Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

received: Helmut Krasser "How to teach a Buddhist Monk to Refute the Outsiders: Text-critical Remarks on some Works by Bhaviveka"

Helmut Krasser

"How to teach a Buddhist Monk to Refute the Outsiders:
Text-critical Remarks on some Works by Bhaviveka"

Journal of Rare Buddhist texts Research Department,

51, 2011, 49-76.

清弁といえば,MMK注釈者の中でも,インドでは最もメジャーな一人です

アヴァローキタヴラタのような優れた学者が,PPにたいして浩瀚な注釈を著わしています

清弁の著作に,ヴァースで書かれた中観心論MHKがあります

そのMHKには注釈が残っており,チベット訳が現存します

思択炎Tarkajvalaと通称されているものです

そのTarkajvalaの著者をめぐっては,はたして清弁自身が書いたものなのかどうかが問題となってきました

問題とされてきたのは,Tarkajvalaにおいて,しばしば「アーチャーリヤは次のように述べている」といった表現が用いられることです

自分の著作の中で「先生はこう言った」と言うだろうか?という疑問です

MHKの研究で知られる江島先生は,TJを,後8世紀のBhavyaによるものと看做します

クラッサー教授の結論は簡単

"...the TJ to have been written down by a beginner student, and not by a later person also called Bhaviveka or something similar." (p. 69)

というものです

要するに,清弁のMHK講義を,まだ論理学にも疎い坊主学生の初心者がノートしたものと考えるのが早いというわけです

また,MHKとTJの年代については,PPの一部,メインの議論から外れた挿入個所のような部分が,チベット訳にも漢訳にも見られることを根拠に,630-632以前であるとクラッサー教授は結論づけます

漢訳者のPrabhakaramitraの訳出年代が,630-632だからです

つまり,TJの挿入ノートみたいな部分ですらも,それ以前ということです

TJは,後代の注釈というよりは,清弁当時の出来の悪い学生のノートみたいなものと考えるのがよかろう,ということです

これまでの学者が気が付いてきたように,TJは,MHKの内容を誤解していたりします

ゴーカレーは,長いコンパウンドの解釈をTJが間違っていることに気が付いています

クラッサー教授の見立ては,十分に説得力に富んだものです
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  1. 2012/01/04(水) 08:10:46|
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