Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

差異としての意味における肯定・否定の同時性

ディグナーガのアポーハ論のモデルは,非牛の排除が共通性の役割を果たすというものです.

つまり,実在する普遍としての牛性の代替として,非牛の排除を立てるものです.

非牛の排除に限定されたものとして牛があります.

「牛」  →  非牛の排除  ⇔  馬等
         |     |
         牛    牛

後代においては,「牛である」=「馬等ではない」という肯定・否定の同時性が強調されるようになりますが,ディグナーガの段階において,そのような同時性は全く予期されていません.

明らかに否定が先だと考えています.

「牛だ」という肯定ではなく,「馬等ではない」という否定が先にある,というのがディグナーガのアイデアです.

それこそが,普遍という肯定の代わりに排除という否定を導入したディグナーガの功績でもあります.

「牛のみ」というのは,内容的に「馬等ではない」ということですから,意味は否定です.

否定が先にあります.

「否定的随伴のみを通じて推論がある」という彼の言葉も,そのような否定先行の立場を裏付けるものです.

ソシュールなどの差異の同時性にうかれて,ディグナーガにまで同時性を読み込むのは,ディグナーガの本意からずれます.

また,クマーリラがディグナーガを批判する時の視点も,否定を先とするディグナーガの見方についてです.


SV apoha 83:
また既成の非牛が排除されるはずである.
そして,非牛とは牛の否定を本質とする.
そこで非により否定される牛そのものが何なのかを述べるべきである.



非牛の排除のためには,非牛が既に成立しているものとして手元になければなりません.

いま,非牛=牛の否定,です.

それゆえ,牛の否定,における「牛」とは何かを明らかにする必要があります.

いわゆるCompositionalityの問題です.

結局,肯定的な牛が一番最初にある,ということを認めざるを得ません.

つまり,クマーリラの指摘は,

牛⇒非牛⇒非牛の排除

の順で成立する,というものです.

当然,クマーリラが予想するディグナーガの主張は,非牛の排除が先行する,というものでなければなりません.

Tillemans 2011が言うところの「トップダウン」のモデルというのも,この意味です.

すなわち,普遍と同様に,いきなり非牛の排除が立てられている,ということです.

そして,このことは,ディグナーガの予想する語意習得の否定的側面からはっきりと裏付けられます.

SKNSM 103
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  1. 2011/11/03(木) 08:58:25|
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