Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

インド古典の楽しみ方

クマーリラが著した復註釈(ミーマーンサー経に対するもの)である『頌評釈』は,章によって異なりますが,三つの註釈が残っています.

一番古い註釈がウンベーカのもの.

欠落部の後半の一部はジャヤミシュラの註釈が残っています.

次がスチャリタミシュラ.

最後にパールタサーラティミシュラ.

西洋哲学の対象とは違って,インドの場合,クマーリラからして年代は,はっきりしたことは分かりません.

が,おおよそ,次のような感じです.

600 クマーリラ

750 ウンベーカ

900 スチャリタ

1050 パールタサーラティ

分かりやすく150年おきに並べておきましょう.

ジャヤミシュラの年代については,学界の定説はありません.

おそらくウンベーカと同様の古い学者の感じがします.

このほか,カマラシーラもクマーリラの詩節引用(シャーンタラクシタによる)に対して詳細なコメンタリーを残していますから,一部の詩節については,カマラシーラも,いわば,クマーリラへの註釈家として利用可能です.まとめると以下のようになります.

600 クマーリラ

750 ウンベーカ/ジャヤミシュラ/カマラシーラ

900 スチャリタ

1050 パールタサーラティ

当然ですが,同一の詩節にたいして,それぞれが少しずつ異なることを言う場合もあります.

つまり,註釈者の見解が割れる時があるのです.

もちろん,最も重視すべきは古いコメンタリーです.

しかし,全ての場合に一番古いものが原意に近いかというと,そうでない場合もありますから,文脈などを手がかりにクマーリラの原意を計りつつ,かつ,諸註釈を慎重に見比べる必要があります.

細かい所に注目して見てみると,註釈者達も,いろいろと苦労していることが分かります.

彼らも我々と同じく,クマーリラのテクストを前に,ああじゃない,こうじゃないと,あれこれと苦闘していたわけです.

時に正直に,「いや,ここは本来はこうあるべきだけど,こういう理由からこうクマーリラは書いているのだ」というような,本音を吐露したような註釈を残してくれていることもあります.

古典との格闘というのは,常に続くものなのです.

古典を継承するというのは,決して「そのまま受け取って終わり」というような楽な作業ではありません.

多くの貴重な古典が既に失われたとはいえ,我々は,実際には,スチャリタやパールタサーラティなどよりも,ずっと眺望の良い位置に立っています.

それは,クマーリラが批判している相手であるディグナーガのテクストについて,クマーリラとは独立に,知ることができるからです.

手写しの写本しかなかった昔,テクストへのアクセスというのは,恵まれた図書館があれば別でしょうが,いろいろな困難があったと考えられます.

博覧強記のインド人といえども,もとのテクストや,あるいは,教師・対論者がいないことには,記憶のしようがありません.

そのような状況を考えると,我々は,あれこれのテクストを客観的に比較しながら,クマーリラのテクストに対峙できるわけですから,比較的恵まれていると言えるのです.

特に,PDFでの共有によりテクストの共有が物理的に楽になった21世紀の古典文献学は,以前より遙かに恵まれた状況にあります.

昔は無風の図書館のコピー機でよく汗を流したものですが,昨今は,そこまで苦労せずとも,PDF等によりテクスト入手が容易になりました.

思い出すのが,東大の総合図書館の書庫の奥のほうにあるパンディット・シリーズ.

世界的にも貴重な本が,比較的きれいな状態で残っています.

赤茶けた分厚い本の真ん中を必死に押さえつけながらコピーをすると,手も薄汚れてきて次第に真っ黒になってきます.

マンダナ著『命令の分析』も,そのパンディットシリーズが初版なので,一所懸命コピーしました.

中に挟まっている新聞の記事が日露戦争だったりしたのが笑えました.

いまとなっては懐かしい思い出ですが,あんまり繰り返したくない作業です.

特に夏はごめんです.
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  1. 2015/08/18(火) 18:59:27|
  2. 未分類

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