Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

くらまとにちじょう

A+B

B+A

普通は同じかと思います。

しかし、多くの場合、両者は違います。

ご飯を食べた後に、歯磨きをするのと、

歯磨きをした後にご飯を食べるのと

では大違いです。

つまり、順序kramaということが、日常では問題となります。

祭式でも同じです。

手順というものがあり、順序というのが重視されます。

つまり、Aという行為の後にBという行為が為されないといけません。

逆に、Bの後にAを為したのでは、所期の目的は果たされません。

この「~してから」という順序に従うことが重要です。

これに従わず、A+Bも、B+Aも同じ調子で儀礼を行ったならば、天界という果報がもたらされることはないでしょう。

順序kramaについて、祭式哲学であるミーマーンサーが考察を深めたのは当然と言えるでしょう。

不可見の天界という果報を持ち出さずとも、料理を例に取ってみれば、手順が違えば結果の違うことは明らかでしょう。

我々の日常行為とパラレルな行為の分析を、祭式という特殊な場を例にとって為したのが、ミーマーンサーの祭事哲学だと言えるでしょう。

私の師匠であるJ. Venkataraman教授は、いつも日常生活を例にミーマーンサーの儀礼解釈を説明してくれていました。

我々の日常行為の根っこにあるもの、そこに、ミーマーンサーの分析は根ざしているのです。

それを深く捉えたのが注釈者シャバラであり、それこそ、『シャバラ注』冒頭の「世間においてはloke」という宣言の深い意図なのです。

「如是我聞」が何を重視しているのかを考えるとき、仏教とミーマーンサーの立脚点の違いに驚かされるのは私だけでしょうか。
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  1. 2015/03/02(月) 22:44:50|
  2. 未分類

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