Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

課題協学とは何ぞや

箱崎で教えていますが、時々、伊都で教養の授業を受け持ちます。

箱崎では、たまに大人数の授業(たとえば文学部の先生のリレー講義など)もありますが、一人で受け持つ講義は、多くとも50人を上回ることはありません。

伊都では、150人など、大人数が多くあります。

昨年度は、「人間性」という大人数の授業。

150人の授業を4週間、それを、三回、別のクラスで繰り返す、というものでした。

つまり、450人のレポートを見ることになります。

さて、今年度からは、まったく新たな伊都の授業の形態がはじまっています。

あらたに発足した基幹教育院(いわゆる「教養」)が中心となって、全学の協力を得ながら進める授業。

「基幹教育」。

その一つの授業としてあるのが「課題協学」。

クラスの組み方は昔の「人間性」「社会性」の授業―――人間性や社会性が損なわれるとネットでは不評でした―――と似ています。

すなわち、3人の先生が1組となって、50人X3クラスを、かわりばんこに面倒を見ます。

言い換えると、一人の先生にとっては、50人のクラスを4週間、それを、3回くりかえします。

たとえば、文学部の先生、基幹教育院の先生、理系の先生、というような組み合わせのようです。

学生のほうは、むかしは、理学部のクラス150人、法学部のクラス150人、工学部のクラス150人というような感じで、毎回、クラスの雰囲気が違ったのですが、この基幹教育の50人の構成は、ばらばら、まぜまぜとのこと。

これまでにない仕組みだったので、今回、今年の前期に「課題協学」を実際に行われた同僚先生に話を伺いに行きました。

まず、初回授業は、なんと、あの大講堂である椎木講堂で行います。

そこに、1年生の半分ほどが一堂に会します。

そして、3人一組の先生のチームの10組から、授業内容について、プレゼンを受けます。

次に、そのチーム代表(リーダー)の先生のプレゼンを受けて、学生がひとりひとり、希望を出します。

第一希望が一杯な場合は第二希望へ。

その場で、どのチームの授業を受けるか、学生の希望に沿いながら、クラス編成が決まります。

こうして、椎木講堂を出て、次に、各クラスの授業へ。

そこからは、150人(50X3)が一堂に会します。

そこで、各チームの授業について、詳しく説明します。

次週からは50人ずつのクラスに分かれ「課題協学」を行います。

読んで字の通り、或る特定の課題について、協同で、学生が学ぶ、というものです。

つまり、グループ作業。

先生が講義するのとは違って、学生自身がグループで、課題を成し遂げる、というもの。

というわけで、先生は、基本的な課題を提示して、あとは、グループを分けて、課題をやらせるだけ。

たとえば、50人を、5人X10班に分けます。

そして、課題をやらせて、次週は、課題の準備。

3週目、4週目は、発表、質疑応答となります。

おや、時間が足りないのでは、と思われる方もいるかもしれませんが、この課題教学、時間がかかるため、3-4限のぶち抜きの授業です。

というわけで、10班あったとしても、

三週目3限:3つの班の発表
三週目4限:2つの班の発表,全体討議

四週目3限:3つの班の発表
四週目4限:2つの班の発表,全体討議

というような形で進めることが可能です。

まとめると、

第一週目:椎木講堂で1500人、そのあと、150人で3人の先生と

第二週目:先生Xと50人(aクラス)
第三週目:
第四週目:
第五週目:

第六週目:先生Yと50人(bクラス)
第七週目:
第八週目:
第九週目:

第十週目:先生Zと50人(cクラス)
第十一週:
第十二週:
第十三週

第十四週:XYZ合同の総括、150人で

よく考えられています。

これまで、「人間性」などの授業では、あくまでも、各先生がたの興味範囲の中で行う一方向の授業を、強制的に振り分けられた学生が聞かねばならないという必修授業の講義、という制約がありました。

その点については、おそらく多くの学生が不満に思っていたことでしょう。

今回の課題協学については、

1.まず、最初に先生を選ぶことができる、という点で、大きな違いがあります。

2.そして、150人の授業ではなく、50人のクラスである、ということ。

3.さらに、一方向ではなく、グループ課題で自ら参加する授業である、という特徴があります。

同僚先生の話では、やる側としても、なかなか面白かったとのこと。

もちろん、3-4限と、通常授業の二倍の拘束となりますが、いろいろと面白い発表も出てきて、やる側としても面白いとのことでした。

これからまだまだ練られていく段階にある授業でしょうが、個人的にも、面白そうな授業だと感じました。

しかし、伊都のこの授業、がちがちに決まっていてスケジュールに余裕がないので、休講のしようがないのが問題です。

病気・事故など、急な場合、さらには、国際学会に出席して日本にいない場合など、いろいろなケースが考えられます。

ともあれ、これまでのシステムでは何となくできあがってきた対処方法が、新しいシステムに移行するときは、うまくいかなくなります。

ある程度の遊び・余裕をもたせないと、システムはたちいきません。(「人間性」の授業では、四週の授業が終わった後の間に、レポート作成期間として一週間を空けることで、休講の可能性に備えていました。)

基幹教育のシステムがどのように練られていくのか、始まったばかりですが、今後の課題でしょう。




最初、「課題教学」かと思って、「教学」のドグマでも教えるのかと思っていました。

インド人のドグマを教えるのなら得意なのですが。

ちなみに同僚の先生が与えられた大きな課題は「共生」。(そのほか、知識などのお題もあるようです。)

先生は日本語の専門家なので、「言語と共生」というように、課題設定をされたそうです。

課題設定としては、うまく回ったようです。

「共生」というと、イヴァン・イリッチのconvivialityを思い起こします。

そうすると、インド研究者としては、ガーンディーのアヒンサー、さらには、クマーリラのアヒンサーやヒンサーの議論まで遡りたくなります。

学生に自主的にやらせるのが教師の側の「課題」なので、それはないでしょうが。




ちなみに、重要なことですが、学生の発表方法は四種から選ぶとのこと。

すなわち、

1.レポート発表
2.パワポ発表
3.ポスター発表
4.ウェブ作成

X先生のクラスはパワポ、Y先生のクラスはポスター、Z先生のクラスはウェブ作成、というような具合です。

文系の我々としては、教えるべきは、1か2でしょう。

わたしとしては、授業を長らくやる中で、やはり、資料配付の1が「正確に言いたいことを伝える」という点では最強だと思っています。

ただし、大人数だと、どうしても集中力が切れたり眠たくなるので2も併用します。

変化する画像があると、たとえ文字情報であっても、人間、自然と目が向くものです。

しかし、パワポは、載せる情報が限られます。

しかも、瞬時に移り変わって後から復習できません。

言いたいことの逆が伝わったりします。

つまり、こちらが否定しようとしていたことが、逆に、肯定として受け止められていたり、という可能性が、大いに出てきます。

伝えるというのは難しいものです。

ちなみに、1-4のいずれもなかったような19世紀のインド、アーリヤサマージを創始したダヤーナンド・サラスヴァティーは、ものすごく声がでかかったそうです。

きっとその声の大きさもあって、ヴァラナシのパンディット達を討論会で滅多切りにして打ち負かしていったのでしょう。

というわけで、

0.発声、滑舌

というのは、実は、重要です。(今はマイクという拡声器があるので、声が小さくとも何とかなりますが。)
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  1. 2014/08/06(水) 18:34:51|
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