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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

Correction of Jinendrabuddhi's Pramanasamuccayatika


校訂テクストは次のように訂正すべきです.

p. 22, l. 7
sata eva > parata eva

ジネーンドラブッディの前後の記述からすると,彼の立場は以下のようになります.

プラマーナがそこにあることはそれ自体で,他を必要とせずに分かる.その意味では,「自ら成立する」ということが言える.しかし,そのプラマーナが正しいかどうかまでは,それ自体「自ら」によっては分からない.したがって,「他から」論証・確定される必要がある.

ジネーンドラブッディは,

svataH pramANasya svasaMvedanAt svarUpasiddhimAtraM bhavati
「[他によらずに]自らによるならば,プラマーナには,自己認識によって,それ自体の成立のみが生じる」

と述べています.これは,プラマーナ「自ら」(svataH)によって分かる範囲の特定です.そこでは,「自体成立のみ」(svarUpasiddhimAtra)があるのであって,その正しさまでは分からないのです.

では,或る認識が生じたとき,その認識が正しいかどうかはどのようにして分かるのでしょうか.その答が問題のparata evaの箇所です.

ここで,tasya (=prAmANyasya) sata eva ... niZcayo bhavatiと読んだ場合,sata evaは意味を成しません.

「それ(正しさ)は,存在する場合にのみ(?),・・・確定される」

訂正のようにtasya (=prAmANyasya) parata eva ... niZcayo bhavatiと読むならば,次のようになります.

「それ(正しさ)は,他に基づいてのみ,・・・確定される」

そして,「他から」(parata eva)の内容説明が,長いコンパウンドで説明されているのです.すなわち,parata eva pramANaparidRSTavastusAdhyArthakriyAviSaya-pramANAntaravRttyAとあります.

詳しい説明は省略しますが,要するに,pramANAntaravRttyAというのが「他に基づいて」という意味です.「他のプラマーナの働きによって」というわけです.「或るプラマーナの正しさは,他のプラマーナの働きによって」すなわち「他からのみ」確定されるのです.

単純化して説明するなら次のようになります.水を見て「或る認識」が生じても,その水を飲んでみて,本当に喉の渇きがいやされることを確かめるまで,すなわち,効果的作用を確認する「別の認識」が生じるまで,或る認識の正しさは分からないというわけです.

クマーリラの自律的真理論から見れば,慎重に過ぎる,まどろっこしい話ですが,これが他律的真理論の立場です.(実際には,ジネーンドラブッディの説は,もう少し複雑です.)

校訂テクストの脚注2に記されているように,sataは,校訂者達によるemendationです.写本の読みは,はっきりはしないようですが,校訂者達は,{sa}<ya>ta Msと記しています.これも,parataがオリジナルであることを,むしろ示唆するでしょう.

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  1. 2006/12/24(日) 10:08:13|
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