの酒屋に出かけていきました。

しばらくすると、

「ちきしょー」

と怒鳴りながら新聞紙に包んだカリヤーニーを抱えて帰ってきます。

どうしたのかと聞くと、日中停電のため冷蔵庫のどのビールも生ぬるだったとのこと。

一番ましなのを買ってきたそうですが、求める冷たさとは大違い。

朝からの夢が崩れたのでした。

街中停電では、お手上げです。

怒りのぶつけようもありません。




ヤギのような行為対象を苦しめるのは悪である(同様に自分も後々苦しむことになる)、と黄金律を持ち出してくる仏教徒に対してクマーリラは、では、酒という行為対象を苦しめていないので、酒を飲むという行為は悪ではなくなると揚げ足を取ります。

さて、ビールをののしる行為は悪なのでしょうか?

人間、動物、植物、無情物といった分類を考えた時、無情物にあたりちらすという行為は、客観的な悪さ(たとえば動物を殺すことで動物が苦しむ・木を切り倒すことで環境が損なわれるetc.)は何も生み出さないのでその観点からは決して悪とはいえないでしょうが、主体的・倫理的な意味では荒々しい行いですから、修道論的には苦果因ということになるでしょう。

あきらかに瞋恚は解脱から遠ざからせます。

あるいは、日中の熱さに散々苦しめられていますから、その分、無情物にあたりちらすことでやり返したので、穴埋め的にバランスが取れたというのが怒っている当人の主観的な見方かもしれません。




にしても、日中の暑さを耐え忍んだご褒美が、生ヌルのビールとは、さんざんです。

ナマといえば、三上さん、しばらくプーナに行って帰ってきてからは、いかにプーナがすごいかをよく語っていました。

毎回、最初に言及するのが、「プーナはすごい。なにしろ生ビールが飲めるから」という論証式でした。
  1. 2019/05/12(日) 01:37:23|
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2019.5.18 Dr. Manabe's talk

九州地区のインド研究者が集まる南アジア学会九州支部の例会。

今回は神戸の佐藤さんとの共催で、経済中心。

かつてのメンバーの和田さんも金沢から参加。

石上先生の福大商学部にて、インド経済のトーク3本。

その後、学振PD眞鍋博士のアドヴァイタ。

組み合わせの妙。

何が起こるか楽しみです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー


日時:5月18日(土) (19日(日)も参加可能)
場所:福岡大学2号館(商学部棟)地階、会議室1
   〒814-0180 福岡市城南区七隈八丁目19-1

プログラム
5月18日(土) 13:30~17:50
13:30~13:35 開会のご挨拶
13:35~14:25 安保哲夫(東京大学名誉教授・神戸大学)"Japanese Hybrid Factories in Developing Regions: A Comparison with Other Factories Worldwide"

14:25~15:15 関戸一平(東京大学)「インドにおける20世紀初頭の株式会社の地理学-県別の分析-(仮)」
15:15~15:25 休憩
15:25~16:25 和田一哉(金沢大学)「インドにおける土地所有と家計厚生(仮)」
16:25~17:25 眞鍋智裕(日本学術振興会)「不二一元論学派におけるバーガヴァタ・プラーナ受容の一方法(仮)」
17:25~17:50 質疑応答

  1. 2019/05/11(土) 12:17:50|
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G





  1. 2019/05/09(木) 21:12:47|
  2. 未分類

Ito campus









  1. 2019/05/09(木) 20:22:30|
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Chana







  1. 2019/05/09(木) 20:21:58|
  2. 未分類

Nabi san











キャンパスへのバックストレート。

警察がよく張っていて、朝から急ぐ原付の速度違反を待ち構えています。

うちの学生もそれで、バイトで稼いだ金を吸い上げられていました。

罰金と遅刻の狭間。

その坂を下ること少々。

マンションの下に原付屋と、人気のうどん屋。

同じ並びにナビさん。

前回いなかった新人が厨房にいました。

どこの国の人でしょうか?
  1. 2019/05/09(木) 20:20:29|
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台湾スイーツなど





ようやく気温も上がってき、カレーリーフも元気な若葉を出すこの頃。

倉商店の愛玉で清涼な気分に。

割包まで置いています。

また台湾に行きたくなって来ました。

さて、台湾人もそうですが、なぜに皆さん、こうも中観が好きなのでしょうか。

その割に、テキストクリティークの進捗は亀の歩みです。

中論からして、まともなテキスト校訂は最近出たばかりですし、月称については、アンの独壇場。

たくさん研究者がいますが、足元を見ると、案外、ふらふらしかねない危なっかしい足取りかもしれません。

ともあれ、入中論も校訂中の昨今、亀の歩みながら着実に前進している様子です。

中観の原典研究は、まだまだこれから、とも言えるかもしれません。
  1. 2019/05/06(月) 21:25:09|
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पंचर





少し間が空きましたが、ナングロガル。

ホールのスシルさんの顔も久しぶりです。

ハウステンボスに行ったらしく、楽しかったか聞いたら反応がいまいちでした。

連休の人混みで何にも乗れず、たぶん、大して楽しくなかったのでしょう。

以前は、客のネパール人が、店の前に自転車を置いていましたが、それもないので、みな、どこに置いているのかをきいたところ、少し離れたところに置いているとのこと。

ちかくの公園は?

と聞くと、夜になると、変な人が出没するらしく、パンチャルさせられるそうです。

フラットタイヤ。

日本でそんなこともあるものか、と話半分に聞いていました。

終わって公園に止めておいた自分のチャリを見ると、本当に前後両輪パンチャル。

一時間のすばやい行動。

なるほど、スシルさんの言うがごとく、どうも常にここらへんにいるひとのようです。

まあ、大昔の唯識の大家にして名誉教授、その娘婿が人様の車のタイヤをパンチャルさせまくってニュースに載って名を汚す末法の世の中です。

人気もない福岡東区の夜の公園でパンチャルくらい起きても何の不思議もありません。

ちょうど運動不足だったので、1時間以上かけて歩いて帰り、いい運動になりました。

感謝感謝の毎日です。妙好人。

翌日、これまた久々に箱崎の自転車屋までチャリをわざわざ車で運び、さっさと直してもらいました。

1000円×2=2000円。

良心的価格です。

論文に赤を入れるのに忙しく、学生がいなくなって客が減ったかどうか、世間話するのを忘れていました。

ともあれ、こういった地元の商店が長く続くといいですが。


で、パンチャルといえば、ティルパティにいたころは、しょっちゅうパンチャル。

いや、毎日、パンチャル。

来る日も来る日もパンチャル。

おなじ宿のやつが、毎朝はやくから、忙しく仕事してくれていたのでした。

わたしは、ルピー持ちだったので、別に何もこまりませんでした。

借りているレンタルサイクル屋にもっていって、相当額を払って、別のにかえてもらうだけ。

しかし、向こうも根負けせず、さすがに面倒なので、レンタサイクル屋から泊まりで借りて宿に置くのをやめ、必要な時だけ店先から借りるようにしました。

パンチャル・パンチャルの毎日。プライスレス。

ちなみにそいつは、しょっちゅう早朝にティルパティからティルマラまで徒歩で山を登り、参拝していたようです。

すごい体力と信仰心です。

いくら悪業を積んでも帳消し間違いないでしょう。文字通りの悪人正機。


あるとき、部屋の電気の接続が悪くなったらしく、電球がつかずに往生したことがありました。

電球がないと日没後に本も読めません。

友達も集まってわいわいがやがや、あーでもないこーでもないとやっていると、

「電気修理してやるわ」
「ちょっと電気製品買いに行くからチャリ貸して」

という親切な若者が現れました。

宿の使用人の知り合いかと思って、電気製品代とチャリの鍵をわたしたら、いつまでたっても帰ってこず。

そのまま逃げ去られたことがありました。

さいわい、自転車は、ちかくに乗り捨ててあったのを、宿の使用人が見つけてきてくれました。(やはり、知り合いじゃないの?)

誰かの知り合いかと思っていたら、誰の知り合いでもなかったようです。

なぜか知りませんが、よくわからない人も宿には出入りしていました。

ともあれ、失ったのは若干額だけで済みました。

レンタルのチャリが盗まれなくてよかったです。


オックスフォードでは、夜、市街地の外に駐輪したまま一晩おいたままにしたことがありました。

翌日とりにいくと、駐輪場のフレームにチェーンで固定した自転車は、後輪のフレームがぼこぼこに破壊されていました。

修理不可能。

さすが、パブとフーリガンの国。

夜はアルコールパワーで元気いっぱいです。


ウィーンでは、中古のいいチャリを購入して一週間後、学内の駐輪場に置いておいたはずが、きれいさっぱり「知覚可能なものの非知覚」状態、それを証因として、非存在についての言語活動を行ったことがあります。

そういえば、買って3日目くらいに、信号前の停止線を越えたとかで、警察署から出てきた女性警官にとめられて、相当な額の罰金を取られたこともありました。

車なら分かりますが、まさか、自転車で罰金をとられるとは思いませんでした。

それ以来、ウィーンでチャリに乗るのは諦めました。

ちなみに、ウィーン人のBは、チャリが電車の溝にはまって転倒、大怪我していたことがあります。

チャリも命がけです。


フィラデルフィアでは、家のドアのところにくくりつけておいたチャリの、チェーンのかかってない後輪だけがクリスマスの日に盗まれていたことがあります。

まあ、誰かのクリスマスプレゼントに後輪がなったのなら、後輪も本望でしょう。

そのチャリはお気に入りだったので、すぐにタイヤを買い直して、次回からは室内に駐輪。

フィラデルフィア、私のいたころはすっかり治安もよくなって、白昼の発砲事件などすっかりもの珍しくなった頃でしたが、そうはいっても、夜間にものを頂戴するひとは存在したようです。

張本さんのいたころの一昔前の「フィリー治安あるある話」などを聞くと、まあ、後輪一本くらい、どうでもよくなってきますけど。


フィリーの治安を笑っていますが、福岡も負けてはいません。

エレベータで登ったマンションの自分の玄関前に止めておいた自転車。

自分の玄関前ですし、エレベータで上に登る人は住人くらいですから、当然、鍵などかけていません。

しかし、それが、そのままなくなっていたことがあります。

管理人に聞くと、「鍵かけてないとなくなりますよ、はっはっは」とのこと。

どうやら、めずらしくないようです。

どんなマンションなのでしょう。

警察にも盗難届を出して、数日後。

ちかくのスーパーに止めてあるのを自分で発見。

しばらく様子を見ていると、そこそこにやんちゃそうな若者がまたがろうとしてます。

「これ君の?」

と声をかけると何やら観念した様子。

彼の腕を捕まえたまま、警察に電話して待つこと15分ほど。

彼はパトカーに乗って署に。

わたしは徒歩で来てくださいとのこと。

パトカーに乗りたいような乗りたくないような。

ともあれ、派出所で事情聴取されている彼とは別室で、こちらも書類関係をあれこれ。

自転車を取り戻して一件落着。

ちゃんと盗難届を出しておいて良かったです。


教訓としては、持ち物が増えると心配の種も増えるということでしょうか。

結局、ジャイナの無所有が無敵です。
  1. 2019/05/06(月) 19:25:34|
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