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On Indian Philosophy and Buddhist Studies

received: 桂紹隆「仏教と論理」

桂紹隆

「仏教と論理」

京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』27
2014年3月
pp. 103--125

KFS53409851

仏教とは,歴史的に実在した仏陀が説いた教え,という意味です.

では,その仏陀は何を説いたのでしょうか?

また,日本人が信じている大乗仏教は,はたして「仏教」と呼べるのでしょうか?

大乗仏教が本当に「仏教」なのかどうかについて,もっと真剣に問う必要がある,と桂先生は強調されます.

現在,世界の多くの研究者が,大乗仏教の起源について多くの議論をしているのも当然です.

では,インドの大乗仏教徒たち自身は,どのような論理をもって,自分たちの保持する経典が「仏教」だと主張したのでしょうか.

かれらは,それを,先行する論理を用いて次のように言いました.

「真実を説いているから仏説だ」と.

正しい事をいっているのだから,それは,仏陀の教えに違いない,というわけです.

では,その「事実」「正しい事」とは何でしょうか.

それは,縁起,つまり,XがあればYがある,XがなければYもない,という観察から発見される因果関係のことです.

因果関係の中でも最も実践的に重要なのが「聖者のための四つの事実」(四聖諦)です.

桂先生は,ここで,この教えが「聖者のためのもの」であることに注意するよう我々にうながします.

生は苦しみに満ちており,それには原因があり,その原因をなくすための方法があり,それによって苦をなくすことが可能だというこの「苦の癒しの道」について,実は,それは,在家信者のためのものではなかったということです.

在家信者の目標は,真面目に生活して布施などをしながら僧団をサポートして功徳を積み「天に生まれ変わること」です.

つまり,在家信者は,このシステムに拠る限り,「苦をなくす」という意味で救われることは直接にはないわけです.

ここに大乗仏教が登場してくるニッチが成立します.

出家と在家という視点でながめると,親鸞聖人の登場の意義が見えてきます.

出家 → 出家・在家 → 在家

出家のみを対象とする救済論から,在家も含んだ大乗仏教の救済論へ,さらには,僧俗が一味となって僧も妻帯する,つまり,在家一色の救済論です.

「浄土真宗的」な仏教を捉えて,桂先生は,

「贔屓目に過ぎるかもしれませんが,親鸞聖人の登場は,大乗仏教の登場に匹敵するくらいの仏教史上の大事件ではないかと思います」


と結ばれています.

仏教における「真実」である因果関係がいかに重要かは,竜樹の『中論』を見ても明らかです.

竜樹は冒頭,サーンキヤやアビダルマなどが前提とする因果関係を否定しています.

それは,固定的な不変の本質をもった有自性のものが因果関係を持つことはありえない,という意味です.

つまり,仏陀が説いた縁起が成立するためには,ものは無自性でなければならない,というのが彼の最も言いたかったことです.


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  1. 2014/02/16(日) 12:14:49|
  2. 未分類

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