Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

文字の向こうの人

シャバラといえば、わたしにとっては、間違いなく、一番親しい人です。

なにしろ、2年間、インドで何も他にやることがないときに、毎日毎日読み込んだ相手です。

親しくないわけがありません。

日本なら、本を片手に眠くなってうつらうつら寝ようか、というような状態でも、インドにいると、壁と天井が暑くて眠れません。

天井にぶら下がる扇風機から吹き下ろす昼間の熱風。

昼寝すると体を壊します。

よく、無防備に昼寝してしまい、嫌な汗をかいて、夕方には風邪を引いて、体を壊したのを思い出します。

暑いところでの昼寝は禁物。(昼の昼間に涼むなら、冷房の効いた映画館でも行くべきです。)

「良い具合」というのがない回帰線の国。




以上のような気候条件はともあれ、インドにいくと、本を読む暇は異常にあります。

ほかにやることがないので当然です。

テレビもない、酒もない、喋る相手もない、そして、そのときには、まだネットもなかったのでした。

暑くて外に出るのも嫌、となると、部屋でじっと本を読むのが一番まし、ということになります。

しかし、です。

そのシャバラのテキスト。

実際のところ、どれだけ、シャバラの原文といえるのでしょうか?

ほんとに正しいのでしょうか?

これが、どっこい、写本という観点から見ると、そうでもない、というのが実情です。

これまでの刊本は、カルカッタの写本に基づいています。

ケーララあたりの写本と比べると、どうも、かなり怪しいというのが分かります。

南の写本と比べると、結構、読みの違うところが、ぼろぼろと出てきます。

シャバラの注釈だけならともかく、スートラまでもが違う、というようなことも、「音声常住論」を校訂したときには出くわしました。

むかし、ティルパティにいたころ、「この人は、すごいパンディットだ。ミーマーンサー・スートラを全部暗唱している」というパンディットを見たことがあります。

あの人は、間違ったスートラを覚えている、ということになります。

間違った刊本が出回って、それで勉強して、それを暗唱して、それを人々に教える。

これは悪ではないでしょうか。(すくなくとも、ヴェーダの暗唱で、間違って詩句を覚えていたなら、それは、無効であるばかりか有害でさえあります。)

いったい、いつまで、このような状態が続くのでしょうか。

別に、ミーマーンサー・スートラの一節で間違おうがどうしようが、一銭の得にも損にもなりませんし、また、シャバラのパッセージのあるところが、読みが間違っていて読めなかろうがどうであろうが、まあ、現代人にとってはどうでもいいといえばどうでもいい問題です。

が、しかしです。

これまで、暇に任せてシャバラに命をかけて読み込んできた身としては、そうはいきません。

一字一句に至るまで、間違いがあるのは許せないのです。

最後の最後までオリジナル復元を追求する必要があります。(ちなみに、サンスクリット語で「校訂」はśodhakāryam「浄化作業」です。)

聖書の一字一句、細かいところまで、テクストクリティークにこだわる人々は沢山います。(それは、たとえば別の宗教に属す第三者から見ればどうでもいいことですし、つまるところ、本人のこだわりに過ぎないとも言えます。)

したがって、聖書に関しては、「ここまでやるか」というような細かい議論がなされます。

それは、別に、どのテクストにも同じように当てはまりうることです。




むかし、ジャイナの聖者、ジャンブヴィジャヤ・ジーに直接、お目にかかったときのこと。

ディグナーガのPS原文がウィーンで校訂されているのを知って、「くれくれー」というように大はしゃぎだったのを思い出します。

若かりし頃にチベット訳を通してサンスクリット原文を想定して還梵していたディグナーガの『集量論』が、ジネーンドラの注釈を通してとはいえ、かなりの正確さで再現されたのですから、その嬉しさたるや、大変なものでしょう。

「とも遠方より来たる」と言います。

実際、そのときは、桂先生がわざわざ日本から訪ねていったわけです。

が、それよりもなによりも、むかし自分が学び親しんだディグナーガのテキストが、まったく思いも寄らぬ形で姿をなして目の前に表れたのです。

自分が何十年も前にチベット訳から還梵したサンスクリット、それの答え合わせとなる原文が目の前に現れるとき。

うれしくないわけがありません。

そのとき、師、すでに、79歳でした。

が、まだまだやる気満々でした。

常に学び吸収しようとする学徒(vidyārthī)魂を目の当たりにしました。




写本を見ながらシャバラが思いがけず別の姿で戻ってくるとき、わたしは悦びを隠しきれません。
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  1. 2014/12/09(火) 22:41:40|
  2. 未分類

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