Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

「有る」という単語から何が理解されるのか?

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「物が有る」というような文で使われる「有る」という単語からは何が理解されるのでしょうか?

ディグナーガは,まずはじめに,個々の物が理解されるという立場を批判します.

個々の物ということは,AもBもCも....ということです.

この場合,二つの問題が生じてくることになります.

1.習えない
2.使えない

まず,単語というのは,言葉とその意味の関係を習って初めて使えるものです.panasaという単語を聞いても,非サンスクリット語人には何のことか分からないでしょう.(パナサとは,サンスクリット語で,ジャックフルーツのことです.)

もし"sat"という語が,A,B,C,....という無限に有る沢山のものと関係しているなら,その関係を学ぶのには,無限の時間がかかります.実際的に,それは不可能です.つまり,「有る」という語が無数にある個々の物を理解させるというならば,それは,無理な話だということです.ディグナーガは,「無数にあるから」と言っています.

また,たとえもし関係が学べたとしても,実際には使えないでしょう.というのも,"sat"という語は,AもBもCも....全てを意味します.無数の対象との関係を知っているとしても,その聞き手は,"sat"という語からは,「Aなの?Bなの?Cなの?...」というような疑問を持つことになります.つまり,せっかく語を聞いても用をなさないわけで,疑惑をもたらすだけです.

このように,語が個々の物を意味すると考えると,問題が生じることが分かります.

したがって,個々の物ではなく,それら個々の物に共通する何らかのものを指すという立場を探ることになります.
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  1. 2015/01/15(木) 07:15:49|
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