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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

देवदत्तस्य गृहेभावदर्शनात् कल्प्यते किम्?







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  1. 2020/04/28(火) 22:12:14|
  2. 未分類

ジャヤンタの真理論



最近は,九大リポジトリの公開も早いですね.

以前はもうちょっとタイムラグがあった気がしますが.

ちなみに,この和訳は,2016bの校訂に対応する和訳です.

というわけで,4年、間があきましたが,とりあえず、宿題完了.(その間、錯誤論のほうを急いでいたので、サボっていたわけではありません。)

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2559277/pa001.pdf

<紀要論文>
ジャヤンタの真理論 : Nyāyamañjarī 和訳
作成者
作成者名 片岡, 啓
Kataoka, Kei
カタオカ, ケイ
所属機関
所属機関名 九州大学大学院人文科学研究院哲学部門 : 准教授
Department of Humanities, Faculty of Humanities, Kyushu University : Associate Professor
本文言語
日本語
出版者
九州大学大学院人文科学研究院
Faculty of Humanities, Kyushu University
発行日
2020-03-05
収録物名
哲學年報

79
開始ページ
1
終了ページ
75






その他の業績の一覧リストは,こちらに置いてます.

http://kaula.web.fc2.com/WorksJ.html

  1. 2020/04/24(金) 20:11:33|
  2. 未分類

Shikanoshima

  1. 2020/04/23(木) 21:40:14|
  2. 未分類

それぞれの事情



註釈者達も,著作(注釈)を著すにあたっては,それぞれの事情があるわけです.

先行する註釈に不満足である,あるいは,論敵に答えるためにアップデートが必要などなど.

原文から明らかに乖離した凝った注釈をしてくる註釈者がいますが,それも,さまざまな要請からきているわけです.

その事情を解きほぐす前に,「この註釈者は元の作者の哲学的な真意に沿う」「沿わない」などと哲学的に議論するのは不毛です.

それぞれの事情があるのですから.

AとBとがたまたま同じことを言っていても,その動機が全く違うことは多々あります.

これは,BがAの注釈家である場合でも同じです.

注釈Bを,Aの注釈としてだけでなく,Bの時代状況において捉え直すこと,そのような寄り添った視線が必要でしょう.

時代背景を無視してAとBの意見を哲学的に比較検討するだけでは,立体構造は見えてこないでしょう.

刑事裁判と同じで,動機の追及が重要です.

クマーリラ→ウンベーカ→スチャリタ→パールタサーラティ

というSV註釈伝統についても,このような心がけが必要でしょう.

どの註釈者が良い/悪いでは,重要なことが見えて来なくなってしまいます.

思想史のグルーブやうねりを捉えようとしない(お手軽な)研究態度については,重々用心すべきでしょう.

  1. 2020/04/21(火) 07:37:28|
  2. 未分類

南アジア学会修論・博論発表会プログラム



第15回(2019年度)南アジア学会修論・博論発表会プログラム(改訂版)

日時:2020年4月18日(土) 10:00~16:30
会場:Zoomによるオンラインミーティング(事前登録制)


10:00―10:10 開会の挨拶

<修士論文>
10:10―10:45 発表20分、質疑15分
中江 優花(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
「教育現場における『障害者』の包摂とその実践-インド・ケーララ州の特別支援学校を事例に-」

10:45―11:20 発表20分、質疑15分
大木 舞(京都大学大学院文学研究科)
「ヴィシュヌの化身の列挙的記述-その形成と発展」

11:20―11:35 休憩

11:35―12:10 発表20分、質疑15分
中東 聡子(関西大学大学院ガバナンス研究科)
「ブータン王国における宗教関連規定の現状―憲法及び宗教組織法を中心に-」

12:10―13:30 昼食

<博士論文>
13:30―14:20 発表30分、質疑応答20分
虫賀 幹華(イラーハーバード大学文学部古代史・文化・考古学学科)
“The Interaction between the Tradition of Texts and Modern Practice in Hinduism: Ancestor Worship in Gayā”

14:20―15:10 発表30分、質疑20分
中村 友香(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
「ネパールにおける近代医療と病いの経験―糖尿病患者の民族誌的研究を通して―」

15:10-15:30 休憩

15:30―16:20 発表30分、質疑20分
水澤 純人(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
「近代ムスリム市民社会の成立と『女性問題』―英領パンジャーブにおけるイスラーム擁護協会の事例から―」

16:20-16:30閉会の挨拶






同時に幾つかの会場があって,自分の好きなところを選択できる学会とは違って,ひとつの会場で様々なテーマが行われるようなこのような研究成果の発表・報告会の場合,自分の好きな時間にアクセス可能なオンライン参加のほうが,研究会の特性に合っているという印象.

今回は虫賀さんのもののみ視聴.

30数人が参加している様子でした.

写真資料なども共有できますし,喋っている人の表情も確認できるし,質疑応答も司会者がまとめて最初に質問者をつのって,それに一気に後から発表者が答える,というような形式だったので,なにも混乱なく,スムーズに進んだ気がします.

意志疎通のむずかしさということは何もなかったということ.

今後もこの研究会に関して言えば,このような形式で続けてもらった方がむしろ他地域在住者にとっては便利です.

これまで関西に限られていた発表者も,これなら別地域からでも可能となりますし,特に,悪い点は見つかりません.

もちろん,関西中心の会としてリージョナルな会員結束を強めるという意味では,役に立たなくなるでしょうけど.

南アジア学会としてやるのであれば,全国的に便利な今回のやり方で踏襲してもらえるとありがたいところです.

あるいは,誰か余裕があるならば,ちゃんぽん形式(集会+オンライン)で,ネットでも流してもらえると助かります.

ともあれ,なにも欠点・不満のないオンライン発表会でした.

  1. 2020/04/18(土) 09:37:19|
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写本がネットで



あちこち写本図書館をまわりましたが,ひどいところはひどい――シェーナ祭を挙行したくなるほど――ですが,逆に,とても親切なところもあります.

ぴかいち親切だったのが,ジャンムーのダルマトラストの写本図書館.

ラグナータテンプル附属の写本図書館です.

ちっちゃいところで,親切なパンディットが主にひとりで実質仕切っている感じでしたけど,トラストの許可をもらったあとは,さっさと出してくれて,あとは自由にやらせてくれました.

自分でコピー屋さんに持って行って,そのコピー屋さんが,コピーをとる,という次第.

トラストがよっぽどしっかりしているのでしょう.

で,そのトラストが,いまは,きれいな写真を全部ネットにもあげてくれています.

Internet Archiveからダウンロードまでできます.

NRMの写本をチェックしたくなったので,ネットで写本をチェックしたところ,このジャンムーの写本がでてきました.

しかし,お目当てのところは,エディションと同じ.

では,註釈のほうはどうか,と思ってチェックしてみると,ありました.

エディションとは違う読みが.

エディションのほうも,異読が脚注に記してあったりして揺れていたので,どうも怪しいとは思っていましたが,やはりそうでした.

思った通りの読みが,ひとまず注釈の写本には出てきたので,まあまあ解決.

ネットで写本チェックがさっさと済む時代になってよかったです.

いまや,ジャンムーといえども,簡単に行けないご時世ですから.

ちなみに,ジャンムーのホテルに到着後,そこらへんを散歩しようと思って,自分の持参した南京錠をかけて外に出たのですが,帰ってきたときに愕然.

自分の南京錠のかけ方が悪くて,誰でもすぐに鍵を開けられる状態でした.

中にはパスポートから金から,全部いれたポーチも置いたままでしたから,誰かに入られたら終わってました.

さいわい,なにもなかったですが,あれほど肝が冷えた時もありません.

ジャンムーで野垂れ死にを一瞬覚悟しました.

用心してポケットに500RSほどは予備があるので,どこかまでは出られるでしょうけど.

カギをかけるときは,念には念を入れないと.

  1. 2020/04/15(水) 19:41:38|
  2. 未分類

無情の意志



古典インド文献に登場する唯物論者のチャールヴァーカであれば、物質からアルコール分が生じるように、心を持たないもの(無情)が、あたかも精神性を持つかのようにふるまうことはあると認めることになります。

つまり、無情は無情のままで、あたかも、心(意志)を持つかのようにふるまってるようにみえることはありえますが、別に、本当に意志を持つわけではありません。

モノが悪さをする、モノが増殖しようとする、というような表現は比喩的表現として処理することでしょう。

心を持つかのように見えるAIのようなマシンと同じです。

しかし、このような議論は、インド古典では、最初に退けられます。

その上の段階で議論される際の大前提となるのは次のことです。

無情は一人で勝手に動くことはないので、有情を必要とする


という原則です。

さて、問題となるのは、この心が誰の心か、ということです。

ニヤーヤでは、主宰神を立てて、環境世界の一切を支配する有情を唯一絶対の主宰神とします。

絶対神ですから、すべてを統御・監督するのは当然です。

彼の意志で、無情な原子が集められて適宜、形を作られて、この世界が創造されたわけです。

このように、諸原子のブロックを動かす一人の有情が必要とするのがニヤーヤ的な創造主論。

いっぽう、創造主を認めない仏教・ミーマーンサーでは、この有情を、神ではなく、一人一人の人間とします。

有情が必要というなら、すでに手元にある我々一人一人をその有情とすれば解決可能なので、わざわざ、大仰な主宰神などを持ち出す必要はない、というわけです。

いわゆる共業という考えで説明がつく、というわけです。

この世界を作り上げたのも、実は、我々の行為の影響のなすところであって、唯一絶対の神など不要というわけです。

ミーマーンサーのクマーリラも同じ立場です。

細胞も持たないような無生物に意志があるかのような言説は比喩的でしかないでしょう。

実際に意志をもっているのは、その宿主となっている人間だということになると、これは、仏教・ミーマーンサー的な見方となります。

ニヤーヤやなべての神学であれば、責任ある主体は最終的には神ですから、これは、神の御業のひとつということになります。

しかし、神に責任を押し付けるのを回避する理論的方法もあります。

悪業消費のための悪い世界の故意のつくりだしというのがひとつ。

これは、シヴァ教神学でいうところのティローダーナ(抑圧)でしょう。(この場合も、直接に汚れた世界に手を突っ込むのは、ピュアなシヴァ神ではなく、彼に任命されたアナンタ以下の低級の精神的主体となります。)

あるいは、個人個人の悪業のせいであって、神は、それの業果の管理をしているだけだという見方。

これは、シヴァ教神学でいうところのニヤティ(定め)に相当するでしょう。

ニヤーヤでは、ひとりひとりの業も認めますから、おそらく、直接的責任は個人個人にあって、その業果の管理をしているだけ、という形で絶対神の直接的な責任を回避します。

シャンカラのアドヴァイタであれば、善悪ひっくるめてこの世の現象はすべて、あるかないか分からないようなマーヤー(幻力)のなすところで、現象は幻影にすぎず、本当は、ブラフマンがあるだけです。

仏教でも唯識無相派であれば、この世界は心の映し出す虚構にすぎません。

瑜伽行無相の上に立つ中観であれば、対象のみならず、心も、固定的な実体としては存在しません。


  1. 2020/04/13(月) 19:09:19|
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Jayalakshmi



マイラポールのサンスクリットカレッジから道を渡って少し行った住宅街の中にあったジャヤラクシュミー。

2002年11月27日。

ポンディからドミニクと志田君と一緒にアディヤールに写本を取りに行ったついでに寄ったときのもの。

このときは、写真からわかるように、すでにおじさんはなくなられて、娘さんが継いでいました。

熱心にあれこれとすすめてきて商売熱心でしたが、残念ながら、おじさんとはちがって、少し薦めるポイントがズレてました。(どうでもいい最新の英語本すすめられてもこまります。我々が必要とするのは何よりもプライマリーソースなので。エディションが中心。)

本屋は知識が問われるので難しい。

このときは、スピリチュアルに興味がある外国人でしょうか、それなりに人がいましたけど、結局、その後、店をたたんでしまいました。

やはり、ある程度道楽でもやっていくほどの覚悟のある趣味人じゃないと、なかなか、商売としてはこの手のものは続かないのでしょうか。

前に買いに行ったときは、小学六年生くらいの小さい子供が、リュックかかえて勢いよく階段を上って入ってきたかと思うと、おじさんに一言相談、タルカサングラハの薄い版を買って行ってました。

なにかの教科書なのでしょう。

この時期に暗記させたら、すぐに全文暗記するでしょう。

ベナレスのチョーカンバだと、エクスポートのライセンスがどうのこうのと、結局、海外に直接おくってくれなかったり、仕方ないので、モティラルで別のとあわせて送ってもらったりと結構面倒なのですが、こちらは、良心チャージですぐに処理してくれるので、安心して任せられます。

ポンディだと、さすが外国人が多いので、パッケージングして送ってくれる代行業者があるので、金払うだけで、手間が省けて楽です。

留学から帰国のときも、その業者を通して一括郵送。
  1. 2020/04/13(月) 07:32:03|
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チャーリー



チャーリーこと逆瀬川剛史。(←印哲の卒業生です。)

初期のライブ。

照和のは、2008年10月11日。

赤坂の森さんの店のは、2009年1月29日。

後者は城さん主催の3人によるライブ。
  1. 2020/04/12(日) 13:39:31|
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ポカラキッチン(2009年8月6日)



赤坂サニー下のポラポラ。

ポラポラが入る前、その場所にあったのが、ラマさん経営のネパール料理ポカラキッチン。

もうひとつ、薬院にエベレストキッチンもありましたが、このときは、すでに、そちらは閉めていたのでしょう。

研究室で行ったときの写真。

参加者は、Sくら、Tださん、Iとうさん、Iまき、Iしださん。

ツァラゲンが食べられなくなったのは実に残念です。
  1. 2020/04/12(日) 13:23:13|
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ハル京大(2003年5月24日)


2003年の5月。
京大の赤松・横地時代。
ハルが客員教授か学振かで呼ばれた時のこと。
ちょうど、御牧先生のほうでは、クラッサーも呼んでいて、めずらしくハルとクラッサーが同一の場所にいます。
このときの研究会では、『アーガマ・ダンバラ』でも読んでいたのでしょうか?
京大からは、赤松・横地・苫米地・志賀・白石・加納ほか。
名古屋の服部さんの姿も見えます。

加納さんが持ってきた写本の写真をチェックするハルと苫米地さん。
加納さん、写本研究の姿勢は大昔から一貫しています。
研究会後の飲み会の一場面。
  1. 2020/04/12(日) 11:10:24|
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拡大プラ研(2003年3月29日)



ダルマキールティ・仏教論理学研究といえば、京大の梶山・服部→広島の桂→学芸の稲見という流れが日本においては重要です。

というのも、稲見さんが、関東に移ってからというもの、熱心に自主的な研究会を主催されていることで、その伝統が続いているからです。

京都は逆に、ほとんどその伝統は消えかかっています。

わずかに京大出身の志賀さん(京産)が継いでいるくらいでしょうか。(漢文世界で大活躍の船山先生もいらっしゃいますが、最近は、仏教論理学関係ではご無沙汰の感じです。)

2003年の拡大プラ研。

参加者は以下。

学芸:いなみ
東大:イッシー、おおのだ、かたおか、ふじい
筑波:さかい
広大:えざき、かわじり、わたなべ、こばやし
早稲田:のたけ、はやし

イッシー、さかいは、この後、ウィーン留学、あちらで博論を書くことになります。

護山さんの姿がないので、このとき既にウィーン留学中ということでしょう。

遠くはるばる東広島からやってくる広大組が、毎回、ネットカフェに寝泊まりしていたのを覚えています。

教育・仕事・その他で忙しい中でこうして研究会を持続するというのは、なかなか真似できることではありません。

桂先生もいまだ龍谷で研究会を継続されていますが、その伝統が関東に飛び火したのは、私にとってはラッキーなことでした。

こういう研究会の主催というのは、人格的な側面にも左右されるので、そうそう真似できるものでもありません。(人が自然に寄ってくる人ということ。)

そういう意味では、やはり、お寺さんが小さいころから、誰でも受け入れる身体技法を身に付けているというのは、長所といえるでしょう。
  1. 2020/04/12(日) 10:44:02|
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ティルパティ



96.2.2とあります。

95.10.1に留学開始。

空港からタクシーを飛ばしてティルパティに直行。

明け方に門番を起こしてドアを開けてもらったのを覚えています。

それから、ポンディに移るまでの5カ月間、ティルパティに滞在。

留学前の春に旅行した時、学長から必要書類を受け取るため大学構内をうろうろしていたときに声をかけてくれたのがアジャエ。

彼の紹介で、彼が住みこんでいたオリッサ系のヴァイシュナヴ・マトに私も泊めてもらうことに。

結局、五か月間、寝泊まりから、昼飯も夜飯も、無料でお世話になりました。(わたしが来たころにはアジャエはプーナに移動していたのですが。)

学生に寛容なこういう環境があって、本当に助かりました。

まったく見知らぬ土地で、自分で外に宿を見つけるとなると、大変ですから。(得体も知れない外国人の学生に貸す大家もいないでしょうし。)

ヴァイシュナヴ・マトですから、いちおう寺院付き。

といっても、主収入は、ホテルというか民宿経営。

つまり、ティルマラ参詣にきた信者さんの講のようなところ。

ボンベイあたりのマルワーリーの商売人が、泊まりがてら、ごそっと寄付を置いていくという仕組み。

すぐちかくには、ティルパティ市内にそびえたつゴープラムを持つゴーヴィンダラージャ寺院。

このお祭りも、ゴーヴィンダラージャ寺院の本尊がヤートラーするときのものでしょう。

ここのマトも立ち寄りコースのひとつになっているようです。

そのあと、ここのマトの前のため池で、御舟というか台座の浮きに載せて、ぐるぐると池の中を一周。

大観衆が熱狂というわけです。

ど真ん中の髭面の若者が、ここのマトのオーナー。

スワーミーです。

しかし、彼はまだ若かったので、若くしてなくなった彼の父にかわって、その弟のスワーミーが全てを取り仕切っていました。

うちのマトはワダガライ派。猿説のほうです。

手前には、テンガライ(いわゆる猫説の方)のマークをしたランガナータンの姿が見えます。

うちの大学、というか、サンスクリット・カレッジですけど、大学としてはもちろん、たいして優秀でもないので、UGCの全国規模の大学奨学金を通る学生も滅多にいないのですが、彼は、それを貰っていた優秀学生でした。

さすが、伝統家系はちがいます。

タターチャーリヤ先生とは縁戚関係のようでした。

うちの大学、優秀な人は大概、このテンガライ系の人。

講師のデーヴァナータンも同じ。

みなさん、親戚か何か、全部つながっているようすでした。
  1. 2020/04/11(土) 13:47:04|
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中国訪問



ずいぶんと前になります。

まだ学部の3年だったか、4年だったか。

おそらく1990-91年頃でしょう。

江島先生(故人)を団長に、辛島さん(故人)、渡辺章吾さん、計良さん、久間さん、片岡。

田中公明さんもいたはずです。

写真を撮っているのは、おそらく蓑輪さんでしょう。

中国の図書館にMHKの写本を見に行くためにいって、結局、できたのは、その場で1時間ほど見ただけ。

おわり。

現地では、留学中の辛島さんと岩城さんが案内してくださいました。

残り一週間は、しかたないので、西安に観光旅行にいったり、万里の長城をみにいったり。

学部生で、写本のありがたみなど知る由もない当時のわたしとしては、退屈な写本見学がすっかり失敗に終わって、あとは観光するしかないとなって、嬉しい限りでした。

毎晩毎晩、「バー江島、開店しました」などといって、ホテルの内線電話をかけてくる江島先生。

つきあわされる上の学年の人は大変そうでした。

わたしはまだ学部生で付き合いが薄かったので、全然呼ばれもしませんでしたけど。

一歳上の久間さんと主につるんでいたときです。
  1. 2020/04/11(土) 12:20:30|
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ポーランド



2001年6月でしょう。

バルセロあたりが中心になって、ポーランドで学会。

ユクティとアーガマ。

マレクメイヨールとモニカの姿も見えます。

日本人は、桂先生、狩野先生、岩田先生、丸井先生に私。(このとき、ワルシャワで、桂・岩田・シデリッツ・片岡で、高級レストランで桂先生にごちそうになりました。シデリッツが高級ワインを頼んだせいで、どえらい金額になってたのを後からクレジットカードの請求で気が付いたそうです。)

ウィーン周辺からは、エーリ、ホルスト、ビルギット、ヘルムート(故人)、プレッツ、クリスティーナ、シュタインケルナー、エトケ(故人)。

ひとつ頭でているのが背の高いギロン。

ど真ん中が、まだ国際デヴューしたてのパリマル。

右の方に、いまはすっかりダルマキールティ業界から退いたダンの姿も。

このときは、たしか、博論を出したけど、出版はまだ、という状態のとき。

ブラックベリーの出たばかりの端末にPSVSの原文をいれて、あれこれ引用しまくりながら、歩きで、さらに、カフェで人と議論していたのを目撃したのを覚えています。

えらい元気な人でした。

インド人は家族5人。どう見ても、遊びに来てます。

成果はJIPにまとめて出ています。

わたしのも、新規情報供与性について書いたのがそれだと思います。

クラッサーと連絡とりはじめたのも、きっと、このころからでしょう。

それまでは、ウィーンの人とは付き合いが薄かったので、ダルマキールティ関連の人を知り始めたのもこのころから。

このあと、カルカッタで桂先生とおちあって、ジャンブーヴィジャヤジー師に(藤永先生の手引きで)会いに行っています。

いまはすっかりインド哲学の大物となったガネーリも写っています。(このあと、2003~4年に、ペン大で同時期に滞在することになるとは。)

たしか、否定についてまとめていたように思います。

北欧っぽいジェントルマンは、ピンさんでしょうか。

にしても、ヘルムートのジャケットとこのシャツ、懐かしすぎます。
  1. 2020/04/11(土) 11:37:23|
  2. 未分類

when



いまはなき本郷シュクラ・タントラ白糸で夜のタントラ修行。

千鶴子先生の姿も見えますから、非常勤でいらしていたときでしょうか?

モーリーによれば、2001年頃ではないかとのこと。

わたしの姿がありませんから、私自身が撮影したようです。(2001年だとすると、そのとき、わたしは、東文研助手。)

大昔から変わらず、就職ないないで大変な印哲業界ですが、こうしてみると、なんだかんだで、どこかに決まった人が結構いて、なんとかなるものだと思います。(もちろん、なんとかならない人もいますが。)

みなさん、もちろん、それまでは非常に苦労してたりしてますけど。

このときはみなさん、まだ院生。

いまは、全国各地の大学へ。

イッシー、愛知
ケンタ、北海道
ガワ、東京
フジー、京都
ホッタ、岡山
タカハシ、東京
シダ、茨城
カトー、東京
モーリー、長野
カタオカ、福岡

グっさんは、眼光からしてすでに、怪しいオーラ放ってます。

まだ飲〇療法を会う人会う人に薦める前の時代だと思いますが。

変わらず真面目そうなホリウチの姿も見えます。

ナベさんの姿も見えますから、まだ彼が研究室か印仏のデータベースにいたときかと思われます。

柱の陰に隠れている坊主頭はクドゥーでしょうか?

この面子からすると、種村さんがいないのが逆に不思議です。まだオックスフォードだったのかもしれません。

しかし、白糸、いまの非常事態から見ると、逆に、良いときに閉めたのではないでしょうか。

三密の代表のようなスペースでしたけど。

なぜこの人数が(他グループも入れて)あの狭い空間に入りきるのかも不思議なくらいです。




記憶力のいいH君によれば、これは、F君のハンブルク留学壮行会のようです。(ドイツ留学の片鱗は今はどこにも見えませんが。)

隠れて見えないのは、A野かK田の可能性もあり。
  1. 2020/04/11(土) 10:41:05|
  2. 未分類

プローチダ



ビルギットがツイッターにあげてた写真を発見。

勝手に転載したら後から彼女に怒られるかもしれませんが。

ジネーンドラの研究会。

2019年の9月ですから、まだ一年も経っていません。

それが、まさか、イタリアもこんなことになるとは。

左のスキンヘッドのホルストの向こう側で、ウラディーミルの手前が私ですが、隠れてます。

手前に、テクストにらめっこしながら考え込んでるジョン・テイバーの姿も見えます。

きっと、「わっかんねーよ」と思ってるんでしょう。

こんな研究会が再開できるのもいつになるのやら。
  1. 2020/04/11(土) 10:23:54|
  2. 未分類

シュリーラーム



マドラスに住んでいた時のこと。

もっとも近くの定食屋がここ。

シュリーラーム・バヴァン。

朝いって、昼いって、夜もいったりして、三食お世話になることもしばしば。

結局、食費だけを見れば、一日50RSも使いません。

昼くらいは、ちょっと足伸ばして、もうちょっと高級なところにいったりもしますが、なにより、いちいち移動するのが暑くてかないませんし、バスに乗るのも面倒だし、オートリキシャ―にのるのも面倒だし、というときは、結局ここになってしまいます。

朝はティファンにコーヒー。

昼はミールスにコーヒー。

たしか、ヨーグルトもつけて20RSくらいだったでしょうか。

食後のコーヒーに、さらに、チップは1RS置いておけば十分でした。

店員は各テーブルにちゃんとついていて、満席時も大して待たされることもありません。

夜にたまに色気出してマサラドーサなんぞを食べた日には、油でちょっともたれたりして後悔。

たいがい、オニオンウタッパンあたりでとどめておくのが無難です。

夜のコーヒーは遠慮して、ホットミルク。

パールの発音を通じさせるのに苦労したものです。

三上さんと連れ立っていくと、彼は、食後は向かって右側のタバコ屋に移動。

店頭の麻縄で火をつけて、そこで一服。

バス停の前で、(たいして美味しくもない)チャイも出していますから、労働者風の近所の人もたむろっています。

三上さんがたばこをすっていると、たいてい、「一本くれ」みたいな人が出てきて、「チッ、しかたねぇーな」といった風で三上さんがあげてました。

ここのミールスと、ポンディのサトグルのミールスは、どれほど食べたか分かりません。

サトグルは、久々にいっても(さらに増殖した支店に行っても)全く同じ味でしたから、ここの味もきっと不変なのでしょうが、しかし、もうさすがに店自体が存在しないでしょう。

別に再訪したいほどの思い入れもありませんが、思い出の場所です。

ほんとに、なんということはない安い(それなりに清潔な)ミールス屋でした。

いくつか支店を出していたサラヴァナバヴァンのような超人気の超清潔系(そして値段も中級)とはえらい違いですけど。

三上さんと出かける時は、なぜか、サラヴァナバヴァンよりも、ニューウッドランドでした。

せっかく値段だすなら、混んでるせわしないところよりも、落ち着いたところでゆっくりと食べたいというのがあったのかもしれません。

しかし、ニューウッドランド、海岸近くで、そこらへん一帯の水道水がいかれてるのでしょう、水が塩水っぽくて閉口したものです。

濾過してるから腹をこわさないとはいえ、あの水はまずい。

「いやー、やっぱりミールスはここですな」「うっしっし」とニヤける三上さんの顔が懐かしい。

ニューウッドランドで別れた後、彼は大概、マリナビーチ前の大学キャンパスへ。

わたしは直帰。
  1. 2020/04/11(土) 09:22:17|
  2. 未分類

सामाजिक विप्रकर्षः

समीचीनः

असमीचीनः
  1. 2020/04/10(金) 19:15:24|
  2. 未分類

往来の非存在

ポンディにいたころでしょうか,Dがよく,最近読んだ小説の話をしてくれたものです.

彼は悲観的なSFなどが好きなようで,お先真っ暗な世界の未来などについて,勝手な空想を膨らまして,それを私に話して面白がっていました.

そのひとつが,「いまはこうして世界中行き来しているけど,そのうち,どこにもいけなくなる」「燃料高騰で飛行機での行き来もお金持ち以外は不可能」というようなことだったと思います.

中世へ逆戻り.

結局,燃料高騰が続くかと思いきや,そうでもなく,LCCの登場などで,さして航空運賃はあがってませんから,いまだ,海外へは行けますが,しかし,どこも(円に対して)滞在費が高くなってきたのは事実で,わたしなど,貧乏研究者は,もう,欧米圏の高い一部に行くのは自粛しないといけません.

無理無理です.

日本の円が相対的に弱くなって,いっぽう,これまで安かった国も高くなってますから,そのうち,気軽にどこでもいくことはできなくなるでしょう.

そういえば,最近は,シンガポールを通ることもなくなってしまいました.

ビール一杯の値段を聞くだに,あんな高い所にはとてもいけません.

タイもバンコクなどは,昨今は,立派な値段を取られるので遠慮したいところです.

張本さんが郊外のマヒドンでよかったです.

それに,ペストの再来のような今回の騒ぎ.

ますます往来不可能.

中世の社会へ逆戻り.

農奴のようにそれぞれの土地に縛られて終わり.

さいわい,SkypeやZoomがあるので,それでやりとりできるので,それだけが救いですが.

しかし,これも,もとから顔を実際に合わせているから可能なこと.

これからの若い人には酷です.

結局,直接のコミュニケーションがなくなれば,次第に,海外の人との付き合いも薄くなっていくことでしょう.

そうすれば,Zoomがあるといっても,その研究会に呼ばれることもないでしょうし,その存在に気が付くことすらないでしょう.

今回の騒ぎで,留学が延期になった人も.

あるいは,留学中に閉じ込められたままの人も.

あるいは,せっかく留学したのに急きょ帰国せよ,というひとも,多くいます.

世界に飛び立つはずが,放した鳩があっというまに逆戻り.

運とはいえ,留学の場合,一生に一回のチャンスという人も多いでしょうから,つくづくかわいそうです.

私の知己だと,ナポリにT橋君,S藤さんはインド,指導院生のHさんは北欧に留まったまま.

Nさんは,日本からウィーンに行くはずが,いまだ飛べず.

いつになったらいけるのか.

向こうの研究所は閉鎖状態.

みなさん,在宅勤務だそうです.

ほかにも,人によっては異動もありますから,あれこれと往復が必要だったはずですが,いろんな計画が狂ってきたことでしょう.

わたしのように,特に動きがない場合は,外出自粛を言われるまでもなく,家でテクストをじっくり読んでればいいですが,そうもいかない人はたくさん.

まさか,24年まえのDも,こんな形で海外に行けなくなる中世がくるとは,予想だにしてなかったでしょう.

関係ないですが,カシミールのヴァッラバデーヴァは,海を見たことがないので,カーリダーサに海の記述が出てくると,註釈がしょぼんとなります.

でっかい湖くらいのイメージしかないようです.
  1. 2020/04/09(木) 08:26:26|
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テクストを読むという作業

サンスクリットテクストは,哲学系は,大概,一読してもちんぷんかんぷんということが多いですが,とにかく,一文一文,ときほぐしていくしかありません.

一文一文は意外にそれほどややこしくありません.

全体として言いたいことの趣旨をまずは押さえねばなりません.

これを間違うと前主張と後主張すら取り違えてしまいかねません.

まずは趣旨.

前と後.

敵説と自説.

つぎに構成.

論理の流れです.

きちんと構成されたテクストを分析するには,やはり,分節が欠かせません.

パラグラフ分け.

さらに,パラグラフの中の論理構成.

A+BからCが導かれているのか,Aと言っておいて,B+Cの理由が述べられているのか.

あるいは,このitiは,どこまでをカヴァーしているのか,などなど.

細かく見ていく必要があります.

これは,校訂者にとっても重要な作業です.

結局,読み易いテキストというのは,校訂者が相当に準備しなければなりません.

むかしむかしにベナレスあたりで出た最初期のテクストは,もちろん,写本から直接起こしたりしているので,当然,読み込みにまで手が回りませんから,ダンダも適当,パラグラフはなし,というわけで,ひたすら,ずらずらと書かれています.

これだと読みにくいのは当然.

まずは,校訂者として,適宜,分けてやる必要があります.

俯瞰からさらに近づいて,徐々に細かく見ていく.

そういうズーム作業を助けるのが分節化.

一文一文の位置付けがはっきりするよう,シノプシスを作ってやる必要があります.

読む,理解する,ということは,まず,このシノプシスつくりと密接な関係があります.

というか,シノプシスのないテクスト分析はどうかと思います.

この科文作成こそが,もっとも頭を使う作業だと言えます.

逆に言えば,非常に面倒なので,避けて通る人が多い作業でもあります.

校訂というと,写本をひっくりかえして文字起こし,とだけ思っているかもしれませんが,すくなくとも哲学文献の場合は,これに,科文作成という頭を使う作業が入りますから,その作業に頭を使うことになります.

細かいマラヤーラム文字を解読するのに目を使うだけではないのです.

構成というのは,作者が意図しているものを自然と起こしてやるのが一番です.

慣れると大体,テクストそのものから立ち上がってくるものです.

どれが一番自然な区切りか,というのは,作者によってスタイルが違いますから,その人に慣れていけばいくほど,よく見えてきます.

また,その人がお手本としているテクストを知っていることも助けになります.

たとえば,ジャヤンタがミーマーンサーの議論をするときには,シャバラスタイルで,章の関係,論じる対象,疑惑,前主張,後主張,目的などの一部を意識している場合があります.

知っていると知っていないとでは大違い.

構成を見ることで,パラグラフの微妙な違いも気が付くことができますし,前主張と後主張の対応も見ることができますし,あるいは,パラグラフの量を見ることで,どの議論に一番エネルギーを費やしているのかも一目瞭然.

古い議論から新しい議論を積み重ねる場合には,古層の議論と最新の議論の区別も何となく見えてきます.

幾重にも積み重なった議論の地層を解きほぐす作業.

シャバラやジャヤンタ,もちろん,クマーリラの詩節も,ちゃんと前後の構成が意識され意図されています.

クマーリラの場合,「ちょっとこの詩節は,これ単独では難しい」と思う時は,ちゃんと,後から説明していたりします.

詩節だから,それ自体では読めないというのは,素人の戯言です.

クマーリラは,クマーリラで,註釈なしで読めるように意識して書いています.

「クマーリラのSVは詩節で書かれているので,註釈なしには理解困難である」というような見方をしている人は,いちど,註釈なしでクマーリラを素手で読んでみるべきでしょう.

自分で実感しないとこの手のことは分かりませんから,人を納得させるのは難しいでしょうけど.

同じことはダルマキールティにも当てはまります.

もちろん,註釈者は助けになりますが,別に,ダルマキールティが単独で読めないということにはなりません.

ともあれ,言いたいのは,テクストを読む,理解する,ということは,分節化と密接に関係するので,いいテクストを作る,という作業と不可分であるということです.

校訂本を作る作業とセットで和訳の作業を進める必要がある所以です.

シノプシスを伴ってきちんとパラグラフを区切って再構成された校訂本ができれば,そのテキストに登頂するためのベースキャンプができあがったと言えます.

そして,その作業は,単なる文字起こしとは次元の異なる作業です.

NMのマイソール本が読み易いのは,適量にすでにエディターが区切ってくれているからです.

最初のエディションのVizianagaram本など,ずらずらずらずらと流してあって,とても読めたものではありません.

読むとしても,自分でパラグラフの区切りを入れていかないと,混乱しかないでしょう.
  1. 2020/04/09(木) 07:49:48|
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before emergency











  1. 2020/04/07(火) 21:31:46|
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思想史研究と哲学スタイルとのテンション

真理論というと,哲学系のインド哲学者の好物です.

ミーマーンサーの視点からニヤーヤ(ナヴィヤ系)重視の従来の見方に一石を投じたのがテイバーの代表的な論文.

ミーマーンサーというと,ニヤーヤの他律的真に染まった頭からは,ヴェーダ絶対視のナイーブな真理論(ヴェーダは絶対正しい)を説くあほな連中と思われていたのかもしれませんが,それに対して,ミーマーンサーの自律的真の議論に十分哲学的価値のあることを示した論文として重要です.

それに乗っかったダン・アーノルド.

そして,批判的な視点を提示するラリー.

最近では,完全に哲学系の人であるImmermanの論文もあります.

いっぽう,日本では日本で,独自の流れがあります.

こちらは,哲学系というよりは,従来の日本の堅実な手法が中心.

宇野,服部,若原,片岡,志田,石村などなど.

仏教論理学系からは稲見.

谷澤さんがいれば,日本でも,哲学系で,もっと面白いことになったでしょうけど,急逝されたのは残念です.

しかしながら,(日本語の成果を参照しえない)欧米の議論を見ても,なんだかなー,という思いが強くあります.

哲学的な価値を論じると,当然,パールタ重視になりますけど,どうなんですかね.

もちろん,議論の当初の段階では,とっつきやすいところからになるのは理の当然.

たとえば,仏教論理学研究が,アプローチのしやすいダルモッタラやモークシャーカラグプタから始まったのと似たところがあります.

しかし,段階が進めば当然,歴史的なアプローチが必要となります.

つまり,それぞれの事情を考慮して,それぞれの背景を知ること.

ダルモッタラにはダルモッタラの事情があるわけで,当然,それは,ダルマキールティの背景とは異なります.

そのような視点が,「パールタ(哲学的に)最高」というような礼賛からはかき消されてしまいます.

当然,一番古い註釈者は,ナイーブすぎる解釈として切り捨てられてしまいがちです.

デーヴェーンドラやシャーキャブッディのように.

それと似たことがウンベーカにも当てはまります.

しかし,歴史的発展を見ていく場合には,当然,古いのが一番重要ですし,当然,元に一番近いと目されるわけです.

背景には,他学派や内部の論争があったはずで,その紆余曲折をあとづけるためにも,最初から順に追っていく必要があります.

もちろん,モークシャーカラグプタの最後から逆に追っていく,ラトナキールティから跡付けていくというやり方も重要です.

その意味で,パールタによる後代の視点からの整理は重要です.

しかし,それを踏まえたうえで,さらに,途中途中の経過を(単に哲学的にナイーブだからと切り捨てることなく)追うことも重要です.

「インド哲学はエジプト学にあらず」という現代的な視点からは,古いどうでもいい部分は切り捨てていい――そしてインド哲学の最高の部分だけ取り出せばいい――のかもしれませんが,しかし,その切り捨てられんとするものの中にも何かあるかもしれません.

まずは思想史の整理.

これまでの真理論の議論経過を見ていると,ウンベーカが不憫でなりません.

かなり良いこと言ってるんですけどね.

まあ,時代的に初期なので,テキスト状態に若干難があって,おいそれと使えないという実情があるのも理由の一つなんですが.

つまり,素人が手を出すと火傷するので,なんとなくみなさん,やらないのでしょう.

不都合な実情を隠すために,「これはいらん」と切り捨ててきたというのもあるのではないか,というのが私の見立てです.

いずれ,ウンベーカの再評価が始まるべきだと思います.

というわけで,ミーマーンサー研究の指針は,仏教論理学研究とパラレルに――先行モデルを後追いしているものとして,あるいは,後追いすべきものとして――考えていくべきでしょう.

さて,今年は,夏に韓国開催予定だったIABSもダルマキールティ学会も,当然のことながら,延期.

来年だそうです.(来年,本当にできるのかどうかはともかく,「そうしたい」という理想の現実へのsuperimpositionと受け取っておきましょう.)

オーストラリアのWSCも,2021年1月ですが,どうなるんでしょうね?

いまのところ,まだ,やるつもりのようですけど.

ともあれ,大画面の液晶でも買って,これからのオンライン研究会(たくさんの人の顔を大画面にならべる)に備えたほうがいいかもしれません.

老眼にもいいかも.

むかし,オックスフォードのS教授の部屋にいくと,彼が,でっかいでっかい大画面を購入して,画面をかなり離したうえで,小さい小さいマックに人差し指で高速タイプしてるのを若い我々は面白がっていましたが,我々もそういう年代に突入したということでしょうか.

そういえば,S教授,あるときに,「(学生だった)若い人が老眼の兆候とか聞くと嬉しい」と,にこにこしながら言ってましたけど,納得.

サンスクリット本のデーヴァナーガリー活字も,結構小さいと感じるようになり,タイピングするときに不便です.

認識の真理論的には,視覚機能に損傷因(ドーシャ)がある,ということでしょうか.

通常,小さすぎるという欠陥は,対象の側に帰せられますけど,どうも,この老眼の場合は,そうではないでしょう.

ちなみに,昔に指導していたS藤さん,紙をけちりたいのかどうだか,ものすごい小さいフォントサイズで印刷してきて閉口したものです.(脚注サイズが本文サイズ.脚注サイズにいたっては,もっと小さい.)

あれは,私だけでなく皆さん,小さすぎると嘆いてましたから,S藤さんのほうに咎を帰すべきでしょう.

前世で米粒に字を書きこむ修行でもされたのでしょうか?
  1. 2020/04/06(月) 19:07:04|
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新年度

博論を3年間で無事に提出し終わり,博士号を授与された須D博士(DC)は,今年度から学振PDでTKB大学所属.

まさか,DC1からPDへとスムーズ移行する人が,自分の指導学生から出るとは思いませんでした.

Y水,O野,S田,K藤と,すごいメンバーが揃う筑Bであと3年も勉強すれば,どえりゃー研究者になれることでしょう.

同時に,PDでうちに3年いたM鍋博士も,無事に,難関書類審査と地獄の面接を乗り越えて,WSD大学の研究所に.

あと3年は,ちゃんとした給与を貰いながら,生きながらえることができます.

我々の分野,とにかく,博論を終えてからが大変なので,二人が無事に次のステップ(あるいは飛び石)を見つけられたことは喜ばしい限りです.

印哲人生,飛び石,飛び石.

アビダルマでも中有などというものを説いていますが,若手研究者は,まあ,いわば中有ですから,大変です.

薪という基体をもたない炎が宙を飛んで,こっちからあっちへ渡っていくようなものですから.

いつ消えるか分かりません.

わたしも,かつては,博論終えて,ところどころ,ほとんど消えかかってましたけど,捨てる神あれば拾う神あり,というのが世の中.

いまから思えば,よくぞ,なんとかなったものです.

そういう意味では,誰の人生も,おおかれすくなかれ,奇跡.
  1. 2020/04/03(金) 19:36:33|
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Watatsumi jinja



































  1. 2020/04/03(金) 19:36:10|
  2. 未分類

Hakoshima Jinja















  1. 2020/04/02(木) 22:47:18|
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Tateishi-yama















  1. 2020/04/02(木) 22:38:19|
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