
二日目の午前.
面白い発表が目白押しです.
吉田さんは,ディグナーガの『集量論』のサーンキヤ関係.
samsthanaに関する古い学説・批判応酬について,PSを材料に丁寧に追っていくという非常に手堅いものでした.
後々,イーシュヴァラ論証でも重要なキーワードとなっていくsamsthana(配置・配列・形状・形)という概念ですが,その初期のサーンキヤにおける概念を,ディグナーガが批判しているものを追跡した発表でした.samsthana概念の最初期の姿を捉えた資料として注目すべきものです.
次は何歓歓さん.陳那の名前について.漢文資料を渉猟.三つの可能性を考えています.しかし,インドにおいて二つ名前があった,という可能性は考えていないようでした.おそらく,Dinnaという名前もDignagaという名前もいずれも,インドにおいてあったということだと思います.いっぽうは地元の現地語での名前.後者はその音を無理にサンスクリット化した名前でしょう.現地語のそのままの発音を表記したものと,その音を無理矢理サンスクリット化した名前の両方があることは,別にインドでは他にも事例が見られます.
Dinna → 陳那
Dignaga → 域竜(域龍)
ということでしょう.
竜と童の入れ替わりがあるのは,さすが漢文世界.おもわぬところで文字が入れ替わって頭を悩ませてくれます.
野武さんは普遍について.共通性が実在せずとも,共通性の認識がある場合(「料理人」「共通性」)をどう処理するのかという問題へのインド人達の対処の方法あれこれ.
桂先生は,進行中のプロジェクトの報告.『因明正理門論』は漢文しか現存しませんが,その原文がかなり,現在進行中の『集量論』註の校訂研究から再構成可能というものです.
中須賀さんは,西日本インド学仏教学会で発表したものをヴァージョンアップしたもの.
わたしは既に読んでいたので,内容は既知でしたが,専門家にとっても内容を追うのは難しかった様子でした.難解なダルマキールティの詩節を,さらに,カルナカゴーミンという註釈家が,懲りまくった解釈を施しているのですから二重に難しいのは当たり前です.
もう少し,niscayaとadhyavasayaの大枠を説明してから入るべきだったかもしれません.「先行論文で既に論じた」では,聞き手が置いてけぼりになることがあるということです.
大枠としては,つまるところ,次のことが問題になっています.
推論 知覚判断 錯誤
判断adhyavasaya 〇 〇 〇
確定niscaya 〇 〇
プラマーナ性pramanatva 〇
知覚判断というのは,知覚の直後に生じる「これは壺だ(壺に他ならない)」「これは牛だ(牛に他ならない=非牛ではない)」という判断のことです.
ここで,niscayaというのは,ダルマキールティにとっては,samaropa-vyavaccheda,付託の排除と同義語です.つまり,「非壺だというのは違う」ということで,要するに「非壺ではない」ということ,つまり「壺に他ならない」という判断が確定になるということです.
ダルマキールティとカルナカゴーミンとでは強調したい点が異なるので,そのことが,カルナカゴーミンの凝った解釈から読み取れる,ということです.つまり,samaropavyavaccheda=niscayaとしての側面を強調するのか,あるいは,adhyavasaya,カルナカゴーミンにとっては認識内形象を外界と思い込むことという判断の側面を強調するのか,ということです.この点を押さえて読むと,中須賀さんの論文は実に明晰に書いてあります.
ただし,tanmaatramの解釈は,私も西日本インド学仏教学会で質問したように,そして,インブツケンでも護山さんが全く同じ疑問をぶつけていたように,「それの部分を持つもの」というようにバフヴリーヒで読むのは(maatraaという語を想定するのは),ちょっと無理があるでしょう.
石田さんは,むかし,赤松先生があつかったダルモッタラのprasajyapratisedhaとparyudasa.
ダルモッタラのアポーハ虚構説においては,ジャヤンタも明らかにするように,asat-khyati説に理論的には立つことになりますから,apohaというのは,実質としては,無,すなわち,非存在になります.したがって,prasajyapratisedhaとなるわけです.上田さんが質問していたように,ここでは,否定の意味論というより,むしろ,「アポーハ」と呼ばれるものは存在論的には何か,非存在なのか,あるいは,認識内形象や自相なのか,という存在論の側面から考えていった方がすっきりするでしょう.
わたしの日本語論文がレジメ末に参考文献として引かれていましたが,なぜか,石田さんのレジメでは,英語タイトルに直して引用されていました.謎です.
吉水さんはキャンセル.
次は私.桂先生から質問をいただきました.その後,関連資料も送って戴きました.ありがとうございます.
最後は上田さん.
最近彼が導入している「アポーハ代数」の更なる発展.
「青い蓮」という限定をめぐる表現を例に,アポーハ代数を適用したもの.
論理記号が並ぶので専門家でないとついていくのは辛いのですが,慶応の分析哲学出身の佐々木さんが質問.
昼食は,大学でて右に曲がってしばらく歩いた中華料理屋「ミッチー」に.
千鶴子さん,志賀さん,張本さんと雑談.

連休のため,どこも食堂は満員.
特に真ん中は行列で大変です.
表通りから引っ込んだここも10分ほど待ってようやく入れました.
一日目はカツ丼,二日目は唐揚げ定食(+ミニラーメン)にしました.
からっと揚がっていて,結構美味しいです.(大分の宇佐USAの唐揚げには負けます.)
後から入ってきた少林寺みたいな格好の台湾のお坊様.
店員にあれこれとダシのことを聞いています.
結局,この店のすべてがノンベジということが判明したようです.
諦めて帰って行かれました.
表通りにある菜食の高級そうな料理屋は大行列だったり,あるいは,団体の貸切だったりで入れないですから,ベジタリアンの人は大変です.
ちなみに,宿坊のお料理は,二日朝晩ともに菜食で非常に美味でした.
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- 2015/09/21(月) 11:33:23|
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