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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

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  1. 2019/12/07(土) 05:56:11|
  2. 未分類

所縁とは何か?

ディグナーガは,ヴァスバンドゥに帰せられる『ヴァーダヴィディ』(論軌)における知覚定義について,PS 1.15において疑義を呈しています.

その中で,彼は,所縁の二つの可能性を問い,いずれだとしても,ヴァスバンドゥの知覚定義には問題があることを明示してみせます.

さて,知覚の構造というのは,

集積した一個一個X → 集積体Y → 認識

という構造になっています.

単純に書くと

原因→現れ→認識

というようなことになります.

問題は,以上がそれぞれ,存在レベルとしては,

実体有→世俗有→認識

となることです.

つまり,所縁をYとすれば,知覚の対象が世俗有ということになってしまい,これはまずい.

いっぽう,所縁をXとすることには問題があります.

というのも,このようなプロセスで生じる認識を世間では「Yの知覚」と言うのであって,「Xの知覚」とは呼ばないからです.

「色の認識」というときの「色」は,集積体としてのYであって,集積した一個一個のXではないからです.

従って,ヴァスバンドゥの知覚定義である「対象Xからの認識が[Xの]知覚である」という定義は,どちらに振れても問題があります.

まさに,ubhayata.hpaa"saa rajju.hというわけです.

ヴァスバンドゥも,ディグナーガの微細眼に突っ込まれては形無しです.

おかげで,「論軌は師のものではない」とまで言われています.

つまり,師ヴァスバンドゥがこんなおバカな知覚定義をするわけがない,というのです.

BをAに帰するときに,B自体(この場合は知覚定義)に問題があるので,A(作者ヴァスバンドゥ)に帰すること自体を否定するという,いわば,一種の「不成立因」(Aの上にBが成り立っていない)的な解決法です.

もっとも,ディグナーガは,それではまずいだろうとも思ったのか,もう一つの可能性として,ヴァスバンドゥ自身があとからまずいとおもって改訂版の知覚定義を『ヴァーダヴィダーナ』で出しているから,先行著作である『ヴァーダヴィディ』における知覚定義について,ヴァスバンドゥ自身が「あそこではポイントをミスった」と後から気が付いた,と解決しています.

つまり,Bそれ自体が改訂版B’に改められているので,Bについて,ヴァスバンドゥ自身が後からまずいと気が付いた,というのです.

ヴァスバンドゥも成長する,とディグナーガは認めているわけです.

人間だれしも若いときは未熟なもので,「成長」「変化」ということはあるわけです.

しかし,世親レベルの大物にたいして,後継者がこれを指摘することはなかなか大変です.

そういえば,福田さんがツォンカパの成長・変化・深化について自身の意見を慎重に提示されていましたが,そして,チベット人のお坊様学者は,このような見方を気に入らないだろうということも御自身で指摘していましたが,さもありなん.

祖師としてたてまつられてしまうと,成長・変化も認められなくなってしまうものです.

その点,ディグナーガは,祖師の成長・変化を認めるという点で,きわめて健全な見方を提示しているといえるでしょう.

わかっちゃいるけどいってはいけないこと,というのがありますが,そこを一歩踏み込んでいるわけです.

もっとも,ダルマキールティも,ディグナーガにたいしては擁護したような体裁はとりながら,実際は,辛らつな批判を暗にしています.

かれらの精神は健全ということです.

祖師に成長変化を認めること.

これは,『シュローカヴァールッティカ』と改訂版の『ブリハットティーカー』(散逸)を書いたクマーリラにも当てはまります.

親鸞や道元に成長変化を認めるかどうか,というのは,その伝統に属すひとにとっては,一種,勇気が試される事態でしょう.

部外者は,別に,はなから成長を認めて,「人間道元」などの視点で簡単に書けるでしょうけど.

そういえば,クリシュナとか,赤ん坊の時から超越した「神」ですし.

神学解決的には,彼が成長したかに見えるのは,きっと,我々に見える幻影にすぎないのでしょう.
  1. 2019/12/06(金) 08:10:15|
  2. 未分類

TS 1257cd--1258ab


兼子 2019: 92, n. 7:
viśeṣaṇaviśiṣṭārthagrahaṇaṃ na ca vidyate// (1257)
savikalpakabhāvasya sthiter ākṣe nibandhanam/

そして、直接知覚には、有分別性の確定に関して、限定者によって限定された対象を認識させる機会因はない。牛等は異類例である。



牛には特徴的な垂肉等があるので牛として立てられます.

逆に,白馬には,牛に特徴的な垂肉などがないので,牛として立てられることはありません.

いま,知覚には,限定要素に限定された対象を把握すること,という特徴――その認識を有分別のものとして立てる根拠――がありません.

したがって,知覚は有分別ではない,との意です.

まず,構文としては,viśeṣaṇaviśiṣṭārthagrahaṇaṃがnibandhanamと同格です.

したがって,「限定者によって限定された対象を認識させる機会因」ではなく,「限定要素によって限定された対象の把握という根拠」となります.

何の根拠かというと,有分別のものであること(有分別性)の定立の根拠,つまり,有分別として立てる根拠のことです.

したがって,「また,感官知には,有分別性の定立の根拠(有分別のものとして立てる根拠)である〈限定要素によって限定された対象を把握すること〉がない.」という感じになるでしょう.
  1. 2019/12/05(木) 08:20:56|
  2. 未分類

TS 1256


兼子 2019: 92, n. 7
yadi vā yasya bhāvasya yadrūpasthitikāraṇam/
na vidyate na tattvena sa vyavasthāpyate buddhaiḥ// (1256)

さらにもし、或る事物に或る色形を確定させる機会因がないならば、その〔事物〕はそのようには賢人によって確定されない。



「校訂はFunayama [1992]に従う」とあって,その校訂版にもbuddhaiḥとありますが,Bに従ってbudhaiḥとするべきでしょう.

ここでのrūpaは,色形ではないでしょう.tattvenaが「それとして」とあるように,ある様態,あり方を指しているはずです.

したがって, yadrūpasthitikāraṇamは,直訳すると,Yのあり方の立脚の原因,つまり,Yとして立てる根拠のことです.

牛を牛として立てる根拠とは喉の垂肉等です.

「あるいは,もしも,存在Xに,[それを]Yとして立てる根拠がないならば,XはYとして賢者達により立てられることはない.」という感じでしょうか.
  1. 2019/12/05(木) 08:04:17|
  2. 未分類

bhavakūpanipātinām

兼子直也「ジャイナ教徒の無分別知理解への仏教徒の回答――Tattvasaṃgraha第17章を中心として――」
『中央学術研究所紀要』48
pp. 89-110
2019


p. 91
Viśeṣāvayakābhāṣya > Viśeṣāvaśyakabhāṣya

p. 91, n. 3
bhavakūpanipāthinām > bhavakūpanipātinām
  1. 2019/12/05(木) 07:28:10|
  2. 未分類

Campā

Basham p. 223: Campā

和訳p. 229上:キャンパー



ただしくは,チャンパー.

『バシャムのインド百科』
A・L・バシャム著
日野紹運 金沢篤 水野善文 石上和敬 訳

和訳p. 517の「あとがき」に

「岩上」とあるのは「石上」の間違いでしょう.

あと,随所で,ヴリッジ/ヴリジと揺れてますが,原著にVṛjjisとあるとはいえ,どちらかに統一すべきでしょう.(パーリだとヴァッジでしょうけど.)

この手の大きい仕事は統一とチェックが大変です.

ともあれ,和訳があって大助かりなので,感謝しかありません.

なぜインド史のひとが和訳しなかったのかのほうが不思議です.(するとしても,山崎元一先生くらいだったかもしれませんが.)

すでに先行してこちらの企画が進んでいたからでしょうか?
  1. 2019/12/04(水) 07:31:42|
  2. 未分類

KIR



KIRにてミールス。

普通ミールスにはありえない添付のイドリーが嬉しい。

おばあちゃん監修のソフト具合がばっちり。

当然、まずは、サンバルでイドリーを堪能。

鍋底部からの濃厚ラッサムが、食欲を増進。

猫舌なので、冷めた具合が実はちょうどいい。

家庭的な味わい。

ケーララに行かずして、多々良で味わえるとは、そは何事か。



お腹いっぱいでしたが、サービスで、ミニビリヤニをいただきました。

ありがとうございます。

色比較からもわかるように、先日のビリヤニより濃い目でした。





よく見ると、パロタのスパイシーチキンがチリチキンに名称変更し、50円アップしてます。

スパイシーとチリーにいかなる差があるのか、考究の余地があります。
  1. 2019/12/01(日) 21:42:55|
  2. 未分類

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