Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

写本の異読

写本に見られるヴァリアントについては,

「AとBのどっちがいいか?」

ということだけではなく,

「どっちがどっちから派生しそうか」

ということも考える必要があるでしょう.

Aだけを採用して,Bについては考えないというのは片手落ちです.

Aがオリジナルだとして,では,なぜBが出てきたのか,その背景・動機を考える必要があります.

つまり,A→Bなのか,あるいは,B→Aなのか,あるいは,X→A/Bなのか,などなど,異読が出てきた背景についてあれこれと想像を働かせる必要があるのです.

「AのほうがいいからBではない」というだけでは,ちゃんとした説明にはなっていません.

Aを採用する,Bを捨てる,というだけの捉え方をすると,捨てたBについてはあたかも考える必要がないかのように響いてしまいます.

(そういえば,むかし,ペットボトルの中を洗浄していると,「日本人はゴミを洗うのか」と笑われたことがありました.たしかにゴミについてはケアしないというのが,まあ,世界の多くの人間の発想でしょう.ポンディシェリも郊外の空き地にいけば,もう,あちこちがゴミの山です.)

しかし,捨てたBについても,それは,決してランダムに登場してきたわけではありません.

元をたどればオリジナルから,なんらかの過程を経て出現してきたはずです.

Bの由来を説明することは,Aの説明ともつながります.

間違いが起こったメカニズムを解明することで,次に活かすことができます.

同じように,異読が起こったメカニズムを解明することで,何が正しいのかが分かるようになるのです.

自分が理解できた範囲の安直な読みを採用してそれだけでよしとする態度,それは,写本研究においては忌避すべきものであることは言うまでもないでしょう.

しかし言わないと分からないので,言わずもがなであるにもかかわらず,ここで言ってしまっていますが.

つまるところ,読みを選ぶというのは結構めんどーな作業だということです.

そして,めんどーな作業は誰もやりたがらないというのも,また理の当然です.

その面倒な作業を場当たり的に適当に済ませようとすると,馬脚を現すことになりかねません.
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  1. 2015/03/17(火) 02:27:52|
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