Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

kāryajananasvabhāvaḥの解釈

Masalavala32049845634



PVSV ad 1:35 (23.10):
tathā hetur api tathābhūtakāryajananasvabhāvaḥ.

船山 1989:17: 「同様に原因(火)といわれるものも、そのような結果を生み出す本質自体である。」

片岡:「同様に,原因も,そのような結果を生み出すことを本性とするものである.」

カルナカゴーミンはご丁寧に,yogyatāを補っています.すなわち「そのような結果を生み出すことへの適合性(=能力)を本性とするものである」と厳密には言わねばならない,との趣旨です.

さらにご丁寧に,理由まで説明しています.「煙がない場合でも(=煙が生み出されない場合でも)原因である適合性は[火には]ないことはないから」だそうです.

几帳面というか,馬鹿に丁寧な教師ぶりです.

真面目さには,ジネーンドラブッディに通じるものを感じます.

PVSVṬ 103.16--18: tathā hetur api vahnis tathābhūtakāryajananasvabhāvo dhūmajananayogyatāsvabhāvaḥ, dhūmarahitāvasthāyām apy asty eva yogyatā kāraṇabhūteti.

コンパウンドの解釈については,すぐ下の文章が参考になります.

23.12--13:
na vā sa dhūmaḥ, adhūmajananasvabhāvād bhāvāt. tatsvabhāvatve ca sa evāgnir ity avyabhicāraḥ.

船山 1989:17: 「[煙らしきものが昇っても、実は]それは煙ではないであろう。[それは]煙を生み出すことを本質としないものから生じたことになるから。だから、それ(煙)を生み出すことを本質とするもの、それこそ火である。かくて[煙は火を]逸脱しないのである。」

片岡:「あるいは[火以外から生じたとしても]そのようなものは煙ではない.煙を生み出すことを本性としないものから生じているので.また,[仮に火以外のものであっても]それ(煙を生み出すこと)を本性とするならば,そのようなものだけが火である.ゆえに[煙は火を]逸脱しない.」(カルナカゴーミンの解釈に従った)

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  1. 2012/05/11(金) 19:05:01|
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