Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

クマーリラ著『シュローカヴァールッティカ』「ヴェーダ教令章」の内容

ミーマーンサー・スートラ1.1.2はダルマ(善・宗教的義務)を定義する.

すなわち「ヴェーダ教令を認識手段とする望ましい対象がダルマ」である.

ここでの含意は次のようなものである.

ヴェーダ教令は常に正しい認識手段である.(正しくないことはない.)

ヴェーダ教令だけがダルマの認識手段である.(知覚等はそうではない.)

ヴェーダ教令から知られるものは望ましい対象である.(望ましくない対象ではない.)



ヴェーダの説く内容は常に正しい.

間違っていることはない.

クマーリラはこれを「正しい認識の手段とは何か」「認識が正しいとはどういうことか」という一般的な視点から論じ直す.

認識の真と偽を一般的に論じ,そうして確立した真理論をヴェーダ聖典に適用する.

次に「ヴェーダだけがダルマに関しては正しい」ということを主張するために,ダルマに関する他の認識手段,特に,聖者の知覚を排斥する.

すなわち,宗教的事象に人知は関わりえず,ヴェーダ聖典だけがダルマ領域にアクセスできるというのがクマーリラの主張である.

最後に彼は,ヴェーダ教令から知られる供犠内殺生(パシュヒンサー,家畜供犠)について論じる.

供犠内殺生は殺生でありながらヴェーダが命じるものであり,「不殺生」を重要な徳目とする仏教など他学派からの攻撃対象となったものである.

クマーリラは善悪の基準から一般的に説き起こし,ヴェーダの説く供犠内殺生を理論的に擁護する.
スポンサーサイト
  1. 2011/08/02(火) 22:50:19|
  2. 未分類

プロフィール

Aghora

Author:Aghora

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する