Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

1980年代,svabhāvapratibandhaに憑かれた人々

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ムカジー 1935や梶山 1960には,svabhāvapratibandhaという語すら登場していません.

そこで主題となるのは「遍充」であり,svabhāvapratibandhaではないのです.

70年代にシュタインケルナーの重要な仕事が次々と発表されます.

ダルマキールティの論理学が,彼独自の存在論に基づくことが明らかにされています.

そこで取り上げられるのがsvabhāvapratibandhaという概念です.

Steinkellner 1974が批判するのは,シチェルヴァツコイの「先験的」なsvabhāvahetu理解です.

すなわち,「桜は木である」という同定の推論の前提となるのは,先験的なものであって,経験は必要ないというのです.

これにたいして,シュタインケルナーは,論理的な関係が存在に基づいていなければならないというダルマキールティの根本的な立場を明らかにします.

その中で,svabhāvapratibandhaも取り上げられます.

また,Steinkellner 1971は,svabhāvaに二義の区別を認めます.

実在レヴェルの因果効力という本質と,概念レヴェルの本質的属性とです.

つまり,実在と概念とを区別するのです.

80年代の日本は,シュタインケルナーのPVin研究を含め,シュタインケルナーの仕事の吸収に追われます.

赤松 1981は「Dharmakīrtiの推理論――Apoha論との関連から――」です.

このアイデアの元となるのは,Steinkellner 1971です.

桂 1982(1981年の印仏研で発表)は「Kumārilaの推理論――Dignāgaとの対比」です.

ダルマキールティの推理論をダルマキールティの周辺から対比的に眺めようという意図は明白でしょう.

1984年には講座大乗仏教の「認識論と論理学」が出版されます.

執筆者は,梶山(京大卒),桂(京大卒),戸崎(九大卒),赤松(京大卒),御牧(京大卒),宮坂(東北大卒),川崎(東大卒),長崎(大谷大卒).

今から31年前ですから,1981年は,みんな若かったのは当然です.

主な登場人物の年齢相関図は以下の通りです.(生年と満年齢.情報は全てネットに公開されているものに基づいています)

梶山(1925)56
戸崎(1930)51
Steinkellner (1937) 44
桂 (1944) 37
松本(1950) 31
金沢(1951) 30
赤松 (1953) 28
福田 (1956) 25

仏教論理学研究は,その当時,いわずもがな西高東低の時代でした.

梶山・服部の京大,宇野・桂の広大,戸崎の九大.

大御所ムカジーと共著の長崎も大谷にいました.

これにたいする東大組は,松本・金沢・福田.

松本は1981年の印仏研でシュタインケルナー批判を行います.

その名もずばりの「Svabhāvapratibandha」です.

表層レベルでの対立は,単純です.

ようするに,svabhāva-pratibandhaという合成語をどう解釈するか,というものです.

第三格:svabhāvena pratibandhaḥ
第六格:svabhāvasya pratibandhaḥ
第七格:svabhāve pratibandhaḥ

「本質による結合関係」がシュタインケルナー.

これにたいして松本は,「本質が持つ制約」「本質への逆連関」という解釈を主張します.

もちろん,シュタインケルナーとは,pratibandhaの中身も異なっています.

さらに問題となったのはtādātmyaの解釈です.


ダルマキールティの最重要キー・ターム《svabhāva》の解釈,《tādātmya》を「同一性(identity)」あるいは,「リアル・アイデンティティ(real identity)」と訳すとは妥当だろうか? Steinkellner(1974)[On the Interpretation of the Svabhāvahetuḥ. WZKS 18. 117-129]における「同一性」という解釈に対して,松本論文(1981)[Svabhāvapratibandha. JIBS 30-1. 498-494]は『bhāvaとsvabhāvaの非対称性を根拠に「同一性」と訳すことはできない, とした。これに対して, 再度, Steinkellner(1982/4)[Svabhāvapratibandha again. Acta Indologica 6. 457-476]は,「リアル・アイデンティティ」と解釈し, 反批判を試みた。(谷 1989:393)



この松本論文に刺激を受けたのでしょう,その後,陸続とこれに関連した発表・論文が相次ぎます.

以下が80年代の主な論考です.


1981 赤松明彦「Dharmakīrtiの推理論――Apoha論との関連から――」『印仏研』29-2.
1981 松本史朗「Svabhāvapratibandha」『印仏研』30-1.
1982 桂紹隆「Kumārilaの推理論――Dignāgaとの対比」『印仏研』31-1.
1982 Gillon & Hayes “The Role of the Particle eva in (Logical) Quantification in Sanskrit.” WZKS 26.
1982 宇野惇「ミーマーンサー学派の遍充論-1-」『広島大学文学部紀要』42.
1983 大前太「Dharmakīrtiの遍充論――因果性と遍充――」『印仏研』31-2.
1983 竹中智泰「Mīmāṃsā学派の推理論――niyamaとその確定について――」『印仏研』31-2.
1983 金沢篤「クマーリラと〈avinābhāva〉」『印仏研』31-2.
1983 宇野惇「ミーマーンサー学派の遍充論-2-」『広島大学文学部紀要』43.
1984 Steinkellner, Ernst: “Svabhāvapratibandha again.” Acta Indologica 6, 457-476.
1984 金沢篤「ātman, ātmaka, tādātmyaについて――クマーリラとパールタサーラティの普遍論を中心に――」『駒澤大學佛學部論集』15.
1984 赤松明彦「ダルマキールティの論理学」『講座大乗仏教9』.
1984 福田洋一「ダルマキールティにおける論理の構造への問い」『印仏研』33-1, 347-345.
1985 稲見正浩「ダルマキールティにおける「因果関係の決定」」『哲学』(広島哲学会)39, 131-147.
1986 桂紹隆「インド論理学における遍充概念の生成と発展―チャラカ・サンヒタ-からダルマキールティまで―」『広島大学文学部紀要』45(特輯号1).
1986 Katsura, Shoryu: “Svabhāvapratibandha Revisited.” JIBS 35-1, 476-473.
1986 中井本秀「推理の成立根拠について」『印仏研』34-2.
1985 金沢篤「Prakaraṇapañcikāに於けるpratibandha」『印仏研』33-2.
1987 福田洋一「ダルマキールティの論理学におけるsvabhāvapratibandhaの意味」『印仏研』35-2, 888-885.
1988 Funayama, Toru: “Bhāva and Svabhāva in Dharmakīrti.” JIBS 36-2, 970-967.
1988 Steinkellner, Ernst: Remarks on niścitagrahaṇa. Orientalia Iosephi Tucci Memoriae Dicata. Ed. G. Gnoli and L. Lanciotti. Roma: Istituto Italiano per il Medio ed Estremo Oriente. 1427-1444.
1988 岩田孝「法称の自性証因〔svabhāvahetu〕説覚書」『東洋の思想と宗教』5.
1989 岩田孝「『知識論決擇』(Pramāṇaviniścaya)第三章 (他者の爲の推論章) 和譯研究 ad vv.64-67(上)」『東洋の思想と宗教』6, 1-33.
1989 船山徹「ダルマキールティの「本質」論」『南都仏教』
1989 松本史朗『縁起と空―如来蔵思想批判―』大蔵出版.
1989 谷貞志「ダルマキールティにおける「自己差異性」としての「svabhāva」: 瞬間的存在性, その境界線上の視点」『印度学仏教学研究』38-1, 76-81.

80年代は,遍充,なかでも,svabhāvapratibandhaの年代と言えるでしょう.

松本へのシュタインケルナーからの再反論が1984年です.

1989年の著書で注記するように,松本はそれに対して再反論することはしていません.

(彼の関心は,既に,「如来蔵批判」へと移行していたのでしょう.)

赤松 1984と福田 1984を読み比べると,その違いに驚かされます.

前者の読み易さと,後者の難解さです.

後者は,短い印仏研論文ということもあり,略号を駆使しており,一読して意味を理解するのは,なかなか困難です.


「そう考えて初めて, Dhがsvprを最初に導入する箇所「svprがある時ある対象が他の対象を理解させることができる。そしてそのsvprはtāに基づいて成立する。……またkāryaもsvprを有する」という表現をロジカルに理解できる, と思う。」(福田 1984:346-345)



いっぽう赤松 1984は実に平易に書かれています.

それでは、かれが認めた、論理的必然性を確定する根拠とは何か。かれはそれを実在における関係のうちに求めた。「同一関係」(tādātmya)と「因果関係」(tadutpatti)がそれである。この両者は、あわせて「実在の本質(svabhāva)を介する結合関係」(svabhāvapratibandha)といわれている。というのも、前者の「同一関係」は、「AがBの本質そのもの(svabhāva)であること」であり、後者の「因果関係」は、「A(結果)の本質はB(原因)から生じるということ」だからにほかならない。(赤松 1984:186)



赤松 1984はよく読まれ,よく引かれる論考です.

福田 1984が,あまり引かれることのないのは,ある意味で,仕方ないでしょう.

金沢 2010は,次のように述懐しています.

続いて現れた松本氏よりも逢かに的確に問題点を解きほぐしてみせた福田[1984]の指摘が、何故ダルマキールティ研究の前線に届かなかったのだろう。福田[1984]はあまりに上品で、知的であり、しかも略号を駆使したローカルな言語、日本語による小品であったせいである。(金沢 2010:70)



さらに金沢は,その当時の事情を次のように伝えています.

このMatsumoto[1981]、福田[1984]、金沢[1985]をひとまとめにして、クリテイカルな論攷を発表したのが、桂[1986]と中井[1986]だろう。筆者はノスタルジックな気分からも、中井[1986]をsvabhavapratibandhaの研究に於いて、それなりの理解をしっかりと示した力作と評価したいと思う。そして金沢[1985]を見て、中井[1986]を見て、もう少し明確にはっきりと言うべきであったと自らの福田[1984]を反省して、自らの理解するsvabhavapratibandhaの意味のプレゼンに再度挑んだのが福田[1987]である。このほど四半世紀ぶりにsvabhavapratibandha関連論文を渉猟してみて、最も貴重な知見に富んでいると考えるのが、この福田[1987]である。(金沢 2010:70-71)



1987年の福田の印仏研論文(発表自体は1986年の6月14日東京大学)を最後に,表面的には,論争は下火に向かいます.

金沢2010は次のような感想を漏らしています.

ダルマキールティの論理学の研究は驚くほどに進展を見せ、多くの研究者を巻き込んで現在も充実した歩みを続けているだろうことを信じて疑わないが、研究者個人の一理解が吟味にもかからず、その結果いつまでも共有されるに到らないという現状を歎くばかりだ。研究に携わるそれぞれが、自分勝手にそれぞれの夢を育んでいるという印象が強いのである。(金沢2010:91)



2012年のパネルは,どうなるのでしょうか.

かつての"young Japanese scholars"(Katsura 1986:476)が何を見せてくれるのか,楽しみです.
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  1. 2012/05/26(土) 11:53:56|
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