Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

received: Bill M. Mak "The Last Chapter of Sphujidhvaja's Yavanajataka critically edited with notes"

Bill M. Mak
"The Last Chapter of Sphujidhvaja's Yavanajataka
critically edited with notes"

SCIAMVS, 14, 2013, 59--148

矢野先生ほか,京大インド学の中で研鑽を積まれている麦博士から重要な論文を頂きました.

主要な主張点は2012年末のインド思想史学会で発表されたものです.

要するに,インド数学・天文学の碩学であるピングリー教授の説が,ヤヴァナジャータカの新写本を用いて再検討した結果,間違いだった,というものです.

ピングリー教授の,1978年のヤヴァナジャータカ校訂本での主張は,大略,次のようなものです.(麦博士が冒頭にまとめています.)

1.ヤヴァナジャータカは269/270年にスプジドゥヴァジャによって著された天文学書.

2.ヤヴァネーシュヴァラがアレクサンドリアで149/150年に著した散文を韻文化したもの.

3.バビロニア起源の演算法を含む

4.「物の名前を用いた数の表記」(bhutasamkhya)の最古の例

5.10進法の桁のゼロ記号(bindu「滴」)への最古の言及


つまり,ギリシャ語でヤヴァネーシュヴァラ(ギリシャ人の主)が紀元後149年に著わしたバビロニア系統の天文学書を,それとは別の人であるスプジドゥヴァジャが紀元後269年にサンスクリットの韻文にして翻訳した,ということです.

そして,その中に,ドット記号でゼロを表していることへの言及があるというのです.

しかも,著作年代であるシャカ暦71年や,シャカ暦191年は,物の名前を用いた数(ブータ・サンキヤー)で表現されている,ということです.

しかし,新たに入手した写本をも合わせてテクストを再校訂した結果,ピングリー教授の説が支持しがたいことが分かる,というのが麦博士の主張です.

問題となる最後の詩節は次のようなものです.(ピングリー教授の校訂本とは,随所で読みが異なります.)

iti svabhāṣāracanābhiguptād viṣṇugraheśendumayāvatārāt/
maharṣimukhyair anudṛṣṭatattvād dhorārtharatnākaravāksamudrāt//60

sūryaprasādāgatatattvadṛṣṭir lokānubhāvāya vacobhir ādyaiḥ/
idaṃ babhāṣe niravadyavākyo horārthaśāstraṃ yavaneśvaraḥ prāk//61

sphujidhvajo nāma babhūva rājā ya indravajrābhir idaṃ cakāra/
nārāyaṇārkendumayādidṛṣṭaṃ kṛtsnaṃ caturbhir matimāṃ sahasraiḥ//62



麦博士が英訳しています.

その英訳を参考に,サンスクリットから私が和訳し直すと次のようになるでしょう.

以上の様に,自国語(ギリシャ語)による著述のために守られており(秘されており),ヴィシュヌ・惑星主(太陽)・月・マヤから降臨してきたものであり,大聖仙などによってその真実が続いて直観されたものである,占星術の宝蔵である言葉の大海から[エッセンスを抽出して],ヤヴァネーシュヴァラ(ギリシャ人の主=スプジドゥヴァジャ)――彼の真実直観は太陽の恩寵由来であり,彼の文は非の打ちどころがない――は,世間の人々への同情のために,優れた言葉でもって,この占星術論を,昔,語った.

スプジドゥヴァジャという王がいた.賢明な彼は,四千のインドラヴァジュラー[韻律詩節]でもって,ナーラーヤナ・太陽・月・マヤなどが直観したこの全体を作った.



問題となるのは,ピングリー教授がブータサンキヤーとした箇所の読みです.

ピングリー教授は次のような読みを前提とされていました.

viṣṇu-graha- 1-7 (71=149 CE)

nārāyaṇa-aṅka-indu 1-9-1 (191=269 CE)

しかし,これらは,そもそも年の数を与えるものでもないというのが麦博士の主張です.

しかも,もし年数を与えるものだとしても,解釈として成り立ちえないというものです.

ヴィシュヌや月が1を表すということの証拠がありません.

また,写本によれば,aṅkaではなくarkaですから,これが数だとすると,12としなければなりません.

その場合,191年ではなく,1121年になってしまいます.

以上から,著作年代が不明になったことで,ブータサンキヤーの「最古の例」ということもいえなくなりました.

数学的なゼロの概念として最古のものは,ヴァラーハミヒラ(紀元後6世紀)のパンチャシッダーンティカーということになります.(麦博士の論文のn. 84)

そこには,binduがゼロを表す名前として用いられており,また,ゼロが数学演算の対象として扱われています.

また,物的な証拠としては,紀元後598年(シャカ暦520年)の年代を持つクメール碑文K. 151に見つかります.(同じくn. 84参照)

ゼロがドットで表されています.

ということで,いわゆる「ゼロの発見」ということの証拠としては,インド文化圏において紀元後6世紀までは遡れるということになります.
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  1. 2014/02/28(金) 08:05:04|
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