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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

どちらを向いて教えるのか

大学の提携仕事でカルチャーセンターに派遣されたことが数回.

業務の一環なのかなんなのか微妙な仕事である.

土曜日.

毎回思うのは,「はたしてこれが社会貢献なのか」ということ.

大学生を教えることを主眼とする者が,一回りも二回りも上の方々に教えることの意義はなんなのか,と.

むしろ,こちらがお知恵を拝借したいくらいである.

講演よりも,座談会形式にして,対話の中から向こうの知恵も取り入れてお話を伺ったほうが,よっぽど有意義である.

わたしの知識にしても,私が上から習ったり,あるいは,私がこれまでの学習で身に付けたことは,大学人としては,今後の世代に伝えるべきものである.

それがaanulomyaというものである.

praatilomyaな流れには何か違和感を感じざるを得ない.

なかんずく,それが社会貢献,社会連携と銘打たれていることに疑問を持つ.

社会貢献とは何か.

これからの社会に役立つことであろう.

これからの社会は誰が担うのか.

若者であろう.

とすれば,我々が行うべきは大学生の教育(あるいは大学にこれからはいる人への影響力行使)ではないのか.

身近な人々である所属大学の大学生を忘れて「社会貢献」という抽象的なものを具体化した先の「社会」なるものが,カルチャーセンターにこられる,時間的・経済的に余裕のある先輩方だとしたら,それは,本末転倒ではないのか.

まずは身近な人々のことを気にかけるべきである.(家族をほったらかしにして,外の人のことばかり気に掛けるならば,それは本末転倒であろう.)

社会貢献というならば,まずは,うちの大学生向けの教育に全力を傾けることこそ社会貢献であるべきである.

なぜ,本来の業務が社会貢献でないのか,わたしには理解できない.

なぜ,社会連携の社会は大学の外でなければならないのか.

大学生を鍛えることこそが社会へと繋がっていくのではないのか.(影響力の及ぶ身近な周囲が我々が第一に関与すべき「社会」である.)

あるいは,内容を正しく伝えるべく,社会連携という標語を,大学外連携と言い換えるべきであろう.

しかし,大学の中で既にいそがしいのに,大学の外まで教育に責任を持てというのはどうか.(たとえば,小学校の先生の教育分野での社会連携とはいかなるものなのか.)

理系の人が行う「研究」連携なら分かる.

外の私企業との「研究」連携である.

こちらもあちらも利せられるところがあろう.

いっぽう,外との「教育」連携というのはあるのか.

理系の彼らがやるとしたら,間違いなく,高校生向けのわかりやすい講演だったりする.

つまり,未来志向である.

社会連携,つまり,大学外の私企業などとの連携を「教育」について行う場合と,「研究」について行う場合とを区別する必要があるということになる.

社会連携
=大学外の私企業などとの連携
1.研究
2.教育
3. それ以外

大学にメリットのあるのは1である.

これは,しかし,私のような分野にはあまり関係がない.

2の「学外」への教育は,小学校の先生が小学生の教育に一義的に責任があるだけなのと同様,大学の先生の責任範囲を超えている.

あるいは,業務の一環としてやるべきことではない.

やりたい人がやればいいことである.

大学が率先して謳うべきものではない.

行きたい人はカルチャーセンターの授業を喜んで受け持つだろうし,あるいは,街中の団体主催の講演会もするだろう.

それはあくまでも個人の領域である.

お休みの土日をどう使おうが,その人の勝手である.(そして文学部でも多くの人は個人的に既に様々なことを大学外でやっている.)

大学の社会連携というのは,そもそもが理系が私企業との研究連携を堂々と行うための言い換えであったはずである.(つまり,私企業との癒着と思われないための.)

それを文系にもっていったときに無理が生じているのかもしれない.(街おこしのための~学というのは、一昔前はなかったように思うが。)

大学人は社会の教育にも責任を持つべきというなら,それは,小学校の先生にもあてはまるのか?

生涯教育ということならば,それは,大学の中で引き受けるべき事柄である.

ともあれ,社会連携や社会貢献という取り繕った綺麗な言葉の乱れが気になるところである.

よくあるように,理系と文系とで状況が異なるにもかかわらず,向こうで定義される概念をこちらに持ってきたことで無理が生じている気がする.

ともあれ,時間的・経済的に余裕のある先輩方に教えることを「社会貢献」と言われても,わたしには実感が湧いてこないのである.(子供食堂にベンツで乗り付けてくる人にも食事を喜んで提供する度量が必要ということになろうか.)

正確に,私企業などを通した学外での生涯学習支援とでも呼んでほしい.

そして,土曜日に行われるそれは,本来,大学の業務ではなく,個人の領域に属すべきものである.

そして,それは,文系でも分野によっては既にミクロレベルで十分に行われているので,いまさらマクロレベルで謳うべきもの,強制すべきもの,ポイント化すべきものでもない気がする.

フォーマルセクターとインフォーマルセクターと呼ぶべきなのかどうか分からないが,インフォーマルな領域に属すものについては,数値化されていないだけで,すでにあれこれと存在するのである.

なんでも数値化してポイント化しようとすると,「こいつらはなにもやってない」ということになるが,見えないものというのはあるのである.

「あなたに見えてないからといって無いわけではない」と指摘したのはダルマキールティであった.

ともあれ,言いたいのは,我々にとっての真の社会貢献というのは,第一義的に,大学生という若人を教育することにある,ということである.

それは,小学校の先生が第一義的に小学生の教育に責任があるのと同様である.

いずれも知の受け渡しは上から下が自然であろう.

逆の場合はまた別の理屈が必要となる.

数学の得意な中学生が親に逆に数学を教えてあげるという場合の理由が特殊であるのと同様である.
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  1. 2019/08/22(木) 20:25:02|
  2. 未分類

Zaeka







5人でザエカ.

夜はあけてないことが多いので電話で予約,さらに,当日の昼も確認電話.

念には念を.


アリさんが厨房で忙しく働く調理中の2割の時間を5人で会話,

アリさん調理前後の8割はアリさんの独演会.

まずは注文前にしばし隣に座って座を温めてくれます.

調理終了後,配膳の後にもどっかと隣にすわって独演会本番.

マトンX2,チキンビリヤニX2,ナンX2,チーズナンX2,ダールX1,チャイX5で,お腹いっぱいに.

一人2000円切ってました.

御馳走様でした.


アリさん,番号非通知の電話は取らない主義.

あるとき,3回しつこくかかってきたので,怒って3回目に取ったそうです.

そしたら,「ビリヤニありますか」との注文電話.

非通知について説教.

アリさんに電話するときは気を付けましょう.


きょうのマトン肉は自分の家族用のスペシャルだったそうです.

チーズナンは,一個目は普通,二個目は「たくさん入れました」ということで,たっぷりチーズでした.

しかも,一個目は4カット,二個目は8カット.

ランダムなのか,二個目で喜ばす戦略なのか.
  1. 2019/08/22(木) 07:53:15|
  2. 未分類

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