Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

二諦

龍樹は二諦を説き、勝義と世俗と言います。

世俗に依らずして勝義が説かれることはないと。

ここでいう世俗とは何でしょうか?

バルトリハリから見直してみようというのが小川先生の発表でした。

龍樹と無関係の現代思想を持ってきて、龍樹の思想に疑問を投げかけ、そこで議論されていることを捉え直そうというのも、一つのやり方でしょう。

しかし、インド哲学のど真ん中にいる文法学者バルトリハリを参照することは、はるかに実質的な関連性を持ちます。

インド思想の一つである中観哲学を解明するのにきわめて有益であることは間違いありません。

いつもながら、大事なことをバルトリハリは、ずばりと表現しています。

実際、その影響は、後代のテクストのあちこちに見て取れます。

「なんだ、ここにあるじゃないか」という感じです。バルトリハリに脱帽。

Salviniの発表は、ナーガールジュナを読むにあたっての文法学的背景を取り上げたもの。

文法学はサンスクリットのどこにでも浸透していて当然ですから、当然、中観にもその発想が背景にあって然るべきですし、そう注意して読むと、そのような背景が浮かび上がって見えてきます。

予想通りある、ということで、意外性はありません。しかし、常に持っておくべき視点です。

アンの発表も、やはり、世俗について。

材料は、アンですから、当然、MMKとPrP。

プラパンチャやヴィカルパ、はたまた、マノージャルパといった連関する概念について。

語り得ないものについては沈黙するしかないとはヴィトゲンシュタインですが、語りうるものについては無限増殖のプラパンチャ盛り漏りな学会で、みなさん、朝から晩まで恐ろしく元気です。
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  1. 2014/06/27(金) 23:20:47|
  2. 未分類

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