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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

自律的真の生き方

不要不急の外出を控えた結果,不要不急な論文原稿が異様に肥大化してしまいました.

枚数制限に引っ掛かりそうです.

そういえば,S教授が,原稿期日を延ばすたびに,論文がどんどん大きくなっていくのを思い出しました.

原稿期日で切ったほうが,論文肥大化を止めるには正解です.

さて,真理論.

認識の真をいちいち他から確証する必要はない,認識は生じたら自分の仕事を為しているので,他からの確証を要しない,というのが,クマーリラ流の自律的真の肝です.いっぽう,偽は他律的に確定されます.

逆に,他からの確証をもたないような認識は真知ではない,というのが他律的真の立場です.

健康にたとえると,健康とは正常状態,病気が異常な状態,というのが自律的真,他律的偽の見方.これは,ゼロとマイナス.

逆に,他律的真と他律的偽だと,健康とはプラス要因によるプラスの状態,病気とはマイナス要因によるマイナスの状態.

これを生き方に持っていくとどうなるでしょうか.

生きてればそれだけで為すべきことを為しているので,正常な状態は,すでにそれ自体で真というのが自律的真.

ここで,わざわざ他人に承認されるまでもなく,自分で真なわけです.

いわば、エネルゲイアの見方です。

生れてノーマルであれば自分で動いています.

健康に飯食って動いているわけで,特に問題はないわけです.

それが自律的真.

逆に,問題点は他人から指摘されることで改めるのが,他律的偽.

カイゼンカイゼンの失敗の哲学というのが他律的偽の立場.


逆に,他律的真の立場だと,生きていても真だと確証はないので,他人に検証されて初めて,真偽の決着がつきます.

他人の検証に依存.

承認欲求満載です.


さらに,他律的真,自律的偽という仏教に帰せられる立場だと,生きているノーマルな状態が既に偽.

それは検証により改められるべきで,あらためられて初めて真となります.

人生すべて最初から間違いなわけです.

夢のようなものです.

とはいえ,クマーリラのいうように,悟った人などいないのですから,夢も夢で居続ける限りは正しいと信じてますから,現実的には,自律的真と大して変わりません.

全知者を想定してはじめて自律的偽の偽が言えるわけです.

宗教者が,自分の真を言うのに,対照点として,他の人達の偽をあげつらうのと構図は同じです.

他律的真というのは,pramaa.nabhuutaの解釈で,bhuutam pramaa.namとするのにもつながっていきます.

生じた無常なプラマーナが仏陀なわけです.

しかし,実際には,法身などをたてて,これも,常住化していくのが,無限や聖化を求める人間の欲求のなれのはてですが.


ともあれ,現実的に考えて,自律的真の立場はメンタルによい,というのはいえるでしょう.

承認欲求を求めて,自分の真に自信がもてず,つねに真偽の間で揺れ動く疑惑の心,これは,メンタル的に健康な状態ではないでしょう.

事後検証の成果主義やら,原因検証の数値主義も,大量生産の工場や精緻なお菓子作りなら結構ですが,人生に応用すると,変なことになるのは明白でしょう.

バガヴァッドギーターの非成果主義も,このような視点から読み込むことができます.
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  1. 2020/05/19(火) 19:46:15|
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