「インドの存在論」ということで,ここ数年間,皆で集まり色々と議論していますが,ようやく,持ち寄るネタの左右の幅も見えてきて,全体が姿を現わしてきたような感じです.
存在に関してインドで議論されるようなものについて,ほぼ,ある代表的なパターンが見えてきた,と言えるでしょう.
今回は,「内属」に関する発表が二つ.
個物としての牛に,普遍である牛性が内属する.
個物としての牛に,色という或る性質が内属する.
個物としての牛に,進行という或る運動が内属する.
部分に全体が内属する.
といったような場合の内属のことです.
存在するもの同士の関係に関する概念のひとつです.
最後の,
一原子体に二原子体という全体が内属する.
壺の半分と半分とに,壺の全体が内属する.
というようなヴァイシェーシカの発想法は,少し風変わりに映るかもしれません.
ヴァイシェーシカ学派でも,内属(例:「牛性が牛に内属する」)をきっちり定義しようとしていますが,実際には,あれこれと問題があるようです.
伝統的な訳語では「和合」です.
現代の代表的な訳語である「内属」inherenceという語感とは違う感じがします.
サンスクリットのsam-ava-i(合・下・行く)のsamの語感から言えば,和合のほうが近いでしょう.
しかし,avaを生かすと「属」というのも,決して悪くはありません.
筑女の川尻氏は,シヴァ派の存在論についての発表でした.
サーンキヤ,シャイヴァシッダーンタ,アビナヴァグプタのトリカ神学の一元論と,順を追って丁寧に説明してくれていました.
インド哲学のバランスから言うと,シヴァ教の他にも,ヴェーダーンタ神学の発表者も欲しいところでした.
小川先生を始めとした他大学の先生方からの有益なコメントも多数あり,参加した院生・ポスドクの刺激にもなった様子でした.
普段ならうことのない先生から,いろいろと違った見方を教わるということは重要です.
また,大学を越えた研究者の交流の場ということで,学会とはまた違う,非常に重要な機会を提供しています.
(インド仏教全般を含まない狭義の)インド哲学プロパーで集まる機会となると,なかなかないので,突っ込んだ議論をかわすことができる機会でした.
池下のシャティ.
ネパール人コックが3人,日本人オーナーのもと,きびきびと働いていました.
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- 2013/08/25(日) 10:17:36|
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