Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

パル判事

インド研究の難しさは,まず語学にあります.

近現代史になれば,現地語に加えて,相当の英語能力が必要となります.

ある政治家を論じようとしても,その全体像を捉えようと思うならば,たとえばガンディーであれば,英語だけでなく,グジャラーティーやヒンディー語の資料を読みこなせる能力が必要でしょう.

当然,近現代史をやる人は,語学に応じて「自分の地域」というものを持つことになります.

北インドも南インドも同時にやる人,というのは当然,ほぼいません.(したがって,北インド研究者は,案外,南インドを旅行したことすらない人が多いのです.)

ベンガルを扱うなら当然ベンガル語.

一人で複数の言語をマスターすることは容易ではなく,せいぜい,一つ二つが外国人の限界でしょう.

著者は(最近は少なくなったが昔は多かった)カルカッタ留学組.

当然,ベンガル語はお手の物.

いまの若手では,ベンガル語をやっているという人も,コルカタに留学するという人も余り見かけません.

語学の習得は一朝一夕には不可能です.

ちゃんとした準備のある人のみが対象となる資料をコントロールできます.

インド研究が大変なわけです.

という意味では,「ヨーロッパの専門家」が成立困難なのと同様に,「インドの専門家」は成立困難であるとも言えます.(いるのは,ポーランドの専門家とか,ベンガルの専門家とか,というわけです.)

あとがきの「東京の国立公文書館の文書公開の仕方には問題があると言わざるを得ない」(p. 238)には受けました.

インドの図書館で苦労するのは普通ですが,まさか日本とは.

インド研究者は大概,現地で苦労しているので寛容の度合いが高いものですが,それを怒らせるとは余程の対応の悪さだったのでしょう.


中里成章:『パル判事』岩波新書

p. 183
蓮華大章>蓮華大


本書で久々に「木村日紀」の名を目にしました.

昔,東大の木村日紀文庫を漁ったのを思い出しました.
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  1. 2011/04/20(水) 21:08:41|
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