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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

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日頃は水量の少ない遊水地もいっぱいに.
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  1. 2019/08/29(木) 19:16:47|
  2. 未分類

ダルシャナにおける写本研究

勝利の方程式とでも言うのでしょうか.

必勝パターンができあがって,それが成功しているのを見ると,他でも真似するようになるものです.

人間社会の学習・伝播というのは,そういうものでしょう.

福岡だと,ツ○パハ・ヌ○ラエリアのスリ○ンカ料理のパターンは,その後,九州中に広がって,福岡でもスリラ○カ料理というと,あのスタイルで一色になっています.

東京でいう○リーのカ○ミールと同じで,ご飯を辛いルーで食べるのには最適ですから,はまったひとは一定期間たつとまた来たくなります.

一種の中毒ということでしょう.

癖になる味.

支持されるものは,模倣によって,どんどん広がっていきます.

福岡でも飽和気味にあるこのスタイルのス○ランカ料理ですが,いまだ,退潮傾向は見られませんから,やはり,みんな,ご飯を食べるのに最適だと思って通うのでしょう.

カシ○ールが各地に伝播するのと同じです.

結局,日本人ですから,おいしくご飯をいただける何らかのXが必要ということでしょう.

最近の福岡の居酒屋では,炉端焼スタイルが流行れば,新規オープンはやたら炉端.

倶利伽羅紋紋をデザインしたような鯉口シャツまで模倣.

人類,太古の昔から火を囲んでBBQするのが大好きですから,人間の本性にあっているのでしょう.

かつての写真雑誌フォー○スのあとに続いたフラ○デーと同じで,二番煎じというか,柳の下のドジョウというか,まあ,模倣は楽です.

外食産業では,どの分野でも,模倣はおなじみです.

のれん分け,あるいはこじれた喧嘩別れというのも,広義には,まあ,模倣の一種に数えてもいいでしょう.

長浜方面のラーメンに見られるように.

で,いいたいのは,インド哲学における写本研究.

残念ながら,T大学部・修士では,写本に触れる機会はほとんどありませんでした.

M1の春だったでしょうか,南インド旅行をしたときに,ケーララ大学のキャンパスに行ったことがありましたが,その時に,お土産気分で,ちょっとコピーしてもらったくらいです.

たしか,Niititattvaavirbhaavaの紙写本を複写してもらったように覚えています.

全然つかってませんが.

シャバラ註となると,パームリーフですから,本格的に撮影依頼ということになるのでしょうが,そこまで本気でもなかったし,依頼の仕方もよく分からなかったので,その時は入手しませんでした.

写本調査というのは,先達がいないと,やり方がよくわからないものです.

とくに,図書館をたずねてどうするのか,というのは,教えてもらわないとよく分かりません.

まわりの先輩や先生で,インド写本をしている人がいなかったので,結局,マスター時代は,本気で取り組むにはいたりませんでした.(全国を見渡すと,その当時の九大のダルシャナだけが例外で,ミーマーンサーでは,針貝先生と大前さんが写本を扱っていました.)

というわけで,修士論文は,テクストは,既刊本のみを参照.

写本は使っていません.

写本というのは,最初のハードルが高いものです.

というわけで,教育的にいうならば,やはり,最初の呼び水で,教師が最初は与えるというのが一番楽な方法です.

残念ながら,T大の印哲にはその環境はありませんでした.

わたしが写本を本格的に収集し出したのは,インドでドミニクに会ってからです.

そもそも,サンスクリット文献の中でも「哲学したい」というのがインド哲学・ダルシャナを選ぶ人の動機でしょうから,写本のような文献学っぽいことというのは,特に哲学志向のひとは忌避する傾向にあります.

東大の諸先輩方を見ても,ダルシャナとなると,写本をあつかっているひとというのは,その当時では思い当たりません.

ひとり例外が.

前田先生です.

しかし,前田先生の弟子筋(つまり私がよく見知っている先生・先輩世代)に,写本を扱っているひとがいないのはどういうわけでしょうか.

そこらへんの経緯はよく知りません.

哲学者然とした,当時の助手の谷澤さんも,言葉にして言ったかどうかまでは覚えていませんが,「写本とかやってもしょーがねーよ」という,てやんでいの江戸っ子ぶりの態度でした.

文法学の場合は,そもそも,テクストがちゃんとしてますから,それほどでもないでしょうから不便を感じなかったのかもしれません.

しかし,実際には,谷澤さんの主対象であるVPに見られるように,とくに,svav.rttiともなると,写本まで遡らないと問題おおありなのですが.

まあ,マハーバーシャあたりだと,古の学者がちゃんとやってくれていますから,とくに,不便を感じることはないでしょう.

シッダーンタカウムディーやカーシカーなども,ちゃんとしてるでしょうし.

偉大な先達のおかげです.

ほかにも,ダルシャナだと先輩方はいらっしゃいますが,みなさん,哲学にせよ文献学にせよ,写本まで踏み込まないというのが共通したスタイルでした.

一時代前の日本のインド哲学において,写本研究の側面は,無視されてきました.

これは,単に,時代的制約・場所的制約・環境というべきか,とくにアクセスの問題がおおきいでしょう.

海外にいれば,そこの図書館にあったりしますから,とっかかりができます.

ペン大も,図書館に写本コレクションがあります.

わたしも,シャバラの写本の現物をペン大で見たことがあります.

オックスフォードにいたっては,ものすごいコレクションで,いまだ増え続けています.

ひとつ写本を入手すれば,そのあとは,いもづる式にあちこちにとりに行きたくなるものです.

それが,日本の場合は,最初の一歩がないものですから,どうしても,とっかかりの部分で気づきがありません.

そして,知らないとなると,凝り固まってしまうのが人間.

「そんなもん,みてもしゃーねーよ」と居直ってしまうのが普通でしょう.

しかし,写本と比べてみて,舞台裏を見ると,インドのいい加減なテクスト校訂の実情に,砂上の楼閣ぶりを実感することになります.

海岸近くのちっぽけな小汚い小屋レストランにあるキッチンの舞台裏を覗き見るようなものです.

見なけりゃよかった,というような感じです.

信用できません.


ひょんなことから,NM写本をやりはじめ,最初に校訂版を出したのが,2003年.

このNM写本研究は,うまくはまりました.

あれこれと有意義な訂正が.

NM写本研究の必勝方程式.

有意義なのは誰の目にも明らかです.

その後,NM写本は,アレッサンドロもやってますし,アレックスワトソンも今現在やっています.

日本でも趙さんが修論であつかってましたし,また,ハルのハンブルク弟子でも,扱っている人がいます.

あれこれと写本で直るとやる気も起きるというものです.


時代は変わり,いまでは,ダルシャナ周辺でも,普通にみな,写本を扱います.

九大関係でも,佐藤,須藤,眞鍋.

斉藤さんも,インドでいまや,ダイレクトにケーララ写本のカタログつくりに取り組んでいます.

写本ハンターの大前さんと一緒に回っていた広大の宇野さん,さらには,最近では,ラクナウにもいた川尻さん.

さらにはジャイナ図書館絡みでは松岡さん.

東大でも志田さんは,世界をまめに回っていました.

すっかり状況はかわっています.

プラマーナでいえば,かつての桂先生(京大・トロント・広大時代の桂先生)は写本とは無縁だったと思いますが,それがいまではPST写本にどっぷり.

時代の反映ということでしょうか.


須藤君からメールが来たと思ったらバングラからでした.

バングラ写本というと,横地さんのスカンダ関係で話を聞いたくらいです.

今後,ダルシャナをやるひとは,なんでもやらないといけないから大変です.
  1. 2019/08/29(木) 08:23:19|
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